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至誠一貫

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第一部
第五章 ~再上洛~
  六十二 ~異変~

 宿舎に戻ると、皆が戻っていた。
 月は、霞と共に自らの屋敷へと帰した。
「あ、お兄ちゃんなのだ」
「お帰りなさいませ、歳三様」
「うむ。……皆、あらましは存じているな?」
 私の言葉に、全員が頷く。
「いよいよ、十常侍らが本性を現し始めた……そう見ていいだろう」
「しかし、何進殿が手傷を負われたとは言え、それだけで済んだのは不幸中の幸いでしたな」
「ああ。だが、これで両者の対決は不可避となったとも言える。ご主人様や月殿も、より一層身辺に気をつけていただかねば」
「月には閃嘩(華雄)がいる。今の閃嘩ならば、まず不覚は取るまい」
「ですが、歳三殿は如何為されます? やはり、私がお側に」
 疾風(徐晃)がそう言うと、
「待て。主の槍はこの星、お主は間諜の役目もある。ここは任せよ」
「星! お主でなければならん理由が何処にある? 私が務めれば良い」
「むー、お兄ちゃんは鈴々が守るって決めてるのだ!」
 ……案の定、我も我も、となったか。
「……皆。それは後で決めるとして、まずは今後の対応を考えませんか?」
「稟ちゃんの言う通りですよ? お兄さんが大好きなのはわかりますけどねー」
「二人の申す通りだ。それに、私の警護ならば、交代で務めれば済む問題ではないのか?」
「…………」
 何故か、全員から睨まれているのだが。


