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ソードアート・オンライン〜Another story〜

作者:じーくw
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GGO編
  第194話 ただ1つの選択


 初戦同様、死神との決着は付けられず仕舞だ。
 迷彩の効果を差し置いたとしても、あの死神の技量は驚異の一言と言えるだろう。そして、思い出したくない事だが、最初の出会いの時に撃った死銃の効果は、死亡しているアバターにも効果も確認済みだ。……故に、自分達があの男達を倒さないと、彼女に危険が付き纏うも同然だ。

「……守る」

 リュウキは、眼を瞑り……そう呟いた。
 視覚的情報を遮断する、と言う行為は、サバイバル戦において、愚の骨頂とも呼べる行為だが、5感の1つを縛る事で、他の感覚が研ぎ澄まされる。視覚で捉えにくいあの迷彩を看破するには、他の情報。何よりも聴覚に力を入れるのが確実だろう。

《足音》《衣擦れ》《呼吸音》《心音》そして《銃声》

 それに人間とは、音の塊だと言っていい。
 この世界でも、それは同じだ。仮想世界とはいえ、現実を100%トレース出来ている訳じゃないとは言え、その音の情報は顕著に表れる。

 眼を瞑っていた時間は数秒程度、……100%確実と言う訳ではないが、どうやら、もうあの男はこの辺にはいない様だ。

「合流、しないとな」

 リュウキは、眼を開けると、合流場所として、候補を上げていた砂漠エリアを目指す事にした。……その直後!

「っっ!!!」

 凄まじい爆発音が、この都市廃墟中に響いていた。プラズマ・グレネード、いや それ以上の爆音だ。

「……向こうか!」

 かなり反響した爆音だったが、空気の震えや、爆発による炎も立ち上っていた為、正確に位置を把握する事が出来た。リュウキは、その場所に目掛け、走る。


 走り始める時、一瞬、2人の事が頭を過ぎった。


 でも、心配はしてなかった。
 頼れる友が傍にいるからだ。例え、死神が死銃と合流したとしても、簡単に殺られる男じゃない。でも、2対1では分が悪過ぎるのは事実だ。

 リュウキは、考える事を止めると走る事だけに集中し、崩れ落ちている廃墟、辛うじて形だけを残している廃墟、壊れた軍用車、乗用車、大型バスが散乱された道路越え、……所々陥没し砕けているコンクリート舗装道路を駆け出していった。






 それは、リュウキと死神の一戦がまだ続いていた頃。


 キリトは、シノンを抱えて走り続けていた。リュウキが2人相手に抑え続けてくれている様だが……、暫くして影が見えだした。

「っ……!!」

 シノンは、それを見て再び強く震える。
 キリトも、それを感じ取った様で、走りながら一瞬だけ後ろを振り返る。追いかけてきたのは、ぼろマントの男。……いや、どちらもぼろぼろのマントを装着しているから……、区別をつけるとすれば、赤い眼を持っている男の方、と言えるだろう。

「(……赤い、眼)」

 一瞬、区別をつける為に、そう考えていたキリトは 心にチクリと何かが刺さった気がした。口調、そして赤い眼、……刺される感覚。

 だが、今はそれを深く考えている時間はない。

 走り続けている内に、キリトは走る方角を突如変えた。

 シノンは一体何を目指して走っているのか、判らなかった。だけど、その疑問は直ぐに解消された。
行く手の道端に出現した半ば壊れたネオンサインを見たからだ。夕闇の中に力なく点滅する文字列にはこう書かれている。

