ダンジョンに出会いを求めるのは間違っていた。
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第九話
早速ダンジョンに到着! 意気揚々とちょっとだけ性能が上がった槍─レンタルの武器でお金が少し掛かる─を意気揚々と肩に担いで歩いている私です。
一応これでギルドに支給される武器を使うのは三回目なんだけど、武器を返すときに受付のおじさんが眉を顰めるんだよね。んでさっきなんか「また来たかコイツ」みたいな顔をされました。
一体何のことだと思ったけど、借りた武器が全く損傷していなかったら、そりゃ訝しみますよね。私の発展アビリティ【不朽】のお陰でどんなに武器を酷使しようと絶対に刃毀れしないという、長時間ダンジョンに潜るときには超便利なアビリティがあるから損傷しないのは当然。
ちなみにこの【不朽】というアビリティ、詳しく言うと《不壊属性》を属性付与エンチャントする訳じゃなくて、『絶対に刃毀れしない』という概念を纏わせるもの。不壊属性の場合は確かに絶対壊れないけど刃毀れはしっかりするし副次的に威力の低下もしてメンテナンスを受ける必要があるけど、【不朽】の場合は刃毀れ自体しないから永遠と切れ味も落ちないし威力も落ちない、更にランクが上がれば不壊属性と同じように絶対壊れなくなる。今はまだランクはIだから乱暴に使うと柄とかが壊れるから注意だ。
さて、そんな訳で鏃にだけ負担を掛ければ全く問題ないという暴論を叩きつけつつ、遭遇したモンスターの魔石を片っ端から引っこ抜いていく。うん、調子は問題ないね。まあ【ロキ・ファミリア】の宴を挟んだだけで、それの直前まで引っこ抜いてたから当たり前っちゃ当たり前だ。
ぽきゅんと爽快な音を鳴らしながらおぞましい造形をするモンスターの背中から石が飛び出す光景はシュール極まりないけど、気にせずに全滅させていく。
引っこ抜いた魔石を拾っては背に背負っている特大サイズのバックに放り込んで、再び遭遇すれば引っこ抜くという、もはや一種の作業みたいになってしまっている。
うーん、【撥水】をし続ければ基本アビリティの力と器用が伸びやすいから助かるんだけど、出会った瞬間に有無を言わさず引っこ抜いてるせいで耐久が全く上がらないんだよね……。耐久のあげ方はモンスターから攻撃を受けることなんだけど、ミノタウロスの突進を【水連】で受け流したから多少は上がるかと期待してたが、ものの見事に裏切られた。単純に試行回数が足りてなかったのか、はたまた実質ダメージ無しと判断されて経験値を貰えなかったのかよく解っていない。
今更だけど【撥水】をするときは周りを確認してからしてます。リリに見られてるからあんまり意味ない気もするけど、念のため秘匿ということで。あと初級装備の駆け出し冒険者が魔石を次々と弾き出しているという怪奇現象は、他の冒険者たちの心臓に悪い絵面だからね。
調子も確かめつつより効率性を模索しながら階層を順調に降りていく。モンスターとの交戦時間は少ないけど、さすがダンジョンと言うべきか一階層からしてめちゃくちゃ広い。まあ前世で何百万回往来した場所だから目を瞑ってでも次の階層に行けるけど、それも五階層あたりになってくると怪しくなってくる。見れば「あぁここか」って思い出せるんだけど、なにぶん何十年も前の話だから細かいところまで覚えてない。
中でも驚いたのが六階層。何かそこらじゅうの床と天井に血が飛び散ってた。モンスターの血らしき気味の悪い色の染みはつい最近付着したものらしく、今まさにダンジョンに再吸収されようとしていた。ダンジョンがモンスターを生成するなら、モンスターの屍骸を吸収するのも道理。
こんな時間帯でこれほど派手な戦闘をするなんて変わってるなぁと自分のことを棚にあげつつ六階層を後にした。
◆
ようやく十二階層を踏破。と言ってもLv.1、それも本当に初期値の基本アビリティの人が十三階層までソロで行けること自体おかしいんだけどね、さすがに約六十年の経験があれば誰でも行けるよ。
