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ダンジョンに出会いを求めるのは間違っていた。

作者:デュースL
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第十一話

『ガアアアアアアアア!!』
「あっぶないってば!!」

 大気を巻き込んで暴風を吹き荒らす棍棒が、すんでのところで屈んだ私の頭上すれすれをすれ違い、激しく私の髪を掻き回した。そのまま盛大に振り抜かれた鉄槌はメインストリートの軒に並ぶ数店を容易く吹き飛ばし、見るも無残な廃墟にリフォームしてしまった。

 大なり小なり女として身だしなみは気にしているけど、今はそんな暢気なこと言ってる場合じゃない。不細工な髪形になっていようが私はこの理不尽から生き延びるために死ぬ気で逃げるしかないのだ。

 何で死ぬことから逃げるために死ぬ気にならないといけないんだろ。

 「くだらねぇんだよぉ!」と罵るように、私の思考と同期させて折り返し振りぬかれた棍棒を再び紙一重で回避する。
 今私が近所迷惑甚だしい逃走劇を繰り広げている場所は東のメインストリート。来るまでは煩雑な人ごみで溢れかえっていた大通りも、今では私とトロールの二人きりの花道と化している。

 ふざけるな! 誰がこんな奴と一緒に走りたいもんか! 私は怪物祭(モンスターフィリア)ってやつを見たいんだよ!

 キッと背後から追ってくるこんな奴(トロール)に一瞥くれてやると、こんな奴は醜い緑色の皮膚で覆われた顔をニタァと不細工に歪ませた。
 このトロール、驚くことに意外と足が速くて厄介だ。従来のトロール同様、でっぷりと太ったお腹に獣の皮で作られた腰巻をつけ、短い手足に巨大な棍棒を携えているから敏捷は低いはずなんだけど、心なしかこのトロールは私が知ってるトロールより速い気がする。
 その主な原因は私の基本アビリティ、つまるところステイタスが貧弱なせいだ。私の記憶と合致しないのは、一番記憶に新しいトロールと対峙したときの私のレベルは10だったためだ。そりゃ相手が速く感じるに決まってるわ。

 すたこらさっさと逃げる私の後ろに、大の大人三人分の巨体と棍棒を持つトロールがその破滅的な体重で石畳をバリバリ割って蹴散らしながら追ってくる。頭上で行きかっている【ガネーシャ・ファミリア】のエンブレムが刺繍されている旗たちは、トロールの頭に紐が引っかかってめちゃくちゃにされてしまっており、あたかもこの騒動が終わったあとの彼らの行く末を暗示させているようだった。

 というか、何でこいつは私しか狙わないんだ!? 手当たり次第に人を襲うモンスターらしからぬ一人狙いである。はっきりと私を狙い付け、いつまでも諦めずに追ってくる。まるで誰かに命ぜられているかのようである。
 調教(テイム)されている? いや、もともとこいつはその直前で脱走しているはずだ、それはありえない。そもそも調教されていたとしても、それイコール私を付け狙う道理にはならない。私たちが一匹一匹のモンスターの顔を見分けることが出来ないのと同じで、モンスターも私たちの顔を見分けることが出来ないはずだ。ゆえに特定の人を狙わせることはかなり厳しい。余程の特徴が無い限り不可能に近い。
 まあ事態が起った原因は後ほどじっくり言及するとして、今はとにかく乗り切る算段を付けなければ言及することすらできない。

 私は闇雲に東メインストリートを走っているわけではない。メインストリートと呼ばれるくらいなのだから、当然様々な雑貨品を扱う店も軒に並ぶわけで、今はお祭りの雰囲気に当てられて食品系の店が多いものの、この都市の真骨頂たる冒険者をターゲットとした店も負けず並んでいる。

 その店のどこかに、武具店が絶対にあるはずだ。それを血眼になって探している。武器さえあればこの状況も何とかすることができる。それが正であれ負であれ、このまま逃げ続けていればレイナの未熟な体に疲労が蓄積し、抵抗すらできず石畳の染みにされてしまう。

