至誠一貫
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第一部
第六章 ~交州牧篇~
六十九 ~臥龍、羽ばたく~
捕らえた賊を尋問した結果、いくつかの事が判明していた。
まず、首魁の一人は張ガイという者だという事。
そして、賊軍は主に、東海郡と琅邪郡を中心に展開しているらしい事。
無論、末端の者がその全貌を把握している筈もなかったが、今はこれだけでも十分であろう。
「銀花(荀攸)。念のため、下ヒとか彭城の方も調べさせておきなさい。例え小規模でも、合流されたら面倒よ」
「はい、華琳様。既に斥候を向かわせております」
「秋蘭。矢の回収は進んでいるかしら?」
「はっ。併せて、賊軍が持っていた分も押収しておきました」
打てば響くと申すか。
流石は、荀攸と夏侯淵だな。
「とりあえず、琅邪郡の解放から進めましょう。いいわね、歳三」
「私は援軍に過ぎぬ。華琳の良きように」
「ふふ。諸葛亮の事もあるわ、こんな事で歳三を困らせるつもりはないもの」
「……わかった。一応、礼を申しておけば良いか?」
「ええ。なんなら、臣下の礼でも構わないのだけれど?」
「それは謹んでお断りだ」
「つれないわねぇ」
そう話す華琳だが、何処か無理をしている気がする。
「華琳。一つ、聞いても良いか?」
「あら。何かしら?」
「……願わくば、人払いを。ちと、内密な事だ」
私の言葉に、華琳は頷いた。
「いいわ。銀花、秋蘭」
「では、失礼しますね」
「私も、兵を見てくるとします」
二人に併せて、傍に居た兵士も遠ざかっていく。
「これでいいかしら?」
「うむ。此度の出兵だが……目的は、陶謙殿の救援だけか?」
「……言っている意味がわからないわ」
「いや。ただ、琅邪郡に向かうのは、諸葛瑾の為だけではあるまい?」
「っ!」
途端に、華琳は身構る。
「歳三。……貴方、何を知っていると言うの?」
「間違いであれば詫びるが、琅邪郡には華琳の父君がおわすのではないか?」
「…………」
どうやら、図星のようだな。
「如何に普段からの備えを怠らぬとは申せ、出兵の準備があまりに迅速であったからな。もしや、と思ったのだが」
「……誰にも話していなかったのに、どうして貴方はそれを知っているのかしら?」
「さて、な。華琳が我らの事をよく存じているのと、同じ事ではないのか?」
「……ふっふっふ。あっはっはっは!」
華琳は、大声で笑い出した。
その様に、遠巻きに見ていた兵らが驚いている。
「本当、油断も隙もないのね。ますます気に入ったわ」
「そうか。それは光栄の極み、とでも申しておこう」
「私だって、何もかも非情にはなれないわよ。実の父親が危険に瀕しているのなら、救うのは子として当然の事じゃないかしら」
それを聞いて、私は安堵を覚えた。
華琳が率直に認めた事、そして親子の情愛を持っていた事に。
「ならば合点がいく。お前の父御も、諸葛瑾も。どちらも救おうぞ」
「ええ。獣如きに、どちらも死なせはしないわ」
そう宣言する華琳は、いつもの覇気に満ち溢れていた。
更に数日が過ぎた。
途中、抵抗らしき抵抗も受けず、我らは琅邪郡へと入った。
「華琳様。敵勢が判明しましたよ」
「そう。銀花、ご苦労様。それで?」
「はい。この先にいるのは張ガイの率いる本隊、総勢五万ほどとの事です」
「……此方の約三倍、ですか」
「確かに敵は烏合の衆でしょうが、それでもちょっと多いですね」
朱里と愛里(徐庶)が、溜息をつく。
「確かに我が軍は殆ど無傷ですが、まともに当たれば被害も甚大なものになります。かと言って、あまり時間をかける訳にもいきませんね」
「秋蘭の言う通り、さっさと始末を付けないといけないわ。銀花、どんな策を用いればいいかしら?」
「ええと、まずは動揺を誘う必要がありますね。とりあえず、態と噂を流しましょう。華琳様と土方様が、十万の兵を率いて討伐に向かっている、と」
「……なるほど。曹操さんも歳三さんも、黄巾党征伐で名を上げた御方。その残党を名乗る以上、それだけで威圧する効果がありそうですね」
「はい、徐庶さんの仰る通りです。このお二方が手を組んで向かっている……それだけで、士気は下がり、逃げ出す者もいるかと」
