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少女の黒歴史を乱すは人外(ブルーチェ)

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第二十話:拙い反撃

 
前書き
注意※麟斗は老若男女平等主義なので、殴ると決めたら女の子でも殴ります。何とぞご容赦を。 

 
 
 “人が殴られ、吹き飛ぶ” 



 使い古された陳腐なシチュエーションではあれど……その行動と光景自体、現実基準で考えれば実に奇妙な現象だ。

 ボクシングの試合を見れば、そんなもの否応にも分かり、体格の小さい物を殴ったとしても吹き飛ぶのではなく、勢いを殺し切れずに転がるのがせいぜい。
 人を殴り飛ばすのは即ち、人をその一撃で殺してしまえる程の筋力と、力の入れ方をブレさせない技術が必要なのだ。
 ましてや何かを隔てた上から吹き飛ばすなど、不可能な出来事だと言わざるを得ない。

 だから……幾ら背が低かろうとも、鎧を着た者を相手に前に出された手を吹き飛ばし、頬に拳を打ちつけ後ろに吹き飛ばすなど……本来あり得ない事。
 相手が人ではないのなら、人知を超越した力を持っているのならば、尚更に不可能なのだ―――



「ふげあっ!?」
「……?」


 ―――【A.N.G】(ばけもの)麟斗(にんげん)が吹き飛ばすなど。


「……ロザリンド、様が……?」


 本来なら、リアルよりもフィクションを大事にする筈の、そして超常バトル大好きな楓子が、思わずそんな事を想い浮かべてしまったぐらい、その光景は衝撃的だった。

 肉体を保護し攻撃を緩和する、【A.N.G】共通の技【天使の羽衣】(エンジェリックオーラ)は、同じ【A.N.G】で無ければ破る事など出来ない。
 楓子自身がそう書いた訳ではないが、しかし綴った内容を表に出せば、例え麟斗や楓子の父・京平であろうとも太刀打ちできないであろう。
 現に境内に現れた、女神の聖天使・メープル相手では全く歯が立たなかった。

 ならば―――メープルと歴史に残る(楓子の中で)一騎打ちを演じるラスボス設定の紅薔薇の剣姫・ロザリンドに対し、力ではるかに劣る麟斗の特殊な物など一切ない腕力任せな攻撃ですら、例外なく防がれて終わる筈。

 ……だったのだ、本来は。


「……麟、斗……?」


 マリシエルですら表情に分かりやすく驚愕の色を映し、鋭い弧を描いて地面に激突したロザリンドと、右拳を上へ傾けて突き出したまま固まる麟斗を交互に見やる。


「うぐはっ……な、何が起こったんだ!?」


 俄かに狼狽して起き上がるロザリンドは、目の前の男に殴られた結果こうなったのだと、理解できていない様子。

 そして、一番驚いているのは―――


「……な、に……?」


 今広がっている異常な光景を生み出した、他ならぬ張本人足る、麟斗自身なのかもしれない。













 何が、起こった?

 ……いま、俺の拳が当たった、のか?
 そしてロザリンドが吹っ飛んだ……のだろうか?
 【天使の羽衣】をまとって、普通の人間の攻撃など一切無効化出来る……ロザリンドを……?
 絶対的優位と言う場面に溺れた、ロザリンド(あいつ)の演出では無いのか……?


「殺戮の天使の不意打ち……!? 【鋼糸鏖陣】(スティールゴルゴン)による打撃攻撃か!?」


 違う、な。

 花を持たせたのならば、あんな慌て様には成るまい。何より頬に赤い跡が、薄くともちゃんと刻まれている。
 ならばロザリンドの言う通りかもしれないと、俺は茫然としたままにマリスの方を向いた。
 ……が、其処にあったのは俺と同じく、驚きの身を顔に張り付けたままの、寝転がったマリスの姿。対応した様子など全く見られない。


「……私は、何も……」


 寧ろ何が起こったか分からないと、俺と同じ心境の様子にしか見えない……。


「え……え? ……えっ?」


 楓子は―――論外だな……驚きすぎて目がまん丸だ、比喩ではなく皿の如くだ。
 平常時ならば腹抱えて笑えるだろう、腹筋崩壊間違いない。
 己の作った設定が―――恐らくだが、全くの予想外な物に打ち破られたんだ。
 寧ろ、あんな風になるのが自然の成り行きか。

 ……かく言う俺自身が最もビックリしている……一体どういったからくりでロザリンドにダメージを与えたんだ、俺は?


