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ソードアート・オンライン 穹色の風

作者:Cor Leonis
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アインクラッド 後編
  圏内事件 4

 
前書き
 お待たせいたしました。今回はちょっぴり長めです。 

 
 風が、吹いている。
 開け放たれた窓に吹き込む風に、夕日を浴びてオレンジ色に染まったレースカーテンと、濃紺色の女性の髪が巻き上げられる。
 宙に浮いた毛先に残照が入り混じり、紅紫のグラデーションを描く。
 音はない。
 ともすれば時が進んでいるのかさえ解らなくなりそうな景色の中で、女性が口を動かす仕草だけが、不可逆的な時の流れを証明していた。彼女の口が横に開き、世界に音が戻る。
 その寸前になって――
 とん、と。乾いた音が、仮想の空気を震わせた。その瞬間、それまでが嘘のように女性の身体がわなないた。
 目を見開き、開いたままの口が震える。腰掛けた窓枠の上で転がるように振り返る。そして向けられた背中に、スローイングダガーの柄が突き立てられているのをマサキは見た。女性の身体が窓の外にぐらりと倒れる。

「な……」
「あっ……!」

 喘ぐ以外の反応を見出せないその場の誰が駆けつけるよりも早く、女性の全身が窓の向こうに投げ出され――
 そうして、ヨルコの仮想体はガラスのように砕かれて、跡形もなく消え去った。



 この時マサキたちがいたのは、ヨルコが宿泊する宿の部屋だった。事件解決の手がかりを求めてギルド《聖竜連合》のシュミットに話を聞きに行ったところ、交換条件として彼女との面談を要求してきたからだ。
 恐怖ゆえか、互いにできるだけの重装備で身を包み、防御力をブーストしての異様な会談。そしてその中で、事件は起きた。
 最大限に加算してあった筈の防御力を歯牙にもかけずに、
 中層レベルのプレイヤーの体力が、
 たった一撃、
 たかがスローイングダガーの攻撃力で、
 跡形もなく消し飛ばされた。

「……あり得ない」

 マサキの両目はヨルコが落下した先の石畳とそこに突き刺さった短剣とを捉えていたが、脳は既にそれを見ていなかった。マサキの脳内で行われていたのは、ヨルコの背中に短剣が突き立てられ、彼女のHPがゼロになって表の通りに墜落するまでの一部始終の再生と解析。しかしながら、マサキの頭脳をもってしても、今の事象に対しては理解不能(エラー)の結果を吐き出すことしかできなかった。
 デュエルではない。
 ポータルPKでもない。
 そして、もし。もし、システム上の抜け道でも、未知のスキルやアイテム効果の悪用でもなかったとしたら――

「マサキ、前だ! 正面!!」

 思考の海に溺れかけたマサキを引き上げたのは、いつの間にか隣にいたキリトの怒鳴り声だった。マサキは応答する代わりに顔を振り上げ、東から徐々に藍色に染まりつつある街並みを視線で精査する。
 ()()()はキリトの言葉通り、マサキの真正面、宿屋からツーブロック離れた屋根の上に立っていた。下りつつある夜の帳に溶け込むような黒いシルエットにマサキが注目した途端、ディティール・フォーカシングシステムが作動してその姿を克明に浮かび上がらせる。
 全身を包む黒いフーデッドロープ。風が吹くたびにその裾がはためくが、人相はおろか顔の輪郭さえぼんやりとしか見えない。

「……っ!」

 死神――脳裏で二つのシルエットが交錯した。その瞬間、マサキは半ば無意識に窓枠を蹴飛ばすと、道を挟んだ向かい側の屋根まで跳躍した。

「野郎っ……!!」

 続いて、キリトも同じくジャンプ。敏捷値の差で僅かに飛距離が足りなかったものの、逆にマサキにはない筋力補正を生かして屋根の縁を掴むと、一息に身体を持ち上げてよじ登る。

「マサキ君!」
「キリト君、だめよ!」

 鋭い制止の声。理由は明らかだった。奴から攻撃を喰らえば、キリトはたった一撃で死ぬかもしれないのだから。
 蒼風の柄にかけたマサキの右手が微かに硬直する。

「……キリト」
「大丈夫だ。行くぞ!」

 キリトはマサキの掛けた声を拒むように背中から剣を引き抜くと、奥歯を軋ませながら駆け出した。
 それに引き摺られるようにして、マサキが後を追う。斜め後ろから覗くキリトの横顔は、後悔と、そして怒りで引きつっていた。
 目を伏せ、蒼風を握り締める。
 手の中に、柄の感触。
 それはあっけなく鞘から放たれた。
 人を殺める得物にしては、軽すぎるくらいに。
 切れ長の目が更に細められ、
 マサキは正面を見据える。
 漆黒のローブただ一人が、瞳の中に立っていた。

