ソードアート・オンライン〜Another story〜
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ALO編
第137話 眠れる少女達
~桐ヶ谷家~
今は、快晴とも言えるの空だが恐らく昨晩に降り注いだのであろう雪が薄く庭に残っていた。今の季節、太陽光が降り注いでもやはり冬。ぴりぴりと冷たい朝の空気が顔を叩く。痛いとさえ思うのだが、今は眠気がまだまだ抜けず、頭の中がぼうっとしてしまっていた。和人は、庭に備え付けてある水道の蛇口を捻り、零れ出る水を両手で受け止めた。……ここは、雪国……と言う訳ではないが、この刺す様に冷たい水を手で受け止めて、良くぞ、水道管事凍結しないものだなぁ……と不思議に思いつつも、眠気を一気に覚醒させる為、冷水を一気に顔面へと叩きつける。
――……昨日は本当に色々とあったな。
思い浮かべるのは、ここ2日間での出来事だった。
この2ヶ月間、何も得られず、ただただ恋人を想い、親友を想い、迷走をしているのか?と思える程、何も出来なかったと思っていたのだが、あの世界の情報を得て、暫くダイブしていたら一気に糸口が見つかった。そんな気分だった。
情報の提供者である、《Dicey Cafe》の店主であるエギル事《アンドリュー・ギルバート・ミルズ》。彼には多大なる感謝の意を示さなければならないだろう。
「(……ぼったくられそうだけど……、まぁ 皆で、あそこでオフをやる約束したしな。その時は盛大に食べてやろう)」
「それに、リュウキだったら 大丈夫……だろ? 金銭的に……」
和人は、苦笑いをしながら、更にたて続けに冷水を被り、最後に直接ごくごくっと、喉を鳴らせながら飲み込んだ。彼は同じ歳でありながら、もう既に職に就いているといっていい男だ。……専門家が言うには、世界最高峰のプログラマーだとか……?一体何?それ?と思ってしまうのは無理はないだろう。
……皆、皆が無事だったら、心配をかけた、と言う事で盛大に集ってやろうと、和人は思っていた。……クラインとかだったら、賛同しそうなきもするから。
――……そう言えば、あのスポーツジムに行けば、リュウキ……隼人に会えるのだろうか?
和人はふとそうも思い出す。何度も通っているあのジムだが、直接的に会えたのは2回のみだった。頻繁に通えば会える様な気がするが、いまいち効率が悪いだろう。だから、あっちの世界でアポを取ったほうが効率が良い。……それに、彼の状態を考えれば、直ぐに会おうとするのは危険も伴うから。
(……まずは、明日奈と玲奈に会いに行くか)
和人は、そう思いながら首にかけたタオルで、顔をふいた。そんな時だ、縁側のガラス戸が、引き開けられ ジャージ姿の直葉が降りてきた。以前 かの世界では、クラインに妹の事を体育会系と言ったが、まさにその通り。ジャージ姿が物凄く似合う。っと思い出しつつ、和人は直葉を見て朝の挨拶を。
「おはよう。スグ」
声をかける和人だったが、直葉は珍しく自分同様、半民半覚醒と言った様子でフラフラとしていた。……落ちるなよ?と一瞬思ったがそれは大丈夫そうだ。
「おはよー、お兄ちゃん」
直葉は、手を軽く上げて答えたから。
「やけに眠そうだな。昨日は一体何時に寝たんだ?」
「うーんっとねー、4時……くらいかな?」
「だめだぞ、子供がそんな夜ふかししちゃ、何してたんだよ」
「えーっと……、ね、ネット? とか……」
しどろもどろにそう答える直葉。やや、不自然気味に聞こえてきたのだが、話し方よりもその内容に和人は少々驚いていた。体育会系まっしぐらな彼女が、ネットで夜更かし……は、当初であれば考えられないからだ。いつもいつも、決まった時間に部活の朝練。部活がなければ自主練。そのイメージが強いのだけど……、これが成長なのか?と感慨が湧いてくる。
「ほどほどにしとけよ。……まぁ、俺も人のコトは言えんけど」
後半は、誤魔化すように呟く。自分もあの世界へとダイブしていた為、同じようなものだから。
そんな時だった。
和人は、昨夜の記憶を揺り起こし、目の前で、ウトウト、フラフラとしてる直葉を見て悪戯心が沸き起こってきた。それは、あの世界で彼女にした事を思い出して。
「おいスグ、後ろ向いてみ?」
「えー……? なに? お兄ちゃん」
「良いから良いから、ほら、向こうだって」
「ん? こう??」
半分眠っている為か、僅かながら動きが鈍い。それでも、後ろをぐるりと身体を捻ったところで、和人は行動を開始。右手を蛇口に伸ばしてたっぷりと濡らすと、ひょいっと直葉のジャージの襟首を引っ張り、無防備な背中にあの突き刺さる様に冷たい極低温の水滴を盛大に背中の中へ投下!
