至誠一貫
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第一部
第六章 ~交州牧篇~
七十 ~徐州での一夜~
前書き
2014/1/29 誤変換部分訂正しました。
2017/8/20 全面改訂、感想欄でご指摘いただいた箇所も修正しました。
県令以下、県城の者総出での出迎えを受けた。
華琳は曹嵩以下、一家の無事を互いに喜び合っているようだ。
「来てくれたんだね、朱里ちゃん」
「うん、ご主人様が放ってはおけないって言って下さったから。お姉ちゃん、無事で本当に良かった」
此方でも手を取り合い、喜ぶ諸葛姉妹。
「良かったな、朱里」
「はい!……あ、お姉ちゃん。自己紹介しなきゃ」
慌てて、諸葛瑾は居住まいを正す。
「は、初めまして。朱里がいつもお世話になっています。私は諸葛瑾、字を子瑜と申します」
「土方だ。無事で何よりであったな」
「はい。お陰様で命拾いをしました。本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる諸葛瑾。
確かに朱里と似てはいるが、もう少し大人びた印象を受ける。
身の丈や体格は、稟と同じぐらいであろうか。
……性格はやはり姉妹、良く似ているようだ。
「よくぞ無事であったな」
「はい。県令さんにお願いして、甲冑を着せた藁人形と、曹操さんの旗をたくさん作っていただいたんです。あ、勿論曹嵩さんにはお許しを戴きましたけど」
「ほう。偽兵の計、という訳だな」
「そうです。それに、私が時々夜襲をかけていましたから。賊もあまり手を出して来ませんでした」
なるほど、単なる文官ではないという訳か。
……やはり、私の知識では、先入観と紙一重になる事があるな。
「そうか。だが、徐州は今後も治安に不安を残すであろう。このまま、此所に残るつもりか?」
「いえ。実は揚州に行くつもりだったんです」
「揚州? では、睡蓮(孫堅)に仕官するつもりか?」
私の言葉に、諸葛瑾は目を見開いた。
「ど、どうして孫堅様の真名を?」
「……経緯があって、預かっているのだ。無断で呼んでいる訳ではない」
「郁里(諸葛瑾)お姉ちゃん、ご主人様は凄い御方だよ? 曹操さんや袁紹さんみたいな方々からも真名を預けられているぐらいだから」
まるで我が事のように胸を張る朱里。
「ふふ、そうなんだろうね。朱里ちゃんだけじゃなく、愛里(徐庶)ちゃんまでお仕えしてるぐらいだからね」
名指しされた愛里は、しっかりと頷いた。
「私は、歳三さんに助けていただいたご恩もありますけどね。でも、お仕えする方としては、本当に理想の御方です」
「うんうん、愛里ちゃん、なかなか理想の仕官先が見つからないって嘆いていたもんね」
ほう、その話は初耳だな。
……ただ、愛里を助けた時の状況からして、あまり詮索せぬ方が良いのやも知れぬ。
当人から話そうとせぬ限りは、な。
「諸葛瑾。揚州に参るのなら、我らと同道せぬか?」
「え?」
「郁里お姉ちゃん、私達、交州へ向かう途中なんだよ。ご主人様、交州牧を仰せつかったの。今は、赴任の途中でね」
「そうだったの。……でも、土方様。私などご一緒させていただいても宜しいのですか?」
「構わん。揚州までの道中、一人では心細かろう?」
「…………」
何やら思案する諸葛瑾。
「それに……曹操さん、絶対郁里さんに目をつけると思いますよ」
「え? 私に?」
「そうです。賊軍相手とは言え、この県城を守り通したのは郁里さんの才覚です。曹操さんの噂……ご存じでしょう?」
確かに、諸葛瑾ならば華琳の眼鏡に適うな。
才能としてもそうだが、容姿も朱里に似て、愛らしい。
まさしく、華琳の望む人材像と言える。