で、早速壁からペキペキ言いながら現れた《リザードマン》三匹が各々違う武器を手に私を追い囲む。もう少し深くまで潜るとコイツらの上位互換《リザードマン・エリート》なんてモンスターが出てくるんだけど、下位互換であるリザードマンはエリートではないらしく、全体的に折れちゃいそうなくらい細いし胸当ても着けていない。ただ共通しているのは予め武器を所有していることぐらいで、それでもエリートと比べれば劣った性能である。エリートか否かで差別化が酷い……きっと彼らの中にも私たち冒険者のような実力社会が築かれているのだろう。
益体もない思考を巡らせながら、いいや油断してはならないと自戒する。前世では薄れていた感覚だが、エリートが付いていない彼らでもLv.2にカテゴライズされるほどのステイタスを持っている。Lv.2の中では最弱とは言え、Lv.1の最弱クラスの私にとって彼らの一撃は致命傷になりかねない。
それにレベルが一つ違うだけでもモンスターの体の強度は格段に変わってくる。こんな細い体をしているリザードマンは十二階層に蔓延る筋肉質のオークより硬いのだから、レベルの影響は甚大である。
つまり、さっきまでの感覚で【撥水】してりゃ勝てる、みたいに思ってはいけないのである。
それにレベルが違うと知能も違ってくる。上層と呼ばれる範囲で出現するモンスターたちは滅多にやってこない連携を、このリザードマンたちは平気でやってくる。現に物量作戦を決行してくるわけでもなく、きちんと私を三方向から囲んで隙を窺うように己の得物をちらつかせている。
久々に蘇ってくる緊張感に急かされて自ら突撃するなんて愚行は犯さない。私が両手に握る槍というのは間合いが命の武器だ。間合いに入った者を遠心力で上乗せした一撃で薙ぎ払い、敵の剣を寄せ付けない。これが槍の真髄だ。尤も私は立派な槍術なんて体得してないから下手なりは下手なりの槍捌きしか心得ていない。そのせいで何万回間合いに踏み込まれて呆気なくぶっ飛ばされたことやら……。
緊張感とともに蘇ってくる苦々しい思い出を払拭し、三方向それぞれに鏃を突きつけ牽制する。
遭遇してから五秒後、緊張に耐え切れなくなったリザードマンが飛び出した。片手に握るのは片手直剣。粗雑な印象を受けるそれは剣と言うより金属塊をそれらしい形にしただけ、という感じだ。立派な鈍器になるから軽視できないけど。
蜥蜴らしいほっそい両足をペタペタ忙しなく動かし、その細腕から到底想像できない速度で剣が振られる。
私は余裕を持ってそれを穂先で受け止め、くるりと手首を捻転させて剣先を表から弾き、がら空きになった薄い鱗が貼られている胸板に目掛けて踏み込みと共にスラスト。
ガィン、と思ったとおりの手ごたえが返ってきて穂先が僅かな斬り込みを付けただけに終わり、脇へと逸れる。
突かれたリザードマンは私の【剛術】と【対大型モンスター】によって実際の八倍のインパクトをその胸に叩きつけられ数歩後ろに後退、それを契機に残りの二対がそれぞれ飛び掛ってきた。
左から飛び掛ってくるのは盾を持ったククリ刀、真後ろからはまっすぐ穂先を突き出して突撃するランサー。ひとまずククリ刀なんて変則的な攻撃軌道を持つ左のリザードマンは無視して、私の背を取って「隙あり!」と言わんばかりに両足を動かすランサーを相手取るか。
コンマ数秒で行動を判断した私はやや右後ろに体が入れ替わるように反転、右脇すぐの虚空を穿った穂先の付け根を迷わず左手で鷲掴む。
『!?』
同じ槍を持っていながらまさかの素手によるアクションを起こすとは思っていなかったランサーリザードマンは、黄色い目玉をめいっぱいに広げて槍を握る手に力を込める。
残念。力を込めれば込めるほど私は楽になるんだよね。
リザードマンが両手を引くという回避行動を取る前に左手は掴んだまま、今度は左足で槍の長柄中心を蹴りつける。再び【剛術】が発動したため衝撃が二倍に膨れ上がり、私が握る支点を中心にぐるんと振り回される。振り回される戦闘にいるリザードマンは両腕に力を回しているせいでろくに踏ん張れず、あっさり体を浮かしながらも槍だけはしっかり握っている。
そのまま握っててねぇ~? そぉれっ!
