ストライク・ザ・ブラッド 〜神なる名を持つ吸血鬼〜
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
追憶の惨劇と契り篇
46.無力なる神意
前書き
海原を倒した彩斗だったがそれとともに全ての力を使い果たし倒れてしまう。
次に目が覚めたのは見知らぬ場所だった。
今回のお話は確信に少しだけ近づきます。
夜明け前の海には静寂が包み込んでいるはずだった。しかし今日の海は荒れ狂っていた。
波をとどまることを知らぬ程に舞い上がり、風は全てを破壊する勢いで吹き荒れている。
その中心に浮き続ける一隻の船。
「──“娑伽羅”!」
ヴァトラーの狂気に満ちた叫びが響く。それと同時に海蛇にも似た姿を持つ眷獣が、超高圧の水流へと姿を変えて海面へと襲いかかる。爆発的な威力に再び海は上空へと舞い上がっていく。
しかしそいつはそこに何事もなかったかのように浮遊している。
漆黒のローブを身にまとい表情すら見えぬ不気味な人物。
「いいね。愉しませてくれるじゃないか!」
ヴァトラーが喜色を浮かべながらさらに眷獣を出現させる。
「──“難陀”! “跋難陀”!」
新たに出現した二体が混ざり合い魔力を増幅させ、新たな眷獣を創り出す。灼熱の炎をまとった、鋼色の龍。真祖に匹敵する膨大な魔力が、海面を激しく波立たせる。
圧倒的な魔力を真正面から受けようともローブは動じるどころかむしろさらに冷静に見える。顔が見えないというだけでかなりの不気味さを醸し出す。
融合眷獣の攻撃がローブを襲う。しかしその攻撃はまるで空間を歪められたかのようにローブを避けていく。そしてローブを襲った攻撃と同等の魔力が空気を震わし、音速で融合眷獣へと襲いかかった。自らの攻撃と同等の衝撃を受けた融合眷獣は消滅する。
「ぐ!?」
ローブはヴァトラーの攻撃を防いだのではなく相殺した。そこで一つの正体に気づいた。
「キミのその力は複製魔術の類いだネ」
「オマエニ答エル必要ナドハナイ」
くぐもった声がヴァトラーの耳に届く。
ローブは使う魔術は、船を止めている不可視の壁、空間制御、肉体の消滅などとそのどれもが高難易度の魔術である。それを使用できるだけの魔力量を彼からは一切感じることがない。つまり何かしらの方法でその現象に似た状態を再現していると考えるのが妥当であろう。さらに言うならばそれだけの高難易度魔術を複数会得することなど例え“書記の魔女”や“空隙の魔女”であっても不可能に近いであろう。
「まァいいさ」
ヴァトラーは狂気に満ちた笑みを浮かべて魔力を大気中へと放出する。
するとローブがわずかに右腕を動かした。その瞬間、膨大な量の魔力が大気中へと放出されていく。その感覚をヴァトラーは知っている。真紅の瞳がローブを睨みつける。
ヴァトラーの魔力が蛇の形を形成しようとしたその瞬間だった。上空から飛来してきた何かが眷獣と衝突する。形作られる前の不完全な眷獣はその姿を消滅させる。
「ボクの邪魔をするとはいい度胸だね」
ヴァトラーは上空から落下してきたそれを睨みつける。
白髪に鋭い目つきの少年。軍服のような服を着ており、身体中から魔力の余韻が溢れ出ている。
「邪魔をする気はなかったのだがな」
遅れて現れたのは同じく軍服を着ている男だった。オールバックに目元に刻まれた深い傷が特徴的だ。そこでようやくヴァトラーは彼らの正体に気づいた。
「黒死皇派がボクに何の用だい?」
見覚えがあると思えば彼らは、獣人優位主義を唱える過激派グループの黒死皇派だ。だが、残党は主導者であるガルドシュが消えたことによって最近はおとなしくしていたはずだ。
