その魂に祝福を
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
魔石の時代
第一章
始まりの夜4
前書き
もうひと組の「しまい」編。もしくは色々お披露目編。
1
「魔法を見せてほしい」
士郎がそう言ったのは、退院を済ませてしばらく経ったある日の事だった。
あまり気が進まない。それが本音だった。
理由の一つは、自分の魔法と言うのは結局のところ殺しの技だという事だった。それはこの世界では、なおさら異端である事くらいはすでに学んでいる。とはいえ、この一族を前であるなら、別に気にするような事でもあるまい。何せ彼らが会得しているのは、相棒と同じ剣術だ。業の深さなら似たようなものだろう。
もう一つの理由としては、この世界には魔法など『存在していない』と言う事だ。人間は理解できないものを恐れる。セルト人の悲劇を再現したくなければ、可能な限り秘匿としておいて損はない。と、説明をした。だが、未知への好奇心という欲望の前には無力だった。結局は修練所――道場まで連れて行かれる。
「父さん、どうしたんだ?」
道場には、この家の長男――恭也がいた。別に不思議でも何でもない。士郎の退院を期に、以前よりはいくらかマシになったが、大体ここが定位置だった。
「光に魔法を見せてもらおうと思ってね」
士郎が言うと、恭也は不審そうな顔をした。というより、露骨に胡散臭そうな顔でこちらを見やった。
「魔法なんてある訳ないだろ?」
正論だった。少なくとも、この世界では。是非ともその調子で父親を説得してもらいたい。探るような視線には気付かないふりをして、沈黙を守る。
とはいえ、分が悪い事は分かっていた。士郎を蘇生させた時点で、まず尋常ではない。実際、病院の医師たちへの説明……言い訳にもずいぶんと苦労したものだ。それこそ、最終的には魔法で誤魔化す羽目になるほどに。そのうえで、恭也は『偽典リブロム』の存在も知っている。……まぁ、少なくともそういう不気味な本がある、と言う程度には。
本当にそんなものがあるというなら見せてもらおうじゃないか。結局、そんな形で話はまとまってしまったらしい。
やれやれ、面倒な事になったものだ。声にせず呻く。魔法を見せろと言うが、そもそもどんな魔法を見せればいいものやら。室内である以上、魔力弾や魔人召喚は論外だろう。機雷変性や爆弾変性系の魔法なら、とも思うが下手に触られれば厄介だ。血魔法は、壁中穴だらけの血塗れになる。それに、体力の消耗も激しい。ただでさえ、ここには最近体力の消耗を激しくする異境を構築したばかりなのだから。こんな事で余計な体力は使いたくないと言うのが本音だった。そんな理由で捕縛や空間系の魔法も却下だ。誘惑系は……何であれ、あとで余計な波紋が立ちかねないからやめておこう。となると、吸引魔法か、武器や鎧、盾など装備系の魔法が妥当だろう。この世界の『魔法』という概念からはかけ離れるだろうが。
武器魔法。それで、ふと思い出した。この状況では最も適切なものがある。
条件がある――少しばかりの仕返しも込めて、告げた。
「俺に出来る事なら構わないが」
頷く士郎を前に、あるものを差出す。
それは、相棒が残して行った古びた短剣だった。いや、正しく言うのであれば短刀と言うべきなのだろう。どちらにしろ、かなりの業物だった。ただの武器としても。
「美沙斗が結婚式で使った護身刀だ」
この短剣の由来を教えてくれ。その問いに、士郎はあっさりと言った。
何故そんなものを結婚式で使うのか。続けて問いかける。風習の違いだろう。それくらいの見当はついたが。
「この国では守り刀と言って、昔から短刀を邪気や厄災を払うお守りの一種として扱う事があるんだ」
なるほど、と思う。あの女にはお似合いのお守りだ。もっとも、今の説明を聞く限り、相棒に限った話でもないのだろうが。