「挟み込む。そのまま走れ!」

 マサキは目を逸らすことなく指示すると、キリトと同じ程度に抑えていたスピードを一気に限界まで加速させた。キリトを追い抜くと同時に屋根を蹴り上げ、十メートル弱はあろうかという往来を易々と飛び越えて向かい側の屋根に着地。下のプレイヤーから自分の姿が見えにくくなる程度に身をかがめ、意識を集中、黒ローブの立っているより数百メートル後方の屋根と、そこに立っているマサキ自身を頭の中に描き出す。――次の瞬間、マサキの身体は思い描いた通りの場所に移っていた。
 ローブの男はマサキを探すように数度首を振った後、振り返ってようやくこちらを視認した。相変わらず顔は殆ど見えなかったが、心なしか驚いているようにも見える。
 その間にもマサキとキリトは猛スピードで屋根から屋根へと飛び移り、黒ローブとの距離と確実に縮めていく。しかし、黒ローブは二人の相手などするつもりはないと言わんばかりに微動だにしない。その間にも彼我の距離はみるみるうちに縮まっていき、やがてマサキが向こうから数えて二つ目の屋根に飛び移ろうとした、その時。黒ローブは緩慢な動作でキリトとマサキを交互に見やると、やおら懐に手を差し込んだ。刹那、マサキの脳が回転数を急速に高め、相手の一挙一投足が幾つもの計算式に分解されてシナプスの間を駆け巡る。
 しかし、マサキ、そしてキリトが戦闘を覚悟したのも束の間、引き抜かれた黒ローブの手に握られていたのは、ヨルコに突き刺さったスローイングダガーでも、カインズを貫いたショートスピアでもなく。見慣れたサファイアブルーの輝きを放つ転移結晶だった。

「ッ……!」

 マサキはありったけの力を足に込め、これまでよりも遥かに大きな角度で飛び上がった。間に残った建物を一気に越え、逃亡を阻止する算段だ。マサキの意図を瞬時に理解したらしいキリトが、黒ローブの向こう側で投擲用のピックを抜く。咄嗟の回避行動を取らせて詠唱を邪魔するつもりか。マサキは風になびくローブを視界の中心に縫いつけて、右手一本で持った蒼風を軽く胴に引きつける。
 だが相手は冷静だった。真正面から飛来するピックなど目に入っていないかのように転移結晶を掲げ、直後、キリトの放った三本のピックはローブに達する寸前で紫色の障壁に阻まれて力なく落下する。
 憎たらしいまでの落ち着きにマサキは短く舌を打ちつつ、風刀スキル《嶺渡》を発動させた。空中を踏みしめ、黒ローブに向かって更に加速。
 ソードスキルのアシストを使うことで移動速度を更に速め、詠唱前の確保が叶わなかったとしても相手の音声を聞き取ることで逃亡先を割り出せれば、すぐにでも追いかけられる。
 それに、あのローブ姿では嫌でも人目に付く。逃亡先で聞き込みをすれば多少の情報は得られるだろう――そんな公算を頭の中に巡らせながら、ありったけの集中力をその直後に発せられるであろう音声コマンドを聞き取るためにのみに費やそうとした。
 しかし――次の瞬間マサキの耳――正確には聴覚野に届いたサウンドは、求めていた黒ローブの声ではなく、街全体に響き渡った大音量の鐘の音だった。この瞬間、無情にもアインクラッド中の時計が午後五時を指し示したのだ。マサキが聞き取るはずだった音声コマンドは鐘の放ったサウンドに掻き消され、僅か数メートル先に迫った漆黒のローブは悠々と逃亡を完遂した。

「クソッ……!」

 ギリ、と奥歯を鳴らすマサキ。着地と同時、意図的にソードスキルをキャンセル。蒼風がまとっていた水色のエフェクトが霧散し、マサキの身体もその代償として硬直する。身動きの取れないマサキにできたのは、ほんの少し遅れて到着したキリトと共に、数秒前までローブが立っていた座標を横目で眺めていることだけだった。