「まぁ、ちょっとした挨拶だな」
その瞬間だった。今まで押さえ込まれていたローブが膨大な魔力をこちらに向けて放出する。
ヴァトラーが動く。だが、それよりも早く白髪の少年が動いた。
襲いかかってくる魔力の塊を少年は何のためらいもなく殴りつける。あれほどの魔力を生身の人間が受け止められるわけがない。
すると少年の右腕から鮮血が迸る。それは吸血鬼が眷獣をこの世界に呼び出すときに酷似していた。しかし一向に眷獣が出現する気配がない。それどころか白髪の少年は鮮血をまとったまま魔力の塊をそのまま迎え撃った。
ローブから放たれた魔力は少年の拳に激突すると真っ二つに分断される。それは獅子王機関の舞威媛が操る“煌華麟”の空間断裂に似ている。
「ほう……」
ヴァトラーから感嘆の声が漏れる。
白髪の少年はまるで何もなかったかのようにこちらへと視線を向けた。正確には、オールバックの男にだ。
「なんだ……その眼は……」
動揺するヴァトラー。
鋭い瞳はまるで吸血鬼のように真紅に染まっている。いや、違う。それ以上だ。
吸血鬼よりも深い緋色。それは漆黒をまとっているようだ。
「そう気を立てるな、蛇遣い。こいつも私も今おまえと戦う気などない」
もう一人の黒死皇派の男がそんな言葉を残して海の中へと消えていく。それを追い白髪の少年も海へと飛び込んでいった。
いつの間にか空中を浮遊していたはずのローブの魔術師もその姿を跡形もなく消していた。
ヴァトラーは一人甲板の上で不敵な笑みを浮かべて魔力の余韻に浸る。
十三号増設人工島ではいまだ二つの強大な魔力が激突しあっていた。
身体が重い。
意識を取り戻した彩斗が初めに思ったことはそれだった。まるで自分の体に何十キロもある鉄の塊でもまとっているようにだ。
天井からは蛍光灯の光が容赦なく降り注ぎ、起きたての彩斗にはかなりきついものだ。
とりあえずここはどこなのだろうか。辺りを見渡してはみるが白いカーテンで囲まれており、周りの状況を確認することができない。それだけの情報だけでもここがどこなのかは理解することはできた。
「……そっか」
彩斗は力なく呟き、なんとなくだがここまでの経緯を思い出した。
海原を殴って倒した彩斗。しかしそれとともに全ての力を使い果たして自身も倒れたのだ。その後に誰かがこの病院と思われる場所まで運んでくれたのだろう。
自分のものではなくなったように重い身体をベッドから起き上がろうとした。しかし足には力が全くというほど入らずにそのまま床へと倒れこんだ。
「い……てぇ……」
あれほどのダメージを受けて足にも力が入らないというのにしっかりと痛覚だけはあるようだ。なんとも不自由な体だな。
手に力をこめて立ち上がろうとする。しかしまるで先ほどのことが嘘のように全くというほど力が入らない。
彩斗がひっくり返った亀が如く床で起き上がろうと足掻いていると遠くの方から足音が聞こえてくる。その音は徐々に大きくなってきている。どうやらこちらに向かってきているようだ。そろそろ床が冷たくて苦痛になってきていたので内心安心する彩斗だった。
その足音は、彩斗が這いつくばっている床の前で止まり豪快にカーテンを開け放った。シャー、というカーテンレールを滑る音が聞こえる。
「あらあら、ベッドから転がり落ちるなんてすごい寝相ね」
女性の声が聞こえた。
「違いますよ。起き上がろうとしたらこうなったんです」
辛うじて動かすことができた首を女性の方へと向ける。すると赤い派手なヒールを視界の端に捉える。
「とりあえずは意識が戻ったなら大丈夫そうね」