「まさか麟斗君がやったのか……? いや、そんなことはあり得ないはずだぞ……彼は普通の人間の筈だ……!」


 俺だって同じ気持ちだよ。
 何が起こっているか、半分理解できてねえ。
 あり得ないと叫びたいぐらいだ。

 ……状況が状況で無けりゃ、な。


「ななな、何が起きてんのぉ……兄ちゃんがロザリンド様を殴り飛ばしてぇ……?」
「……分からない、何故こんな事が……」


 傍で眺めている奴らが狼狽しているおかげか、俺の困惑は一足早く落ち着かせる事が出来た。
 兎に角、俺の拳はロザリンドの【天使の羽衣】を、傷跡からいって完璧にではないが、ある程度通り抜ける事が出来る。

 これが分かれば()()()
 コレからやる事に―――


「オラア!!」
「うぐへっ!?」


 殴りつける事に、変わりはない……!

 寧ろなけなしの時間稼ぎ程度ではなく、ある程度のダメージが与えられると……自分の身だけに危機が迫るのではなく、相手にもそれなりの危険あると分かったのなら、これ以上に今最も効果のある行動はない。
 ならば―――やる事は、何も変わらねえ……!


「オラアアッ!!」
「ちょまグヘア!?」


 紅薔薇の剣姫の制止など、聞く義理も余裕も無いのでシカトし顔面に右ストレート。


「こ、この―――」
「シッ!」
「―――貴様ってのべへっ!!」


 何とか足掻こうとガードを固めてこちらを睨むロザリンド。
 だが、足元がガラ空きなのを見て俺は一度強く息を吐き、背伸びの様な格好から一気にダッキング。
 更に低姿勢で突貫し、遠慮せず足払いを打ち込んでやる。

 前に倒れて鼻を強打したものの【天使の羽衣】の効果なのか、鼻より足の方にダメージを負っているらしく見えた。
 ……やっぱりか。
 俺自身が撃ち込まなきゃ意味ねえらしいな。


「り、麟斗君! 話を聞くぐらいヘブラッ! ちょ、こんな声は僕にはふさわしくなグフェン!?」


 女性としては身長が高いが、それでも俺よりは低い。
 打ち下ろしや打ち上げを問題無く使える事で、フェイントも狂いなく機能した。
 ……しかし、それは同時にフェイントをしなければ、話している途中でも『人外的反応』で攻撃を阻害できる、と言う事だ。
 現に挙動で騙されてはいるが、手で攻撃を防ごうとしている。


「ぬぅぅ……良かろう! 僕もこれより覚悟を持ち! 己が全身全霊をもってフベラァン!?」

「……懲りない人」


 珍しく感情のこもった、マリスの呟き。
 俺は思う……全くだな、と。
 喋ったら隙付かれて叩かれると、何度やっても学習しねえのか、コイツ。

 おまけにコイツは元演劇部。
 戦闘経験どころか、何者かに憧れての鍛錬すら、一度もないと言って良いかもしれない。
 そしてロザリンドの『概念』のお陰で達者だった剣術ではなく、明らかに不慣れな体術で迎え撃つもんだから―――余りにお粗末だ。


「はああああぁぁ! ―――あ、ふぬ!? ふげお!」


 テレフォンパンチそのものなロザリンドのジョルトブローに対し、スウェー回避からのワンツーパンチ。
 顔面クリーンヒット一発、腹部に一発。
 計二発鈍い音を上げて叩き込む。


「ま、負けるものかっ! ボクの体術は確かに未熟なれど」
「シッ!!」
「って危なあっ!? ……み、未熟なれど! どのような局面であろうとも―――」
「ウラアッ!」
「即座に対おぐぺ!」


 折角上段蹴りを避けたのにそれでも話し続けた所為で、軸変えのフェイントから見事に首元へ一発が命中。
 低空で緩く弧を描き、後頭部からいっそ綺麗なまでに落下。


「まだだ……まだだよ麟斗君! 僕は未だ本気を出していない! この程度で意気揚々としていられるのならば」
「それは未熟かつ早計にも程がある、か?」
「その通り! ……ってボクのセリフを―――あ、フゲパラアァァン!!」