 その夜。
 稟、風と話していると、兵が現れた。
「申し上げます。馬騰様が参られ、土方様にお目通りをとの事です」
「断る理由はあるまい。案内致せ」
「はっ」
 程なく、馬騰が、彼女によく似た女子を引き連れて入ってきた。
「土方。夜分遅くに悪いな」
「いや、構わぬ。このような時分に来た時点で、火急の用件以外にはあるまい?」
「まぁな。あ、これがあたしの娘、馬超さ。翠、挨拶しな」
 成る程、似ていて当然という訳か。
 五虎将軍に数えられる程の者、見た目は女子だが腕はかなり立つと見て良いな。
「初めまして。あたしが馬超、字は孟起。母様が世話になっているようだな、宜しく頼む」
 その刹那、ゴツンと良い音が響いた。
「翠! 初対面の相手に何タメ口きいてるんだ? 場を弁えろって言ってんだろ!」
「いたたた……。殴らなくてもいいだろ、別に?」
「全く……。済まんな、土方。見た目は女らしいんだが、どうもがさつで困ってるんだ」
 確かに、風の眼が険しいな……原因は、馬超の身体つきのようだが。
 それに、がさつは親譲り以外に考えられぬが……言わぬが花だな。
「いや。それよりも用は何だ?」
「ああ、そうそう。宮中での事、聞いたぞ」
「……やはり、その事か。何処まで存じておる?」
「何進殿がお怪我をされた事、蹇碩が返り討ちにあった事までは。真っ先に駆けつけたのは土方だったそうだな?」
「ほう、なかなかに耳が早いな」
「ああ、立子(鳳徳)が調べて来たのさ。あたしんトコで、そんな芸当が出来るのはアイツぐらいなんでな」
「成る程。それで、私に聞きたい事は何だ?」
「実は、こんな文が投げ込まれていてな」
 と、馬騰は紙片を取り出した。
「読んで構わんのか?」
「勿論だ」
「では、失礼します」
 稟がそれを受け取り、私に手渡す。
 広げると、このような事が記されていた。
『西園八校尉を形骸化させ、陛下から切り離そうと画策するは少府なり。その親を自称する土方なる素性の知れぬ者もまた、怪しむべし』
 差出人の署名は……ないな。
「ふむ。今度は私までも巻き込むつもり、という事か」
「……前にも話したけど、月はあたしに取っても他人じゃない、家族同然の存在だ。その親を務めるアンタも、当然他人とは思えないさ」
「……だが、この怪文書の主は、それを承知で馬騰の宿舎に投げ入れたという事になるな」
「正直、意図が見えないのさ。あたしが月や土方に疑念を抱く事はあり得ないだろ? だいたい、こうして見せる事もわかりきってると思うんだが」
「……うむ。稟、風、どう思う?」
「そうですね。この怪文書が、果たして馬騰殿のところだけに投げ込まれたものでしょうか?」
 稟が、宙を睨みながら言う。
「風も同感ですねー。恐らくですが、曹操さんや袁紹さん、孫堅さん達のところにも行っているかと」
「いえ、八校尉の方々だけとは限りません。洛中の各所にばら撒かれている可能性も否定出来ません」
「土方、あたしの他から知らせは来ていないのか?」
「来ていれば、中身を改めるまでもあるまい。どのみち、同じ内容が記されている筈だからな」
 馬騰と馬超が、顔を見合わせた。
「母様。一体、どういう事だ?」
「あ、あたしに聞くな馬鹿娘。少しは自分で考えろ」
「馬鹿とは何だよ馬鹿とは!」
 ……似た者同士と申すか、何を言い争っているのやら。
「歳三様。すぐに確認を取るべきかと」
「まずは、袁紹さんのところでしょうかね。お兄さんに隠し事は出来ないでしょうし、あの方なら」
「そうだな。風、麗羽に……。いや、私の方から出向くか」
「お兄さん。おわかりとは思いますがー」
「……誰ぞを伴え、と申すのであろう? だが、その前にやっておくべき事があるな」
「疾風と星ですね。では、そちらの方は私から伝えておきます」
 稟は立ち上がり、部屋を出て行った。
 うむ、以心伝心だな。
 話が早くて助かるのは事実だが……馬騰らが、呆気に取られているようだ。
「なぁ、今ので通じたのか?」
「そのようだな」
「立子も察しの良い方だけどさ。軍師って、皆ああなのか?」
 馬超がそう言うと、風が口に手を当ててほくそ笑んだ。
「お兄さんと風達の場合はちょっと違うかも知れませんねー」
「どういう事だ、程立?」
「いえいえ、簡単な事ですよ。風も稟ちゃんも、お兄さんとは身も心も通じ合っていますからね」
「み、身も心も、って……」
 みるみるうちに、馬超の顔が真っ赤に染まりだした。
「何だ、翠? 顔が赤いぞ?」
「ううう、うるさいぞ母様!」
「何を想像したんだ? 土方と、郭嘉や程立が褥を共にしてる姿か?」
「★■※@▼●∀っ!?」
「おおー、流石は母親さんですねー。大胆なのですよ」
「だって事実だろ? だいたいな、この娘は初心過ぎるのさ。もう恋愛の一つや二つ、してもいい年頃なのにな」
「かかか、関係ないだろ! そんなの、あたしの勝手だ!」
「なんなら、土方に女にして貰ったらどうだ? 決して悪い相手ではないと思うぞ?」
 親が子をからかう図と言うのも……どうなのだ?
「こ、このエロエロ魔神! あ、あたしは先に帰るからなっ!」
 馬超は、肩を怒らせて出て行った。
「……馬騰。言うに事欠いて、私を引き合いに出す事はあるまい?」
「いや~、悪い悪い。あの通り武以外はからっきしなんでな、恋愛沙汰になるとまるで奥手で。アイツの従姉妹の方がずっとマシさ」
 悪いと言いながら、全く悪びれた様子がない。
 従姉妹……馬岱の事であろうが、やはり似た性格なのであろうか?
「では、行って参る。風、済まぬが留守を頼んだぞ?」
「御意ですよー」
「じゃ、あたしも帰るか。土方、くれぐれも気をつけてな」
「うむ」