その言い方だと相当危ない状況だったのだろうか。確かによくよく考えてみても彩斗がやったことは“無謀”以外の何者でもなかった。不死身を誇る吸血鬼相手にただの人間が勝負を挑んで生きていたことだけでも奇跡に近い。
「と、とりあえず起こしてもられるとありがたいんですが」
「あ、ごめんね」
女性の力を借りてようやく冷たい床から起き上がることができた。
「ありがとうございました」
軽くウェーブがかかった肩まで届く黒髪。二十代後半から三十代前半くらいの年齢だと思われる。白衣を着ていることから医療関係か科学関係ということはなんとなくはわかる。さすがにコスプレで着ていることはないだろう。
「あなたの身体って丈夫ね。本当にただの人間なの?」
「…………」
思わず黙り込んでしまう。今回の出来事のせいで彩斗は自分自身が本当に人間なのか心のどこかで疑っていた。彩斗が人間じゃないとするなら今回海原に勝つことができたのも説明がつく。
そもそも人間と化け物の違いとはなんだろうか。人間ではない形状をしているものを化け物というのだろうか。ならば人の形をしている吸血鬼とはなんだ。人間を簡単に倒せる者を化け物というのだろか。それなら唯も化け物になってしまう。つまり人間と化け物の明確なラインなどないのだ。
ならば彩斗も…………
「彩斗くんは正真正銘の人間よ。それは私が保証するわ」
カーテンの向こうから聞きなれた声がした。なぜこんな場所にいるのだろうか。しかしそんなことを考えらないくらいに彩斗の頭は混乱しきっていた。
開け放たれたカーテンの奥から現れたのは、長い茶髪に年齢に全く合っていない少女のような顔立ちの女性だ。
「……母さん」
「以外に元気そうで安心したわよ、彩斗くん」
「これを見て元気に見えるかよ」
彩斗はわずかに口角を釣り上げた。
ここまでの状況がよくわからない。アイツの言葉に従って動いた結果がこれだった。結局、アイツはなんだったんだ。正体もわからずに言葉を信じて闇雲に進んでみれば柚木が眷獣を操っている姿を見るは、津波に巻き込まれそうになるは、眷獣に殺されかけるわなど散々な目にあった。
「そういえば、柚木はどうなったんだ?」
「柚木ちゃんなら隣の部屋で寝てるわよ。相当頑張ってくれたからぐっすりよ」
その言葉を聞いて安堵のため息が漏れた。
彩斗は一呼吸開けてから真剣な顔へと変え口を開いた。
「それなら母さん聞かせろよな……あんたたちは何者だ」
美鈴は困ったような表情で白衣の女性と顔を見合わせる。
「それは教えられないわ。無関係のまま家に帰ったほうが彩斗くんのためよ」
「だが、その少年はもう無関係とは言えないでしょう」
今度は聞きなれない男の低い声。そちらの方向へと顔を向ける。碧眼の綺麗な瞳ではあるが、鋭い目つき。日本人離れした北欧系の顔の男らしい顔立ちだ。その上彩斗が座っていることもあるが、見上げるほどの身長で首が疲れる。190くらいはあるのではないだろうか。
「アレイストさん! もう体は大丈夫なんですか?」
「もう大丈夫です。わたしの体は皆さんに比べても少々特殊なのでね」
礼儀正しい口調と動作からどこかの軍人なのではないかと思ってしまう。それによく見てみると服装も軍人が着るような感じであった。
「それにこの少年がいなければ、四番目の暴走を止めることはできませんでした。わたしもどうなっていたことか」
そんなことを言いながらアレイストと呼ばれていた男は、彩斗に手を伸ばしてくる。まじかでみるとさらに迫力がすごい。
「ありがとう、少年」
「い、いえ、こちらこそです」
その手を握り返すが大きすぎて彩斗の指が疲れる。
「……そうですけど」