【Rent-a-Buggy&Horse】と。

 グロッケンにもあった無人営業レンタル乗り物屋と同種だ。

 看板通り、バギーカーと馬……馬に関しては生き物ではなく、ロボット・ホースだ。

 数台のバギーと数匹のロボット・ホースが並ぶ乗り場に到着したキリトは、どちらを使用するか、一瞬だけ迷った様だ。

「馬は……、無理よ。踏破力が高いけど……扱いが、難しすぎる」

 マニュアルシフト操作が必要な三輪バギーも乗りこなせる者は殆どおらず、シノン自身もそれをまるで手足の様に乗りこなしている人物は2人しか知らない。……が、それを踏まえてでも、乗りこなしている内の1人がいる事を踏まえたとしても、あのロボット・ホースの気難しさはバギーの比じゃないのだ。
機械仕掛けとは言え、まるで本物の生き物の様に高度のAIが組み込まれているのか、気まぐれを起こす事もある程だ。機嫌を損ねたら、振り落としかねない文字通りじゃじゃ馬もいる程だとか。故に、まともに操ろうモノなら、地道な練習。……若しくは現実世界で乗馬を嗜んでいる者が順応に早いだろう事くらいだ。
 
 キリトは、なお逡巡する様子だったが、すぐに頷くと、1台のバギーに走り寄った。指導装置のパネルに触れて、エンジンを掛ける。シノンをリアステップに載せると、自分はシートに跨ったと同時に、躊躇わずアクセルを踏み抜いた。太い後輪が甲高く鳴き、バギーのマフラーからは白煙を上げる。

 フロントが道路の北側を向いたところでキリトは一瞬だけ、バギーを停めて叫んだ。

「シノン、君のライフルであの馬を破壊出来るか!?」
「え……」

 漸くしびれの薄れてきた右手で、左腕に刺さるスタン弾を苦労して抜きながら、まばたきした。背後のロボット・ホースを振り返るとやっと悟る。……キリトは、あのロボット・ホースであの男が――死銃が迫ってくる事を危惧しているのだ。だが、扱い憎さを知っている身とすれば、信じられなかった。

 いつもなら、『有り得ない』と言うだろう。

 だが、今は違う。……常識では有り得ない事が立て続けに起こっているから。人を本当に殺す仮想世界の銃、……過去から自分を追ってきた悪夢。もう、絶対は無い。

「わ、……わかった、やってみる」

 未だに震えが残る両腕。
 でも、それでもへカートを持つ事が出来た。多分、あの背中を見てなかったら、再びこの手に、温かさを感じてなかったら、大型ライフルであるへカートを持つ事も構える事も無理だっただろう。


――……出来る。


 へカートを右肩から下ろして抱える。銃口をほんの20m程先に冷たく佇む金属馬に向けた。
 この程度の距離であれば、必中距離範囲内。リュウキとの一戦で言った通り、照準を合わせなくても、スキル補正値だけで必ず命中する距離内だ。そして、あの馬には無茶な回避能力も、その金属の身体でへカートの弾丸をどうにかしようとする様な業も持ち合わせていない。

 だから、トリガーに指を掛ける。……馬の横腹にぴたりとフォーカスすると、そのまま、指に力をいれ――……。


 がちっ。


 入れようとした時、そんな固い手応えがあった。
 トリガーを引くことができなかったのだ。……いつの間にか、安全装置が掛かってしまったのか? と思える程の固さだったが、それは確認したが、なかった。それでも、まるでへカートが拒絶をしているかの様に、固く右手が跳ね返る。

「え……な、なんで……」

 がちっ、がちっ。
 それは何度やっても同じだった。右手に集まっていた温かささえ、飲み込まれ、一気に寒気に変わる。更に、右手の人差し指を見ると……、考えもしなかった光景があった。指が、トリガーに触れていないのだ。白い指先となめらかな鋼鉄の間には数ミリ以上の空隙が存在し、どれほど力を込めようと、……あの温かさを思い返し、氷の様に固まった指を溶かそうとしても、その隙間は埋まらない。

「……引けない、なんで、よ……トリガーが引けない……!」

 自分の喉から漏れた声は、細く掠れた悲鳴だった。
 まるで、氷の狙撃手であるシノンではなく、現実世界の朝田詩乃が泣き叫んでいる様だ。

 ……これは、当初から心の何処かで危惧していた事だった。

 彼と出会って、彼の言葉を聴いて、自分の中に、この世界の自分の中に確かにいる詩乃が強く反応を見せていた事を実感していたから。もしも、その彼女が全面的に出てきたとしたら……、どうなってしまうのか? と。今回のそれは、最悪だった。