 宿屋の一室。眼下に、ひっそりと掲げられた酒場の看板が見える。
 黒ローブを取り逃した後、マサキたちはシュミットから聞きだした情報を頼りに、鍛冶屋グリムロックが気に入っていたという酒場で張り込んでいた。今や唯一となってしまった手がかり、すなわちグリムロック本人への接触を試みるためである。
 窓際に並べた椅子に深く腰掛けたマサキが見下ろす先では、数人のグループが一組、酒場に入っていったところだった。先ほどのローブと背格好が違っていたため見逃したが、もし似つかわしい人物を見つけた場合は、キリトがデュエル申請で名前を確かめる算段になっている。明らかな非マナー行為であるし、相手がデュエルを受け入れる場合もある。とても得策と言えるものではないが、かと言って他に策がないのも確かだ。
 しかし、マサキが思考を巡らせていたのは別のことだった。

 ――何かがおかしい。高速回転を続けるマサキの脳で、僅かな引っ掛かりが棘のように何処かに刺さり、そこでシグナルを発し続けていた。それが一体何なのか。それを確かめるべく、マサキはヨルコ殺害の一部始終を繰り返し頭の中で再生する。と、眼前の窓に、横から差し出されたらしいブラウンの物体が映し出された。マサキが視線を胸の前に落とすと、それが野菜や肉がたっぷりと挟まれたバケットであると分かった。

「アスナが作っててくれたんだって。もう耐久値が切れちゃうみたいだから、早めに食べて」
「……ああ」

 マサキは差し出されたバケットを手に取り、機械的な動作で口に運ぶ。ちらりと横を伺うと、何が楽しいのか、にこにこと笑ってこちらを見ているエミの向こうで、キリトがまた地雷を踏み抜いたらしく閃光様の折檻を喰らっていた。
 再び思考に没頭するマサキ。
 しかし、今度は今までほど集中できなかった。バケットの味が良かったからでも、怒られて恐縮するキリトの様が愉快だったからでもない。その前、差し出されたバケットを映した窓が、何故か頭から離れなかったのだ。

「今日ダメだったら、明日は私が何か作ってこようかなぁ……。マサキ君は、何かリクエストとかある?」
「窓……」
「え、窓?」

 窓。そのワードに着目しつつ、もう一度事件の一部始終をリプレイ。開いていた部屋の窓。スローイングダガーはそこから飛来し、ヨルコはそこから落下。そして、その向こう側に黒ローブ……引っかかったのは、一連の出来事が窓の近くで起きたから? ――いや、違う。だとしたら……待てよ? 何故あの時、あの窓は……

「ちょっと、マサキ君? 聞いてる?」

 マサキの顔を、エミが覗き込んでくる。マサキが僅かに視線を下げ、焦点を合わせた。――目の前に現れたエミの顔ではなく、窓に映ったその後ろ頭に。

「何故……あの部屋の窓は開いていた?」

 その言葉は、独り言というには十分すぎるボリュームを持っていた。エミだけでなく、キリトとアスナまでが反応してマサキに顔を向け、そして意味が分からないというように二人で見合わせた。

「いや、何でって……」
「あの時ヨルコは命を何者か……それもアンチクリミナルコードの無力化なんて芸当のできる、得体の知れない暗殺者に狙われている可能性があり、そして殺されることを恐れていた。服を何枚も重ね着し、防御力を最大限確保しようとするくらいにな。窓とカーテンを閉め切り、布団の中で丸まっているくらいの行動を取ってもおかしくはないくらいの状況だ。……にも関わらず、彼女は豪胆なことに窓を開け放ち、カーテンすら引いていなかった。一体何故だ?」

 そこまでマサキが語ると、呆けていた三人の顔が一斉に引き締まった。必死に考えているのだろう、真剣な表情だ。

「あの時、ヨルコさんが一番警戒していたのはシュミットさんだったはず。だから、シュミットさんが暗殺者だった場合に備えて、脱出経路を作っておいたとか?」
「だとしたら、ロープの一本や二本の備えがあってもいいんじゃないか。圏内である以上落下ダメージの心配はないが、受身を取り損なえば酩酊感で動けなくなる」
「それは……でも、寝不足で、しかも強い恐怖に晒されていたヨルコさんに、そこまで考えが巡らせられるかしら?」
「……なら、窓のことは一度保留にしよう。疑問点はもう一つある」