後は遠心力を使って振り回す速度を更に加速、そのままククリ刀を持ったリザードマンの横っ腹にリザードマンを叩きつける。
『フゲェエ!?』
奇妙な断絶魔を上げた二匹は仲良く地面に倒れ込み、私は二本の槍を両手に持ち体勢を整えつつあったソルジャーリザードマンに敢行する。
二度は同じ手を食うものか! と言わんばかりにキッと剣を構えなおしたリザードマンだけど、またまた残念、もうキミの剣に触れる必要すら無いのさ。
二本槍があるんだったら、片方一本いらないね。 ならキミに向かって真っ直ぐポイ捨てしちゃっても問題ないよね?
ということで、上半身を捻転させて引き絞った奪った槍を投擲する。不可視の衝撃が纏ったその槍は果たして構えなおしたリザードマンの脳天に直撃し、突き刺さることは無かったものの思い切り上体を後ろに逸らせた。
そこだ 【撥水】!
ばぎん!
うん知ってた! 私下手だからそんな簡単に出来るはずないよね! くそぅ! 下層の奴らはビリヤードのトスみたいな感覚でやればあっさり抜けるんだけど、さすが中層、魔石がしっかり肉に絡み付いていて思ったとおりに抜けない。槍に伝わってくる感覚だけでどうすれば引っこ抜けるか解る、なんて天才かよキミはと思う技能は無い私はただ愚直に何度も試すしかない。もちろんあれこれ試行錯誤するけど、やっぱりこういうのはセンスってものが浮き彫りになるよねぇ。
でも萎えないよ! こういうあれこれと考えて試してみるのって地味に楽しいんだよね。そこに命が懸かってなければどれだけ嬉しいことか……。
内心でリザードマンにとって甚だ反感を買いそうな愚痴を零しながらも、再びソルジャーを地に尻を付かせて一時的な行動不能に陥らせ、もつれ合っている二匹にすかさず踵を返す。
己の槍をぞんざいに扱われたリザードマンは素手のままテッテと槍を回収しに背を向けるが、小賢しいことに盾を持つリザードマンがそれを前面に押し出し庇うように立ちはだかる。
ふふん、無駄無駄ぁ! 盾を構えるだけで留まってくれるなら好都合だね! 思いっきり蹴り上げて差し上げるよ!
後ろに引き付けた右足を宣言通りに盾の下から蹴り上げる。ブーツの先に着けられている申し訳程度の足先防具を用いた蹴りは、リザードマンの力を上回る衝撃を生み出し手から離すことは叶わなかったが上に振り上げさせることは出来た。
その隙を逃さず今度は全身の体重が一番乗りやすい、体を前傾させながら踏み込むスラストをがら空きの胸に叩き込む。
『グエッ』
どちらかというと息が詰まった感じだったね、今の悲鳴。魔石を弾き飛ばすことは出来なかったけど、穂先をぶすりと突き刺すことが出来た。でもこれは力技だからなぁ、もっとスマートに食い込ませることは出来ないものだろうか。
ともあれ突き刺さったならば好都合。リザードマンの手は体に似合わぬ短さだから、どんなに頑張ってもそのククリ刀を私に当てるのは不可能! あ、投げないでくださいお願いします。
さすがにそこまで知能はないリザードマンは「痛ぇよこの野郎!」と言わんばかりに両手をじたばたさせる。でもキミにはまだまだ仕事をして貰うぞ。
突撃騎槍のように先端にリザードマンを突き刺したまま、丁度今槍を拾ったところのリザードマンに向かって突進する。
すると拾ったリザードマンは「!?」と自らの仲間が背を向けながら迫ってくる光景に驚き硬直、そのまま呆気なく巻き込まれて壁に叩きつけられる。一方刺されているリザードマンは後ろから衝撃が加わったせいで更に深く食い込み、一層痛ましい悲鳴を上げる。
ん? 穂先の先端に硬い感触があったな。これ魔石か。えいっ。
壁に背を叩きつけられた串刺しリザードマンは私の体重が勢いと共に加わったために、とうとう己の核に穂先が到達、圧壊を許してしまう。
『グギギギ───!?』
己の体が崩壊していくのを実感しリザードマンは悲鳴を迸らせたけど、その途中で無情にも灰へと還った。がらんがらんと音を立てて盾とククリ刀が床に落ち、その黒々とした塵の山に散りばめられる魔石の欠片たちがリザードマンの死を如実に物語っていた。
『ギィギィ!!』
仲間をやられた怒りに威嚇するような素振りを見せる二匹に、私は血が付いた穂先を突きつける。
さぁて、まだまだ私の練習に付き合ってもうよ!