 スタジアムの東側にうっすらと残るスモークの向こうに、あの男が姿を現した。


――ぁ……ぁ……っ。


 シノンは声にならない声を上げる。そして、目の前が真っ白になりフラッシュバックも起こした。





 そう、あの男が、銀行で……銃口を向けてきた。





 そこにいるのは、幼き日の自分。そして、倒れている母と……もう1人。

『もう1人、撃つぞ! 撃つぞォォォォ!!』

 甲高い悲鳴をあげながら、銃を振り回す男。
 母親を、守らないといけないのに、どうしても動けない自分。あの時は、動けた。……銃を奪い、そして母親を守る事が出来たのに、まるで動けないのだ。


――ど、どうして。


 詩乃は、困惑をしていた。
 なぜ、動けないのか。このままでは、大好きな母が撃たれてしまう。それでも、まるで動く事を身体が拒絶をしているかの様に、動けない。

『あの時――……』

 先ほどまで、銀行員相手に喚いていた男の声が、突如ピタリと止まった。ゆっくり、ゆっくり、まるで 幽霊とも思える様な動きで、身体は向こう側、銀行の受付側に向いていると言うのに、首だけが180度回転し、ぎょろりと、その悪夢の眼を向けて、その下の乾いた口元で呟く。

『あの時は、よくも撃ってくれたなぁ……?』


――ひっ


 詩乃は戦慄した。
 男が言っている意味が、判らない。……幼き日の自分には判らないのだ。男の狂気は、そのまま不自然に歪んだ身体の右腕、銃を持っている手に宿り……そのまま銃口を、向けられた。


――……そして。だぁんっ! と言う乾いた銃声が響く。


 咄嗟に眼を瞑った詩乃だった。動けない事に嘆きながら、眼をぎゅっと瞑った。だが、撃たれたと言うのにその銃の衝撃が来ない。詩乃がゆっくりと、顔を上げると……、そこには彼がいた。

『……大丈夫、だ。……大丈夫』

 詩乃を守る様に、銃弾の盾になる様に、男に背を向け、詩乃を見ていた。口元から流れるのは一筋の血――……。

 だけど、そんな事どうでも良いと言わんばかりに、笑顔を見せてくれた。そして、手を握ってくれた。……温かい手だった。


『何も……心配、する事、無い……、大丈――』


 そして、彼の身体にまた、銃弾を撃たれ、自分を庇って倒れ……ッ。




 その瞬間、目の前が再び光に包まれた。




 映るのは、あのぼろマントの男、そして跨った金属馬。悪夢から別の悪夢へと戻されたのだ。

 すぅ、っと視界が暗くなり、両足から力が抜ける。

「シノン! 掴まれ!!」

 いきなり強く声が響いてきたと同時に、伸びてきたてがキツく左腕を握った。

「き、きり……っ、 あ、ああっ、か、かれ、が……かれが、……こ、ころ……っ わ、わたしの……せい、で……っ」

 シノンは、震える声で必死にそう言っていた。

 キリトは、シノンのその訴えに今答えている場合ではなかった。バギーのアクセルを踏み抜きながら、前輪を浮き上がらせる。所謂、ウイリーをさせて、道路へと飛び出していたのだ。僅かに落ちたギアだったが、たちまちトップギアに達する。

「シノンっ! 落ち着けっ!!」

 キリトは最低限運転に支障が無い程度に、身を乗り出し、シノンの肩を強く揺さぶった。まだまだ、直線状に伸びるメインストリート。障害物が無いのも幸いした。……だが、それは相手も同じ事だ。

「い、いぁぁっ! りゅうっ、りゅうきっ……、は、はや………とぉっ……!」
「!?」

 この時、混乱しているシノンが口にした名前。凄まじい速度で走行している為、風切り音、エンジン音がけたましく、聴きにくかったが、彼女が言っている言葉の中に、『はやと』と言う名前……?がある事にキリトは感じた。

