ストライク・ザ・ブラッド 〜神なる名を持つ吸血鬼〜
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錬金術師の帰還篇
31.研修前夜の訪問者
前書き
今回から錬金術師の帰還篇スタートです。
緒河彩斗は珍しく朝早く目覚めた。
そうはいってもまだ時刻は五時だ。朝というよりは明け方という表現が正しいのかもしれない。
古くからこのような時間を暁、東雲、曙などというが彩斗のダメな頭では使い分けなどできない。
「ふぅ……朝飯の準備でもするか」
ベッドを少しでも振動させないように慎重に起き上がる。
彩斗の隣では銀髪の少女が静かに寝息を立てている。天使を連想させる美貌の持ち主──叶瀬夏音だ。
夏音は寝ていてもその美貌は変わらないのだ。
まあ当たり前のことだがな。
「ホント可愛いよな」
自然と口から声が漏れた。
彩斗の家にはベッド一つしかない。もともと彩斗の家は父親と一緒に住むはずだったが、わけのわからない言葉を残して姿を消したせいで一人暮らしなのでベッドは一つしかいらないのだ。友人が泊まりに来る際でも男の泊りなどオールするというのが定番になっているので布団さえこの家にはないのだ。
そんな状態で十月の終わりに夏音と彩斗は一緒に暮らすことになった。
別に食事も風呂も問題はなかった。しかし寝るときは問題しかなかった。彩斗は夏音にベッドを譲って自分は床かソファーで寝るつもりだった。しかし、夏音は自分が無理やり来たから彩斗が使ってくれというのだ。
新しいベッド買うという選択肢もあったのだが、そんな金が彩斗にはあるわけもなく身元引受人である南宮那月が支給してくれるのは、夏音の服くらいだ。
それで二人で一緒のベッドで寝るという吸血鬼の彩斗には天国なのか地獄なのかわからない生活が始まった。
こんな状況でも慣れてしまうと普通に二人で寝てしまっているのが人間の適応能力には感心する。
「こんなこと逢崎や姫柊にでも知られたら死刑は免れねぇからな」
バレたときのことを想像して血の気が引くのを感じる。
物音を立てないように部屋の隅にかけられていたカッターシャツと学生ズボンを手に自室を後にする。
「ふぅー……もう十一月か」
ソファーに深く腰をかけてよくわからない通販番組が流れているテレビを見ながら考える。
十一月といえば彩海学園中等部の宿泊研修が行われる時期だ。“魔族特区”の学生たちに、一般社会の様子を見学させるという趣旨の旅行行事だ。行き先は有名な観光地でもなく、官庁街や工場などがメイン。
それでもクラスメイトたちと泊りがけで旅行に出かける、というイベントが中学生にとっては楽しみでないわけがない。
つまりは夏音が数日間いなくなるということだ。
「少しさみしくなるな……」
彩斗は呟きながら、ぼんやりとある少女のことを考えた。
第四真祖の監視役をしている中等部の転校生。
絃神島から離れるということは、当然、監視はできない。
(姫柊はどうするつもりなのだろう?)