 そう言って、マサキは立ち上がった。事件発生当時を再現するように、北側の壁まで歩いて中央を向く。

「ヨルコは窓際で何者かから攻撃を受けた。異変に気付いた俺たちが向かうも間に合わず、窓の外に落下」

 そして、自分自身の記憶と照らし合わせるように窓際まで歩き、下を走る往来に目を落とす。

「そして俺とキリトが、遠くの屋根の上に犯人と思われる黒ローブを発見した。……ここで二つ目だ。キリト。最初にカインズが殺された時、犯人と思しき人物は確認できなかった。そうだな?」
「あ、ああ……。教会には誰もいなかったし、俺の《索敵》スキルでも確認できなかった」
「でも、ヨルコさんは「カインズの後ろに人影を見た」って言ってたわ」
「その証言を真実だと仮定して考えると、その時犯人は完全な『透明人間』となって現場から逃亡したことになる。スキルかアイテムか、あるいは何かのミスリードか……それは分からないが、そんな手段が存在するとして、何故ヨルコ殺害時にも使わなかった? それを使えば、何の痕跡すら残さずにその場を後にできたはずだ。だが現実には犯人はその方法を選択せず、結果として俺たちに背格好というヒントを与えることになった」

 窓枠に腰掛けたマサキが、そこで一旦話を区切る。そして、視線を投げてくるキリトたちを見回してから、彼らに向けて指を二本立てて見せた。

「――となれば、考えられる理由は二つ。突発的な理由以外でそのトリックが使えなくなった。もしくは、『俺たちに姿を見られること』それ自体が目的、あるいは目的の一部だった」
「目的、って……?」

 エミが問いかけると、マサキは再び思案しながら答えた。

「それは分からん。が、可能性を挙げるとするならば……俺たちに姿を見せて、何か相手に得があるとは思えん。となれば、見せる相手はあの場所にいたもう一人の人物……シュミットになるが……」

 マサキの言葉は、そこで途切れた。引き伸ばされた言葉の余韻が部屋の空気に溶けきってなお、マサキが続く言葉を口にすることはなかった。否、できなかった。それほどまでに深く、思考に埋没していたのだ。

 ――彼はあの後、一連の仕業をギルド《黄金林檎》リーダーの幽霊によるものだと言って怖れた。それが犯人の狙いか? だが、そんなことをして何になるというのだろう。まず考えられるのは、半年前の指輪事件との関連だが……最初からシュミットを殺すつもりなら、わざわざここまで遠まわしにする必要もないはずだ。復讐として、恐怖を与えて精神的に疲弊させてから殺害する? だが、ヨルコの話では、事件以前に彼女たちが命の危険を感じ取っていたようには見えなかった。シュミットだけ特別扱いする理由とは何なのか。彼が事件に関与していたと知っていた? いや、だとすればそもそもヨルコとカインズを殺す理由がなくなる。シュミットの前に幽霊として現れ、恐怖を煽るだけで事足りるはず……待てよ? 幽霊……あの黒いローブが《黄金林檎》リーダーの物だったとして、それだけで暗殺者を幽霊だと思い込むだろうか? 偶然……とは考えられないまでも、グリムロックが弔いの意を込めて使ったとか、色々考えられるはずだ。そもそも、「幽霊」の単語を最初に使ったのは、シュミットではなく……

「……だとしたら」

 ――あり得ない。どう考えてもおかしい。マサキの脳裏に浮かんだある推論を、自分自身が即座に否定した。だが一旦浮上したものを捨て去るまでにはいかず、むしろマサキの意図に反抗するかのように肥大化し、やがてマサキの口から零れ落ちる。

「……『幽霊』。その単語を使ったのは、シュミットではなかった。《彼女》がその単語を用いたが故にシュミットはあの黒ローブを《黄金林檎》リーダーの幽霊だと思い込んでしまった。……それが、彼女の狙いだったとしたら? だから彼女はわざと窓を開け、自分から窓に歩み寄り、そして窓から落ちた……俺たちの目を窓の外に向け、ローブの暗殺者を発見できるように」
「ち、ちょっと待って!」