「しかも、自分たちの倍と号する精兵、ね。問題は、真に受けるかどうかだけれど」
「それは大丈夫でしょう。張ガイという者について調べさせましたが、元々は小規模な部隊を率いていた程度のようです。指揮官としての経験は乏しいと見て宜しいかと」
荀攸の言葉は、立て板に水の如く澱みがない。
……流石、正史でも曹操に重用された人物だけの事はあるな。
「では、まずは手を打つとして。問題が二つあるわよ?」
「一つは、逃げた賊を放置しておくのか、と仰せになりたいのでしょう?」
「そうよ。確かに集団から散らばった賊は、私達には脅威にはなり得ない。でも、庶人にはどうかしら?」
「その点は、秋蘭様にお任せしようかと思います」
「……ふむ。賊の退路で待ち受け、矢で仕留めるのだな?」
「ご明察です、秋蘭様。伏兵ですので、大軍は必要ありませんし」
「討ち漏らしが出る可能性はあるけど、この際そこは目を瞑りましょう。銀花、もう一つは?」
荀攸は頷き、続ける。
「動揺を誘い、脱走させたとしても大部分は残りましょう。恐らく、我が軍を上回る規模で」
「繰り返すけど、精兵をこんな戦いで損じたくはないの。で、どうするの?」
「……徐庶さん、諸葛亮さん」
「はい?」
「何でしょうか?」
「私にも腹案はありますが、お二人は如何ですか? 宜しければ、ご意見を聞かせていただきたいのですが」
「そうね、私も興味があるわ。歳三、いいかしら?」
ふむ、華琳の意を汲んだな。
二人を文官として紹介した筈だが、素性を知った上で空惚けていたのやも知れぬな。
「愛里、朱里。思うところを述べよ」
「……わかりました。すぐに思いつくのは、夜襲でしょうか」
「若しくは、火計ですね。或いは、その併用とか」
「夜襲は悪くありませんが、今日は満月です。それに、ここのところ雨が続いたせいで、草木も湿っているようですね」
荀攸は、畳み掛けるように言い放つ。
まるで、試すかのように。
……いや、実際に試しているな、あれは。
「朱里ちゃん、どう?」
「……うん。たぶん、どっちも解決出来ると思うよ、愛里ちゃん」
何やら、頷き合う二人。
「銀花が言った問題を解決する策がありそうね。二人に任せてみましょう、銀花、秋蘭」
「華琳様が、それでいいと仰せなら」
「はっ。では土方殿、我が軍は準備を整えておきますので」
愛里も朱里も、何か確信があっての事であろう。
とにかく、任せてみるとしよう。
その夜。
満月が、煌々と辺りを照らす。
真っ昼間、とまでは行かずとも、かなり視界は良い。
「おい、本当に大丈夫なのか?」
「ええ。過去の統計からすれば、確実です」
「大丈夫ですよ、朱里ちゃんがそこまで言うのなら、私も太鼓判を押せますから」
「……しかしな。殿、本当に宜しいのですか?」
半信半疑と言った風情の彩(張コウ)。
「華琳も特に異論なし、と申している以上、策を遂行するより他にあるまい。それに、朱里と愛里の智謀は、お前もわかっているであろう?」
「……は」
「将が懐疑的なままでは、兵が動揺するぞ?」
「言われるまでもありませぬが……」
「ならば、二人を信じる事だ。何かあれば、責任は私が取れば済む事だ」
「そこまで仰せならば。……では、手筈通りに」
彩は、兵の方へと向かって行った。
「あの……ご主人様」
「何だ、朱里?」
「……やっぱり、まだ私は信じていただけていないのでしょうか?」
落ち込む朱里の肩を、愛里が叩く。
「仕方ないよ。稟さんや風さんみたいに、実績を見せた訳じゃないもの。でも、私も信じてるよ、朱里ちゃんの事」
「うん……」
「彩とて愚かではない。武官ではあるが、兵を人一倍大事にする性格だ。それ故、慎重にならざるを得ないのであろう」
「…………」
「案ずるな。この策が上手く行けば、彩だけではない。他の兵も、お前の事を信じるようになる」
「は、はい」
漸く、朱里が顔を上げた。
「では、私も参る。愛里、朱里の事を頼むぞ」
「はいっ!」
私とて、無闇に人を信じるつもりはない。
だが、かの諸葛亮が、出任せで物を言うとも思えぬ、というのもある。
……それ以上に、歴史に大いに名を残した人物が、どのような働きを見せるのか。