「まぁ、俺には関係ないことか」
彩斗は大きな伸びをして目の前に現れた朝日を睨みつけた。
「はあ……美味しい」
夕方の明るい陽射しの中で、暁凪沙がとろけるような感嘆の声を出す。
商業地区ショッピングモール内のカフェテラス。屋外のテーブルに座って彼女が舐めているのは、三段重ねの巨大なアイスクリームだった。
同じテーブルを囲んでいるのは彩斗と友妃。そして第四真祖の古城と友妃と同じ獅子王機関の剣巫の雪菜、日本人離れした北欧系の美貌の“中等部の聖女”こと叶瀬夏音だ。
「やっぱり、るる屋のアイスは最高だね。この芳醇な味わいとサッパリした後味が」
幼い子供のようにアイスにかぶりつきながら、凪沙が愉しげに解説する。
「たく……大事なお願いっていうからなにかと思えば、荷物持ちかよ。おまえは目上の人間をなんだと思ってるんだ……」
古城は不機嫌そうに頬杖を突いて呟いた。
「だから、お礼にアイスを奢ってあげてるでしょ。可愛い妹の頼みなんだから、お買い物くらい付き合ってよ。こんな大きな荷物持ってたら、ゆっくりお店回れないでしょ。彩斗君は文句一つ言わずについてきてくれたよ」
「それは夏音ちゃんがいるからに決まってるじゃんか。ね、彩斗君」
アイスを口に頬張りながら友妃は微笑む。
「ちげぇだろうが。おまえが俺を無理やり連れてきたんだろ」
彩斗は気怠そうに呟いた。
いつものように真っ先に帰ろうとしたところで校門で待ち構えていた中等部の三人によって買い物に付き合わされた。そのまま振り切って帰ろうともしたのだが、気怠そうな第四真祖と獅子王機関の剣帝によって強制連行されたのだ。
彩斗は暑さで若干溶けかけているアイスを頬張る。
「どうしたんだ、夏音。ぼーっとして」
会話に参加せずに、ぼんやりと遠くを見ていた夏音に気づいて、彩斗が訊いた。
夏音は少し照れたように振り返る。
「すみません。アイスが美味しかったので幸せでした」
彼女の笑顔に思わず目を奪われた。
聖女という呼び名が相応しいと思えるほどに穏やかな表情に。
「それじゃあこれやるよ」
彩斗は少し食べられているがひと玉残っていたアイスのカップを差し出した。
夏音は目を輝かせる。
「じゃあ、一口だけ……実はイチゴ味も気になってた、でした」
子犬のように喜んでいる夏音を見て、彩斗はわずかに頬を緩ませる。
「彩斗さん。アイス、ついてます」
「ん?」
そう言って、夏音が突然ナプキンで彩斗の唇を拭ってくれる。驚きのあまり硬直する。それでも彩斗の身体は反応し、顔が紅潮していく。
不意に突き刺さるような視線に振り向くと、友妃がものすごく表情で彩斗を睨んでいる。
「い、今のは……そ、その……」
「彩斗君のバカ……」
その後、やけ食いのように友妃がガツガツとアイスを食べ終える。
「そうだ、そこ入ろ! そこお店!」
「え!?」
凪沙が指差した店を見て、彩斗と古城、雪菜がほとんど同時に声を洩らす。ピンクを基調にした可愛らしい店構え。ショーウィンドウに飾られているのは、ゴージャスなランジェリー姿のマネキンだ。どこからどう見ても下着屋である。
「ほらほら、タイムセールやってるみたいだし。やっぱり旅行のときは下着にも気を遣わないとねー。あれなんか雪菜ちゃんに似合いそう。夏音ちゃんも友妃ちゃんも任せて。ばっちりコーディネートしてあげるから。あ、古城君と彩斗君は外で待っててよ!」
「頼まれても中には入らねーよ!」
「はぁー……」
彩斗は深いため息をつく。
ためらう雪菜と夏音の手を引いて、凪沙が下着屋に入っていく。
友妃も渋々ついていく。
「とりあえず、テメェは誰だ」
彩斗は先ほどからこちらを見ていた男に話しかける。
純白のマントコートに、赤白チェックのネクタイと帽子。左手には銀色のステッキを握っている。見た目の年齢は二十歳前後だが、それよりもずっと年老いてるようにも、幼くも見える。
奇術師めいた胡散臭い印象の男だ。