「わ、わたしのせいでっ……! い、いやぁぁぁぁっ!!」

 まるで、幼い子供の様に頭を抱えながら泣き叫ぶシノン。キリトの中にあった疑問は一気に消し飛んだ。今は考える事よりも、彼女のことが優先すべきことだからだ。

「落ち着くんだ、シノン! アイツは死なない、絶対に、絶対に死なないっ!!」

 キリトは力の限り、叫んだ。背後に迫る死銃を見て、シノンは思ってしまったのだろう。


――リュウキを殺し、そして自分達を追いかけてきたんだと。


 だが、それは絶対に無い、とキリトは判っていた。……万が一にでも無い、と。

「アイツが強い事は、オレ達が一番よく知ってるだろっ!! あんな奴らに、殺られる訳無いだろっ!」
「っ……」

 キリトの叫びを聴いて、シノンは……少しだけ、詩乃の前にシノンが出てくる事が出来た。

 そしてキリトは、撃てないシノンの代わりに、先ほどの戦い。《銃士X》との戦いで拝借した、煙幕爆弾とは別のもう1つの武器、手榴弾のピンを引き抜いた。5秒で爆発する事は、事前に聞いてある(武器解説はリュウキ)。走りながらも、頭の中でカウントさせ、……そして。

「ふんっ!!」

 迫り来る死銃目掛けて投擲。
 ロボット・ホースの踏破力は、確かに凄まじいモノであり障害物もまるで問題なく直線距離ではバギーの方が早いが、障害物の多いこのメインストリートでは、バギーよりも早いだろう。それが証拠に、距離をどんどん詰めてきているからだ。


――……このまま、追いつかれる訳にはいかない。


 リュウキの言葉の中に、『シノンが死銃の標的』だという事があったからだ。

 キリトが見たのは、死銃に撃たれるリュウキと地に伏しているシノン。死銃を知っている身とすれば、死銃がリュウキを狙ったのか? とも思えたが、シノンがあのスタン弾を前に倒れている事もあった。狙っているのは、あの死銃が狙っているのは、シノン。……そして、命を奪う事が出来る一撃を放てるのはシノンだけなのだ。

「くそっ……!!」

 爆発の寸前で、あのロボット・ホースを巧みに操り、回避したのを見てキリトは歯ぎしりをした。多少は、速度を落とす事が出来た様だが、このままでは追いつかれる。

 怯えているシノンは、この時もう一度あの姿を間の辺にする。

「う、うぁっ……」

 キリトの叱咤があり、何とか気を少し、沈める事が出来たが、それでもまだ 何時もの自分じゃない。間違いなく詩乃の部分が今の身体を占めている。

「なん、で……っ」

 乗れるはずのないあの姿を見て、再び恐怖に彩られる。シノンが聞いた話では、確かに現実世界で乗馬の経験があった方が、有利だが、それでもうまく出来ない割合の方が高いのだ。だが、あの男はそれを嘲笑う様に、乗りこなしている闇色の騎手。信じられない光景を続けて見た事で……、あの男なら、リュウキをも下す可能性がある、と思ってしまったのだ。

「く、くく」

 死銃の顔が歪んだ気がした。口元はその髑髏のマスクで見えない筈なのに……、口元が笑っている様に見える。歪んで見える。

 そして、懐から……あの銃を取り出したのだ。

「っっ!!」

 あの銃は、自分の悪夢の象徴だ。そして、プレイヤーを消し、更に……リュウキを撃った武器でも、あるのだ。

「お、おねが……い。逃げて、お、追いつかれる……っ、逃げて……」

 悲鳴混じりの細い声で、シノンは叫ぶ。
 キリトは、シノンが少し、落ち着いてくれた事に安心すると、それに応える様に、キリトはいっそうアクセルを開けた。

 直線状だが、如何せん障害物や凹凸の激しい道路は続く。

 その1つにでも捕らわれ、もたつこうものならあの死銃は数10秒足らずで追いついてくるだろう。ロボット・ホースは、障害物の多いこの道路でも四つ足で巧みに回避し、更には速度を緩める事も無い。全く同じ立地条件でも、障害だらけのこのコースでは、あの馬の方にアドバンテージがある。その上、同乗者の数をも考えたら更にそれは付与されるだろう。