「ちなみにだが、短刀であるには裏の理由もある」
納得する自分を他所に、士郎は続けた。
「自害用だ。貞操を汚されそうになったら、自害して夫の足手まといになるな、という意味も込められている」
それは何だ。再び問いかけると、士郎は肩をすくめて言った。むしろ、その説明の方が納得がいった。女を巡って殺し合いが発生する事などざらにある。痴情の縺れ、惚れた腫れたに由来する魔物などうんざりするほど相手にしてきた。……もっとも、うんざりするほど相手にしていない魔物というのもいないが。
なるほど。馬が合う訳だ。魔物退治と必要悪。それが存在定義だと言うなら、この供物が妙に自分に馴染む理由としては充分だ。
……そう。この短刀は供物としても見事な業物だった。かつての自分が所有していた供物――まだ取り戻せていないそれらと比較しても、見劣りしないほどに。相棒がそれに気付いていたかどうかは分からないが。
剣魔女の護剣、とでも名付けるか――ふと思いついた名前を呟きながら、眠っている力を引き出す。
「何だと……?」
恭也のうめき声が聞こえる。その頃には両手に異形の剣――いや、刀が顕在した。
刀の魔力に従い、身体を動かす。思った以上に、滑らかに身体が動く。……相棒に扱かれた甲斐があったというものだ。
「この動きは、御神流……?」
叩き込まれたのは基礎だけだ――告げると、恭也は食いついてきた。
「ふざけるな! 今の動きは基礎なんてもんじゃない!」
取りあえず、それには答えず士郎に視線を戻し、問いかける。
「いや、違う。元々は実戦で使われた小太刀だったと聞いている。それを研ぎなおし、短刀にしたらしい。かなり古い物のようだな」
この短刀は、最初から短刀だったのか?――その問いかけに、士郎はこう答えた。
「何故分かったんだ?」
そうだろうな。その言葉に、今度は士郎が訊いてくる。だが、分からないわけがない。
「気と魂?」
気と魂が染みついている――そう答えると、士郎と恭也が首を傾げた。
斬った者達の気と、斬られた者達の魂だ。彼らが動きを教えてくれる。
そう告げると、恭也が驚愕の表情でこちらを見ている。言葉を失ったらしい。思わず苦笑がこぼれる。全く、今目の当たりにしたものを何だと思っていたのか。……もっとも、初めてこの供物を手にした時は、自分も驚いたものだが。だが、それも些細な事にすぎない。あの相棒の残して行った供物は、ただの武器魔法ではない。ただそれだけの事だ。そして、あの相棒が只者ではないことくらい、百も承知だった。
驚くほどの事か? 俺は魔法使いだぞ――笑って見せると、恭也は憮然とした顔をした。だが、取りあえずの納得はしてくれたようだ。それがよかった事かどうかは知らないが。しかし――少なくともこの後、自分はすぐに後悔する事になる。
何故なら、
「さぁ、修行の時間だ。道場へ行くぞ」
迂闊にこんな魔法を使ったせいで、この家に住まうチャンバラ馬鹿ども――主に、恭也と美由紀に事ある事に絡まれる羽目になったからだ。
もっとも、そんなやり取りの積み重ねが恭也や美由紀……特に御神美沙斗と血を分けた『実の娘』と、御神美沙斗に名を与えられた『義理の息子』の間にあったある種の確執を解かしていったのだろう。
「そうだよ、光。お昼の準備なら、私も手伝うから」
頼むからそれはやめてくれ。仕事が余計に増えるだけだ――少なくとも、そんな軽口が叩けるようになる程度には。
2
私が高町光――いや、御神光と出会ったのはほんの一年前の事だった。もっとも、そのさらに一年前は、私にとっては激動の一年だったと言える。その締めくくりが彼との……未来の義弟との出会いだったというのは、ある意味とても相応しいのではないか。そんな事を思う。