「今の銀髪の彼女、綺麗な子だね」
男は愉快そうに目を細めて笑う。
その目は、鮮血のようなおぞましく赤い。
「あんたには関係ないだろ」
古城もやっと気づき警戒しだす。
この男から血の臭いがする。
「あんたは誰なんだ?」
古城が問う。
「僕か。僕は、真理の探究者だよ」
「……は?」
男の言葉に古城は一瞬唖然とした。
その直後だった。男の右腕から、蛇のようにのたうつなにかが放たれた。
金属質の輝きを帯びた、粘性の強い黒銀色の液体だ。それは古城の腕に巻きつこうとする。
金属と古城の間に魔力を纏わせた右手を横殴りにする。
強大な魔力の塊が黒銀の液体を弾き飛ばす。
「気抜いてんじゃねぇよ、古城!」
「助かった。サンキュ、彩斗」
あの黒銀色の金属は普通の代物ではないだろう。
「ふぅん。あれを防ぐのか。さっきから妙な気配がすると思ったら、きみたち、人間じゃないね」
自分の右手を眺めながら、男が不機嫌そうに目を眇めた。
「未登録の魔族……吸血鬼か。アルディギア王家が寄越したボディーガードってわけでもなさそうだけど、まあいいや。できれば目立たないように殺したかったんだけどね──」
男が再び右腕を掲げた。
その指先から、再び黒銀の液体が迸る。それは細く鋭い刃物と化して、凄まじい速度で彩斗を横薙ぎに襲った。吸血鬼化した反応速度で魔力を纏った右拳で軌道を逸らす。
逸らした先の街灯の支柱が真っ二つに切断されていた。
ただの液体ではないようだ。水銀のような液体金属に、高圧をかけて刃を形成し、自重と遠心力を利用して攻撃力を生んでいるらしい。
「おまえ……叶瀬を誘拐する気か……!?」
彼は夏音をアルディギアの関係者だと知っている。
「誘拐……? どこかに連れていくってことかい?」
しかし男は、あからさまに軽蔑したように笑った。
「それだけの魔力を持ちながら、くだらないことを気にするんだな、吸血鬼! あの子はもうどこにもいけない。ただの供物になってもらおうと思っただけだよ」
「供物……だと」
その瞬間、彩斗は男との距離を一気に詰める。
刹那のことで反応すらできなかった男は彩斗の魔力を纏った拳が顔面を抉りこまれる。
轟音を鳴り響き、男はコンクリートの地面に叩きつけられる。
「もういっぺん言ってみろ。今度はこれぐらいじゃすまねぇぞ」
「これほどの力とは、予想外だったよ」
男はわずかな笑みを浮かべながら立ち上がる。
するとふわり、とスカートを翻して二人の少女が現れる。
「姫柊──!?」
「逢崎──!?」
彩斗と古城は同時に叫んだ。第四真祖と“神意の暁”の監視役である彼女らが、多分彩斗の魔力に気づいて店を抜け出してきてくれたのだ。
「ご無事ですか、先輩がた?」
「ああ、サンキュ。助かった」
古城が脱力して頼りなく息を吐く。
「彩斗君はなにしてんの!? こんなところで魔力を使って!」
「悪い。頭に血が登った」
夏音を供物にするなどと言われて身体が動かずにはいられなかった。
男の身体は、かなりボロボロになっている。
「先輩……あちらの方は?」
「さあな。真理の探究者とか言ってたが」
雪菜の質問に、古城は投げやりな口調で答えた。
「……探究者……なるほどね」
答えたのは雪菜ではなく友妃だった。
「“七式降魔突撃槍”……そういえば、獅子王機関の剣巫が、第四真祖の監視役に派遣されてきたという噂があったっけ。その刀は見覚えがないが、きみも獅子王機関みたいだね」
気怠そうな口調で言いながら、男はその場に屈んだ。
彼の足元には、切断された街灯の支柱が転がっている。長さ三、四メートルあまりの鉄柱だ。
男の右腕が触れた瞬間、その鉄柱が飴のように溶け崩れた。
誘拐した鉄柱の表面が、濁った鮮血のような黒銀色に変わっていく。
「なんだ……!? あいつの腕が……」
彩斗たちが呆然と見守る前で、鉄柱は男の腕に吸収された。
そしてボロボロになっていた彼の右腕が傷一つなくなる。
