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気配りの人

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第三章

「何かと」
「そういう奴とは違ってね」
「市川雷蔵は謙虚で」
「気配りの出来る人だったんだよ」
「そうだったんですか、ですが」
「ですが?」
「そういう人もいなくなりましたね」
 豪快さんと一緒にだ、僕はここでこう言った。
「市川雷蔵さんみたいな人も」
「そう言うんだね」
「真面目でそうしたことが出来る人も」
「真面目な気配りがね」
「豪快で気配りが出来る人と一緒に
「いや、いなくなってはいないよ」
 小野田さんは僕の今の言葉は穏やかに否定してきた。
「今もいるよ、というか気配りは減っていないよ」
「そうしたことが出来る人はですか」
「うん、全然ね」
「じゃあどういうことでしょうか」
「気配りのタイプが変わったんだろうな」
「それのですか」
「そう、昭和の頃の男のあり方というか」
 小野田さんは飲みつつ僕に話す。
「昔は男だからとか女だからとか」
「言う人多かったですね」
「今もいるにはいるけれどね」
 実は僕はそうした言葉は嫌いだ、男だから女だからと言う人間で女性差別主義者である輩を見てきたからだ、そうした輩に限って男には暴力を平気で振るうが女にはやけに甘くなる。下心があるのは明らかだ。
 そうした人間を見てきたからだ、僕はそうした言葉は嫌いだ、野蛮で不潔な悪い意味での体育会も感じる。
「それでもね」
「勝新みたいな豪快さんもいなくなって」
「それで雷蔵みたいな人もね」
「いなくなったんですね」
「市川雷蔵は確かに真面目だったよ」
 このことは本当に確かだ。
「けれどしっかりとした筋があってね」
「人間としてのですね」
「小心ではなかったよ」
「豪快ではなくとも」
「媚びないし怯えないし」
「そうした人だったからですね」
「そうした気配りも出来たんだよ」
 こう僕に話してくれた。
「男の気配りがね」
「それがですね」
「出来たんだよ、けれど今の人は、わしも含めて」
 小野田さん自身もというのだ。 
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