◆
ふぅ、ダンジョンの中は時間を示すものがろくに無いからね、一体何時間くらい十三階層に留まっていたか解らないけど、百体を軽く超えるリザードマンとその他違う種類のモンスターを礎にして、ようやく一回だけ【撥水】を成功させた。それも半分が欠けた魔石だった上に地面に落ちたら粉々になる有様だけど。
途中から普通に倒したモンスターから出てくる魔石とドロップアイテムを回収するのが面倒くさくなって部屋の隅っこに寄せておいたら、ひょっとしたガラクタ山が出来てて他人事ながらにびっくりした。これを一個一個数えていけばより正確な撃破数が解るけど、途中から眠くなりそうだからやめとく。せっせとバッグに放り込んでも、半分以上も入りきらない量だから、その時点でお察しである。やむを得まい、この魔石郡は早い者勝ちということで捨て置く。
「うげぇ、おっもい……」
今回篭った分私の体、正確には神の恩恵に集計された経験値がたんまり貯まっているだろうけど、それは更新されなければ効果をなさない。かなりの数を相手にしたし、それなりに力技も使ったし、Lv.2を相手取ってたから力の伸びは期待できそうだけど、さすがにここで【愛情の証】を使う勇気は無かった。
よって、大の大人とさして変わらない力しかない─十三歳の華奢な女の子にしては異常な力だけど─から、ぱんぱんに膨れ上がったバッグは途轍もなく重い。一歩二歩と踏み出すだけでため息が出そうだ。
これ、無事に帰還できるかな……。
一回遭遇するたびにバッグ下ろして戦って、戦利品は無視して進んでまた戦って……。ちゃんと後先考えて戦いましょうねー私ー?
仕方ないじゃないか……前世では私以外潜れない深層まで潜ってたから、見かけた安全地帯に持ちきれなくなった戦利品を放っておいて、次に潜りなおしたときに持って帰るってスタイルを続けてたんだから……。もちろんサポーターは付いてない。というか、付いてこれるサポーターがいないから付けられなかったというのが正しい。
げんなりしてもやらないと食費無くなっちゃうからやるんですけどね?
それから更に一時間掛けてようやく六階層まで戻ってこれた時だ。
『らあああああああああああああ!!!!!』
詳しい時間は解らないけど真夜中であるのは間違いない。六階層という微妙な階層に留まる冒険者なんて皆無と言っていい。ゆえに、肌寒いほど閑散とした無機質な廊下が延々と続くこの階層全体に轟いた雄叫びを聞き取るのは容易だった。そして、その雄叫びに含蓄されたあらゆる激情を察することも、その雄叫びが誰の物なのかも。
「……これは、少年の……?」
記憶が脳裏にひっぱりだしてきた映像には白髪に赤目、だけど纏う雰囲気は兎といった愛嬌のある風貌をする少年。だけど、私はそれをすぐに否定する。さっきも言ったとおり、今は真夜中、それもとっくに三時を過ぎている頃合だ。そんな時間までダンジョンに潜っている─もしくはこんな時間から潜っている─のは、あの見た目からは考えられない。
しかし、これほどの激情を思いの丈叫べる空間といえばこの機以外中々ないのも事実。証拠に、最後彼とすれ違ったとき猛烈な勢いでダンジョンに走りながら涙を落としていた。無きにしも非ず、そんなところだ。
「少し覗いてみようかな」
【自然治癒】があるから疲労はそこそこ止まりだけど、体は十三歳のままだから眠気が半端無い。それに気づけないほど熱中していたと思うと己の愚鈍さに苦笑いが零れるけど、それが死線を共に潜り抜けた名も知らない少年を見過ごす理由にはなり得ない。
雄叫びの根源まで辿り付いた時、私は堪らず背負っていたバッグを落としてしまった。