「本当は、私と一緒に来て欲しいけど……。でも、せめてご主人様のご厚意だけでも受けて貰えないかな?」
「……では、お世話になります。揚州まで、宜しくお願い致します」
事情はわからぬが、睡蓮と何か約定があるようだ。
……華琳には悪いが、本人の意思を尊重させて貰う事としよう。
その夜。
「さ、どうぞどうぞ」
「……失礼する」
私は、県令の自宅へと招かれた。
救援に対する礼、という事であったが……。
「おお、お見えになったようだな。ささ、入られよ」
「待っていたわ。席はそこよ」
上座にいたのは、曹嵩と華琳。
命令系統が違うとは申せ、華琳は州牧であり、曹嵩はその父親。
この場にいれば、県令よりも上席になっても不思議ではない。
……だが、ただの礼の為に催された場ではなさそうだな。
卓上には、手の込んだ料理が並べられている。
「では、乾杯と参りましょうかな。皆様、杯をお取り下さい。乾杯!」
「乾杯!」
県令の音頭で、宴が始まった。
「ご挨拶が遅れましたな。ワシは曹嵩と申します」
「ご丁寧に痛み入ります。拙者は土方と申します」
「まま、堅苦しい挨拶はこのぐらいにして。まずは一献」
「……は」
曹嵩は、機嫌良く勧めてきた。
「お父様。歳三はあまり強くないの、無理に勧めないで」
「ほ、そうか。土方殿、いつも我が娘が世話をかけておるようで」
「いえ。華琳殿には、寧ろ目をかけていただいている方が多うござる」
執拗な華琳への皮肉を込めたのだが、当人は平然としている。
意図には気付いたようで、眼がそう物語っているが。
「さ、料理も冷めないうちにどうぞ。私が取り分けてあげるわ」
「おお、曹操様自らなさらずとも」
慌てて、県令が使用人に合図するが、華琳はそれを手で制して、
「この程度の事、自分でするから平気よ。気を遣ってくれて申し訳ないけど」
「は、はぁ……」
その間にも、手際よく料理を取り分けていく華琳。
盛りつけ一つにも、美意識が働いているのか、全く粗雑さがない。
「歳三。好き嫌いはない?」
「特にないが」
「そう。なら、これでいいわね」
ふむ、見た目もそうだが、漂う香りもなかなかのようだ。
「では、いただくぞ」
「ええ、どうぞ」
箸を取り、青菜と肉の炒め物を口に運んだ。
……ほう、これは絶妙な塩加減だ。
油で素材の旨味を殺す事もない、見事な一品。
「……美味いな」
「当然ね。それ、私が作ったものよ」
華琳が?
……そう言えば、稟が華琳の料理の腕について、話していた事があったな。
「華琳。これら全てを、お前が?」
「そうよ。秋蘭もそれなりに心得はあるけど、今日は手伝わせなかったわ」
「……なるほど。大したものだ」
料理と言えども手を抜かぬあたり、華琳らしいとも言えるな。
半刻程して、県令が中座した。
「私は公務がありますが、皆様はどうぞごゆるりと」
気を利かせたのか、使用人も頭を下げ、出て行く。
「何なら、ワシも外すが?」
「お父様までいなくなる必要はないでしょう?」
華琳の言葉に、曹嵩は頭を振る。
「いや、お邪魔かと思ったのだが。随分と土方殿にご執心ではないか」
「それはそうよ。歳三にはいずれ、私の片腕になって貰うつもりだもの」
「ふふ、それだけかな?」
曹嵩は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「それだけ……って、どういう意味よ?」
「決まっておるではないか。土方殿、それにしてもえらく我が娘に気に入られているようですな」
「……恐れながら。華琳殿は拙者を買い被っておられます。拙者にはそこまでの才覚はござらん」
「ほ、御謙遜なさるか。だが、この時代に稀有な御仁である事は間違いないようだ。……華琳の婿殿など見つからぬと諦めておったが、貴殿ならば申し分なさそうじゃ」