 挙句の果てにはセリフまで先読み出来てしまう。
 右ストレートが音を立てて命中、実に気持ちのいい一撃が顔面の鼻っ柱を捉えた。


「はぁ、はぁ……な、何という強敵!」


 敢えて言っておこう―――俺達は戦っている。
 結構シリアスな場面から飛んで、それなりな殴り合いを演じている。
 おまけに場の状況は待ったなしで、楓子を浚われマリスが殺されるか、それを阻止するか……かなり深刻な状況なのだ。

 だから……なあロザリンド、俺らは戦っているんだよな……?
 間違っても関西ですらまず行わない様な、寒いド突き漫才をやっている訳ではねえんだよな……?
 不安になってきやがった。
 ―――つーか数分前の緊張と、覚悟を返しやがれ。


「ここからは僕も本気で行こう! 何加減はする、だが手心は加えない……後悔はするな!」
「当たり前だ」


 と……余計な事を考えていたのと、距離が開いていたこともあったのだろう。
 俺はつい相手のセリフに乗って答えてしまい、剣を構えさせる拍をむざむざ作り出してしまった。


「“我が宝剣、力に満ちよ、宿せ燎火……!”」


 このフレーズ前にも聞いた……つまり、次に来るのは間違いなく【ミカエルの剣】だ。
 ―――なら、()()()だろうな。


「我が右手に【ミカエルの剣】!!」


 予想ぴったり、決して外す事無く期待い通りに焔が飛んできた。
 マリスへ向けた物よりも数段は弱い火焔の蛇に、俺は()えて突っ込むような前傾姿勢を取る。


「えっ? ちょ、ちょっ、なんでそんな―――」


 ロザリンドが慌てているが……視野狭窄だとしか言えねぇな。
 別に俺は、態々ダメージを負う気でこんな体勢を取っている訳じゃあない……見えているからだ。


「……【漆黒爆弾】(ナパーム デス)……!!」
「あっ」


 ロザリンドの後方数メートル先。
 いつの間にか死角へ位置を変え、片膝をついて起き上がった “マリス” の姿が。
 そして彼女もまた期待を裏切らず俺の望んだ技を放ち、自分でも驚くほどのクソ度胸で爆破によってうねる火焔の軌跡へ突撃してく。
 対俺用に弱められているとはいえ、擦れ擦れを通る俺の肌を尚も熱気が焦がしていく。

 だがスピードを落とす気はねえ。
 その痛みに耐え、至近距離まで肉薄する……!!


「!? し、しまっ―――」
「オラアァッ!」
「ぐぼほおぉ!?」


 左への疾走から道の如くしならせたレフトブロー。
 たまらずとロザリンドの身体が『く』の字に曲がり、勢いよく顔面の位置が下がる。

 其処から無言で右(ひじ)を顎めがけて振り上げ、カチあげた。


「ぐもっ!? ……あ、顎が……」
「オオオッ!」
「うぐはっぁ!?」


 右ストレートが首元にクリーンヒットし、面白いほど転がって行った。


「さ、鎖骨上を狙うとは……響くような痛みが走っている……っ」
「……シッ!!」


 馬鹿正直に当たった個所と痛みを口に出し、制止したロザリンド目掛け俺はへ又もダッシュ。


 近づき、ショートレンジでの優勢、打撃の押収を展開できると思った……のだが。


「おっと! そう何度も喰らわないよ!」
「……チッ」


 大袈裟なバックステップで距離を取られた。
 【A.N.G】の脚力を存分に生かした、大きなアーチの軌道を描いて跳び、軽やかな音を立て着地する。
 ……流石にあそこまでボコられたなら、とっさの対処策ぐらいは行使するよな。


「ふむ……先の【漆黒爆弾】はひやりとしたが、よく見れば殺戮の天使はまだ戦える状態ではないね?」
「……く……バレ、た……はぁ……はぁ……」


 それは俺にも分かっていた。

 【皇帝の紅薔薇園】で打撃技に締め技、更には窒息寸前まで追い詰められていたマリスは、やはり体力を尋常ではない量消耗しており、【鋼糸鏖陣】(スティール ゴルゴン)すら使えない状態。
 恐らくはあの薔薇達にも微弱ながら何らかの特殊効果があると見える。


「……はぁ……はぁ……」


 でなけりゃあ、あそこまで消耗などしないだろうからな。
 そして【ミカエルの剣】に対抗した飛翔速度の遅い爆弾も、なけなしの力を振り絞って放たれた代物。これ以上の援護は、恐らく期待できない。

 だが……俺の拳は通じるんだ。
 なら幾つも叩き込んでやれば―――


「中々のコンビネーション、感嘆した! しかし! まだボクの攻撃は終わらないぞ、麟斗君!」


 ―――いや……まて?
 何か、可笑しくないか……?