「やはり、錬金術師……!」
雪菜が静かに呟いた。
彩斗と古城が小さく息を呑む。“魔族特区”の住人である以上、もちろん錬金術師の存在は知っている。万物の組成を操り、黄金を生み出す者。神の技を暴き、生命の謎を解き明かそうととする永遠の探究者。
「剣巫と第四真祖、それに獅子王機関から監視がつくほどの吸血鬼か。さすがに分が悪いな。叶瀬夏音の始末は諦めるのが正しい判断か」
そう言って錬金術師は、彩斗たちに背を向ける。
「待て、てめェ! 赤白チェック──!」
「逃がすかよ──ッ!」
「駄目です、先輩たち──!」
相手の素性がわからない以上、ここで男を見失うのは危険だ。
夏音を狙うのは諦めたと言ってはいたがその言葉が真実とはわからない。ここで仕留めなければならないと彩斗と古城は錬金術師を追おうとした。
「うおっ!?」
「なんだ!?」
そんな二人の目の前に、金属の塊が倒れてくる。
金属の塊となった樹木だ。錬金術師が巨大な街路樹を、鋼鉄へと変えたのだ。無数の枝が棘になり、彩斗たちを襲う。
魔力を纏わせて防ごうとするが、質量が違いすぎる。たとえ防げたとしても魔力と激突した金属化した樹木がこの場に散らばるのは危険だ。
考えがまとまる前に金属の樹木は倒れてくる。
「彩斗君!」
友妃が叫びながら彩斗に飛びつき、樹木を回避する。
「大丈夫、彩斗君!? 怪我はない?」
「あ、ああ。大丈夫だ」
友妃は彩斗の上でホッと胸を撫で下ろす。
咄嗟の判断だったとはいえ、あの状況で飛び込んできて巻き込まれたら彼女は無事ではすまない。
彩斗はあそこで潰されたとしても吸血鬼の超回復があるから問題はないといえばない。
「なんだったんだ……あいつ……!」
金属の樹木を回避した古城が起き上がる。
どうやら錬金術師の姿は消えていた。
彩斗は覆いかぶさっていた友妃のとともに立ち上がる。
「──今の錬金術師、叶瀬さんを狙っていたんですか?」
構えていた槍を下ろして、雪菜が訊いた。
ああ、と古城が苦い表情でうなずく。
「とりあえずそれはあとで調べてみるとして……ありがとう、姫柊、逢崎。さっきは助かった」
「当然のことをしただけです。わたしは先輩の監視役ですから」
「ボクも彩斗君の監視役だからね」
二人は当然のように言う。
カフェテラス周辺の風景は、ひどい有様になっていた。何本もの街路樹が薙ぎ倒され、数軒の建物は半壊している。
「そういえば、彩斗君!」
思い出したように友妃が詰め寄ってくる。
「は、はい」
「なんであんな無茶なことしてんの!? もし眷獣が暴走したらどうしてたの!?」
彩斗は深々く頭を下げる。
たしかにあの場で彩斗の眷獣が暴走していたら絃神島は崩壊していてもおかしくなかった。
「そ、そういえば、夏音たちはどうしたんだ……?」
必死で話を逸らす。
いや、逸らしたつもりだったがそのときにある事実に気づいてしまった。心臓が大きく脈打ち、全身から汗が吹き出した。とてつもなくまずい状況だ。
「話を逸らさないでよ。二人なら試着中だと思うよ」
「試着か……そういうことか」
「どういうこと……ひゃ!?」
友妃の声とは思えない可愛らしい声をあげて前を隠す。
彼女の制服のシャツのボタンは、すべて外れたままだ。
彩斗たちの戦闘の気配を感じて、慌てて下着屋から飛び出てきたせいだろう。全開になっていたシャツの合わせ目から、眩しいほどに白い素肌、二つの膨らみと、清楚な下着の一部が見えている。
「彩斗君の変態」
「いや、これは俺のせいじゃないだろ!」
今頃になって彩斗の頬が熱くなっていく。
「せ、先輩……いつから気づいたんですか……!?」
「な、なんのことだろう……」
雪菜も友妃と同じ状態だったのだろう。
古城が機械のような棒読みで答えている。
「もしかして、さっきの“ありがとう”というのは……」
「ち、違う! べつにいいものを見せてもらったとか、そういう意味じゃねえ──!」
