東方虚空伝
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第三章 [ 花 鳥 風 月 ]
五十四話 凶夜の警鐘 壱
「――――鬼って嘘をつかないんじゃなかったかしら?」
七枷神社の社務所の一室に若干苛立ちの籠った紫の声が響く。
客室として使用されていた八畳の部屋には声の主である紫を始めさとりとこいしと諏訪子が居り、部屋の中央で胡坐を掻いている萃香と対峙する形を取っていた。
部屋の四方の壁には博麗の結界符が張られ部屋そのものを捕縛結界にしており、萃香自身にも妖力封じと身体拘束の符がが張られている。
「嘘なんて吐いちゃいないよ?あたしがあの時約束したのは『あんたに負けたら大人しく捕まる』って意味で仲間の事を喋るなんて一言も言ってないだろう?」
そんな風に紫に返答する萃香は悪戯が成功した子供の様な笑みを浮かべ、対する紫は頬を引き攣らせながら萃香を睨み付けた。
萃香の言い分は屁理屈に聞こえるが確かに『情報を喋る』とは言っていない。正当性が有る為に紫も強く返せないのだ。
しかし萃香は貴重な情報源である。ここで言い負かされて引く訳にはいかなかった。
「……確かに貴女の言い分は正しいわ、きちんと言質を取らなかった私の落ち度ね。――――でも傷の手当てをしてあげたのだから礼を返す義理位はあるんじゃないかしら?」
萃香の傷は此処に連れて来た時にさとりとこいしによって手当てがされており肌の露出が見えない程に包帯が巻かれていた。
しかし紫の言い分には穴がある、それは――――
「義理ってあんた――――あたしの怪我の原因はあんたじゃないかッ!」
萃香の叫び通り彼女に傷を負わせた張本人が『傷の手当てをしてやったんだぞ感謝しろ』と言っているのだから支離滅裂である。
紫は萃香の言葉に知らんぷりを通しているが諏訪子達は『確かにその通りだよね』と言う様に首を縦に振っている。
紫の言葉に怒りを表していた萃香だが、気を取り直したのか嘲る様に不敵に笑いながら、
「まぁ何を言われてもあたしは喋らないよ、態々苦労して捕まえたのに残念だったね。こういう状況を表す人間の諺があったね――――『骨折り損のくたびれ儲け』って!今のあんたにピッタリじゃないか!アーッハッハハハハッ!」
紫の折れた右腕を指さしながら笑う萃香に対し当の本人は、
「あら面白い事いうじゃない♪確かにその通りね!アハハハハハハッ!」
と、萃香と一緒に笑っていた。
紫と萃香の笑い声だけが響く室内で諏訪子達三人は異様な空気に困惑し固まっている。そして不意に二人の笑い声が申し合わせたかの様に同時に止まり、そして――――
紫は徐にスキマを開くと左手を突っ込み中から何かを引き抜いた。
それは“前挽大鋸”と呼ばれる巨大な鋸だった。丸太を製材する為の大鋸で刃幅は優に四十㎝以上もある。
紫はその鋸を振りかざしながら、
「下らない事言ってないで素直に喋りなさいよッ!でないと両手足をこれでぶった切るわよッ!このへそ曲りの小鬼がッ!」
そう叫び萃香に飛び掛かろうとする紫を諏訪子とこいしがしがみ付く事により何とか阻止する。
「気持ちは分からなくもないけど、ちょっと落ち着きなよッ!何時ものあんたらしくないッ!」
「紫姉さんお願いですから冷静にッ!」
二人が必死に紫を押し留めている向かいでは、
「やれるもんならやってみなッ!この性悪がッ!」
「ちょ、ちょっとッ!無駄に紫お姉ちゃんを挑発しないでよッ!」
逆に紫に飛び掛かろうとする萃香をこいしが押し留めていた。そもそも非力なこいしに止められるほどに力を封じられているにも関わらず強気なのは萃香本来の性質なのだろう。
そしてこの大騒ぎは結構な時間続いたという――――――――。
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「――――と、いう事があったんです」
七枷神社の居間でさとりが虚空の身体に包帯を巻きながら、溜息を吐きつつ数時間前のやり取りを説明していた。
「アッハハハハハハハッ!!」
それを聞いた虚空は大爆笑し、当の騒動の首謀者の片割れである紫は卓袱台を指で叩きながら不機嫌そうにそっぽを向いている。