 握られた死銃がすぐ後ろに迫ってきている。

 既に右手を手綱から離しており、狙いを真っ直ぐに向けてきた。


 あの《五四式・黒星》を。


「っ……!」

 キリトは、放たれた銃弾を、光剣で弾き斬った。如何に、命を奪う弾丸だと言えど、実質はこの世界の銃と同じ弾丸だ。それも、30口径。弾速も他のマシンガンに比べたら断然遅いのだ。

 だが、運転しながら弾くのはかなり難易度が高い。

「シノン、聞こえるか、シノン!!」
「っ……!!」

 不意にキリトに呼ばれたシノンだが、詩乃の部分がまだ色濃く出てしまっているシノンは、返事はできなかった。

「シノンっ!!」

 再び鋭い声に全身を叩かれ、ようやく震えも止まり、キリトの後ろ姿を捉える事が出来た。

「シノン、このままだと追いつかれる。――君が奴を狙撃してくれ」
「む、むり……無理だよ」

 シノンは、いやいやをするように首を横に振った。右肩にはずしりと思いへカートⅡの感触があったのだが、いつもの闘志を与えてくれるその質量も、今は何も伝えては来なかった。

「当たらなくてもいい! 牽制だけでいいんだ!!」

 キリトは続けて叫びを上げるが、シノンは首を振ることしかできなかった。

「む、むり……あいつ、あいつは……」

 過去から蘇った亡霊。
 キリトの叫びもあり、撃たれた彼の事も……死んでいない、と信じる事が出来ていた。それでも、あの亡霊には、例え12.7mm弾が心臓に命中しようとも止まらない、止まりはしない。……それはどうしても否定する事が出来なかった。

「あいつが直ぐに来てくれる!! 足止めを、牽制をすれば、その間に追いついてくるんだ! シノン! あいつは絶対に殺られたりしない」

 再び、キリトはシノンにそう叫んだ。

「っ……」

 シノンは、ぴくりと僅かに反応した。
 キリトは、シノンの中にリュウキが大きく存在している事がよく判った。キリトは、恐らく本気でぶつかったあの決勝戦の時から、だと思っていた。……正確には違うが、確かに 大きくなってきたのは事実だ。

「シノン! 運転を代わってくれ! オレがその銃を撃つから!」

 僅かに反応したシノンは……更にキリトのその言葉で、覚醒する事が出来た。


――へカートは、……私の分身。私以外には……。


 途切れ途切れの思考が、回路に流れる微弱の電流のようにシノンの右手を動かした。

 そして、もう1つの声が……流れる。


『その銃は、貴女にこそ、相応しい。強い意志を持った瞳を持つ貴女に、冥界を司る女神(ヘカートⅡ)は貴女の物。貴女が勝ち取って得た物です。誇りなさい』


 それはかつて、必ずこの銃で倒すと決めた相手の言葉。なのに、皮肉だけど、……とても今の自分には心強かった。そう、この銃は、へカートは自分じゃなければ駄目なのだと改めて思う事が出来たから。



 へカートのスコープを覗き込み倍率を上げた。身体の中心線を狙うとするが……、今以上に拡大すると、あのフードの下の顔がはっきりと見えてしまう、そう思うとそれ以上指が動かせなかった。だから、その状態、倍率のまま 右手をグリップに移動させ、狙撃体勢に入る。

 狙撃体勢には言った時点で、弾道予測線が表示されている為、死銃もシノンの狙撃体勢に気づいている筈だが、停止はおろか回避するつもりも無かった。そのまま、一直線に追いすがってくる。