 鈴々を伴い、宿舎を出た。
「お兄ちゃん、怪しい奴の気配はしないのだ」
「そのようだな」
 疾風と星の働きで、少なくとも見張りの目はなくなったようだ。
「だが、油断は禁物だ。鈴々、頼むぞ」
「応なのだ!」
 新月のせいで、外一面、闇夜である。
 目立つのは承知の上で、兵が松明に火をともす。
「では参るぞ」
「はっ!」
 麗羽の宿舎までは、日中であれば指呼の距離。
 だが、これだけの闇夜の上、洛陽の治安は正直、心許ない。
 月の為にも、不覚を取る訳にはいかぬ。
 数名の兵に囲まれながら、粛々と歩みを進めた。
「…………」
「鈴々。些か、気負い過ぎではないのか?」
「そんな事はないのだ。……お兄ちゃんに何かあったら、鈴々も愛紗も悲しいのだ」
「愛紗が如何致した?」
「お兄ちゃん、今日危ない目に遭ったと知らせがあった時、愛紗はとっても心配していたのだ」
「……そうか」
「勿論、星も疾風も稟も風も、愛里(徐庶)や彩(張コウ)だってそうなのだ。だから、お兄ちゃんには指一本触れさせないのだ」
 松明の朧気な灯りの中、鈴々が表情を引き締めた。
 打算も何もない、純粋に私を気遣っての言葉だった。
「わかった。だが、やはり気負い過ぎだ。気を張り詰め過ぎでは、いざという時に判断が鈍る」
「そう言われても難しいのだ……」
「自然体でいれば良い。鈴々程の達人であれば、勘も研ぎ澄まされている故、咄嗟の事にも身体が反応する筈だ」
「そうなのか?」
「ああ。私の経験則から導き出した事だ。信じられぬか?」
「ううん、お兄ちゃんがそう言うなら、きっと間違いないのだ!」
 鈴々から、力みが抜けたようだ。
「いいぞ、それで良い」
「にゃー、お兄ちゃんに褒められたのだ♪」
 ……少々、力みが抜け過ぎやも知れぬな。
 だが、幸か不幸か、その後も妙な気配は感じられぬままであった。

「申し訳ありません、麗羽さまは親戚筋の方々との晩餐会に出席されていまして」
 麗羽の宿舎に無事に着いたものの。
 留守居をしていた斗詩が、恐縮したように頭を下げる。
「すぐには戻らぬのか?」
「はい。つい半刻程前に、文ちゃんを連れてお出になったばかりですから」
「そうか……間が悪いな」
「あの……。何か急な御用ですよね?」
 窺うように、斗詩は私を見た。
「急は急だが、やむを得まい。戻り次第、私のところに知らせてくれぬか?」
「わかりました。では麗羽さまには、確かにお伝えします」
 無駄足であったか。
 そう思い、私は踵を返した。
「あ、歳三さん」
「斗詩、何か?」
「お急ぎかとは思いますが、お茶でも召し上がりませんか?」
「一息入れよ、と申すか?」
「そうです。歳三さんがいらしたのに何のおもてなしもしなかったら、それこそ麗羽さまに叱られますし」
「それはわかるが……」
「麗羽さまにはすぐに使いを立てますから、もしかしたら戻られるかも知れませんよ?」
 麗羽の事だ、斗詩の申す通りやも知れぬな。
「鈴々、良いか?」
「お兄ちゃんに任せるのだ。斗詩、出来たら何か食べさせて欲しいのだ。鈴々、お腹空いたのだ」
「う、うん……」
 斗詩の顔が引き攣っているようだ。
「鈴々、程々に致せよ?」
「わかってるのだ! でも鈴々は食べ盛りだから、お腹が空くのは仕方ないのだ」
「あ、あはははは……」
 ……後で今一度、釘を刺すとするか。
「ところで斗詩。つかぬ事を聞くが」
「あ、はい。とりあえず、中に入ってからにしませんか? 立ち話も何ですし」
「わかった。済まぬが、兵にも茶を頼む」
 と、兵らがざわめいた。
「土方様、我らは役目でお供しています。どうか、お気遣いはご無用に願います」
「良い。急に供を申し付けたのだ、気にする事はない」
「し、しかし……」
 規律を気にしてか、やたらと兵らは尻込みをする。
「私が許す。それならば良かろう?」
「……では、お言葉に甘えて」
 兵らに頷き返し、私は中へと入る。
 規律は必要だが、細々と口を挟むのは好ましいとは言えぬ。
 ……私には、近藤さん程の懐の広さは望み得ぬかも知れぬが、せめてこの程度の融通は効かせるべき。
 今更ながら、そんな事に思い当たった私である。