私は……私達の一族は、実は普通の人間ではない。夜の一族という、いわゆる吸血鬼の一族だった。人の血を吸って生きる化物。人とは違うその身体を呪った事は一度や二度ではない。それでも。今から二年前、私はその全てを受け入れてくれる相手と出会うことになる。それが、彼の兄……高町恭也だった。彼との馴れ初めを話し始めれば限がない。だから、今は彼の弟との出会いについてに集中しよう。
切っ掛けはごくありきたりなものだ。恭也の両親のもとへ挨拶に行く。それが切っ掛けだった。普通は逆だろうというのは、恭也の言葉だったが、残念ながら私は普通ではない。化物の義理の両親となるかもしれない相手に、挨拶の一つもしないなんて事は出来なかった。……それに、受け入れてもらえないなら、その時は。
身を引くなら早い方がいい。そんな覚悟も決めていた。
その覚悟が伝わったのかどうなのか。彼の家が近づくと、恭也が妙に周囲を気にし始めた。もちろん、心得のある彼の事だ。他の誰かが見ていたとしても気付かなかっただろう。だが、明らかに何かを警戒している。
「いや……」
どうかしたの?――平静を保ったふりをしながら、問いかけると恭也は曖昧に言葉を濁した。やはり、家族に紹介するのには躊躇いがあるのだろうか。途端に、不安が胸を締めあげた。覚悟が足りていない。それを痛いほど思い知った。
「大丈夫だ。父さんも母さんも、絶対に分かってくれる。だから、心配しなくていい」
表情に出ていたのだろう。慌てて恭也が言った。それなら、一体何をそんなに心配しているのか。言葉にできないまま視線だけで問いかける。
「それは、何て言うか……。まぁ、弟、かな?」
困ったように、恭也が言った。面識こそないものの、彼に弟がいるのは知っていた。彼と直接の血の繋がりはないらしいことも。どうにも彼らしくはないが……その辺りに理由があるのだろうか。
「何でだ? これでも一応、兄の恋路を応援するくらいの甲斐性はあるつもりなんだが」
その声が聞こえたのは、ちょうどそんな時だった。声のした方向へと、視線を動かすと近くの壁の上に、彼はいた。壁の上で器用に胡坐をかいて座り、頬杖までついた姿で。……ほんの一瞬前まで、誰もいなかったはずなのに。
「光……」
弟の名前を呟きながら、恭也が身構えるのが分かった。良く分からないまま、二人を交互に見やる。と、彼は小さく――妙に大人びた仕草で笑った。
「確かに大層な美人だが……心配しなくても取らないぞ? さすがに俺も、兄嫁に手を出すほど恥知らずじゃあない」
これが子どもの発言だろうか。思わず目が丸くなった。
見たところ、年の離れた私の妹とそういくつも年は変わらないはず。だというのに、言動の一つ一つが妙に大人びている。
「兄嫁ってお前な……」
「何だ、まだ遊び足りないのか?」
「遊び足りないってお前な。俺を一体何だと思ってるんだ?」
「無自覚天然の女誑し。その犠牲者は数知れず、ってところかな。一人に絞ったのは良いが、夜道には気をつけろよ。月のある夜ばかりじゃないぞ?」
「忠告ありがとう。……だが、どうしてそうなる?」
驚き固まったままの私を他所に、兄弟はそんな会話を始める。一体どちらが兄なのやら。そんな事を思うくらいに、光は大人びていた。しかも、兄の悪癖を良く理解しているようだった。まぁ、恭也の性格からして遊んでいるなんて事はないだろうが――それでも、私自身、我ながらよくあの競争率を勝ち抜いて射止められたと思う。
「それで結局、彼女は兄嫁って事でいいのか?」
「いや、まぁ……その通りなんだが」
できれば、そこははっきり頷いてほしかった。赤面し、そっぽを向きながら小声で呟くも可愛かったので許すが。
「ところでお前、何でこんなところに?」
わざとらしい咳払いの後で、恭也が露骨に話を替えようとする。それに気付かなかったとも思えないが、彼はあっさりとそれに応じる。
「買い物を頼まれた帰りに見かけただけだ。どこかで見たことのあるチャンバラ馬鹿が、また例によって随分な美人を連れて歩いているから、ちょっと冷やかしに来たんだよ」