白衣の女性の言葉の語尾が力なく消えていく。ちらりと美鈴を見ているが呆れたように首を横に振っている。
「なら決まりだな。だが、一応確認はとっておくぞ、少年。ここから先の話を聞けば君は普通に日常を送れなくなるかもしれないぞ」
彩斗は迷いなく答えた。
「そんなこと柚木を助けに行った時から覚悟の上ですよ」
アレイストは満足したように笑みを浮かべる。
わずかな沈黙が辺りを包み込んだ。そして唐突にアレイストが口を開いた。
「最初に君が一番気になっていることについて話すとしよう」
これでようやく次へと進むことができる。これまで何も知ることなくがむしゃらに動いてきた彩斗だった。しかし、ようやくここで一歩を進むことができる。
「多分、先ほどので君も気づいたかもしれないが……我々は吸血鬼だ」
やはりか。わかっていたことだった。彩斗の少ない情報の中でもわかってしまうことだった。
しかし、引っかかることが一つだけあった。
「……我々?」
「そうだ。未鳥柚木にそこにいる白衣の女性、大高京子。そして君の母親の緒河美鈴」
「え……?」
驚愕のあまり声が漏れた。
柚木だけではなく美鈴までもが吸血鬼など考えもしなかった。それならば彩斗の父親であり、美鈴の夫の緒河慎治はそのことを知っているのだろうか。さらに吸血鬼と人間の間に生まれた彩斗と唯はどちらなのか。
吸血鬼と人間が子供を授かった場合には必ずしもその子が吸血鬼になるとは限らない。ただ魔力が高い人間が生まれてくることもあれば、なんの能力も持たないただの人間になる可能性もある。
「安心しなさい。彩斗くんも唯ちゃんも二人とも正真正銘の人間よ」
困惑する彩斗に美鈴が安心させるように語りかける。
別に自分の正体が実は吸血鬼だったといわれれも今の彩斗は驚かないかもしれない。それでもその言葉を聞いて内心ホッとしている。
「それに私たちは吸血鬼の中でもなった経緯もだし、そもそも存在自体が異質なものなのよね」
白衣の女性、大高京子が椅子に深く腰をかけて煙草を吸っている。
「あなた医師なんだからせめて病院内で煙草を吸うのはやめなさい」
「別にいいでしょ。さっきの戦いで疲れてるのよ」
さっきの戦いとは、海原とのことを指しているのだろうか。だが、彩斗はアレイストと大高の姿を一度も確認していない。別の場所で柚木を支援していたのか。
それよりも彩斗は気になることを口にする。
「吸血鬼の中でも異質?」
「ああ、我々は吸血鬼の中でも少し特殊な存在なのだ。君も《真祖》と呼ばれる存在を知っているだろ」
ああ、と小さく頷いた。さすがの彩斗でもそれは知っていた。
《真祖》───最も古く、最も強大な魔力を備えた始まりの吸血鬼たちにして不老不死の存在だ。数千数万もの闇の軍勢を従え、各大陸にそれぞれの自治領である『夜の帝国』を築いている。東欧の夜の帝国、戦王領域の第一真祖、“忘却の戦王”。中東の夜の帝国、滅びの王朝の第二真祖、“滅びの瞳”。そして中央アメリカの夜の帝国、混沌界域の第三真祖、“混沌の皇女”。
そういえば四番目の真祖が確認されたという噂があった気がする。
アレイストはわずかに言いにくそうに口をつむいでいる。そしてかなりの間を空けてから言葉を吐いた。
「我々は吸血鬼……そして真祖さえも殺せる力を持つ」
「え……?」
意味がわからなかった。もはや彩斗が理解できる範疇を優に超えている。
不老不死の《真祖》を殺せる?
そんなことありえるのか?
寿命すらなく心臓を貫かれようが頭を吹き飛ばされようがそれがなかったかのように再生するのが不老不死の《真祖》なはずだ。
───あれ?