「―――“我が宝剣、力に満ちよ―――”」


 腹に、顔に、時には骨に、しこたま打撃を叩きこんだんだ。
 そして痛がっている様子も見受けられたし、何よりこの場はまず演技等しなくても良い状況。
 ロザリンドは途中までサンドバッグ状態で、碌な受け身も緩和方法も取れず、全部の打撃を “諸” に喰らっていた筈……。

 なら……何故……?


「“宿せ颶風(ぐふう)……!”」

 
 そもそもアイツは何故腹に食らっても『(うずくま)まらず』、鼻骨に勢いよく食らったりして尚『鼻血一滴』も流していない……?


「我が右手に【烈風の剣】!!」
「! くそっ!」


 ―――何故あいつは『ダメージが無いかのように』ピンピンしてやがる……っ!?


「う……ぐおおぉっ!?」
「……り、麟斗……!」


 直撃は避けたものの、爆風の影響で着地に失敗し、右肩口から派手に転がった。
 感情の困ったマリスの声が、幾度も近寄り遠ざかりを繰り返しながら俺の耳へと届く。

 くそ……痛ってぇな……アスファルトはよ……!


「ぐ、お……っ!」


 二、三回転げたその回転を利用して立ち上がり、ロザリンドと俺自身の拳に、交互に視線を合わせる。
 感触自体はそう変わらなかったが、【天使の羽衣】は確かに貫通していた。しかしもしかすると、ダメージそのものはほとんど緩和されてしまっていたのかもしれない。

 人間とそう変わらない肉体構造をもつとなれば、尚更その可能性が信憑性を帯びてきてしまう。だが、その事を悟らせなければまだいけるか……?
 【皇帝の紅薔薇園】を使わせれば、或いは何でもいい―――【天使の羽衣】さえ失わせれば……マリスがまとまったダメージを与えられる一撃を放てるまで時間稼ぎできれば……或いはいけるのか?


「……ん」


 ロザリンドを見れば最初ほどの余裕はないが、それでも充分冷静さを保っているように見える。

 ……いやそれは誤りだ。


「ふむふむ……もしかすると……」


 それ以前の圧倒的優勢だったころの、余裕を取り戻しつつあると言った方がいいかもしれない。
 元よりラスボスで高スペックな身体だ……慌てる必要が無いのだから、そう言った状況に陥るのは当たり前と言えるだろう。

 いや、そんな事より―――今のセリフは、もしかして気付きやがったのか……?


「君の未知なる拳にも、殺戮の天使の魔力も、吹き飛ばしてしまう―――そんな僕の美しさ、そして強さとは罪な物だね!」


 気障ったらしく髪の毛を掻きあげ、ニヤリと歯を見せて笑う余裕までも、取り戻していた。
 この台詞が本心で、それまでならまだ望みはつながっている。

 どうだ……?


「痛い事は痛かったが……何、脅威となるものではなさそうだね、麟斗君」
「っ!」


 間違いない……俺の殴打が、叩撃が、有効打になり得ていない事を既に《見抜かれて》しまっている……っ!

 これでアイツは俺の見方を、元の “弱者” の位置まで降格させたに違いない。それでは万が一にも【皇帝の紅薔薇園】を使わせる事が出来なくなる。
 それではずっと【天使の羽衣】を纏ったままとなり、痛撃を与えるなど困難を極めてしまう。
 仮に使用しても、俺の方へ問答無用で向かわせてくるのは目に見えている。マリスに助けを求めるにも―――駄目だ、時間が足りない……!

 ならどうする……? どうする……! どうすればいい……!?