「大丈夫です。わかってますから。先輩がそういういやらしい吸血鬼だってことは」
「わかってねえ! 全然わかってねえだろ──!」
雪菜は頬を膨らませたまま、目を合わせようともしなかった。ただうろたえる古城の気配を背中に感じながら、小さく口の中で呟く。
「そんなことだから目を離すのが不安なんですよ……もう……」
翌朝──
いつもよりも早めに彩斗は登校していた。教室には彩斗の他に誰もいない。
ちなみに友妃は昨日の事件のせいで口を利いてくれなかった。正直言えば、今は少しでも情報が欲しいため彼女には協力してほしいところだった。
すると教室の前の扉から眠そうな顔をした少女が現れた。
「悪いな、こんな早くに学校に呼び出しちまって」
「別にいいわよ」
大きなあくびをしながら浅葱は答えた。
「それで用ってのはなんなの?」
浅葱は自分の席に座る。彼女と対面するように彩斗は前の席に座り話し出す。
「アデラート修道院って知ってるか?」
「あー……あの展望台公園の裏にある幽霊屋敷のこと?」
「それだ。そこで起きた事件のことを調べて欲しいんだ」
彩斗は昨日一晩かけて考えてみたのだ。あの赤白の錬金術師がなぜ夏音を狙うのかを。
彩斗の少ない知識で考えて見たところ夏音が昔暮らしていた修道院が引っかかったのだ。特に確信があったわけではない。
だが、情報のないときは一から調べるのが手っ取り早く結論にたどり着ける。
「たしか五年前くらいに大きな事故があったわね」
そう言いながらスマートフォンを弄りだした浅葱が、画面を睨んで不機嫌そうな声を出す。
「どうだった?」
「検索かけても出てこない……データが消されてる?」
「古い事件だから、記録が残ってないんじゃないのか?」
「人工島管理公社のアーカイヴよ」
その言葉は不気味なものを感じた。
「つまり、誰かに消されてるってことか?」
「そうかもね。人工島管理公社に行ってログを漁れば、なにかわかるかもしれないけど……でもこれは下手に突っつかないほうがいいかも。ちょっと危ない気がする」
「そうか……」
事件のことが消されてるてことはよっぽど知られたくない情報が入っていたということだろう。
それが赤白の錬金術師の仕業なら、アデラート修道院の事件の背後には、予想以上に大きな秘密が隠されているようだ。
「ていうか、あんた、そんな何年も前の事故を調べさせるためにあたしを呼び出したわけ? ほかになんか訊くことないの?」
浅葱が不満そうに唇を尖らせて文句を言う。
「悪い、浅葱。用事ができた。ちょっと出る」
「……は?」
ズボンのポケットからスマートフォンを取り出し時刻を確認する。
登校時間まではまだ四十分近くある。
「授業は欠席するから、上手いこと言っといてくれ」
「ちょっと、彩斗! 待てこら!」
浅葱の声を無視して彩斗は走りだした。
「待ちなさいよ、彩斗!」
浅葱も走ってついてくる。
「ついてこなくていいぞ」
「あんたね。あたしをこんな早くに呼び出しておいて学校を抜け出すとかどういうことよ! だいたいどこにいく気よ?」
鬼気迫る表情で問い詰められて、彩斗は目を逸らす。
「修道院の跡地を見に行くだけだ。ちょっと気になることがあるんだよ」
早口で言って、彩斗はさっさと校舎の外に出た。
一度校内に入った生徒が教師に見つかれば面倒なので全力疾走で校外へと出る。
しかし浅葱も革靴に履き替えて追いかけてくるのだ。
「なによ? 気になることって?」
「猫だよ……猫」
「は? 猫……?」
彩斗の返答に、浅葱は機嫌は更に悪化したようだった。これ以上は彩斗の正体でも明かさない限り、説明などできない。
どうしたら諦めてくれるかと考えてみたが不可能だと悟った。
彩斗が修道院に向かう理由はふたつ。ひとつは事故現場を確認して情報を得ることだ。
そしてもうひとつは、本当に猫だ。
夏音がまた子猫たちを拾ってきてないとは限らない。