時刻は既に日付が変わりかける手前で七枷の郷の住人の殆どは床に就き、夜虫達の鳴き声が安眠を誘う子守唄の旋律の様に静寂な町々に響き渡る。
しかし郷の中心に位置する七枷神社の社務所の一室には明かりが灯され、神奈子を除く神社の主要な人物達が集まり話し合いの場が作られている。
京の都で紫と合流しスキマを使って七枷の郷に戻ってきた虚空は傷の手当を受けながらこれまでの経緯の説明を受けていた。
笑い声を上げる虚空に諏訪子は呆れを含んだ顔をしながら、
「もう!笑い事じゃないよ!大変だったんだからッ!それにあいつが喋らないと手詰まりなんでしょ、どうするのさ?」
そう問いかけられた虚空はさとりとこいしに声をかける。
「そうだね……それで二人から見てその萃香って鬼は説得や拷問で口を割りそうかな?」
虚空の問いに二人は思案するような仕草をした後、
「……無理……でしょうね。あの方は本当の意味で『死んでも喋らない』でしょう」
そう言うさとりの後をこいしが続ける。
「多分あの人、私達の能力を知ってたんだね。それを差し引いたとしても凄いよ――――心に仲間の事を全く思い浮かべなかったから」
“心”というものは言葉と違い着飾る事が出来ない。どんな存在であれ心情は明快で明確な形でしか形成されない。
“心を無にする”“考えない様にする”という行動があるが実際には既に『考えない様にする』という思考を浮かべているのだから。
そして『何を考えない様にするか?』と考えそれに関する事柄を全て無意識の内に連想してしまっている。
例えば『アレを知っているか?』と問われれば自分が知る限りの『アレ』を模索するだろう。これは言葉に対する反射に近いもので理屈云々では無い。
悟り妖怪はそう言った反射で生まれる思考の洪水から自分が必要とする情報だけを掬い上げる事が出来る唯一の存在であり“真の心理学者”と言っても過言ではないだろう。
そんな悟り妖怪の二人に心を解読されなかった萃香の意思の固さは相当なものだ。さとり達が無理と断言する以上、口を割らせることは出来はしないだろう。
「……そうか~どうしようーかな~」
そう発した虚空の口調には何時もの通り深刻さは感じず表情にも焦燥感は見えなかった。しかし何時もなら無理だと感じる事を避ける虚空が未だに萃香からの情報の聞き出しを模索していた。
表情には出さないが虚空自身も焦りがあるのだろう。百鬼丸や輝夜の事も踏まえ何とか今夜中に行動に移さなければならないからだ。
さとり達に無理と宣告された所で他に取れる選択肢は無く余裕も無い。
打開策が浮かばない一同は揃って口をつぐみ、部屋には重苦しい沈黙が満ちゆっくりと時間だけが過ぎてゆく。
そして暫く部屋全体にそんな重い空気が充満していたが突如虚空が場違いなくらい明るい声を上げた。
「そうだ!イイ事思いついたッ!」
そう叫ぶや否や周りがドン引きする程の笑顔を浮かべ襖を叩くように開けると暗闇が広がる廊下へと足音を立てながら走り去る。
しかしすぐに戻ってくると部屋で呆気にとられていた天魔の手を取り、
「ごめんね天魔!ちょと来てッ!」
と強引に連れ去るように再び部屋を後にする。廊下の方からは「え?え?え?え?」と天魔の戸惑いを含んだ声が遠ざかりながら流れていた。
「…………一体何を考え付いたのかしらね?」
幽香のそんな呟きが溶ける様に部屋へと響き、ほぼ全員が同じ事を思っていた。
『絶対に碌な事じゃない』と。
それは正しい虚空に対しての認識でありある意味では信頼の表れなのかもしれない。
「それでさとり、こいしアイツは一体何を考え付いたの?読んでたんでしょ?」
幽香の問いかけにさとりとこいしは一瞬顔を合わせ微妙な表情をしながら同時に口を開いた。
「「 懐柔 」」
二人の言葉に部屋に再び沈黙が舞い降りた。
全員の思考は先ほどと同じ様に違わず『え?説得も拷問も意味無いから懐柔?さとり達の言葉を聞いてそれ?』であった。
本物の馬鹿か、もしくは裏があるのか――――『阿呆に見えて計算高く、策士的に見えて行き当たりばったり』と言うのが七枷の住人達が抱いている虚空という人物への評価である。
今回の行動もどちらかなのだろうが答えは終わってみないと何時も分からないのだ。
「まぁ虚空の事よりあたしとしてはアイツが連れてきた二人の方が気になるんだけど」
場の空気を変える為か諏訪子は紫にそう聞いてきた。