「しかし、ここで手打ちにしようじゃあないか。殺戮の天使、そして麟斗君」
「!?」
「……え?」


 ロザリンドが口を開けば……悩む俺に、表情を変えるマリスに、そして叫びもしない楓子へ告げられたのは、予想だにしない言葉だった。


「場所が場所だ。これ以上騒動を巻き起こし拡大させると、殺戮の天使のみならず普通の人間である楓子君、そして素晴らしい奮闘を見せた麟斗君にも害が及ぶだろう」


 本当にいまさらな発言だが……俺は突っ込みは愚か、揚げ足取りも正論すらも、不用意に告げられず口を開けない。
 奇しくも、待ち望んだ状況が目の前にあるからだ。

 ……例え今心打ちに怒りが煮え滾り、吐きそうなぐらいの苦渋を舐めさせられる気分だったとしても。


「これからの生活に、暗雲を掛けて不幸をもたらしてはいけないね。それに僕のポリシーに反する事まで行使してしまったお詫びだよ……今日の所は此処で一旦退せてもらおうじゃないか」


 ポリシーが何かなど聞くまでも無い。
 『弱者には手を上げない』という、絶対少女黙示録(エンジェリック コード)に書かれた設定を、ロザリンドとして生まれ変わった演劇部の女子高生が、律儀に演じて守っているからだ。

 見逃されることは確定した。
 が……何故だろうか、胸の中には安堵感が広がらない。


「日取りは二日後だ。場所は―――天王山に公園があったね? 其処で決闘の続きと行こうじゃないか」
「……よく知ってるな」
「ああ、昔遠足で来た事が―――――あっ……ああ、いやなんでも無い、たまたま見たのさ……決闘に相応しき、広く綺麗な広場をね」 


 普段の俺ならば、明らかに突っ込み待ったなしな台詞であったにもかかわらず……唇は恰もセメダインで止められたみたく(かたく)なに開いてくれようとはしない。
 そして俺自身、開く気力もない。

 否、違う。
 ……開ける、訳がねえ。


「フッ……次までに腕を上げ、僕を高揚せしめる実力を手にしておけ、殺戮の天使よ……では、また会おう」


 最後にまた気障な仕草で笑い、堕天使の翼は使わずそのまま歩き去って行く。
 【天使の羽衣】も纏ってはいない。此方が手を出す可能性すら考えていない、あまりに無防備なその背中。


「……くそ……っ!」


 俺には、追撃することなど出来なかった。

 ただ立ち尽くして拳を握りしめ、深紅の甲冑姿の女を見送ることしか、できなかった。


「……に、兄ちゃん……?」


 珍しく戦闘中に空気を呼んで何も言わず、成り行きを静かに見守っていた楓子が、此処で口を開いて俺に話しかけてくる。

 ……皮肉の一つでも返してやるか。
 俺はそう考えて自慢の馬鹿妹、楓子の方へ目線を傾ける。


「っ! クソがぁ……!」
「ひゃう!?」


 またも叫ぶだけで、ほぼ何も言えなかった。

 ただ視線を正面に戻し、湧き上がってい来る言い表せないもどかしさを、口から簡素な悪罵へ変えて、愚直に吐き出すことしかできなかった。
 右手で顔面を掴んで握り、歯を食い縛って震える事しか……できなかった。


「お、落ち着いてよ兄ちゃん! ロザリンド様はラスボス設定だし、奮闘した方だってば! そ、それにマリスたんが……」
「……ああ、分かってる」


 分かってはいる。だが、理屈じゃない……この悔しさは、理屈では片付けられない。

 初っ端で既に気絶から回復し、ロザリンドからもモロバレな位置で観ていた事も追求せず、俺はマリスの元へと歩みよる。
 グッタリしてはいるが意識は当然あり、此方へと気遣うような、それでいて悲しげな瞳を向けてくる。


「……麟、斗……」
「マリス、少しの間我慢しろ」
「……あ……う」


 自らの力では未だ立てないマリスを横抱きにして……お姫様だっこの体勢で持ち上げ、奇跡的に今の今になってもまだ誰も駆けつけてこない駐車場を後にすべく、ムトゥーヨガー堂に背を向けると早足で歩き出す。
 何時もならば何かしら茶化してきたり、理解すら放棄させる意味不明論理を吐き出す筈の楓子は、俯いたまま置いて行かれぬようにと付いてくるのみ。


「兄ちゃん……」


 クソったれ……クソッたれ……!


「……麟斗……」


 クソッたれが………!!


「「……」」


 俺は真正面を見据えて歩行しながらも、自身の中に沸々とわき上がる感情を整理できずにいる。
 誤魔化そうにも誤魔化せないそれを抱いたまま、二日後の決戦という言葉を反芻するしかできずにいたのだった。

 
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