 並ぶ店たちの更に向こう側、もう一つのメインストリートからも悲鳴と土ぼこり、モンスターの怒号が迸っている。おそらくベル君だ。彼もまた私と同様、謎の執拗さを持ったスルバーバックに追い回されているのだろうか。少なくとも私より敏捷は高いはずだけど、到達階層が七階層の彼からしてみれば十一階層に出現するシルバーバックなんてミノタウロウスと似たようなものだ。ろくな抵抗手段すら思いつかず、とにかく逃げ惑っているに違いない。

 せめて私が代わってやれたら……と何度目か解らない思考を打ち切り、振り上げた視線に映りこんだのは炎を思わせるような真っ赤な塗装がされた大きな店。その軒先に下がっている看板には《Ἥφαιστος》という奇怪なロゴタイプが施されており、それは世界で最も名高い鍛冶師たちが集うファミリアの主神の名前でもあった。

「感謝します、ヘファイストス様……!!」

 右目を眼帯で覆った男装した麗人を脳裏に思い浮かべあらん限りの礼意と謝意を述べて店の中に飛び込む。当然中には客どころか店員すらおらず、店に並ぶ鍛冶師たちの傑作たちが無言で佇んでいた。
 数多の業物たちが並ぶ陳列棚にすばやく目線を走らせ、欲しい得物を瞬間的に吟味し、迷わず掴み取った。

 私の身の丈ほどある長い柄の先に純白色の白刃が輝く。柄尻には目立たない程度に皮がなめされており、赤いラインが柄を螺旋状にとぐろ巻く。
 極東と呼ばれる国発祥の全武器種最長のリーチを誇る薙刀である。槍と似た構造をする薙刀だが、その実全く違う性質を持つこの武器は前世で最も慣れ親しんだ武器の一つだ。白刃にも《Ἥφαιστος》のロゴが刻まれており、この薙刀が世界に稀にみる超が付く業物であることを証明していた。
 柄尻に付けられていた0の数が気持ち悪い程並ぶ値札を強引に千切り取り、トロールがヘファイストス様の支店に突っ込む前にメインストリートに飛び出して対峙する。

 今まさにショーウィンドウから突撃しようとしていたところを真横から転がり出てきた私を見て、トロールは屈めていた体を起こし己の得物に舌を這わせる。あたかも自分の武器の方が優れていると言わんばかりだ。

 残念ながらその丸太のような棍棒よりこの薙刀の方が優れてるんだよなぁ……。

 初めて握り込まれたらしい柄は初々しい強張りを見せるが、心配は要らない。なるべく傷ませずに返せるように頑張る。私から見たらこの薙刀を手に取るのは問題ないように見えるけど、傍から見ると騒動に乗じて窃盗を働いてるようにも見えるからね。ヘファイストス様のロゴが入った武器の弁償とかどんだけ掛かるかちょっと想像したくない。

 さて、勝っても負けても地獄を見そうな展開に自ら突っ込んでいくスタイルを見せ付けつつ、巨体のトロールと武器を突きつけあって対峙する。改めて見ると大きいな、トロール君。前世の私に勇気を与えてくれていたステイタスが無いせいか、敵の威圧感が鮮明に感じる。

 しかし侮るなかれ。私とてステイタス頼りにハチャメチャしていたわけではない。むしろその逆、ステイタスなんて宛にしない方が良い、無いより有ったことに越したことは無いという心構えだ。私はLv.10になって中盤までずっと格上のモンスターとしか戦ってないからなぁ、それもソロで。皆がパーティ組んで戦ってる隣でボコボコにされながら足掻いてる私ってェ……。

『うごご……』

 あ、何かトロール君が気遣うようにこちらを見つめている……。ゴメンね? 襲い掛かる機会を奪っちゃうような話をして。その理論に則るとこのトロールは私の脳内をのぞき見ることが出来るという反則をしているわけだけど、まあいい。

「さぁ来い!!」
『ウガアアアアアアアア!!!』

 緩みかけた緊張の糸が再びはち切れそうになるまで張られた。今日一番の雄叫びを上げたトロールは愚直にその必殺の槌を振り下ろす。ただし、レベルが一つ違うだけでも甚大な差が出てくる。根本的な基礎能力に差が出てしまうだけで否応なく私が不利になる。