諏訪子の言う二人とは永琳と妹紅の事である。
妹紅はスキマから出されて虚空を見るや否や狂乱するように襲い掛かった為ルーミアに床に抑えつけられた。それでも暴れ続けていたが永琳が何かしらの薬剤を飲み込ませると死んだ様に眠りに就いたのである
本当に死んだのではないかと疑問視する周囲に永琳は「唯の催眠剤よ、但し数時間は何があっても絶対に起きないけどね」と楽しそうに微笑んでいた。
「虚空の妹ね……本当なのかしら?て言うかアレ人間なの?」
ルーミアの疑問は全員が抱いている事だ。そもそも虚空が人間かも怪しい上にいきなり妹などと言われても疑ってしまうのも無理はない。
加えて虚空が「詳しい事は騒動が終わってから説明する」と言って妹という事以外全く分かっていないのだ。まぁ状況が状況だけに悠長に自己紹介させる暇が無いのも事実である。
妹紅は別室で寝かされ栞が監視を兼ねてそばに付いており、永琳は隣の部屋で百合が世話をしている。
「あの二人の事はお父様の言う通り終わった後でいいでしょう……一番の問題は――――お父様が『一体何をやらかすのか』でしょう?」
紫のその言葉に部屋に居る一同が迷う事無く首を立てに振った。
□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■
萃香を閉じ込めている一室で虚空は部屋の主賓となっているその当人と対面していた。
「自己紹介は必要ないよね?」
何時も通りの軽い態度でそう問いかける虚空を萃香は胡坐を掻いたまま訝しげに見つめている。それなりの時間虚空を観察していた萃香だが今一つ彼の性格・行動理念を掴めておらず、次の行動が全く読めないのだ。
「…………で、何しにきたのさ?御仲間から聞いてるだろう『絶対に何もしゃべらない』って」
萃香は突き放す様にそんな言葉を吐くが虚空は表情を変える事も無く、
「君の親分の百鬼丸は熊襲と組んで大和と戦争を始める気だよ、それはもうすぐにでも。そうなれば君の仲間も死んじゃうよね?大和がどれほど屈強か知ってるでしょ?それは悲劇だ!自殺願望と一緒だ!でも今それを防げるのは君しかいない、そう君だけなんだ萃香!」
そう一方的に捲し立てた。
それを聞いた萃香の表情は先程と何ら変わる事はなかったが内心は非道く動揺していた。今迄感じていた不安や疑念が最悪の形で当たっていたと。
虚空の言葉を鵜呑みにした訳では無かった、それでも彼の言葉は萃香の中で散らばっていた疑惑の欠片を一つの結晶にするだけの真実味を含んでいるのだ。
「…………それが本当だとしてあたしが仲間を裏切るとでも?」
絞り出すように吐かれる萃香の言葉に虚空は、
「裏切る?違う違う♪これから君と僕は親交を結ぶんだよ!そうすれば僕達は仲間だ!仲間同士なら隠し事をしないで済むし裏切りにもならないでしょう?君の仲間は僕の仲間にもなる訳だしね♪」
本気か嘘か読み取らせないヘラヘラした笑顔を浮かべながら虚空は萃香へと右手を差し出し手を開いた、この手を取る事が契約の証だとでもいうように。
萃香は顔を伏せ暫しの間黙考した。それは自分の中であらゆる事柄を天秤に掛け何が最善の答えなのか?自身の理念を曲げるのか?と、どちらを守るかを決める短くとも重要な審議の時。
そして彼女が出した答えは――――
「…………断る」
それが正しいのか正しくないのか、今は分からない。それでも萃香は自分の意思を貫く事を選んだ。彼女の中ではすでに此処からどうやって逃げ出すかの思考が始まっている。
虚空の言葉が事実であれば自分が百鬼丸を討つ、それは一族の恥は一族が雪ぐという鬼の矜持だ。
安易な道より鬼として矜持を捨てない道を選んだ萃香の言葉に虚空は、
「そっかそっか~それは残念、どうしようかな~」
全く動揺も落胆もしていなかった。
まるで最初からこうなる事を見越していたかの様に。
虚空の態度が意外だったのであろう、萃香が不信感を隠そうともしない視線で見つめていると虚空はその視線を全く気にしていないのか胡散臭げに微笑むとある提案を投げかける。
それは萃香が全く予想もしなかった提案だった。
「じゃぁ萃香、ここは一つ僕と腕試しをしようよ!」
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