相模英二幻想事件簿
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山桜想う頃に…
prologue
その日は快晴だった。窓から射し込む朝の光の中、私は妻の声で叩き起こされた。
「あなた、起きて!電話ですよ!」
私は何とか頭を覚醒させて時計に目をやると、時刻は6時を少し回ったところだった。
「全く…こんな早くに…誰だ?」
「あなたのよくご存知の方からよ。」
「…?」
ったく…私は今朝がた床についたばかりだったんだがなぁ…。全ての依頼が片付いて、やっとゆっくり眠れると思ったのに…。
私は相模英二。とある街で探偵なんてしがない商売をしている。さっき私を叩き起こしたのは妻の亜希だ。半年前に結婚したものの、私がこんな仕事をしているものだから、満足な日々の会話も儘ならない。妻はそれでも根気強く私を支え、この仕事に対しての不満は一つもこぼさないのだから、本当に頭の下がる思いだ。
「もしもし…。」
私は電話の受話器を取ってそう言った。未だ二時間も眠らせてもらってないんだ。そりゃ…不機嫌にもなるだろ?
「よう、元気にしてたか?」
私はその声を聞き、目を丸くしてしまった。電話の相手は、大学の時に知り合った親友からのものだったからだ。私がこの仕事を始めてからは互いに何かと忙しくなったため、何年か疎遠になっていた。最近ヤツは名が知れ始めてきていることは、雑誌やテレビなどで知ってはいたが…。まさか向こうから連絡を入れてくるなんて予想だにしなかった。
「京、そっちこそ元気だったのか?済まんな。中々連絡する間も無くてな。」
「そうだろうな…。ま、いつも夫人にお前の予定聞いてはいたしな。こんな早くに連絡入れたのも、お前をつかまえるためだし。」
「…連絡入れてたのか?ずっと?」
「ああ。けど、亜希夫人には固く口止めしといたから。お前を驚かせてやろうと思ってな。」
「お前なぁ…。」
分かってる…こいつは昔からこういう性格だよ…もう慣れたもんだが…。
今話ている相手は藤崎京之介。こんな純和風な名前だが、実はハーフだ。京之介・エマヌエル・藤崎がフルネームなんだが、本人はあまり使いたがらないようだ。
ヤツは音大卒業後、プロの演奏家になった。ま、ヤツの演奏は学生時代からずば抜けていて、海外でのなんとか言うコンクールでも優勝している。そのため、卒業後して数年後に、彼の恩師である宮下教授の推薦で母校の講師として招かれている程だ。
こう聞くと何だか金持ちのように思われるが、藤崎も私と同じ万年貧乏人だ。なんでも、楽器や大学の学生たちで結成した自分のオーケストラの維持費がかなりかかるとか…。
私も趣味でヴィオラをやるが、こいつが縁で藤崎と知り合った。藤崎の場合は古い音楽…まぁ、ルネサンスやバロックといったものだが、その時代に使われた楽器を使っているため、メンテナンスを怠ると命取りだと言っていたな…。私は現代の楽器で良かったよ…。だが、そんな藤崎という人物は、かなり風変わりで面白いヤツだ。考え方は一般とは少しズレてはいるが…。
「で、何か用件があったんじゃないのか?」
私は苦笑しつつ、藤崎に用件を話すよう促した。
「あ…そうだった。お前今、京都の近くに住んでるんだろ?」
「そうだが…それがどうかしたか?」
「俺さ、来週そっちに行くんだけど、会えないかと思ってな。」
「コンサートか?もう立派な音楽家だな。」
「何言ってんだよ。英二だって立派な探偵じゃないか。」
藤崎にそう言われ、私は溜め息混じりにこう返した。
「なったは良いんだがな…実入りが少ない仕事ばかりだよ…。」
「ま、どんな仕事も最初はそんなもんだろ?名が売れさえすれば、依頼だってひっきりなしに来るさ。」
藤崎は事も無げに返してきた…。クソッ!こいつはテレビにも雑誌にもラジオにすら名前が挙がったってのに…!私も音楽家になりゃ良かったのかねぇ…。
「その肝心要の名が売れる様な仕事が、今のところこないんだよ!」
「まぁ…辛抱強く待つしかないな。でだ、会えそうなのか?」
藤崎は今の話を、何の躊躇いもなく切った。全く…これでもモテるんだから、ハーフってヤツは羨ましい限りだ…。
私はそんなことを思いながらも、手帳を開いてスケジュールをチェックした。無論、チェックするほどのスケジュールはない…。手持ちの依頼は、昨日迄で完結しているんだから当たり前だな。
「多分、来週は大体大丈夫だとは思う。急な依頼が無ければの話だけどな。」
「そうだな。それじゃ、直ぐにこっちの予定をメールで送るから。亜希夫人も連れて来るんだろ?」
「当たり前だ。たまには連れ出してやらないとな。いつも家を守ってもらってるんだから、これくらいのサービスがないと。」
「ハハ…そうだな。それじゃ、メール見てくれよな。いつが良いかは、メールで返信しといてくれ。」
「了解したよ。それじゃあな。」
私がそう言って受話器を置くと、亜希は隣で目を輝かせながら私に言ってきた。
「あなた、旅行ですか?」
いつから聞いていたんだ…?現役探偵の私でさえ、彼女の気配を感じなかったぞ…。
「あ…ああ。来週だが、数日行ければと…。君もたまには良いだろ?ここ最近、旅行なんて行けなかったから…。」
「勿論!もう今日は土曜日だから、早く支度しておかないと…。」
亜希は何やらブツブツ言いながら、私なぞ眼中にないといった風に部屋へと下がってしまった。
「亜希…朝飯は…?」
私の声は彼女の耳に届かないようで、部屋からは陽気な鼻歌が聞こえていたのだった。
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