なぜだ。なんでそんなことを彩斗が知っている。そもそも真祖の存在は知っている。だが、名前まで知ってるほど魔族に詳しくはない。なのに彩斗はそれを知っていた。
「ん───グッ!!」
突如として頭に激痛が走った。
これ以上はまだ早い、と誰かが告げてくる。
その声はアイツの声だ。彩斗ではない彩斗の声だった。
「大丈夫か!?」
アレイストが慌てて駆け寄ってくる。
「は、はい。大丈夫です」
痛みに堪えながらも彩斗は答える。
「大丈夫なわけないでしょ。……このバカ」
小さく聞こえた声に彩斗は即座にそちらへと振り向いた。
壁を手をついてぎこちなく歩いてくる少女の姿に彩斗は安心する。
「お前にだけは言われたくねぇっつうの」
不器用な笑みを浮かべて柚木を見るのだった。
彼女の体のいたるところに包帯が巻かれており、先ほどの戦いの激しさが伺えた。それもそのはずだな。彩斗が柚木の元へたどり着くまでにもずっと戦い続けていたのだ。
「柚木ちゃん、もう歩いても大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。あり程度なら自分の治癒能力だけでもいけますから」
その発言を聞いて彩斗は改めて思い知らされることになる。
……柚木は吸血鬼なのだということを。
「これ以上は彩斗に話す必要なんてないですよ、アレイストさん」
柚木は強い口調で言い放つ。
無関係だと言いたいのだろう。確かにその通りだ。
「いや、続けてください。俺は知りたいんだ」
自分でもどうしてそんなことを言ったのか分からない。いつもの彩斗ならばこんな事件に首を突っ込むことなど絶対にしない。何事においても無気力だったはずだ。だが、今回は違った。
多分、その理由がわかることはないであろう。それは彩斗の意思なのかそれとももう一人の自分ではない誰かの意思なのかがわからないからだ。
それでも知りたい。例えそれが自分の意思じゃなかったとしてもだ。
辺りを静寂が包み込む。壁に掛けられたアナログの時計の秒針がわずかな音を立て、風が窓ガラスを揺らす。
「勝手にすればいいよ。どうせ彩斗にできることなんて何もないんだから」
そう言い残して柚木は奥の部屋へと姿を消した。
テーブルの上に置かれたティーカップに手をかけて紅茶を飲みながら、ラ・フォリア・リハヴァインは心中穏やかではなかったか。銀色の髪に碧い瞳。美の女神の再来とも称される、北欧のアルディギアの若き王女だ。
落ち着かないように彼女は何度も紅茶を飲んでは置きを繰り返している。
「まだ着かないのですか、船長?」
「あと最低でも一時間はかかるぜ」
船長と呼ばれた男が目的地までの時間を知らせる。その言葉を聞いてラ・フォリアは深いため息をついた。
彼女は現在装甲飛行船“ベズヴィルド”で絃神島へと向かっている最中だった。
目的など決まっている。緒河彩斗が危険だと叶瀬夏音の護衛を兼ねて、絃神島に駐在させている密偵──ユスティナ・カタヤから情報があったからだ。
不死身にして伝説の吸血鬼である“神意の暁”が危機に陥ることなどほとんどないであろう。しかし今回は相手が悪すぎる。
同族の吸血鬼。“賢者の霊血”の事件の時に現れた謎の少年が関わっている。ただの少年ならば彩斗の敵ではないであろう。だが、彼は彩斗から何かしらの力を奪ったようだとユスティナから情報があった。ラ・フォリアはそれがどこか引っかかっていた。
そして先日、強大な魔力を感じたのと彩斗と古城が何者かに襲われた。
そんなことがあればいてもたってもいられなくなってラ・フォリアは、絃神島へと向かう。
「…………彩斗、古城」
不安を感じるラ・フォリアに低い男の声が聞こえる。
「大丈夫ですよ、姫様」
軍隊の礼儀服を身にまとった大柄の男性がティーポットを持って現れた。大柄のせいかかなり小さく見えてしまう。