――舐められてる。


 頭の何処かでそう気づいたのに、今はこれ以上なにも出来なかった。

 彼の言葉が、頭に流れても、へカートへの想いを思い出しても。今にも、再びあの死銃……黒星を取り出すのではないか、と思うと、想いは陰り、そして怒りではなく、恐怖しか湧いてこなくなる。

 再三と、トリガーを絞ろうと指を動かすが、やはりどうしても残り数mmが埋められない。まるで、へカートが……、長く連れ添ってきた相棒が自分を拒絶しているかのようだった。


 だが、それが違う事には直ぐに気づく。へカートが拒絶をしているのではなく、自分自身が拒絶をしているのだと言う事に。


――強い意志を持った者に相応しい。


 かつて、そう言われた。……だが、今の自分はそれとは程遠く、弱々しい。強さなど欠片も無くなっている。

 スコープを覗く前には、少しの力が戻ってきた、と思ったのに。


「……撃てない」

 詩乃、シノンはそう呟いた。

「撃てないの。……指が動かない。私……もう、戦えない」

 言葉こそ、上手く発せられる様になったのだが、心と身体がまるでついて来なかったのだ。それが、指先に顕著に現れている。だが、キリトは。

「いや、撃てる!!」

 即座に強く、厳しくシノンの背中に打ち据えた。

「戦えない人間なんかいない! 戦うか、戦わないか、その選択があるだけだ! あいつだって、絶対にそう言う! 最後の最後まで、絶対に諦めない!」

 ライバルに、そう言われた。そして、ここにはいない、今も自分を庇って戦ってくれている彼の事を考えると……キリトの言葉が真実だと思えた。だが、それでもシノンの心の火は僅かに揺らいだだけだった。


――私は、戦わない方を選ぶ


 もう辛い思いはしたくない。戦った事で、温かさを知れた。……だけど、それを覆い尽くすかの様に心が蝕まれたんだ。そして、何より……あの男は自分自身の罪。


――だから、自分に温りを求める権利なんか無い。このまま……。


 シノンの視界が再び黒く染まろうとしていたその時だ。

『心に巣食った痛みは、簡単に取れるモノじゃない』

 再び、光が差した。なぜ、今あの光が……? あの声が響いてくるのだろうか。それが……判らなかった。

「!!」

 キリトは何かに気づいた様だ。

「シノンっ!! 掴まれっ!!」

 ハンドルを思い切りきると、メインストリートの右車線に飛び込んだ。そちら側は、廃車が多く、障害物となっており、走行が非常に困難となっている。シノンもそれに気づき、なぜ?  と思っていたその時!

 黄金色の空がメインストリートを照らしていたが、影が映ったのだ。

 その影は見る見る内に大きくなり……そして丁度、キリトが走っていた場所に、がしゃんっ!! と言う音と共に着地した。それは、自分達が乗っている三輪バギーだ。


「遅い、遅刻だぞ!? リュウキ!!」


 キリトは、その姿を見ながら 大きな声でそういった。

「それは、お互い様だ! ……死神(アイツ)には逃げられた。一先ず追ってくる死銃を片付けよう」

 リュウキは、懐から、プラズマ・グレネード取り出した。それを指で押すと……、ぴぴぴぴ、と言う電子音が発生した。


「鬼ッ……!」

 死銃もそれに気づいている様で、手綱を僅かに引き、ロボットホースの速度を遅くさせた。そして、その一瞬の隙を決してリュウキは見逃さない。

「ふんっ!!」

 リュウキは、バギーのハンドルから両手を離すと、右手に持ったグレネードを死銃目掛けて投げた。放物線を描く……、というよりは、直線状にまるで弾丸の様に伸びていく。

「くっ……!」

 手綱を巧みに操り、回避する死銃。速度も元に戻し、爆風に巻き込まれない様にしようとするが……。

「甘い」
「ッッ!!」

 左手で、デザートイーグルを撃ちはなった。

 秒速427mを誇るデザートイーグルの《50AE弾》は、容易に先ほどリュウキが投げたグレネードに追いつき、直撃した。丁度回避した死銃の金属馬、一台分右側でプラズマグレネードに当たり……炸裂したのだ。凄まじい大爆発が巻き起こる。