 思考がそのまま外に漏れたかの如くぶつぶつと呟かれたマサキの言葉に、エミが鋭く反駁した。口元に手を当てたまま動かないマサキに血相を変えて食って掛かる。

「それって、ヨルコさんがグルだって……こと? そんなの、いくらなんでもおかしいよ! だって……だって、そのローブの暗殺者にヨルコさんは殺されたんだよ!?」

 悲鳴にも似た声色で訴えるエミの言葉を、マサキは眉一つ動かすことなく受け止めていた。
 彼女の指摘はもっともだ。そのリーダーとやらをどれだけ慕っていたとして、果たして自分の命をそう易々と投げ捨てることができるはずがない。しかも指輪事件の直後ならともかく、もう半年が経っている。人間の感情なんてものは、時間と共に薄れゆく。それに抗って強い憎悪を持ち続けられる人間などそうはいない。そして、ヨルコがその数少ないうちの一人だとは、マサキには思えなかった。
 やはり、考えすぎか……。
 マサキがそう結論付けて、息を一つ吐きながら思考回路を閉じようとした矢先、キリトが喘ぐように口を開く。
 直後そこから飛び出した響きが持っていた衝撃は、その場の全員を黙らせるのに十分だった。

「違う……そうじゃない。マサキの推理は正しい。そして、カインズ氏もヨルコさんも、死んでなんかない。《圏内殺人》……そんなものを実現する武器も、スキルも、ロジックも、最初から存在しちゃいなかったんだ!」

 唖然。
 キリトの言葉をその場の全員が飲み込むのに、約十秒の時間を要した。それだけキリトの言葉が衝撃的だったということの証左だ。
 そして、それはマサキも同様だった。アスナとエミより一足早く我に帰ったマサキは、キリトの言葉の続きを待ちながらも自身の脳を再び高速で回転させる。

「い、生きてる、って……でも……」

 ようやく硬直が解けたエミが、しかし未だ理解できないことを隠そうともせずに言葉を発した。それは尻切れトンボに終わってしまうが、アスナが後を引き継ぐ。

「……でも、わたしたち、確かに見たじゃない。ヨルコさんに短剣が突きたてられて……()()ところを」
「違う。俺たちが見たのは、ヨルコさんの仮想体(アバター)が、ポリゴンの欠片を大量に振り撒きながら、青い光を放って()()()()現象だけだよ」
「……なるほど、そういうことか」

 キリトがそう言うと、マサキは得心したように頷きながら息を吐いた。
 ジグソーパズルがひとりでに組みあがっていくような、拍子抜けする感覚。なるほど、手品の類と同様に、分かってしまえばそう難しいトリックではない。

「さすが、マサキは理解が早いな」
「こんなものでおだてられてもいい気にはならんが」
「マサキ君、どういうことなの?」

 感心したようなキリトの言葉をよそに、さっぱり分からないという顔を向けてくるエミ。同じような視線のアスナにも向けて、マサキは面倒くさそうに説明を始める。

「『ポリゴンの欠片を大量に振り撒きながら、青い光を放って消滅』。それがこの世界における『死』だ。そしてそれ故に、俺たちはこの二つの事象を、何の疑いも持たずに結びつけてしまっていた。が、『ポリゴンの欠片を大量に振り撒きながら、青い光を放って消滅』する現象は、プレイヤーの死以外にももう一つあったというわけだ」

 マサキは言いながら、ポーションの小瓶を一本取り出すと、空中でそれを手放した。当然ながら小瓶は仮想の重力に従って自由落下を始め、そして床に衝突したところで衝撃に耐えられず粉々に。直後、ポリゴンの欠片を振り撒きながら青い光を放って消滅する。

「あっ……」

 思わず、エミとアスナが息を呑む。

「ヨルコとカインズは、このエフェクトを再現するために自分の衣服、あるいは鎧を利用した。そして『死亡エフェクトに良く似たエフェクト』に紛れ、本人はまんまと結晶でテレポートした。そういうことだな?」
「ああ。昨日、教会の窓から宙吊りになったカインズ氏は、空中の一点をピッタリ凝視してた。俺たちはそれを、自分のHPバーだと思ってたけど、そうじゃなかった。カインズ氏が見ていたのは、自分の着込んでいたフルプレートアーマーの耐久値だったんだ」
「ヨルコの時は、恐らく俺たちから連絡が来てすぐに圏外まで走り、そこでダガーを背中に刺して来たんだろう。そして、服と髪でカモフラージュしつつ何食わぬ顔で俺たちを出迎えた。……後は、耐久値が尽きるタイミングで窓まで後ろ向きで歩き、適当な効果音と共に振り向いて俺たちにダガーを見せ、窓の外に落下すればいい。あの落下は、俺たちにテレポートのコマンドを聞かれることを防ぐためでもあったんだろうな。……だが、まだ一つ腑に落ちん。生命の碑には確かにカインズの名前に横線が引かれていた。そのトリックは何なんだ?」