ありがとう、と短くお礼を言ってラ・フォリア再び紅茶を啜った。
「アイツはその程度でやられるほど柔ではありませんよ」
男はどこか懐かしむような言う。
「そうですね。彩斗なら大丈夫ですね」
ラ・フォリアは慈愛に満ちた優しい微笑みをして彼を信じるのだった。
結局その後微妙な空気になり彩斗は何も聞くことができずに松葉杖だけを渡されて家に帰れとと言われた。
美鈴はまだ用事があるからもう少しかかるということで一人で家に帰ることになる。大きな怪我などしたことのない彩斗には人生初めての松葉杖はとてつもなく歩きにくい代物だった。
エレベーターホールまでは、アレイストがついてきてくれたがやはり彼もまだやることがあるようだった。
密閉された個室の端にもたれかかりながら彩斗は今日あった出来事について改めて考える。
現実離れした出来事に未だ彩斗は信じられていない。しかしこれは紛れも無い現実なのだ。背中にはまだズキズキという火傷の痛みが残っている。
そういえば、あの少女はどうなったのだろうか。柚木と一緒にこの病院に運ばれたのだろうか。それでもあそこで海原の暴走が止まったなら彼女も助かったはずだ。
チーン、というエレベーター特有の音が響いた。扉が開く前に松葉杖をぎこちなくつきながらそこまで移動する。無駄にゆっくり開かれる扉に若干イライラしながらもエレベーターから出る。
するとだだっ広いエントランスが視界に入る。そこでようやく彩斗は自分がどこにいたのかを理解することができた。ここはこの街で一番大きい総合病院だ。
なぜこんな場所に真祖殺しの吸血鬼たちが集まっているのだろうか。
疑問は募っていくばかりで解けることはない。
「……はぁ」
深いため息をついて病院のエントランスから出入り口へと向かう。自動ドアが無機質な音を立ててスーッと開いた。後方から「お大事に」という受付女性の声が聞こえてくる。少し振り返って苦笑いを浮かべる。
正直、背中に大火傷を負っている人間が半日も経たずに帰るなんてどうかしている。さらに深夜ということもあり、なおさら問題だらけだ。
ぎこちない三本目の足を地面につきながらゆっくりと進んでいくと暗闇の中に一人の人影を捉える。
髪をサイドで縛っており、紺色のブレザーの上にベージュの大きめのダッフルコートを着て、首には真っ赤なマフラーを巻いている。
「帰ったんじゃなかったのか?」
「うん。帰ろうと思ったけど……その……」
柚木が口ごもる。何かを言いたげにもごもごしている。
「ごめん!」
柚木は深く腰から曲げて謝ってくる。予想していなかった柚木の行動に彩斗が反応したのは少し経ってからだった。
「いや、別に気にしてねぇよ」
多分、先ほどのことを謝ったのだろうが彼女が言っていることは何も間違っていない。むしろそちらが正しい。何も知らない人間が突然首を突っ込んでヒーロー気取りをしていたら誰だって腹が立つものだ。
「それよりもお前はもう大丈夫なのか?」
「う、うん。私はあのぐらいなら平気」
あのぐらいなら……か。
複雑な気持ちになりながらも彩斗は帰路に着こうとすると並走して柚木も歩みを始める。
話すこともない居心地の悪い空気だけが辺りを包んでいる。それを見計らっていたかのように風が草木を揺らした。
「……寒ぅ」
冬に近づいてきたということで風が肌を刺すように冷たい。
「よくこんな寒い中を制服だけで出ようと思ったね」
「ちょっとコンビニに寄るだけのつもりだったからな」
それがまさか変な事件に巻き込まれるとは予想などできるわけもない。
寒そうにしている彩斗を見兼ねたのか柚木は首に巻いていたマフラーを外してこちらに渡してくる。
「これ使ってよ」
「別にいいよ。お前寒がりだったろ」
「よく知ってるね。そこまで私のこと見てくれてたの」