「…………」
これはまた、随分と唐突な御仁だな。
「文武に優れ、この通り料理の腕前も申し分ないのだが、才気に溢れ過ぎているのが、親としては却って気がかりでしてな。その点、貴殿もまた優れた御仁の上、華琳が気に入っているのならなお結構ではないかと」
「な……」
華琳が、顔を一気に赤らめた。
「わ、私はそんなつもりで言ったんじゃないわ!」
「おや? では土方殿を男としては好みではない、と?」
「そ、そうじゃないけど……」
そう言いながら、華琳はチラチラと横目で私を見る。
……意外、と言うべきか。
麾下の将を愛でる性癖の持ち主だが、男に対しては奥手とは。
だが、それを知ったところで、華琳には何の弱味にもなり得ぬであろうが。
「わ、私は、歳三の、将としての才を買っているの! へ、変な勘繰りしないでよね!」
「そうか、残念じゃの。孫の顔を見られる日はいつになるやら……」
「もう! いい加減にしてよ、飲み過ぎよ、お父様」
「ワシは酔ってなどおらん。いいから本当のところを……」
「い・い・か・ら、もう寝なさい!」
「いででででで! こ、これ、耳を引っ張るでない!」
そのまま、二人は出て行ってしまう。
そして、部屋にただ一人残されてしまった。
「殿。宜しいでしょうか?」
そこに、彩(張コウ)が顔を見せた。
「うむ。何事か?」
「は。実は先程、不審な者を捕らえまして。殿にもお知らせを、と」
「相わかった。では、参ろう」
「宜しいのですか?」
彩は、部屋を見渡す。
確かに料理は些か残されていて、宴の途中である事は明らかだ。
「構わぬであろう。火急の用である事は嘘ではない」
「……は。ところで、殿。この料理は曹操殿が?」
「うむ。どうかしたのか?」
「些か、気になるものですから。……一口、味見してみても宜しいでしょうか?」
「余っているのだ、構わぬ。……む、箸がないな。彩、私のを使え」
「え? あ、いや、はい。ありがとうございます」
慌てて、彩は箸を受け取る。
「如何致した?……そうか、洗わずに渡すとは不心得であったな」
拭き取る物を、と思ったが……見当たらぬな。、
「い、いいえ! このままでけ、結構ですとも!」
引ったくるように、箸を取った。
そして、炒め物に揚げ物、焼き物などを少しずつ取り、味を確かめていく。
……妙に、顔が赤い気がするのだが、言わぬが花だな。
「むむ、これは……」
首を傾げたり。
「うむ。……よし、勝ったな」
拳を握り締めたり。
……彩なりに、拘りや譲れぬものもあるようだな。
兵が寝泊まりするだけの宿が用意出来る筈もなく、殆どの者は城外の陣に留まっていた。
無論、羽目を外し過ぎない程度に、休息は取らせていたが。
「ご苦労」
「あ、これは張コウ様。土方様もご一緒で」
ふむ、休息中と言えども、兵らに弛緩した空気はないな。
流石、彩直属の隊だけの事はある。
「それで、例の者は?」
「はっ。厳重に見張りをつけ、あの中に」
兵が、天幕を指さした。
「わかった。引き続き、周囲の警戒を怠るな」
「応!」
「殿。よもや、とは思いますが」
「わかっている。油断するつもりはない」
「……では、こちらへ」
彩と共にいて、万が一という事もあるまいが。
天幕の中には、縛られた男が胡座をかいて座っていた。
その周囲を、数名の兵が固めている。
「…………」
男は無言で、私と彩に目を向けた。
髭に覆われた面体だが、眼光はなかなかの鋭さがある。
「何か話したか?」
「いえ。何を訊ねても無言を貫いています」
「そうか。殿、如何なさいます?」
「……皆、外してくれぬか。彩は残れ」
男の面構えからして、ただ者とは思えぬ。
口を割らせるよりも、自主的に話させる方が手っ取り早そうだ。
「殿のご命令だ。皆、外に出よ」
「はっ!」