それは、刹那の時間。
一瞬なにが起きたのか?と背筋が一気に伸びる気がした。
僅かながら遅れてきた感覚神経が、脳へと伝わるその隙間で混乱していた直葉だったが、即座に、考られなくなり、声が飛び出してきた。
「ぴぁ―――っ!!」
――……朝の覚醒してない、頭には丁度いいだろ?
盛大に悲鳴をあげている直葉の傍らで、和人はニヤリと笑って彼女を見ていたのだった。
その後、ストレッチ、そして酢ぶりのメニューをこなす間にも、直葉は先ほどやられてしまった不意打ちを思い、ぷくーーっと頬が膨れ上がっていたが、和人は今度近所のファミレスで美味いパフェを奢る約束をすると、あっさり上機嫌になった様だ。色気より食い気と言うのはまさにこのとおりだろう。
「……お兄ちゃん、何? 今、失礼な事思わなかった?」
「はは、思ってない思ってない」
宛らエスパーの様に思考を読んだ直葉だったが、即座に和人は否定し、苦笑いをしていた。
そして、その後……母親は夜勤帰りと言う事もあり、寝室で爆睡中。故に2人で朝食の準備に取り掛かっていた。これが朝の日課でもある。
「お兄ちゃん、今日はどうするの?」
直葉は、和人にそう聞くと、腕を組んで少し考える。
「うーん、昼過ぎからちょっと約束があるんだけど……、午前中は病院に……かな」
「そう……」
明日奈の傍に一日おきに行く。それは、和人にとって最も重要な習慣となっているのだ。現実世界では、あの世界の様にしてやれる事なんか何もない。……無力だと言っていい。それでも、彼女の手を取って祈る。出来るのは、それだけだ。
あの男……須郷伸之には遠慮願いたいと言われているが、そんな言葉を聞き入れる筋合いはまるでない。あの男の顔を見るかも知れない苦悩と明日奈の顔を見に行く事を考えれば、天秤の対にすらならないから。
今思えば、あの世界……アルヴヘイムでアスナの写真を見せられ、勢いに任せて飛び込んだが、それが アスナである確証はないし、また迷走をしている可能性だって大いにある。
――……それでも、あの世界には何かがある。……それは確かだと思う。
和人の脳裏にはそれが強く……強く浮かんだ。須郷は、明日奈が眠り続ける事を望んでいる。そんなヤツの息がかかった企業で運営されている世界。
更には、あの世界はSAOサーバーのコピーだと言う事は、彼女……ユイが証明している。あの世界で、ユイの姿がSAO時代そのままに現れた事、そしてアバターは違うものの、旧キリトのデータが存在した事もそうだ。
――……そして、何よりもあの世界に導かれたドラゴの存在。
彼が何を思い、あの世界へと足を踏み入れたのか、なぜ 自分の様に初心者でありながら、あれだけのスキル・ステータスなのか。前者は判らないが、後者は明らかだった。……アミュスフィアにナーヴギアの記憶媒体を挿入してプレイしたからだと言う事だ。リュウキと言う名を使ったと言う事実を認めたし、ユイがそれを見抜いた事を考えたら、間違いないだろう。
SAOのコピー。引き継がれたスキル・ステータス。……そして、ユイとリュウキ。
それらが、まるでパズルのピースの様に組みあがって、1つの解を示そうとしている、と和人の頭の中ではイメージをしていた。
――……ユイと再び出会えた。
奇跡が起きたんだ……とキリトは想い、涙を流した。
――……そして、消息不明だった、ずっと探していた親友とも出会えた。
そんな奇跡があの世界でたて続けて起こったのだ。だから、アスナの事も……きっと、きっと、そう強く思ったのだ。今日の午後にALOの定期サーバー・メンテナンスが明け次第、再びあの妖精の世界へと赴く。いよいよ問題の世界樹へ挑む。
その想いも和人……キリトの身体に力を入れていた。
「お兄ちゃん?」
「ん……? なんだ?」
直葉は、やや緊張を見せていた様に感じた和人を見てつい声をかけてみたが、別になんでも無かったようだ。直葉は、ある事を聞く。
「ねぇ、あたしも、一緒に病院に行っていい……?」
「え……」