やはり兎の少年だった。でも、その格好があまりにもおかしい。まず、無装備。私服とすら言えるほど軽装だ。服はモンスターの爪や牙が掠めた跡が幾つも走っており、右手に握っている申し訳程度の短刀を無数の怪物の血を滴らせて、天井に向けて瞑目する姿は幽鬼なれど己の虚弱さを嘆く勇者のように見えた。
彼の足元に広がる血溜まりは、彼の心から抜け落ちた熱血のようで、失血した分激しい虚脱感に襲われているのかもしれない。
そして、妙に際立った感覚を持て余していたのか、数十m離れている私にふいに目を合わせた。
やはり、その瞳は白濁とした光を宿していた。
◆
悔しい。恥ずかしい。情けない。
僕はロキ・ファミリアの嘲笑に何も返すことが出来なかった。ただ恥を忍んで聞くことしかできなかった。あまつさえその事実から目を背けるように逃げ出してきた。
それはなぜか。僕が弱いからに他ならない。
どの嘲弄も返せない自分が悔しい。
弱いくせに憧れの彼女と無償で親密になれるだなんて幻想を抱いていた自分が恥ずかしい。
彼女にとってそこらに転がっている路傍の石に過ぎない自分が情けない。
そして何より、笑い種に使われ侮蔑され失笑された挙句に彼女に庇われる自分が、憎くてたまらない。
そんな自分を消し去りたいと、沢山のモンスターを倒せば自分が強くなれるんじゃないかと、我武者羅にダンジョンを駆け巡っていた。
結果は僕の全身を見れば解るとおり、ぼろぼろだ。彼女はこんな低層なんかで掠り傷一つ付くこと無いだろう。あのミノタウロスを二頭まとめて瞬殺してしまう彼女は、一体どこまで先にいるのだろう。僕は果たして、彼女に追いつくことが出来るのだろうか。
びきり、と。僕の心と、ダンジョンの壁に罅が走る音がした。
そして同時に僕は見た。薄緑色の壁面だけが広がる空間の向こうに、見覚えのある少女が呆然とこちらを見つめている。
その目と目が合った。
初めて会ったとき、黒髪の少女は僕と一緒でミノタウロスに追いかけられていた。でも、僕と違ってどこか浮世離れした余裕と最後の最後まで諦めない断固とした意思があった。
『諦めるな、無理だと思っているうちはまだ無理じゃない、だから諦めるな!』
誰もが現実を投げ出そうとする状況に追い込まれても、黒髪の少女はそう言った。僕はその後姿を忘れることが出来ずにいた。年相応の華奢な体に、繊細な四肢。どこにも逞しさと呼べる要素は無かったのに、もしかしたら彼女ならばと、彼女の全身から不思議とそう思わされる気迫が迸っていた。
あぁ、そういえば僕は彼女からも逃げちゃったんだっけ……。
アイズさんと面と面を合わせるのが恥ずかしくて堪らず逃げ出した僕は、同時に窮地に追い込まれても立ち向かってくれた彼女からも逃げ出したんだ。きっと、最後はやはり死ぬんだと思った自分がいたのを知っていたから。
僕の背後から一体のモンスターが生成されたのを気配で察した。一体ここが何階層なのかも解らない。酷く実感の無いまま振り向く。そこには全身を漆黒で染めた影がいた。
《ウォーシャドウ》六階層から出現する駆け出し殺しの異名を取るモンスター。
モンスターと対峙した僕を見て、少女は背に抱えるようにして持っていたバッグを床に落とした。あれだけ大きなバックパックが膨れるほど詰め込まれているのは何だろうか。いや、解っている。それが彼女が持つ実力の証だということは、解っている。
ウォーシャドウがその長い腕をだらりと動かした瞬間、少女も思い出したように床に落とした槍を掴み上げて走ってくる。
またか。また僕は何も出来ず助けられて、ありがとうございますとへらへらするのか。どうせ僕は弱いんだと卑屈になるのか。
嫌だ。そんなの、絶対に嫌だ。僕はどれだけ床にひれ伏しても、何度も立ち上がれるような英雄になりたいんだ。立ち上がるたびに強くなって、皆の希望になるような英雄になりたいんだ。
だから、動け! 僕の全て! ぶつけろ! 僕の全てを!
