絵の馬
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3部分:第三章
第三章
「だからだ。取っておいてくれ」
「宜しいのですね」
「うむ」
主の言葉に頷く。二言はなかった。
「それで頼む」
「わかりました。それではそのように」
「そういうことでな」
こうして話は収まった。だがここで問題が起こった。
「馬を返したのはいいが」
同僚は帰り道で早速そのことを彼に言ってきた。
「何だ?」
「御主はこれからどうするのだ?」
彼を心配して言ってきた。
「馬をなくして。それで」
「そうだったな」
言われて思い出す。だがもうどうにもならない。
「暫くは馬なしか」
「何なら拙者の馬を貸すが」
「いや、それには及ばぬ」
だが彼はそれを断るのだった。
「よいのか」
「また馬は手に入るしな。だからだ」
「そうか。御主がそう言うのならよいがな」
あまり押しの強い性格ではない。同僚はクシャルーンがそう言うのならと己の意見を引っ込めたのであった。
「だが。当分は歩きぞ」
「それはそれでよい」
あくまでさばさばした彼であった。
「それも鍛錬のうちだ」
「そうか」
そんな話をしていた。すると後ろから馬のいななきが聴こえてきた。
「んっ!?」
「馬か!?」
二人がそのいななきに振り返ってみると。あの馬がいた。
「待て」
同僚はその馬を見て思わず声をあげた。
「また出て来たのか」
馬は口では答えられない。だがそのかわりにまたいななくのであった。
「どうしてだ」
「ああ、やっぱりここにいたか」
「また出たと思えば」
後ろからあの屋敷の者達が来る。ようやくといった感じで馬に追いついてそれからまた言うのであった。皆それぞれ肩で息をしている。慌てていたのがわかる。
「これは一体どういうことだ?」
「あのですね」
主がクシャルーンに答えた。
「絵の中に収まったのはいいですが」
「またすぐに出て行ったのでございます」
「あの絵の中か」
クシャルーンは話を聞きながら述べた。
「またしても」
「左様です」
「どういうわけか」
「御主、一体どういうつもりだ」
クシャルーンは馬を見上げて問うた。だがやはり馬は口では答えはしない。いななくだけである。だがそれと同時に彼をじっと見ていた。
主はその目に気付いた。それで言うのであった。
「いや、これは」
「どうしたのだ?」
「成程、わかりましたぞ」
顔を晴れやかにさせてクシャルーンに述べる。
「この馬は貴方様をお慕い申しているのです」
「私をか」
「はい。かなり可愛がっておられたのですね」
「別にそんなつもりはなかったが」
朴念仁な彼には元からそんなつもりはなかった。武人として普通に馬の手入れをしているつもりだった。だがその真面目さが馬の気に入ったようなのだ。
「ですがこうしてわざわざ絵から出てですし」
主はまた言う。
「これはやはり」
「だがそうだとするとだ」
クシャルーンは言う。
「どうすればいいのだ」
「この馬をお受けして頂けないでしょうか」
主はこう彼に述べてきた。
「貴方様をお慕いしておりますし」
「よいのか?」
「はい」
主は快くこう述べてきた。
「馬はその相応しい主のところにあるべきです。ですから」
「そうだな」
同僚も主の言葉に賛同するのだった。
「この主の言う通りだ。やはり」
「ですから是非」
主はまた彼に勧めてきた。
「お受け取り下さい」
「わかった」
そしてクシャルーンはそれを受けることにした。ここでもまた頼まれればそれが道理に合わない場合でない限り受ける彼の性格が出たのだった。
「では受けよう。それでいいな」
「はい、どうぞ」
「よしっ」
それを受けて馬の頬に手をやった。
「それでよいのだな」
やはり馬は答えない。そのかわりまたいなないた。
「いいようだな」
「変わった馬だ」
クシャルーンは同僚の言葉を聞きながら馬に対して言った。
「絵の中から出て来ただけでなく私について来るとはな」
そうは言っても嬉しそうなクシャルーンであった。それから彼はずっとこの馬と共にあった。そうして武勲を重ね続けやがては将軍になったという。
この馬はずっとクシャルーンと共にいたという。だが彼が大往生を遂げた後は程なく絵の中に戻った。そしてペルシアがイスラムに滅ぼされると絵は彼等によって何処かに売り飛ばされたという。今その絵が何処にあるのかは誰も知らない。噂によれば戦乱の中で焼かれたとも何処ぞの貴族か美術館が持っているとも言われている。だが真相はわからない。少なくともこの馬がまた絵から出たという話は伝わってはいない。
絵の馬 完
2007・10・1
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