箱舟
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第三章
第三章
「是非やらせて下さい」
「わし等も」
「ですが。これは」
「だってあれですよね。この舟は」
まだ骨組みがやっと建られようとしている舟を見て彼等は言う。
「わし等の為にノアさんが」
「だったらわし等もしないと」
そう言って早速道具を手に舟に集まる。そうして皆で舟を建っていくのだった。
「そういうことです。だから」
「気にしなくていいですよ」
「皆さん・・・・・・」
ノアはこの時確信した。自分は間違っていないのだと。そして自分以外の者達も正しい心と持っているのだと。このこともまた確信したのだった。すると自然にその目から熱いものが溢れ出てきたのであった。
「有り難う」
皆に対して礼を述べたのだった。
「有り難うございます、本当に」
「あれっ、どうして」
「御礼なんて」
「見せて頂いたからです」6
涙を流しながら彼等に言葉を続けるのだった。
「心を」
「心!?」
「そうです」
また語る。
「貴方達の御心、見せてもらいました」
「何かお話がわからないんですが」
「どういうことですか?」
「そのままです。とにかく私は」
ノアはまた言うのであった。
「皆さんの為にこの舟を完成させます」
「私達の為にですか」
「そうです」
そのことをまた語っていく。涙のまま。
「何があっても完成させますので」
「じゃあ私達はノアさんの為に」
「この舟を完成させますよ」
彼等の言うのはまた違っていた。しかしそこにあるものは同じだった。彼等はそれぞれ他人の為に動いているのだ。それは同じであった。
「それでいいですよね」
「ノアさんの為に」
「有り難うございます」
ノアはまた彼等に礼を述べた。今の言葉でまた。
「では今から舟を」
「はい、頑張りましょう」
「ノアさんの為に」
「皆さんの為に」
彼等の心が一つになった。そうして途方もなく大きな舟を建っていく。舟は瞬く間に出来上がっていき遂には。舟は間も無く完成する段階にまで至った。ノアはその舟を見つつ己の妻に対して語るのだった。夕暮れの中に二人だけが舟の前に立っていた。
「もうすぐだな」
「そうね」
妻はまずノアの今の言葉に頷いた。
「もうすぐよ、本当に」
「舟が完成する」
ノアは満面の笑みで今度はこう語った。
「皆が乗る舟がな」
「皆なのね」
「そうだ、皆だ」
今度頷いたのはノアだった。妻の言葉に対して。
「皆が乗る舟だ。もうすぐだ」
「そうね。最初はどうなるかと思っていたけれど」
「これも皆のおかげだ」
ノアは語る。
「皆が頑張ってくれたからだ。これはな」
「そうね。皆のおかげね」
「なあ」
ノアはまた妻に声をかける。
「どう思う?」
「どう思うって?」
「神の御言葉だ」
このことを妻に語るのだ。今ここで。
「わしの家族とつがいの動物だけを助けよとのあの言葉だ」
「あの御言葉ね」
「そうだ。わしはあの御言葉に逆らっている」
はっきりと自覚していた。そしてもう後戻りできないことも。完全に把握していた。何もかもわかったうえで今妻に語っているのだ。
「はっきりとな」
「けれど。私は思うの」
「むっ!?何をだ」
「他の方々だけれどね」
舟の完成を手伝っている皆だ。神が信仰のない邪悪と断定した者達のことだ。
「本当に神に背いておられるのかしら」
「わしはそうは思わん」
この答えもまた決まっていた。ノアの中では。
「邪な方達でもない」
「そうよね」
「そうだ。本当にいい人達だ」
己の肌でそれを知っている。だからこそ言える言葉だった。舟を何に使うのか聞かずただノアの為に手伝っている。その心を知っているからこそだった。
「それがどうして神に背いておられるか」
「そうね」
「動物達もだ」
次に彼が言ったのは神がつがいだけ助けよと告げた動物達のことだ。彼はその動物たちのこともよく知っていた。いや、知ったのである。
「彼等も心がある」
「そうね、その通りよ」
「その証拠に」
彼等もまた舟の建造を手伝ってくれたのだ。やはりそれがどうしてなのかは聞かずただノアの為に。手伝ってくれたのである。それぞれの力で。
「わしの為に手伝ってくれている」
「だから動物達もまた」
「救われるべきだ。つがいではなく全てがな」
「そう、全てが」
「わしが今確信しているのだ。皆が助かり共に生きるべきだ」
「一緒になのね」
「神の起こされる大洪水の後で」
舟に乗り難を避けて。その後のことであった。
「皆一緒に生きるべきだと思う」
「神がどう思われても?」
「若しだ」
前置きであった。
「このことで神が罰を与えるならばだ」
「その時はどうするの?」
「わし一人が受ければいいことだ」
厳かに、確かに言う言葉だった。
「わし一人がな。神に背いたのはわしだけなのだからな」
「いえ、それは違うわ」
「違う!?」
「ええ、違うわ」
ここで妻は言った。ノアに対して。
「私も同じよ」
「御前・・・・・・」
「あなたに言われたわよね」
「あ、ああ」
「そして私はそれは違うと言ったわ。だから」
「どの様な罰かわからぬぞ」
神の怒りの激しさ、厳しさはノアも知っていた。神というものは厳格であり過ちを決して許しはしない。それは彼が絶対であり過ちを犯さないものだからだ。
「それでもいいのだな」
「あなたは覚悟されていたわね」
「その通りだ」
「それは私も同じよ」
静かに微笑んで述べたのだった。
「だから」
「いいのか」
「ええ、あなたと何処までも一緒よ」
微笑んだまままた述べてみせた言葉であった。
「二人でね」
「御前・・・・・・」
「さあ、今は」
彼女自身の覚悟を告白してから。今度は舟を見て語ってきた。
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