 その差を埋めるために、一体何が必要か。答えは、知恵と経験だ。

 力任せに振るうせいか些か精度に欠けるトロールの棒術は、ギリギリまで引き付けて衝突する直前で一気に体を沈めてやり過ごすのがベストだ。いくら愚鈍のトロールと言えど、振るう直前から回避行動を見せられれば大雑把な軌道修正くらいしてくる。その大雑把な軌道修正には人間のような合理性や精密さが欠けているせいで、逆に安定した回避が難しくなる。
 だからミスったときを想像するとぞっとするものがあるけど、引き付けて回避さえ出来ればこっちのものだ。

 ぶぅん!! と豪快に振りぬかれた鉄槌を追うように暴風が吹き荒れる。その風圧にステイタスと体格が乏しい私は紙のように飛ばされそうになるが、受ける風圧の面積をより小さくするために更に深く沈みこむ。
 半ばスライディングのように必殺の一撃を避けた私は、勢いのまま振りぬいた姿勢のがら空きになった腹に目掛けて薙刀を力の限り振るう。

『ガッ!?』

 謙遜などではないが、私は決して薙刀の達人ではない。だからどうすればスマートな【撥水】が出来るかなんて解らない。
 突きに特化した槍と違い、薙ぎに特化した薙刀。己の体重だけでなく、その長い柄を最大限利用した遠心力が上乗せされて放たれる一閃は下手な大剣をも凌ぐ。逆に返せば、より重い一撃を繰り出そうとすればそれだけ大振りに振らなければならなくなり、細かい芸当を挟む余地は無くなる。かといって小振りだと最大の武器である遠心力は味方してくれず威力は短刀にも劣ってしまうことだろう。
 ただの凡才である私が、私の数十倍高いステイタスを誇るトロールを倒すためには、自分の許容範囲内で工夫をしなくてはならない。それも、格上を倒せるような工夫を。何度も何度も敢行しては叩きのめされた私が辿り着いた答えは切り取ることだ。

 自身ごとコンパクトに回転することで振り幅を最大限に伸ばし、一閃の威力を引き伸ばす。更に【剛術】【対大型モンスター】の効果によって通常の八倍の一撃まで昇華させられた薙ぎ払いは、果たして薙刀自体が業物だったことも助長しトロールのゴムのような頑丈でしなやかな腹の脂肪を切り裂いた。 
 斬傷からは夥しい血が溢れるどころか、一滴すら零れてこない。あまりにも綺麗な断面だったせいで出血するのが遅れるのだ。
 そのせいでトロールは正しい痛覚を覚えることが出来ず、ただ腹に猛烈な熱さを感じるだけに留まり、その熱さを誤魔化すように更なる怒号を上げて棍棒を振り戻す。

 トロールの反撃を読んでいた私は、今度は振る予備動作を確認した瞬間に迷わずトロールに向かって突進。豪腕によって再び襲い来る凶悪な物理量だが、巨大なトロールの体格と私の小柄な体格を利用してトロールの股下をスライディングで潜り抜ける。
 忽然と私が姿を消したように見えるトロールは宛もなく振った腕を引き戻し、視線を彷徨わせる。

 隙だらけの背中に再び渾身の一閃を走らせる。しゅばっという凡そ肉を斬ったとは思えないほど鋭い音と共に、トロールの背中の肉がだらりと垂れる。
 真後ろから突如襲い掛かった衝撃に巨体のトロールは前につんのめり、その隙にトロールの背中の傷に足を引っ掛けて巨体によじ登る。
 深い傷に無遠慮な接触をされたトロールは痛ましい絶叫を迸らせ、石畳全てをひっぺ返す勢いで振り向きざまに凄まじい一撃を放つが、その対象である私はトロールの肩に乗っている。当然不安定すぎる足場だから遠慮なく薙刀を突き立てて柄にしがみついてるけど。

 三度のフルスイングを終え深手を二つ負うトロールは全身を硬直させる。それを逃さず薙刀を肩から引き抜いて、反転しながらトロールの前に躍り出るように飛び降りる。そして小柄な体を弓なりに反って溜めた垂直斬りに落下運動が上乗され、その白刃は何の抵抗もなく緑の体表を走った。