「うにゃー、ご馳走なのだ♪」
 流石は袁家だけあり、鈴々に用意された食事はなかなかの物であった。
 嬉々として平らげ始めた鈴々を横目に、斗誌と二人、茶を啜る。
 この茶も、良い香りと、微かな甘みを感じる。
 素人目に見ても、かなりの上物であろう。
「うむ、美味い」
「ふふ、良かったです。このお茶、麗羽さまもお気に入りなんですよ」
「……そうか」
 恐らく、値も張るのであろう。
 いくら師とは申せ、個人の嗜好にまで口を挟むつもりはない。
 ただ、この上等な茶を喫するために、どれほどの庶人が苦しんでいるか……それは、身を以て知るより他にあるまい。
「そう言えば、麗羽は多忙のようだが?」
「ええ。親戚の方々とのお付き合いもありますし、夜は書物をお読みになっています。睡眠時間も、以前よりもかなり削っておられまして」
「ほう」
「剣の稽古もなさりたいご様子ですが……流石に一度には無理ですからね」
「その通りだ。如何に若いとは申せ、無理は感心せぬ」
「私もそう思うんです。麗羽さま、歳三さんに認めていただきたい一心で、焦っておられますから」
「……だが、やはり好ましくないな。戻ったら、一言申し聞かせておくか」
 斗誌も、同意とばかりに大きく頷く。
「お願いします。私も心配なのですが、今の麗羽さま……ちょっと、鬼気迫るものがありまして」
「なるほど。斗誌や猪々子では、諫める事もままならぬ、か」
「……済みません」
 落ち込む斗誌。
「いや、やむを得まい。お前も本来は武官、そこまで気を回せと申すは酷であろう」
「……はい。やっぱり、文官とか軍師とかも必要ですよね。最近、痛感しています」
「文官はともかく、軍師か……。こればかりは、募るより他にあるまい」
「そうですね。今度、稟さん達に相談してみます」
 ……む?
 何やら、表が騒がしいようだが。
「何事か?」
「見て来ます」
 斗誌が表に出て行くが、すぐに押し問答が聞こえてきた。
「鈴々。参るぞ」
「うー、まだ食べている途中なのだ……」
「後にせよ。お前は役目の最中なのだぞ?」
「わかったのだ」
 未練がましく箸を置くと、鈴々は私の後についてきた。

「お引き取り下さい。此処を何処だと思っているのですか!」
「ふん、お前では話にならん」
 門の中で、斗誌と壮年の男が揉み合っている。
「斗誌。如何した?」
「出てきたな、土方」
 男が合図をすると、数十名の兵が私を取り囲んだ。
「貴殿は?」
「私は崔烈。太尉を仰せつかっている」
「これはお初にお目にかかります。して、これは何の真似にござる?」
「惚けるな! 偽校尉を騙り、宮中奥深くまで入った事は既に露見しておる!」
 崔烈は、そう畳み掛けてきた。
「これは異な事を。偽、と仰せか」
「そうよ。偽でないと申すなら、証拠を出すが良い」
「……陛下自ら勅許を戴いたもの。決して詐称ではござらぬ」
「黙れ。言い訳は政庁で聞く。神妙にせよ!」
 聞く耳持たぬ、という訳か。
 だが、何故麗羽の宿舎に寄せてきた?
 ……わからぬが、言える事は問答無用で、私を罪に陥れようとする者がいるという事だ。
「私は助軍校尉。私に命ずる事が出来るのは陛下のみですぞ?」
「ふふん、その事か。もう貴様は助軍校尉などではない。……いや、そもそも八校尉自体、廃止と相成ったのだ」
 崔烈も周囲の兵も、嘲笑う。
「そのような達しは受けておりませぬな。斗誌、どうか?」
「……私も初耳です」
「貴様が聞いているかどうかなど、この際どうでも良いわ。引っ立てい!」
「はっ!」
 兵が縄を打とうとするが……それは適わぬ事。
「ぐはっ!」
「わわっ!」
 二人の兵は、鈴々にはじき飛ばされていた。
「お兄ちゃんには、指一本触れさせないのだ!」
「ガキが。勅命に逆らうか?」
「そんなの知らないのだ! 鈴々は、お兄ちゃんを守るだけなのだ!」
「土方。大人しくせねば、そのガキだけではない。お前に関わる者全員に累が及ぶぞ?」
「……崔烈殿。では、その勅命たる証をお見せいただきたい」
 証を要求する以上、持っているのが当然である。
「良かろう。……これが勅許よ」
 懐から取り出された竹簡。
 だが、崔烈はそれを開こうとはせぬ。
「確かに、勅許でござるか?」
「貴様、恐れ多くも陛下の詔を疑うとは! 構わん、取り押さえよ!」
 門の外から、更に一団の兵が雪崩れ込んできた。
 そして、その全員が弓を構える。
「崔烈さま! 無法が過ぎましょう!」
「下郎は下がっておれ! お前の主、袁紹にも累を及ぼしたいかっ!」
 これは……如何に切り抜ければ良い?
 握り締めた手が、じっとりと汗ばむ。 
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