一緒に暮らしているとはいえ、いつも一緒にいるわけではないので夏音がまた拾ってきてあの修道院で子猫の世話をしているなら危険だ。
夏音が再び修道院跡地に出入りしていることを知ったら赤白の錬金術師は、彼女を狙うだろう。それだけは阻止しなければならない。
そんなことを考えながら、彩斗は見晴らしのいい丘の上にたどり着く。
「──痛ェ!?」
突然横殴りに襲ってきた衝撃に、彩斗の身体が吹き飛んだ。
まったく攻撃の気配を感じなかった。見えない衝撃。何者かが空間をすっ飛ばしながら、鈍器で殴りつけられたようなダメージだった。
「さ、彩斗!?」
いきなり倒れた彩斗を見て、浅葱が慌てて駆け寄ってくる。
彼女は謎の攻撃に気づいていない。
「浅葱──っ!」
「えっ!? ええっ!?」
彩斗は強引に浅葱の手を引っ張る。彼女は大きくバランスを崩し、背中から仰向けに倒れそうになるのを抱きとめて、彩斗は口を塞ぐ。
「少し静かにしろ!」
もごもごとうごめく浅葱の耳元に、彩斗は荒っぽく囁いた。
「や、やだ……」
言葉とは裏腹に浅葱の抵抗は弱々しい。かすかに瞳を潤ませながら、彩斗を見上げる。
無反応な彩斗に戸惑ったように睨んで、浅葱は低い声を出す。
「…………彩斗?」
「じっとしてろよ。バレたらまずいからな」
彩斗はわずかに首をあげる。
「こんなところでなにしてるのかなぁ?」
一気に血の気が引いていく。
彼女がここにいるわけない。
首をゆっくり声のした方へと向ける。彩海学園高等部の制服に黒色のギターケースを背負っている少女だった。
「ゆ、友妃さん……あのー、こ、これは何かしらの事故的な何かがありまして」
「そうだよね。バレたらまずいもんね」
満面の笑みを浮かべて友妃はこちらに近づいてくる。
「学校から抜け出して、こんなところでクラスメイトを押し倒すとはいい根性だな、緒河彩斗。おまえはもっとヘタレだと思っていたが、少し見直したぞ。悪い意味で」
友妃の後方にいたフリルまみれの日傘を掲げた豪華なドレス姿の少女が皮肉っぽく言った。
「藍羽、おまえももう少し相手を選べ。これだから見た目だけビッチな万年処女は……」
「うう、ほっといてください……ビッチじゃないし……」
浅葱が弱々しく反論する。
「それより那月ちゃんに逢崎もなにがあったんだ?」
落ち込む浅葱はとりあえず放置して、彩斗が訊く。
「下手に嗅ぎ回られても厄介だから教えてやろう。他言はするなよ。特に中等部の連中にはな」
つまり雪菜には聞かせたくない、ということか。
「叶瀬賢生を覚えているな」
那月の唐突な質問に、彩斗は、夏音を化け物に変えた男の顔を思い出す。
「ああ。あのクソ野郎だろ」
「“仮面憑き”の事件の容疑者として、管理公社の施設で保護観察処分を受けていた」
なぜここであの男の名前が出てくる。不吉な予感を覚える。
「一昨日、叶瀬賢生は何者かに襲撃された。一命は取り留めたが、重傷だ」
「襲われた……!?」
彩斗は驚いて立ち上がる。
「……犯人は赤白チェックの錬金術師か?」
「天塚汞を知っているのか?」
「名前は知らねぇ。昨日の夏音を狙ってやがったからとりあえずぶん殴った」
那月は彩斗の言葉を聞いて呆れた表情をする。
「心配するな。叶瀬夏音には護衛につける。連中には予定どおり宿泊研修に行ってもらう。おそらくそのほうが安全だ」
「たしかにそうだな」
絃神島は本土から三百キロ以上も離れた絶海の孤島。そこまで逃がせばどんな相手であろうと追跡は不可能だ。
「どのみち叶瀬夏音を受刑中の父親に会わせてやることはできん。負傷したことを知らせて、余計な心配をかけることはあるまい。それよりも本人の安全を優先させてもらおう」
「はなから夏音とあいつとは会わせねぇよ。那月ちゃん。俺にできることがあれば言ってくれ」
那月は、くっ、と喉を鳴らして意地悪く笑った。あっ、バカ、余計なことを──と、浅葱が頭を抱えるが、もう遅い。