「おおおおおおおおおお!!!!!」
ジュウッと背中の神聖文字が超高熱を帯びた気がした。熱い。すごく熱い。でも、痛くない。逃げたいような熱さじゃない。これは僕の願望の熱さ。
そう確信した刹那、僕の右腕が霞み消えた。次いで短刀に伝わってくる確かな手応えと、すれ違ったウォーシャドウが背後で崩れ落ちるのを感じた。
一撃必殺。冒険者になって一番の、冴え渡った一撃だった。駆け出し殺しに何もさせずに返り討ちにしてやった。
漠然とした達成感と清々しさに酔いしれる隙もなく、今まで置き去りにしていた徒労がここにきて僕の体を破壊せんばかりに圧し掛かってきた。
「キミ!」
鈴を転がしたような声。ぐらりと傾いた視界が、ぐっと引き止められ不安定に固定される。
「……キミの服、汚れ、ちゃうよ」
「そんなの気にしませんよ。冒険者なんですから」
う……ん、疲れのせいかな、僕の記憶にある少女の口調とアイズさんの口調が重なって聞こえるな……。でも、今そんなことはどうでもいいや……。
「昨日……何も言わず逃げて……ごめんなさい」
「予め私が言ったじゃないですか、『構わず逃げて』って。キミはそれに従っただけです」
それとこれとは別の話だと思う……と言おうとしたけど、それは彼女の気遣いなのかもしれない。身を焦がしていた熱が抜け落ちたせいか、僕の手を肩に回す彼女のぬくもりがとても心地いいものに感じた。このままずっとこうしていたい、そんな思い。
はは……、アイズさんという人があろう者が何を……。あ、そうだ。
「キミ名前は? あ、僕はベル・クラネル」
「何で名前を尋ねるときだけ疲れが消えてるんですかねぇ……」
呆れたようにじとっと見てくる少女。ダンジョンに潜っていたとは思えないほど綺麗な、というか全くもって無傷の少女は白い肌に浮かぶピンクの唇を三日月に歪めて言った。
「私の名前はレイナ・シュワルツです。駆け出しの冒険者です」
恥ずかしがることなく、むしろどこか誇らしげに名乗った。それは彼女の心構えから来ているものなのだろうか。常に初心を忘れるな、という名言が残ってるし。
「そろそろ、自分で歩けるので、大丈夫……ってあ」
「あっと、無茶しないでください。無装備でダンジョンに潜るなんて非常識ですよ? それも六階層まで降りるなんて……。勇気と蛮勇は違いますよ」
言い返す言葉もありません……。力なく笑って見せると、レイナさんは「困ったなあ」と呟きながら膨れ上がったバックパックまで僕に肩を貸しながら歩み寄ると、よいしょと背中に背負った。
「すいません。私もこれを運ばないといけないので、これを飲んでください」
腰に巻きつけていたビンを一つ抜き取ると栓を涼やかな音と共に弾き飛ばして差し出してくる。
「さ、さすがに悪いですよ……」
「怪我人をほったらかして荷物を運ぶ私の身にもなって下さい。飲んでくれないと、私は守銭奴みたいに見えてしまいます」
やっぱりその中に入ってるのは魔石とかドロップアイテムなのか……。
必ず返しますと断ってからそれを一気に呷った。疲労しきった体に染み渡る清涼は、僕のホームである古ぼけた教会まで帰るだけの体力を回復してくれた気がした。
「それじゃ、早いところ帰りましょうか」
「モンスター……出ないで欲しいですね……」
「全くです。いざとなったら私が戦いますのでご安心を」
結局、モンスターもこの時間帯は就寝しているのか─そんな馬鹿なことは無いけど─地上まで帰る道のりでモンスターと遭遇することは無かった。
─僕はこの時、体に溜まっていた疲労で色々限界が来ていて気付けなかった。駆け出し冒険者であるはずの彼女が、どうしてこんな時間に、装備に傷一つ付けないでこれほどの魔石などを集められていたかを─
◆
「で? ベル君、ボクはこんなにも胸が張り裂けそうな思いをして待っていたのにも関わらず大層な女の子を連れて、しかも朝帰りというのは一体全体どういう了見なのか詳しく説明してもらえるかな?」