『アガガガガガガガガ!!!!???』
 
 肩の関節ごと断ち切ったのか、左肩がありえない角度に沈んでしまっており、今度こそ血潮が斬った箇所から夥しく噴出した。
 貫いた激痛に堪らず棍棒を地面に落とし左肩を抑えたトロールに、無慈悲な追撃を叩き込む。今度は右肩から右脇に掛けての垂直斬り下ろしだ。

 これでトロールの討伐は完了だ。巨体には正方形の痛々しい裂傷が深々と刻み込まれており、あとはその正方形を切り取ってしまえばトロールの体から魔石が乖離したことになり、あえなくトロールは灰に還る。

 私にはこれが精一杯だ。薙ぎと垂直斬り下ろしと袈裟斬りしかろくな攻撃手段を持たない薙刀はどうしても滑らかな円形を描くことが難しい。突きは許容範囲だけど槍と比べれば一歩劣ってしまう。
 更に格上のモンスターを倒すためには敵の最大の弱点である魔石を切り離すしかなく、上記の理由で【撥水】すらままならないため困難を極める。
 ならばどうするかと考えれば、おのずと魔石を肉ごと切り離すという考えに落ち着く、というわけだ。尤も前世では【撥水】自体出来なかったから順序的には、魔石を切り離す→もっとスマートな倒し方は無いか?→【撥水】である。

 あーあ、せっかくお父さんが誕生日祝いに送ってくれた服が埃と皺まみれだよ……。幸い返り血は浴びてないからクリーニング屋さんに出せば仕立て直して貰えるかな。

 戦闘の直後とは思えないほど暢気な考えが頭にちらつきながら、全身に走る激痛に悶えるトロールにせめてもの引導を渡そうと薙刀の柄を引き絞った時だ。

 ズパァァァァン!! と、トロールの体が爆発四散した。

 それはさながら砲撃のようだった。体を屈めていたトロールの背中、それも魔石があるであろう脊椎から銀の細剣が貫通したのだ。その速度があまりにも速すぎたせいで斬るという概念が置き去りにされトロールの肉体が圧倒的物理量に圧壊されたのだ。

 メインストリート中央で炸裂したトロールの血肉の花火を引き起こしたのは、金髪金目の見目麗しい少女だった。そこらじゅうにぼとぼとと空に打ち上げられた血肉が降り注ぐ中、不思議とその中央に立っている彼女にだけは何も当たらない。
 女神にも見えるその佇まいも相まって、滑稽な祝福をされているようにも見えた。

「これで最後……かな」

 小さく呟かれたその言葉に呆然と笑みを引き攣らせる自分がいた。

 アイズ・ヴァレンシュタイン。最強と名高い女剣士。魔力を感じさせる風を空気に散らしたアイズは、薙刀を構えた格好で固まっている私を見ると、少し慌てたように剣を腰に戻して両手を小さく挙げた。

「私は、敵じゃない」
「あ、ごめん、びっくりして固まってた」

 焼付け刃の口調はあっさりと剥がれ落ちて素で返してしまった私は、そのミスに自覚することなく刃を一振りして血を払い落として構えを解く。
 アイズは挙げた両手を下ろすと、ふっと小さな笑みを咲かせた。

「口調」
「……あっ、ごめんなさい」
「ううん、私はさっきの方が良い」
「……大丈夫かな」
「ベートさんがいないときだけは」

 無理やりですます調に変えていたのはとっくにばれていたらしい。まあ、初めて会ったときにベートに向かって傲岸不遜な態度を取ってたからバレバレか。誰にでも一貫してですます調にする予定だったけど、アイズだけのときは例外的に元の口調に戻すことになっちゃった。果たしてそんな器用なことを続けられるのか、とも思ったけど、そもそも彼女とはファミリアも違うしレベルも違う。会う機会もそんなに無いだろう。

「レイナさん」
「あー、じゃアイズもさんは無し」
「──うん、そうする。レイナ、さっきの戦い見てた。凄いね」

 私の勝手な見解だけど、アイズってそこまで感情の起伏とか口数は多くないと思ってる。アイズの静謐さが表に滲み出ているせいか、快活さや気安さというものが感じられないのが原因かも。
 そういう意味でも【剣姫】と呼ばれているのであろうアイズだが、今は心無しか頬が赤みを帯びており、両手は軽く握られている。さっきの私の拙い戦い方に彼女の琴線に触れるものがあったのだろうか。