それに、僅かながら戸惑う和人。これまで、直葉はSAOに関することをあまり積極的に知りたがろうとしなかったからだ。アスナの事、探している親友の事、そして妹がいるという事、それらは伝えたが、それ以外の事は一切伝えてないから。
でも、あの残酷な運命の日。
あの男と明日奈が婚約を……と言う話を聴いて、無力を痛感、打ちのめされ、傍らで悲しそうに見ていた玲奈にも、何も言えなかった。その後、家で直葉の前で泣いてしまったことを思い出して、やや狼狽したがどうにか平静な顔を保ったまま頷いた。
「ああ……いいよ。きっとアスナも喜ぶ。彼女には妹もいるからな。随分と疲れてるって思うから、それとなく元気付けてあげてくれ」
「……うん」
直葉は、笑みを浮かべて頷いた。……兄妹が、姉妹が帰ってこない苦しみはよく知っている。
あの地獄の様な期間、ずっとずっと、和人の帰りを待っていたのだから。……何もできないかもしれない、力になれないかもしれない。それでも、何か力になってあげたいと直葉は思っていたのだ。
……そんな想いも強くあるのだが、その笑顔に僅かな陰りも出ていた。
それを感じた和人だったが、直ぐに元の表情に戻ったため、忘れてしまったのだった。
――……今日は本当に忙しくなる。
和人は、天井を見上げながらそう思っていた。心地よい忙しさだ。
アスナを助ける、探しに行くと彼女に伝え、そして、玲奈にもそれとなく匂わせる。
彼女の事だ。それを聞いたら、物凄く驚くだろう。狂乱してしまうかもしれない……と正直なところ、マジで思ってしまう。そして、からかいたい衝動も……不謹慎だ、と思われてしまうかもしれないが出てしまうだろう。彼女の愛らしさをよく知っている者達なら、共通だ。
――……だが、もしからかって、彼女を怒らせて、その事実をあの男が知ればどうなるだろうか?
その異質で異様な複数の剣。
あの解放の日、魔王を吹き飛ばし、翅があるわけでもないのに、空中で縦横無尽に切り刻んだ、神業とも言えるソードスキルを体験出来るかもしれない。
……流石にそれは勘弁だ、と和人は思ったが リュウキ、隼人の事だ。笑顔で玲奈を見ていて、そして玲奈は頬を膨らませる。それをアスナと共に、傍らで笑いながら見ている。
……そんな世界、今を思えば夢のような世界。
その場所へ再び行く為に……、和人は今日一日を……、これからの一日も頑張ると決めたのだった。
~竜崎家~
時同じくして意識を覚醒させた隼人。ゆっくりと身体を起こし、そして備え付けてあるリモコンを指先でクリック。すると、忽ち部屋に灯りが付き、冬の朝の薄暗さを一気に吹き飛ばした。連動して、エアコンも作動し、適温調整に入る。
「ん……。朝、8時……か」
まだ、覚醒した、と言っても霞がかかった頭の中だ。ひょい、と身体を起こし、部屋のカーテンを勢いよく開く。薄暗い、と言っても太陽は出ているから、カーテンを開いたその瞬間、太陽光が身体に降り注ぐ。
「……良い、天気だね」
そう呟くと、ガラガラ……と音を立てながら窓を開き、テラスへと足を踏み入れた。肌寒い気温は眠気覚ましにはもって来いだろう。ぴりぴりとする肌寒さを覚えながら、背筋を伸ばす。
すると、視界の端に人影を捉えた。
「おはようございます。坊ちゃん」
爺やがテラスで珈琲を飲んでいたのだ。かちゃりと音を鳴らしながら、カップを起き、軽く頭を下げる。
「うん、おはよう、爺や」
隼人も同じように挨拶を交わし、そして 彼の隣の席に腰掛けた。カップと共に備え付けられている、サンドイッチをひょいと1つつまみ上げると、口の中へと放り込んだ。レタスのしゃきしゃきとした歯応えと、ハムのぐにゅっとした歯応え。そして、味を盛大に楽しみながら、ゴクリと喉を鳴らしながら、胃の中へと移送する。その姿を見て、綺堂は微笑む。
「足りますかな?」
「うん。大丈夫。美味しいよ」
「それは良かった」
その姿を笑顔で見つめる綺堂。
隼人が養子となり、一体どれだけの期間が過ぎただろうか……。あの大変だった時期が、昨日のことの様に直ぐに思い出せる。記憶を欠如し、まだ苦しみが残っている隼人だが、今回も必ず乗り越えられると、強く綺堂は思っていた。