一人で帰れると言ったんだけど、「けが人を放って置けません。ホームまで送ります」と言って聞かなかったレイナさんにそれ以上言い返す気力も無く─甘えつつ─教会に帰ってきた僕を出迎えたのは、凄く心配した表情で丁度教会から飛び出してきた神様。
色々言いたいことがあっただろうけど、ひとまず僕の体の損傷がそこまで酷かったのか、先にシャワーを浴びて来いと命じられ、傷口がひりひり沁みながらもしっかり体を清めた僕を次に待っていたのは不機嫌丸出しの神様と、端正な可愛らしい顔を困り顔にしているレイナさんだった。
僕が我武者羅にダンジョンに一晩中潜り込んで戦い続けていたこと、疲労で倒れそうになったところをレイナさんに助けてもらったこと、ここまで送り届けてもらったこと。全て話した。でも、僕がダンジョンに無謀な挑戦を仕掛けた理由は言わなかった。やはり、あまりにも情けないことだったからだ。
神様も僕の暗い感情を感じ取ったのか、何も触れずに「次からそんな無謀なこと、絶対にするんじゃないぞ」と言っただけで済ませてくれた。
その次が問題だった。
「ベル君、君がそんなにボロボロになっているのも一大事だけど、ボクにとってはこの女の子が一緒にいることがもっと一大事なんだけど」
「ですから、私はただベル君のホームに送り届けただけで……」
「ベっ、ベル君っ!? 君、今確かにベル君って言ったなっ!? 知り合って間もないのに、そんな親しげに呼ぶなんてっ、どういうことなんだいベル君!!」
「レイナさんが言う通りですよ!? そこに余地はありません!?」
むぅ〜、とそれでも怪しむ表情を隠そうともしない神様は「何だってベル君の周りに絶世の美少女が寄って集ってくるんだ確かにベル君は可愛いけどそれでも程って言うものがあるだろうにベル君本人はそれを謎にも思ってないし本当にダンジョンに出会いを求めるのは間違っていないのか!?」よく聞き取れない声でぶつぶつと呟いていたけど、神様本人の中で決着が付いたのか、一つ大きなため息を付いて瞑目した。
「……解った。ベル君が言うなら信じよう」
「あの、私何か変なことしたでしょうか……?」
「念のために聞いておくけどレイナ何某君、君はベル君に対して非常に危険な想いを寄せていたりしないだろうね?」
「危険……? 私はベル君に危害を加えようなんて微塵も思ってませんよ?」
「うむ、なら良し」
何だか会話が繋がっていたような繋がっていなかったような……。
「ところでレイナさんはどこのファミリアに所属しているんですか」
「えっ? 私ですか? いえ……私はまだどこにも所属していません」
「ほ、本当ですか!?」
思わず身を乗り出してしまったけど、これは仕方の無いことだよね!
「なら僕たち【ヘスティア・ファミリア】に入りませんか!?」
「こ、こらー!! ベル君っ、主神の意思を聞かずに誘うでなーい!!」
「あー、せっかくの誘いですがごめんなさい、まだ探している途中なんです」
「あ……そうなんだ、ごめんね」
「誘ってくれてありがとうございます。あ……そろそろ時間も時間なので、私はここら辺で失礼します」
壁に掛けられている時計を見やったレイナさんは換金したことでずいぶん萎れたバックパックを背負ってペコリと頭を下げた。
あぁ……凄く可愛いし清楚としてるし何て優しい人なんだ……っていかんいかん、僕はもうハーレムなんて道は間違っていると知ったんだ! アイズさん一筋だぞ! うん。
「あ、レイナさん、良ければ今度一緒にダンジョンに行きませんか?」
「ええ、良いですよ。それでは」
最後に握手をして─神様は不服そうな顔をして腕を組んでいただけだった─レイナさんを朝日が昇る裏通りから見えなくなるまで見送った。
これが、ベル・クラネルの根幹を揺るがす最大の要因の一つになることは、この時誰も思いもしなかった。
後書き
レイナが治癒魔法を使わなかったのは身元バレを懸念したためです。凄い今更感ありますが、【撥水】という技はもともと露見していない上に彼女の魔法の方が有名ですからね。それに駆け出し冒険者がいきなり魔法使えたら「あなた実はエルフ?」ってなっちゃいますし。
そろそろ本格的なオリジナルが混じってくる頃かと。
ページ上へ戻る