その事への好奇心が、大いに働いている事も否定はせぬ。
無論、兵らの命を軽んじるつもりはないが、賭けてみる価値は十分であろう。
半刻が過ぎた。
そろそろ、刻限の筈だが。
……次第に、冷えてきたな。
「土方様! あれを!」
兵の声に振り向くと……川から、もうもうと霧が立ち上り始めていた。
賊軍が陣取っている方角が、忽ちのうちに霞んでいく。
「朱里の予告通りだな。……皆、良いか?」
「応っ!」
抑えた声ながら、士気は十分と見た。
「では、行くぞ」
彩や夏侯淵らも、頃合いを見計い、動き出していよう。
後は、如何に気付かれずに接近するか。
その為に、一部の兵らは甲冑を着せていない。
音を立てずに忍び寄り、賊軍を混乱させる事に専念するよう命じてある。
無論、全員が徒となるが、やむを得まい。
私も自ら先遣隊を率いて、敵陣に近づいていく。
……多少の危険は承知の上。
常に兵らを危険に晒しているのだ、この程度の事で先頭を切らねば、彼らの上に立つ資格はない。
「土方様」
「……うむ」
見張りであろうか、話し声が聞こえ始めた。
「お、おい、何だこりゃ?」
「周りが全然見えやしねぇぞ」
どうやら、奇襲は成功したようだな。
「……よし。やれ」
「ははっ!」
合図と共に、兵らが押してきた荷駄車から甕を下ろし、口を開けて中身を地面に流し始める。
貴重な油だが、致し方あるまい。
暫し待ち、一斉に火矢を放った。
あちこちから火の手が上がり、忽ちのうちに賊は算を乱す。
「か、火事だっ!」
「い、いや! 敵襲だ、官軍の夜襲だぞ!」
こうなれば、統率も何もあったものではない。
「皆の者。合図を忘れるな」
「応っ!」
「かかれっ!」
兼定を抜き、敵陣に斬り込んだ。
「山!」
「……? ギャッ!」
答えのない人影を、一刀のもとに斬り捨てる。
忽ち、辺りは阿鼻叫喚の世界と化していく。
一方的な殺戮戦が、幕を開けた。
夜が明けた。
あれだけ立ちこめていた霧も、次第に薄れていく。
「終わったようだな」
「そうね」
華琳も、返り血を浴びて凄まじい様相を呈している。
私も、恐らく同様であろう。
「華琳様。張ガイの首、此方に」
「ご苦労様、秋蘭。どうやら、諸葛亮の策、見事に的中したようね」
「そうだな。朱里、良くやった」
「エヘヘ、ありがとうございます」
照れながらも、朱里は安心したように微笑んだ。
「しかし、霧を用いるとは……私も、それは思いつきませんでしたよ」
「いえ、私はこの辺りの出身です。だから、気温とか季節の関係で、予測出来ただけです。たまたまですよ、荀攸さん」
「ふふふ、謙遜ですか。流石は、水鏡塾きっての天才ですね」
「……え? も、もしかして私の事、ご存じだったんですか?」
と、荀攸は不敵に笑いながら、
「ええ。無論、徐庶さんの事もですけどね」
さらりと言いのけた。
「はわわ……」
「はにゃ……」
……驚くその姿だけを見れば、荀攸の言葉は見当違いも甚だしいのだが。
「本当、歳三は人材に恵まれ過ぎね。妬けるわよ、全く」
「……華琳。言っておくが」
「わかってるわよ。ま、歳三ごと手に入れればいいだけの事だしね」
「それよりも、琅邪郡へ急ぐべきではないのか?」
「……そうね」
負傷兵を残し、再び我らは東へと進み始めた。
行く手に、古びた城壁が見えてきた。
規模は小さいが、恐らくはこの辺りの軍事拠点となる場なのであろう。
「着いたようだな?」
「はい、ご主人様。……お姉ちゃん、無事かな」
「大丈夫よ、朱里ちゃん。……ほら」
と、城の方から誰かが駆けてくるのが見えた。
「……あ。お姉ちゃーん!」
ちぎれんばかりに手を振る朱里。
「あれが、諸葛瑾だな?」
「はいっ!」
その後ろから、ゆっくりと歩んでくる人影も見える。
「華琳様。どうやら、間に合いましたね」
「……ええ」
恐らく、曹嵩らなのであろう。
華琳も、普段の毅然とした態度ではなく、安堵に満ちた表情をしている。
「良かったな。お互いに」
「そうね。……協力、感謝するわよ」
無邪気にはしゃぐ朱里を見ながら、私も内心、胸を撫で下ろした。
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