「そうか、協力してくれるか。おまえたちには、ぜひ補修授業を受けてもらいたいと思っていたがところだ。いつもの三倍な」
「そっちかよ──!?」
その日の放課後──どうにか補習を終えて下校する彩斗を校門で待ち構えている人物がいた。ギターケースを背負った少女だ。
学校で一言も口を利いてくれなかったので待っているとは思わなかった。
なんとかこの状況を打開しようと策を巡らすがその前に彼女から近づいてきた。
「やっと終わったんだね。遅いよ」
「え? あ、ああ」
友妃が怒っていると思っていた彩斗は戸惑う。
「浅葱ちゃんは帰ったんだね」
「お、おう」
いつ友妃が本性を表すかからないので彩斗はビクビクしている。
はあ、と友妃はため息をつく。
「別にあのことは怒ってないからいいよ」
「そ、そうか」
「彩斗君のことだから、那月ちゃんに攻撃されたから浅葱ちゃんが危ないと思って押し倒したんでしょ?」
「わかってんなら恐いオーラだすなよな」
彩斗は苦笑いを浮かべる。
「ちょっと悪戯してみたかったからね」
無邪気な笑みでしてやったみたいな表情をしている友妃。
だが、その表情は一瞬で険しくなる。
「だとしてもあそこでもしも天塚汞と遭遇してたらどうする気だったの。戦闘になってたら一番危険だったのは浅葱ちゃんだよ」
彼女の言っていることは正論だ。
赤白の錬金術師が浅葱を狙わないとは限らない。それにあいつを倒すには確実に彩斗も眷獣を使わなければならない。“神意の暁”の眷獣も第四真祖同様に及ぼす被害は絶大だ。
「悪い、俺が甘かった」
ひどい自己嫌悪を覚えながら、彩斗は項垂れる。
「でも、なにもなくてよかったよ」
友妃はほっと胸を下ろす。
「それでも学校をさっぼったりするのもダメだからね」
「あ、ああ」
まるで教師に説教されているような気分だ。いや、教師というよりは母親だな。
「あと明日からボク、彩斗君の監視の任を一時的に外れるからね」
「は?」
突然の友妃の発言に困惑する。
「那月ちゃんが言ってた夏音ちゃんの護衛ってのがボクなんだ」
さらに彩斗の困惑する。
それでも友妃は言葉を続ける。
「四日間ボクがいないからって変な事件に巻き込まれないでよね。特に天塚汞には関わらないでよ」
「お、おう」
彩斗は表情を引き攣らせながら、ぎこちなくうなずいた。
おまえは母親か、と突っ込みたいほど友妃は言ってくる。
たしかに夏音の護衛に友妃がつくというのはこの上ないほど安心できる。彼女が護衛についている間に那月たちが天塚汞の身柄を確保すればこの事件はまるくおさまるのだから。
「あとほかの女の子の血を吸うのもダメだよ」
「吸わねぇよ!」
友妃はクスッと笑い声を洩らす。
「まぁ、逢崎も護衛の任務のこともあるけど、たまには楽しんでこいよな」
「うん」
友妃は一瞬戸惑ったような表情の後にいつもの無邪気な笑みを浮かべる。
すると彩斗のスマートフォンが着信音を奏でる。
液晶画面には、“藍羽浅葱”の名前が表示されている。
丘の上へと続く緩い坂道を、夕日が照らしている。
浅葱は愛用のスマートフォンを耳に当てながら中腰で歩道を進む。
『──浅葱か? どうしたんだ?』
「ちょっと頼みがあるんだけど、もしかして家に着いちゃった?」
『いや、まだ途中だけど』
浅葱は、コホ、と咳払いする。
「あのさ、古城があたしの誕生日にくれたピアスのこと、覚えてる?」
『あー……あの青い色の安物か』
浅葱はムッとし、反論しようとしたがそれをグッと呑み込む。
『それがどうしたんだ』
「ごめん。片っぽ落としちゃったみたいなんだ」
あはははは、と明るい声で浅葱は告白した。
『それなら古城に探してもらえよな。あいつのほうが原物がわかるだろ』
電話の向こうでめんどくさそうにあくびをする声が聞こえる。
「いや、それが朝にあんたと公園で揉み合ったときに──」
『はっ!?』
電話口から驚くような彩斗の声が聞こえる。