「まだまだだよ」
「神の恩恵ファルスも無いのに、Lv.2のトロールをあしらってた」

 ……そういえばそんな設定だったんだっけ、【ロキ・ファミリア】の中での私。誰も見てないのを良いことにあんなアグレッシヴな三次元的戦闘をやってたけど、あれってぶっちゃけ少しのステイタスがあるかないかで成否が別れるからね。Lv.1の序盤でも武器を十分振れる程度の力って普通に考えれば大の大人と同じような腕力か、それ以上だ。間違っても十三歳の少女が何の手助けも無しにトロールの巨体をよじ登れるはずがないし、飛び降りて無傷でいられるはずがない。

 その点不自然だったはずだけど、アイズは天然なのか気付いていない。あ、いや、違うな、ステイタスに慣れ親しんでるせいで生身の感覚を忘れちゃってるのか。それなら納得だ。

「偶々思った通りにいっただけ」
「でも、やっぱり凄い」

 あー、アイズが若干前のめりになって褒め称えてくる理由が何となく解ってきた。
 つまり、ステイタスに全く頼らない戦闘というものが彼女にとって目新しいものだったのかもしれない。実はそんなことはなくて【剛術】とか【対大型モンスター】といった発展アビリティに思い切り助けてもらってる身としては心苦しい限りだけど、少し見栄を張らせてもらえばこの戦闘技術は正真正銘何の手助けも無かった頃に血反吐を吐きながら編み出したものだ。それを素直に褒められれば、やはり素直に嬉しい。

 と言っても己の技術だけで戦うのが美徳かと言われればそうでもなく、むしろただの馬鹿である。なぜなら神々が齎す恩恵によって急激に力を付けた人類がその恩恵を使わないというのは合理的でない。自分が培ったステイタスを使って、習得した魔法やアビリティを駆使して戦闘したほうが圧倒的に建設的だし合理的だ。現に私もレベルが高くなるにつれてそういった戦闘スタイルになった傾向がある。

 それでも己だけの技術を磨いたのは、私は格上のモンスターと戦い続けざるを得なかったからだ。どれだけ膨大なステイタスがあろうと、自分のステイタスを上回る敵と遭遇すれば適わない。ステイタス頼りで戦っても相手のほうが勝っているのだから負ける道理だ。
 そこを何とかして覆さないといけないというときに必要なのが、私の場合は自分だけの技術だったということだ。

 アイズのような才能もあり努力も出来る人であれば、そのうちさっくりと深層の階層主も一人で倒せると思う。天才というのは誰も思いつかないことを平気で思いつくから天才と呼ばれる。凡才の私には全く解らない領域だけど、初見の物事に対しても最善手を閃くことすらできるだろう。それこそ私の体術だってあっさり習得できてしまうはずだ。

 盛大に話がずれたところで、関心を寄せていたアイズがふと私の握る薙刀に視線を向けた。

「……ところで、その薙刀、レイナの?」
「あはは、まさか。ちょっと借りただけ」

 【不朽】の影響もあってこの業物は刃毀れ一つせず、ほんの僅かな血が付着しているだけで、そのほかの損傷は見受けられない。強いて言うなら柄にちょっぴりだけ私の手形の癖がついちゃったと思うけど、そんなものは他の人が何回も使っているうちに消える。実質損傷0だ。
 我ながら中々の出来じゃないかと内心でうんうん頷いていると、アイズがとんでもないことを言った。

「ヘファイストスのロゴが入ってる武器って、買わないと触れる事も禁止じゃなかった……?」
「…………何だって?」
「確か、店先の看板に書いてあったはず」

 何か途轍もなくマズイ予感に苛まれている私を放っておいてアイズはちょこちょこと道端に倒れている緋色の看板を立ち直させて私にこまねきした。

「えっと……ここ」

 細い指が書かれている文章をなぞり、とある一節の下で指先が止まった。

『作品の品質管理のため、購入以外の目的で作品への接触は禁じる』

「……」
「……」

 あ、あははは、おもしろい冗談を言うなこの看板は! 触っただけで品質は落ちないよ〜嫌だな〜。それに試しに振ってみたりとかするでしょ〜? え、それもダメなの? おいおい手厳しいなぁ、ヘファイストス様のところの武具を買うときは注意が必要だな!