 マサキが尋ねると、キリトがニヤリと笑って答える。

「マサキ、そのカインズさんの名前の表記、覚えてるか?」
「ああ。《Kains》だ」
「そう。ヨルコさんはそう言ってた。けど……ほら、これ」

 キリトは手に持っていた一枚の羊皮紙片を差し出してきた。それを受け取り、エミ、アスナと共に目を通す。
 その紙は、先ほどシュミットに書かせた、ギルド《黄金林檎》のメンバー一覧表。そしてその名前の一つが目に入った途端、隣の女子二人が驚きで叫んだのと同時にマサキは盛大に溜息を吐いた。――その視線の先には、「Caynz」の名前。

「つまり、赤の他人だったってわけか」
「一文字くらいならともかく、三文字も違えばシュミットの記憶違いってこともなさそうだしな。つまりヨルコさんが、俺たちにわざと違うスペリングを教えたんだ。Kのほうのカインズ氏の死亡表記を、Cのカインズ氏と誤認させるためにね」
「え、でも……ちょっと待って?」

 不意にエミが眉をひそめ、声のトーンを落とす。

「ってことは、Cのカインズさんが死亡した時、Kのカインズさんもどこかで死亡してた……ってこと?」
「偶然……じゃないわよね。まさか……」
「ああ、ちがうちがう。ヨルコさんたちの共犯者が、タイミングを合わせてKのほうを殺した、ってことじゃない。いいかい、生命の碑の死亡表記はこうなってた。《サクラの月22日、18時27分》。その日時がアインクラッドに訪れたのは、昨日で二度目なんだ」
「あっ……!」

 軽く笑いながらキリトが説明すると、二人は目を丸くして驚き、しばし言葉を失ってから、先ほどのマサキと同じように、深く息を吐き出した。

「そっか、去年なんだ。去年の同じ時間に、Kのほうのカインズさんが、全く関係なく死亡してた……」

 エミの言葉に、キリトが頷く。

「ああ。恐らくは、そこが《計画》の出発点だったんだ」

 そして、一度深く深呼吸する。

 そこからの推論は、別段難しいことではなかった。ヨルコ、カインズの二人は、恐らくかなり以前に同じくカインズと読める誰かが貫通属性ダメージで死亡したことに気付いていた。そしてある時、それを使えば《圏内殺人》などというあり得ない、否、あり得てはいけない事件を偽装できると考え付いた。二人はそれを実行に移し、自分たちが疑われうる立場であることを利用して《指輪事件》の犯人を炙り出そうとした。そしてその結果、恐怖に駆られたシュミットが罠にかかった。
 そのシュミットは、恐らく今、《黄金林檎》リーダーの墓に向かい、許しを乞おうとしていることだろう。その墓が圏外にあった場合、二人が今度こそシュミットを殺さないか、もしくは逆にシュミットが口封じのために二人を殺さないかという心配もあったが、その場合どちらにしてもマサキたちにそのことが知られてしまう。シュミットは自分が人殺しの汚名を着せられて攻略組を追い出されることに耐えられないだろうし、ヨルコはそもそも殺すつもりならばエミたちとフレンドを結んでいない。だから、殺しはしないだろう……そう、結論付けた。

「……後は、彼らに任せよう。俺たちの、この事件での役回りは、もう終わりだよ。まんまとヨルコさんたちの目論見どおりに動いちゃったけど、でも……俺は嫌な気分じゃないよ」

 静かに、安堵した声色でキリトがいう。同じく緊張の解れた声でアスナが頷くのを横目に、マサキは椅子に深く腰を下ろした。
 墓、か……。
 マサキの頭に、一つの景色が思い浮かんだ。
 小高い丘。
 頂上に伸びる、一本の針葉樹。
 青い空。
 夕焼け空。
 夏の芝生。
 冬の雪景色。
 雲。
 雨。
 何度も、何度も足を運んだ場所。
 また、花を供えに行かなければ……そんな思いをひっそりと抱えながら、マサキはもう一度深く息を吐いた。

 まだ真相の半分にも辿り着いていないなどとは、露ほども思わずに。 
 

 
後書き
 長いこと間が開いてしまったので、元々の駄文が更に酷くなっていそうで心配です……。そんな点も含め、ご意見、ご感想等頂ければ幸いです。 
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