まだまだ成人にも成っていない子供だ。……だが、彼の心の強さはよく知っているから。
「……爺や」
「なんですかな?」
隼人は、暫くカップの中の珈琲を飲んでいた。だが、次第に表情が硬く、強ばっていた。その表情には、綺堂も勿論気づいていた。そして、何を言うのか判っていた様だ。
その綺堂の表情は対照的に穏やかだった。
「ゴメン……。爺やは、オレがあの世界に行っていた。だから、僕があのゲームをするって言った時……」
「………」
隼人の言葉を黙って聞いていた綺堂だったが、ゆっくりと頷いた。
「……あの坊ちゃんがALOを。あの世界へと向かった昨晩。あの機械の位置が変わってたのに、私は気づきましたよ。あの機械……ナーヴギアの」
綺堂は、珈琲を口に含み、飲みこむ。
「確かに、心配しましたよ。坊ちゃんが苦しむ事……それだけが心配でした。……ですが」
心配をしていた、と言うのは当然だ。
記憶の欠如からくるものだろうか……?時折襲ってくる頭痛の症状は、過去の記憶から来ているのだということは間違いないだろう。そして、思い出さなければならない、でも 思い出せない。そのもどかしさもあっただろう。でも綺堂は、ニコリと笑った。
「戻ってきた坊ちゃんの顔を見て、私は安心しました。……大切なものが見つかりそうなんですね?隼人坊ちゃん」
隼人の顔を見て、昨晩、あの世界から帰ってきた後の彼の顔を見て、安心したのだ。
隼人と綺堂の付き合いは、本当に長い。
あの施設から始まり、例の事件を経て、そしてその能力を最大限に活かしIT関係の仕事を中心に、独自に築き上げてきたネットワークを駆使し仲介役になって仕事をしてきた。初めこそは、隼人の事を養う……と思っていたが、軌道に乗ってみればあっという間に、養父からパートナー。
自分が隼人のパートナーの様な関係になっていた。
だからこそ、判るのだ。隼人の顔を見れば……。彼の事なら直ぐに。
「あ、ははは。うん、まだ……朧げだけどね?」
「ゆっくり……ゆっくりで良いんですよ。坊ちゃん。無理せずにゆっくり……。あの世界で坊ちゃんは頑張っていたのですから。……精神を粉にして。まだ、休息が足りないくらいなんですよ?」
「あーっ、はい。注意しますっ」
「ほほほ。はい。よろしいですよ」
テラスから、陽気な笑い声が聞こえてくる。そして、その声につられる様に……、太陽の光が更に暖かく、周囲を照らしてくれていた。
そして、それから数分後。
モーニングタイムも終了し、今日の業務へと入っていく。企業から依頼されているモノが殆どであり、稀に自作もしたりもある。今日は、プログラムに関する文章、ユーザマニュアルの作成に取り組んでいた。が、午後までだ。午後から……つまり午後3時まで。それを過ぎたら、メンテナンスが終了し、再びあの世界へと入る事が出来るのだ。
あの世界の中心であり、頂点。
世界樹へと行くために。
「……世界樹もそうだけど、他にも気になる事がある。」
隼人は、PC操作しながら呟く。アルンに入ってからの事だった。
また、マップ上に赤い光点が光ったのだ。……が、以前の様にずっと光っている訳ではなく、直ぐに掻き消える様に消滅してしまっていた。……が、その位置情報は頭の中に叩き込んでいる。あの町の南西部。そして、以前の様なモノがその場所にあるのだとしたら……。
「……あまり、他の者に見せたい物じゃない」
軽く拳を握り……そう呟いた。それが、例えキリトやユイであったとしてもだ。
まるで、亡霊の様に自分に取り憑いて離れない妙な粘っこい感じが拭えないのだ。
それは世界樹を見ても強く感じた。あの場所には大切な何かがある。……キリトが言っていた大切な人、最後の欠片。それも確かに、大切だって想う。……頭の中で響いてくるあの愛おしい人の正体、かもしれないから。ズキリと時折痛みは襲ってくるものの、我慢出来ない程のものではない。思い出すために、痛みが必要なのだとしたら、喜んで受け入れる覚悟だから。
でも、なぜだろうか……?