 ……触れるどころかモンスターに斬り付けた場合は例外になるかな? ほら、一周回ってオーケー的な。無いな。

 表情の変化が乏しいアイズも、こればかりは凄く気遣わしい目線を送っていた。一級冒険者たる彼女は当然知っている。ヘファイストス様のロゴが入っているということは、ヘファイストス様直々にその武具の性能を認めた証、つまり高級ブランドと名高い【ヘファイストス・ファミリア】が送り出す作品の中でも更に一級品であるということを。そして、そのお値段は一番安いものでも0が6つ付くということを。

 一級冒険者でも中々手が出せない、いわば冒険者たちの垂涎の的である武具は、間違っても駆け出し冒険者が買えるような代物でも値段でもない。
 なお、こういった購入時のトラブルにおいて、客観的に見て非がある側に罪は科せられ、一生掛かってでも賠償しなくてはならない。

 つまり、今私の手に握られている薙刀は、現在私が抱え込んだ莫大な負債である。

「……アイズ?」
「何?」
「ちょっと相談があるんだけど、良いかな?」
「お金の相談以外なら乗れる」

 酷い!? あんまりじゃないか!! 不可抗力というやつだよこれは!? そ、そうだ、客観的に見て非がある側は、どう考えてもモンスターの管理を怠った【ガネーシャ・ファミリア】じゃないか!! ええい、こうなったら体裁なんて構ってられるものか!! 全力でギルドに泣きついて責任を擦り付けるぞ!! 今のお財布事情でこんな爆弾抱え込んだらオラリオ追放どころかお父さんお母さんにまで迷惑が掛かるのは目に見えてる!!

 あわわわわと今から必死に頭を総動員させて言い訳を考える私に、アイズは少しおかしそうに小さく吹き出した。

「暇があれば返済の手助け、してあげれる」
「ほ、本当!? それは助かるよ! いや本当に!」

 ─なお、アイズの頭の上には4000万の罰金という飛来物が音もなく自由落下している最中なのだが、それは翌日の話─

 いやあ、持つべきは友だね! 前世の私も見習って欲しいものだよ! ただし借金返済の手助けを乞う友達は持ってはいけないと思います。

「でも良いの? アイズ、結構忙しいんじゃない?」
 
 一級冒険者というのはそれだけでも忙しいものだ。冒険者依頼(クエスト)など優先的に収集を受ける他、【ロキ・ファミリア】ぐらいの規模になると団員の生活を維持するための資金やギルドからの徴税がくっそ重い、そのための資金集めとかも忙しいと聞く。前世のときは【セレーネ・ファミリア】は私しかいなかったことが幸いしてかランクはA止まりで団員に回す資金が浮く分何の苦労もしなかったけどね。
 そう聞くとアイズは微笑みを湛えて言った。

「暇が出来るように頑張る」
「さすがにそこまでしてまで手伝ってもらうのは悪いよ……」

 言うて彼女の好意の気持ちだけ受け取るなんて余裕をぶっこいていられる状況じゃないけど、やっぱり人として……ねぇ? それにアイズとの付き合いは一日にも満たないんだし、そこまでされるのは色々と辛い。
 私が言いあぐねていると、笑みを少し深めて返した。

「気にしないで。レイナに興味があるだけだから」
「う、ん? 答えになってるのか解らないけど、まあ本当に暇になったときはお願いします」

 意味深な返答をしたアイズに首を傾げる私だったが、一応万が一のときの対策を立てられて心底安堵する。
 大通りを荒らしていたトロールが消えたことを悟ったのか、ちらほらと野次馬根性を持った住民たちが戻ってき始めた。

 人に集れるのを避けたいのかアイズは戻ってきた住民を見たらすくっと立ち上がって、よかったらファミリアのホームに遊びに来てと言い置いて足早に去っていった。
 一連の騒動を引き起こした元凶に絶対借金を擦り付けてやると覚悟を決めた私も人目のつかない路地裏を通って後にした。
 もちろん薙刀は店の中に戻しました。
 
 

 
後書き
しつこいようですが、百合じゃないです。 
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