ロード・オブ・白御前
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もう一つの運命編
第12話 一つ目の果実
初瀬が岩にもたれてずるずると崩れ落ちた。
「亮二さんっ」
巴は碧沙を玉座の壇に寝かせ、ブレザーの上着を上からかけてから、初瀬のもとへ向かおうとした。
その巴を阻むように、足下に黄金の輝きが転がった。
(これは……碧沙に埋め込まれていた黄金の果実?)
とりあえず拾い、巴は今度こそ初瀬へと駆け寄った。
「大丈夫ですか、亮二さん! ひどい傷……」
服の布地のあらゆる場所が裂け、血を滲ませている。打撲痕や擦り傷もあちこちにある。
どの傷よりひどいのが、肩から脇腹にかけて袈裟斬りにされたらしき大きな裂傷だ。シャツへの血のにじみ具合から、ここに来るまでに初瀬は相当に出血している。
「どうってこと、ねえよ……つっ」
「全然よくないじゃないですか! 何か手当てに使えそうな物……あ」
巴はたったさっき拾った黄金の果実に目を落とした。
(命を創り出すと王妃は言った。そんな使い方ができるなら、わたしが碧沙みたいにこれを体内に取り込んで、怪我人一人治すくらい訳ないんじゃ)
考えながら見ていると、ふいに巴の視線は黄金の果実に吸い込まれた。
“王妃様。あなたの心臓である黄金の果実は、争い、ただ一人勝ち残った者に与えられると聞きました。ではもしわたしが、他の戦士を全て降してみせれば、その心臓を頂けますか?”
“――、差し上げましょう。元よりこれは、このように使うためのものではありませぬゆえ”
(こ、れは。何? 王妃が視ていた、この先の未来? 黄金の果実が見せているの?)
“ならば俺も負けられない。あの子の兄の一人として”
“なんとなく、あなたとはこうなる気がしてたわ。関口巴さん”
“碧沙は絶対望まない。君のやり方もミッチのやり方も”
“お前は、おかしくなってた俺を、助けてくれた。だから今度は、俺がお前を助ける、番……”
――貴虎を降し、耀子に勝ち、裕也を倒し。果ては初瀬にまで手をかけようとした。そんな過った巴を、初瀬は命を懸けて止めた。
王妃との約定は果たされ、王妃の黄金の果実は関口巴のものとなった。
果実を得た巴が“始まりの女”となったことで、歴史は整合性を失い、この時間軸そのものが崩れ落ちた。
現状は、たった今視た運命とそう変わらない。
人類のものになるべき黄金の果実は、すでに高司舞に埋め込まれた後だと、これも手の中の果実によって分かった。
一つ目の果実を巴が持ち続けては、今在る世界が崩れて無くなる。
知恵の実による知見を得た巴は、呆然と手の中の果実を見下ろすしかなかった。
(“始まりの女”は、本当は舞さんがなるべきもの。二つ目の果実が舞さんに渡った以上、これはこの世に在ってはいけないモノ)
巴は、傷ついた初瀬と、黄金に輝く果実を何度も見比べ――果実を口にしようとした。
だが、その巴を止めたのは、誰より傷ついているはずの初瀬自身だった。
初瀬は巴の、果実を持ったほうの手首を掴み、首を振った。
(どうしてこの人はいつもこんなに正しく在れるんだろう。いつだってこの人の正しさが、過ちかけたわたしを救ってくれる)
巴は、覚悟を決めた。
初瀬の手を振り解き、黄金の果実に歯を立てた。
甘酸っぱい。味だけならリンゴそのものだ。
微かな蜜が口の中に溜まったのを確かめた巴は、黄金の果実を捨て、両手で初瀬の顔を固定し、キスをした。
口移しで黄金の果実の蜜を初瀬に飲ませる。そのための、何ら色めいたものもない、悲しいキス。
(過ちでいい。この人を助けられるなら、わたしがいくらでも間違おう)
やがて唇が離れる。
呆然としている初瀬と目が合った。
「傷、まだ、痛みますか」
初瀬は、はっとしたように全身あちこちに手を当てた。
「痛みが消えた……トモ、」
巴は人差し指で初瀬の口を塞ぎ、いびつに微笑んだ。
「ばかやろう…っ」
初瀬が巴を乱暴に抱き寄せた。
両腕にきつく締められて苦しい。汗臭いし、血なまぐさい。
それでも、それも、生きていてこそだ。
巴は初瀬の背中に両腕を回し、強く強くしがみついた。
どれくらい抱き合っていただろうか。
ふと、初瀬の顔の角度が変わったのを、触れ合っていたから感じた。
巴は一度身を離し、初瀬の視線を追った。
その先で、地面に転がしたままの黄金の果実が、しおしおと萎んでいっていた。
まるで黄金の果実そのものの意思で、ここに在ることを拒むように。
巴は悟った。王妃が過剰なまでに黄金の果実の異能を使ったのは、こうなるためだったのだと。
(これで知恵の実は舞さんが持つ一つきりになった。歴史の整合性は崩れない)
思わぬ所で救われた巴は、何に対してか分からないままに「ありがとう」を言い、一筋、涙を流した。
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