彩斗をおちょくるように柚木は悪戯をするような笑みを浮かべる。
「見てりゃわかんだろが。まだ冬じゃねぇのにそんな重装備してるんだからよ」
「まあそうだね」
そう言いながらも柚木は彩斗の前まで出るとマフラーを首に巻いてくる。ほのかに体温が残っているのもあってとても暖かい。
かなり長いマフラーのためか彩斗の首に巻いただけではかなり余ってしまっている。松葉杖を持っていな方の手で余りを無理やりにでも巻こうとした時だった。柚木が突然、こちらに身体を寄せてきたかと思うと余っていたマフラーを自分の首に巻き出した。
「これで二人ともあったかいでしょ」
悪戯をするような笑みを浮かべる柚木の頬と引っ付くんじゃないかと思うくらい近い。
悔しながらも身長的にあまり大差がない彩斗と柚木では、とても距離が近い。
彩斗の頬が一気に紅潮していき、熱くなるのを感じる。
柚木は彩斗の体質を知った上でからかうために平気でこのような行動をやってくる。
「ねえ……彩斗」
柚木が袖を掴みながら小さな声で呼ぶ。その声からはいつものからかうような雰囲気は見られない。
「約束して欲しいの……もうあんな無茶はしないって」
やはりか。柚木が先ほどのあそこまで冷たくなってのは、彩斗のことを心配してのことだとわかっていた。なのに柚木が謝るのはおかしなことだ。
彩斗は確かに無茶をした。けれどもあのままの海原をほっておけば柚木は死んでいたかもしれない。彼女がいかに不死身の吸血鬼といえども彩斗にとっては人間と何一つ変わらないのだ。
それならば動かずにはいられない。無茶をせずにはいられない。
「ああ、わかったよ」
でもな、と彩斗は続けて言葉を紡ぐ。
「約束しろ。お前もこれ以上無茶はするなよな」
「えっ……」
そんな言葉が白い吐息とともに大気へと流れた。
柚木の瞳は丸くなり、彩斗をじっと見つめる。
「そこまで驚くことでもねぇだろ。友人を心配するのは普通のことだしな」
不器用な笑みを浮かべながら頭を掻いた。我ながらこっぱずかしい台詞を言ったような気がしてまたも頬が熱くなるのを感じる。
柚木はわずかに笑みを浮かべながら彩斗が聞こえるか聞こえないかの声で何かを呟いている。
その声を聞き取ろうとすると柚木は何かに満足したよう表情へと変わり、彩斗の腕に抱きついてくる。
「うん。無茶なことはしないよ」
「急に抱きつくんじゃねぇ! 離れろつうの!?」
「抱きついてるんじゃなくて支えたあげてるんだよ。感謝しなさいよね」
ダッフルコートのせいであまりわからないがほのかに柔らかな感触が腕に伝わってくる。
まずい!?
意識してしまうとまた顔が熱くなってくる。
「また、真っ赤に染めちゃって。ほんと彩斗は可愛いね」
「うるせぇ!」
彩斗は知ってはいけない真実を知ってしまった。それは今まで動くことのなかった歯車を巻き込んで動き出した。もはやそれは止めることなどできないほどに規模を広めてしまっていた。何か一つを止めれば連動して動きが止まるほどこの事件の歯車は簡単なものではなかったのだった。
後書き
いかがでしたでしょうか?
いよいよ“神意の暁”がなんなのかが徐々にですがわかってきました。
過去編ということもあってか柚木以外のヒロインたちが空気になりかけているのでラ・フォリアも登場させていただきました。
それとヴァトラーもそろそろ出し頃かなと思い出させていただきました。
誤字脱字、感想や意見などがありましたら感想などでお教えください。
また読んでいただければ幸いです。
そして先月の1月18日にこの作品が一周年を迎えることになりました。
ここまで読んでいただいた皆様方ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
ページ上へ戻る