――……本当に大切な人が、あの場所にいる様な気がする。そして、大切な人を亡霊が、影が覆っていってる様な……そんな感じ、予感、気配がまるで拭えない。
「……坊ちゃん」
「っ!」
そんな時だった。
また、背後から声が聞こえてきたのだ。いつも通り、気配がまるでなく……。
「今回は、私は何度か声をかけましたよ。……ですが、坊ちゃんは難しい表情をしたままで、心此処にあらずの様でしたので」
「あ……、そ、そうなんだ」
隼人は、少し驚きながらそう返事をした。これまでの展開では、爺やは気配なく後ろから……と言うのがお決まりだったから、また……って思ったのだが、事実は違った。深く、強く考えていたのは間違いないのだから。
「何かお悩みがあるようでしたら、坊ちゃんさえ、よろしければ私に相談してください。力になれるかどうかは、判りませんが……、精一杯の事をさせてもらいますよ」
「あっ……」
そう言うと、隼人の肩を優しく叩き、そして握った。隼人は、その手をとり……そして意を決した。
……隼人自身には、聞きたい事があったのだ。あの世界で視た情報。それは虫食い状態で、本当に行われているかどうかは判らない。でも、あれは、あの研究は……。
聞きたい事、聞かなければならない事、それはあの事件のその顛末。
そして、……頼みたい事もあった。あのゲームを運営しているのはレクト。あれが、あの闇の意思が生きていて、そしてあの世界で蠢いてるのだとしたら。現実世界と仮想世界の両方でしなければならない。中と外で攻めなければならない。
そして、何よりまずは……聞きたい事。
「……ありがとう。爺や。それで……ね、あの男は今何処にいるか、爺やは知ってる?」
「……っ!」
その言葉を聞いて、綺堂は思わず隼人の肩から手を退けて立ち上がった。今、今このタイミングでそれを聞くとは思わなかったから。何より唐突過ぎるから。
「……あの男、と言うのは?」
間違いなく自分が思い描いている人物だと言う事、それは判っていた。でも、聞かずにはいられなかった。
隼人の表情は一瞬だが、表情が暗く、闇に落ちた。
「……あの男、だよ。僕の……大切なものを奪った男」
その言葉を聴いて綺堂は、間違いないと確信した。隼人が言っているあの男……、と言うのが誰なのかと言う事を。
~埼玉県所沢市総合病院~
路線バスを使い、和人と直葉は病院前にまで到着した。普段は、筋トレも兼ねて自転車で通っているが、今日は直葉も一緒だと言う事もあり、お休みにした。
直葉は、目の前にある巨大な病院を見上げた。その圧倒的な大きさの病院に目を丸くさせる。
「うわぁ……、ほんっとに大きい病院だねぇ」
「中も凄いんだぞ?ホテル並みだ。門から先も結構長いし、圧倒されたよ。オレも。」
そう言うと和人は、守衛に手を上げながらゲートを通過した。和人が言うとおり、徒歩だと本当に病院入口までが長い並木道。直葉は、健康の申し子であると言っていいほどの健康体だから、病院とは無縁だ。だからこそ、圧倒されたのだ。
和人の言うホテル並みという言葉が嘘ではない……と言うのを理解しつつ、病院内のエレベータへ。そして、その最上フロアにまで昇る。ここから先は、限られた患者しかいない様で、人気はあっという間に無くなった。最上フロアの最奥。
「ここ……?」
「ああ」
和人は頷いて、ドアを開けた。直葉は、その扉の隣の金属プレートを見つめ、直葉は呟いた。
「結城……明日奈さん……。キャラネームが本名、だったんだね。……あんまりいないよね。そういう人」
「へぇ、詳しいな。まあ確かにオレの知る限りアスナとその妹、レイナだけだったな。そのまま名前なのは」
「姉妹で本名……ほんとに仲が良さそうなんだね?」
「仲が良いだけじゃないぞ? ……そっくりなんだ。まるで双子なんじゃないか?って思うくらい、な」
「へぇ……」
話をしながら、扉を潜る。……濃密な花の香りが内部から流れ出す。ここから先にいるのは、眠り姫。眠っているだけ。……いつかは必ず目を覚ます……。
和人はそう思いながら、歩を進める。直葉は、和人にピッタリとくっつくようにして歩く。直葉の身体からも緊張が伝わって来るようだ。純白のカーテンに手をかけ、いつもの様に和人は短く祈った。
――……この先にいる彼女が目を覚ましますように。と。