「今、探してるんだけど、一人じゃ──」
『馬鹿野郎──!』
浅葱の言葉を遮って彩斗の怒鳴り声に驚く。
『今すぐそこから離れろ!』
「はあ! 急にどうしたのよ、あんたは?」
『事情は後で説明してやるからそこから早く離れろ! 修道院の近くはヤバいんだよ!』
本気でうろたえている彩斗の言葉に浅葱は少し戸惑いを覚える。
「別に大丈夫よ。そんなに心配しなくても」
『いいから帰れって! ピアスなら俺が買ってやるし、なんらな古城にもう一回買ってもらえ!』
明らかに勢い任せで行った言葉だが、それを聞き逃す浅葱ではない。
「……ホントに?」
『ああ!』
「ピアスじゃなくてゆ、指輪でもいい? 高いやつじゃなくていいんだけど」
『なんでも買ってやるから!』
早く帰れ、と彩斗が喚き散らす気配を察して、浅葱はスマートフォンを耳から離す。
「はいはい。わかったわかりました。じゃあ、最後に一周したら帰るから」
『すぐ帰れつってんだろうが!』
電話の向こうで息を切らして怒鳴っている彩斗の声が聞こえる。走りながら電話しているのだろう。
はいはい、と浅葱はそれを聞き流す。彼がここまで焦っている理由はわからないが、指輪を買ってもらう約束も取り付けたことだし、ピアス探しを早めに切り上げようとした。
その直後、轟音とともに大地が揺れた。
一瞬、身体が浮いて、浅葱は歩道へと投げ出される。
『浅葱!? なんだ、今の音──!?』
今の音が彩斗にも伝わったのか、かなり慌てているような声で訊いてくる。
しかし浅葱は言葉にできない。
それを説明できる言葉がなかったのだ。
修道院の建物を崩壊させて出現したのは、原生動物のように不定形に蠢く漆黒の流動体だった。生物でもなければ金属でもなく、決まった外観すら存在しない。
「わかん……ない……なによ、こいつ……!? 血、みたいな……水銀みたいな……女の人!?」
浅葱はのろのろと立ち上がる。
その間にも漆黒の流動体は、異音を放ちながら様々な形を変えていく。
その怪物は周囲の物質を無差別に飲み込み融合していく。それは徐々に肥大化していく。
「あれ?」
逃げなければ、と立ち上がった浅葱の耳に、場違いな明るい声が聞こえてくる。
赤と白の目立つ服を着た奇術師風の青年が、坂の上から見下ろしていた。
「参ったな。見られちゃったんだ。まあいいか……すぐ死ぬし」
無関心な口調で青年が言う。
その刹那、漆黒の怪物が咆吼した。
「え?」
浅葱の身体がふわりと舞った。
なにが起きたかわからなかった。
そこから遅れて、大気が避ける音が聞こえてくる。
浅葱がゆっくりと地面に叩きつけられる。
「う……そ……」
仰向けに地面に転がって、浅葱が呆然と呟いた。
痛みすら感じられなかった。夕焼けの空に広がった自分の鮮血。
「逃げられちゃったか。なかなか上手くいかないもんだね……まあいいさ」
白いコートの青年は素っ気なく呟いた。
漆黒の怪物の姿はすでに消えている。
血まみれで倒れた浅葱にはなんの興味も示さずに
青年もその場を離れていく。
「ごめん、彩斗……なんか……ミスったみたい……」
残された最後の力を振り絞って、浅葱は自嘲するように笑う。手から離れたスマートフォンからわずかに彩斗の声が聞こえる。
『浅葱!? おい、返事しろよ!?』
必死で手を伸ばした浅葱の手が触れたのは、冷たく輝く赤い石の破片だけだった。
後書き
いつ語ろうかいつ語ろうかと思ってましたが、彩斗と夏音が一緒に寝ている事実がここで明かされましたね。
蒼き魔女の迷宮篇の冒頭で夏音が彩斗たちのクラスに来たときに二人が頬を赤らめていたのはこれが原因です。
そして浅葱のキャラが若干ブレだしました。
またおかしなところや誤字脱字、気になるところがありましたら気軽に感想でお伝えください。
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