「うおおおっ!!!」

 大爆発に巻き込まれまい、と金属馬の背から、飛び退く様に飛び上がった。爆風は、金属馬の全てを包むが、僅かに死銃には届かない。ロボット・ホースの耐久度も奪いきれなかった。だが、完全にバランス崩し、倒れ込んだ。……そして、丁度、横転している軍用車両に、死銃(デスガン)飛び移った。

「ちっ……!!」

 リュウキは、仕留め損なったのを確認すると同時に、へカートを構えているシノンに向かって叫ぶ。

「……撃て! シノン!!」
「っ……!」

 リュウキが来てくれた。キリトが言った通り、無事だった。それだけで、心が救われる気分だった。……まだ、闇が占めている上に、弱い詩乃が存在している為、戦える状態に戻ったわけではないが……、それでも、はっきりと聞こえてきた。

「オレも一緒に撃つ。だから、一度でいい、この指を動かしてくれ」

 キリトがシノンの手に自身の手を合わせた。
 キリトの熾火の様な熱が、氷の様に固まったシノンの指を動かしていくのを感じた。

 あの金属馬、ロボット・ホースは壊れてはいないものの、吹き飛んでしまっているから、直ぐには、あの死銃(デスガン)は追ってこれないだろう。

 だが、敵は、死銃を持っているプレイヤーは他にもいるのだ。確認したのは2人。ここで、出来る事なら、あの男を退場させておきたい。……あいつの名前を判ってないから、現実世界で追えるかどうかが判らない。でも、それでも危険を下げる為に、排除する方が良いに決まっている。リュウキも、キリトと目があった様であり、頷いていた。


――……2人とも、この状況でなんでそんなにも冷静でいられるの?


 刹那、温りのおかげで……自分の心がわずかながら戻ったシノンは、その胸中でそう問いかけていた。
だが、直ぐに自分の言葉を否定した。


――冷静とか、そういうことじゃない。2人とも、ただ、ただ全力なだけなんだ。言い訳せず、全力を尽くして戦うことを選び続けているんだ。……そう、それこそが、2人の、この2人の強さ、なんだ。


 シノンは昨日の予選決勝の舞台で、リュウキに訪ねた。

『それほどの強さがあって、あなたは何故……?』 と。……いや、シノンは、今ならよく判る。キリト自身も、リュウキと同じ理由で、あの会場で心を揺さぶられていたんだ。リュウキとキリトは、どうしてそんなに怯えるのか? と聴いていたんだ。

 しかし、その問いかけは大いなる誤りだった。怯え、悩み、苦しみ……それでも前を向いている事が、本当の《強さ》。そこにはただ1つ選択があるだけだ。

 即ち……立つか、立たないか、撃つか、撃たないかの選択があるだけだ。

 そして、その選択が出来る最大の訳が……。

 バギーに乗っている上でも、互いにアイコンタクトを送り合い、頷きあっているリュウキとキリト。

『……オレは1人じゃないから、1人じゃなかったから』

 互いに、本当に信頼出来る、背中を預けられる、命を預けられる仲間がいるからこそ、その選択をする事が出来るんだ。

 ずっと、自分以外の他人は全て敵だと、定めていた自分に、2人の様に出来るとは到底思えない。


――でも、せめて――今は、今だけは。


 シノンは愛中のトリガーを掛けた指を全身全霊を振り絞った。軽めに調整してあるはずの、トリガースプリングが途方も無く重く感じる。だけど。


――今の私は……、1人じゃない。


 傍らには、キリトが、……そして 横では、リュウキが。共にいてくれる。戦ってくれている。シノンは、この時……強く思う事が出来た。……仲間がいる事の強さを。

 想いは形となり……自身の人差し指に宿った。




 そして、一発の銃声(へカートの咆哮)が都市廃墟のメインストリートに響いたのだった。




 
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