その病室で、いつもいる筈の玲奈の姿は無かった。和人はその事に引っかかりがあったが、一先ず明日奈の前に立った。
「……紹介するよ。彼女がアスナ。……《血盟騎士団》副団長、《双・閃光》のアスナだ。剣の速度と正確さではオレも最後まで敵わなかったな……」
言葉を僅かながらきると、少女に視線を落として続けた。
「アスナ、オレの妹の直葉だよ」
直葉は、少し進み出ると、恐る恐る声をかけた。
「………はじめまして、アスナさん」
勿論、眠る少女からの答えはない。そのアスナの頭部にはあの心底憎悪したものが……ナーヴギアがつけられてあった。濃紺のヘッドギア、たったそれだけで、人間をずっと……ずっと拘束する。
あの2年間、兄の和人を異世界に閉じ込め、皆を不幸にした。
そして、今も……、目の前に眠る妖精の様に美しい人の魂が何処かの世界に繋がれてしまっている。
「……妹さんは、来てないのかな?」
アスナを見て……、自然とそう呟いていた。あの時の痛み、苦しみ……直葉は そのナーヴギアを見て改めて思い出したのだ。だからこそ、玲奈とも話したかったし、同じ境遇の者として、かけられる言葉があるかもしれないと、思ったのだ。
「そうだな。……玲奈は、今日は来てないみたいだ。いつもはいるんだけどな?多分遅れてくるんじゃないか?」
和人は、アスナの手をぎゅっと握り……そう答えた。その姿を見て直葉はかつての自分の姿とダブって見えた。和人を心から笑顔にするのは、そして、明日奈の妹である玲奈を笑顔にするのには、彼女が帰還する事。
――……戻ってきて、和人を笑顔にして欲しい。
直葉は、そう強く思った。だが、同時に無言で少女を見つめている和人の顔はみたくなかった。
母の翠から打ち明けられた真実。和人と自分は本当の兄妹ではなく、従兄。ずっと、心に引っかかりがあったのは、兄ではなかったと言う事なのだろう。そして、この2年の間に、それは形を変えた。きっと、親愛……ではなく、彼への恋慕へと。
そして、和人が帰ってきて……更に自問自答を繰り返していく。
本当にそうなのだろうか?仲の良い兄妹だけじゃない、別の何かに……、それを望んでいるのではないか?
本来、眠っている彼女の前で考えるべき事ではない。それでも、彼女に出会ったら……、判るかもしれないと思ったから。でも、判ったのは……。
「………アスナ」
「っ……」
和人の明日奈を見る目。それは、単純なものではなかった。同じ年頃の少年少女がする恋愛とはレベルが違う。まるで、何年も、何年も、いや……それどころではない。前世から今生、そして来世へと何度も生まれ変わりながら運命の相手を探し求める旅人の様な眼だった。優しさだけでなく、狂おしいほどの慕情。その瞳の奥の色がまるでいつもとは違った。
2人の間には切っても切れない……いや、切る事自体、他人では出来ないだろう。……しては、ならないだろう。そう思える程の繋がり。運命の赤い糸。
自分では、決して手の届かないものだと言う事を、悟ったのだ。
「……アスナ。今日はな? 本当に重大ニュースがあるんだ。先にアスナに教えるぞ?」
そんな中で、和人は、アスナの手を握り……続けた。
「見つけたんだ。……アイツを。とうとう見つけた。……ま、半分ってところだけど、一歩どころじゃない、二歩、三歩、信じられないくらい前進したよ」
白く美しい頬にそっと触れた。
「……玲奈は、来てないのか?まだ、アスナが起きてないから、感情が上手く出せないと思うけど、きっと心は軽くなる。……そう思うんだ。後は、オレが強く……頑張るだけだから。玲奈はずっと、ずっと頑張ってきた。……だから、アスナ、少しだけ玲奈をアイツに預けても……良いよな?その間は、オレがずっと傍にいるから……」
和人は、そう言って笑う。直葉は、その言葉を聴いて……、妹の玲奈の事も大切に想っている事が判った。心が凄く不安定で、今にも泣いてしまいそうだったけど、直葉の心をつなぎとめていたのが、その玲奈という少女の事だった。同じ境遇の少女。元々面倒見が良い性格な直葉だからこそ、だろう。
そして、暫くして和人達は知るのだった。
最悪の事が起きた事。
結城明日奈の妹、《結城玲奈》
彼女も、囚われてしまったと言う事実を。
この病院のアスナの病室の隣で、眠っていると言う事を……。
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