兵全員が、足早に天幕を出て行った。
「さて。まずは、名を聞かせて貰おうか」
「…………」
「黙りか。では、私から名乗ろう。土方歳三だ」
と、男が微かに反応する。
「……貴殿が、土方殿。確かですな?」
「偽りを申すつもりはない。此処は我が陣、それと知っての事だな?」
男は、小さく頷く。
「……貴殿のその面構え、常人ではあるまい? それ故、拷問にかけずに話を聞こうと思ったのだが」
「……ならば、この縄を解いて頂きたい。それから、お人払いを」
「縄を解く前に、まずは名乗りを上げるべきではないのか? それからこの者は我が腹心の張コウ、何を聞かれても構わぬ」
「……わかりました。私は陳登と申します」
ほう、徐州の陳登と申せば……唯一人であろう。
「……私を御存知か?」
「些か、な。貴殿の父御は陳珪殿で相違ないか?」
「はい。ですが、貴殿、いえ貴方様とは初対面の筈。何故、私達の事を?」
「……悪いが、その問いには答えられぬな。彩、縄を解いてやれ」
「御意」
縄を解かれた陳登は、手を擦りながら立ち上がる。
「ふう。正体を明かした以上、私は役目を果たさなければなりますまい」
「うむ、聞こう」
「はい。実は、我が主に密かにお会いいただきたいのです」
「刺史の陶謙殿だな?」
「はっ」
「病に臥せっておられると聞いているが」
「然様です。それ故、土方殿と一度、話をさせて頂きたいと」
「ふむ……。だが、私は曹操殿の加勢としてこの地に来ている。面会ならば、曹操殿に申し入れてはどうか?」
陳登は、大きく頭を振った。
「いえ。我が主は、土方殿のみお連れせよ、と。これは、厳命にございます」
危険を承知で忍んできた理由としては、得心がいく。
……華琳には知られたくない、か。
「私のみ、という訳か。理由は?」
「……申し訳ありませんが、聞かされておりません」
問い質すだけ、無駄であろうな。
仮に知っていたとしても、決して話すまい。
……だが、迂闊に動く訳にもいかぬ。
華琳に知られずに陣を抜け出すのがまず困難。
それに、これが何らかの罠である可能性もある。
第一、此所から徐州城までの距離を考えるだけでも、密かに往来するなど不可能の極み。
「陳登殿。貴殿の口上は承った」
「で、では」
身を乗り出す陳登を、手で制した。
「待て。だが、今すぐとはいかぬ。理由は、貴殿程の人物なら説明するまでもないと存ずるが」
「……手ならございます。諸葛瑾殿を呼んで戴けませんか?」
翌朝。
「輜重隊は責任を持って、徐州城まで届けさせるわ」
「忝い」
「いいわ。これで、今回の貸し借りはなし、という事でいいわね?」
「うむ」
「じゃ、歳三。また会いましょう」
そう言い残し、華琳は騎乗する。
遠ざかっていく曹操軍を見送る中に、陳登が混じっていた。
「しかし、よくあの曹操さんがあっさりと提案を受け入れましたね」
「そこが付け目なのですよ、諸葛瑾殿。曹操殿とて人の子、実の親を一刻も早く安全な場所に届けたい。そして諸葛瑾殿も徐州城に一族の方がおられる。肉親の情に訴える、というのは存外陳腐なようで有効な策ですから」
涼しげな顔で、陳登はそう言った。
「でも、一族と言っても遠い親戚なんですよ。曹操さんがよく調べればすぐに露見してしまいます」
「いいじゃない、朱里ちゃん。今更前言撤回するような御方でもないしね」
「……雑談はその辺りに。殿、急ぎ参りましょう」
「そうだな」
輜重隊と別行動の今、食糧も手持ちの分のみ。
邑や城を辿りながら向かうしかないが、そこは陳登が手引きするとの事。
「参るぞ」
「応っ!」
我が軍は一路、徐州城へ向けて進み始めた。
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