邪魔したな。そう言って、光は壁から飛び降り、さっさと歩き出す。手にぶら下げたビニール袋が揺れ、ガザガザと音がした。本当に買い物からの帰り道らしい。
「そうか。……なら、いいんだが」
その背中に、恭也が小さく呟く。それが聞こえたとも思えないが、光はふと足を止めた。そのまま振り返り言う。
「それで、一体俺に何を知られたくなかったんだ?」
一瞬の気の緩みを突かれ、恭也がはっきりと言葉に詰まった。その姿を見て、光は笑った。年相応とは言えないが――それでも、優しい笑みだった。
「確かに彼女も普通の人間じゃあないようだが……俺がそれを言うのは馬鹿馬鹿しいと思わないか?」
そんな事を言い残し、光はさっさと帰って行った。彼は、『彼女も』と言った。それはつまり、彼自身も普通ではないと言う事なのか。
「……笑わないで聞いて欲しいんだが」
困ったように頭を掻いてから、恭也が言った。とはいえ、それは余計な心配だ。少なくとも、私は恭也の言葉を疑ったりしない。もちろん、笑ったりもしない。
「あいつは、魔法使いなんだ」
……――
結局のところ、恭也の両親はあっさりと私を受け入れてくれた。その一因として彼――御神光の存在は大きいのではないか。そう思う。だとしたら、感謝してもしきれない。
「いや、ただ単にあの二人が変わり者なだけだろう」
俺がいなくても、きっと受け入れられていたはずだ。光本人はそう言っていたが。
ともあれ、将来の義弟との関係はその後も良好だった。だから、最初に恭也が何をそんなに心配していたのかを知ったのは、ずいぶんと後の事になる。そして、私が『魔法使い』としての御神光と出会うには、それと同じだけの時間が必要だった。
幸いにも。お互いの素性が明らかになったその後も私達の関係は変化しなかったが。いや――少しだけ変化があった。だから私は、今ここにいる。
「夜這い、かしら?」
明かりを落とした部屋の中で、ティーカップを戻しながら呟いた。それを待ち構えていたかのように、雲にさえぎられていた月の明かりが部屋に差し込む。
幽かなその光のなかに彼はいた。
「確かに色々と爛れた関係に縁がないとは言わないが……それでも、兄嫁に手を出すほど恥知らずじゃあない」
しっとりと月光を吸い込みながら、黒衣をまとったその魔法使いは言った。相変わらず大人びた事を言う。可愛い義弟の来訪に、思わず苦笑がこぼれた。とはいえ、いつまでも笑っている場合ではない。『魔法使い』御神光の来訪となれば。
「何か問題でもあったかしら?」
私も『月村家当主』月村忍として、彼の言葉に応じる必要がある。
「ああ。厄介な問題だ。今まで以上にな」
こう言う時、彼は一切言葉を飾らない。あくまで淡々と事実だけを告げてくる。彼がここまで言うなら、覚悟をしなければならない。
そもそも、私には敵が多い。というより、当主として、目の敵にされている事や良からぬ企みの対象とされる事が多い。表向きも資産家であるため、なおさらだった。資産目当て。身体目当て。その両方。そんな輩は掃いて捨てるほどいる。変わってほしいなら変わってやる。普通の人間になれるなら。そう思った事がない訳でもなかった。
「……またウチの一族が何かやらかした?」
それに、夜の一族と言うのは常人にはない力がある。それを鼻にかけて、色々と悪事を働く一族の者がいない訳ではない。それを抑え込むのも宗家である月村の役目であり――結果としてそういう血の気の多い連中に限って私達を目の敵にしてくる訳だ。とはいえ、そのどちらもここしばらくは大人しい。表向きは恭也のおかげ。裏向きは彼のおかげだ。この屋敷を包む不思議な力――私達に悪意を持ったものは近づくだけで動けなくなるという、異境も構築してくれた。それにまぁ――自作のセキュリティシステムも良好だった。
この家にいれば、よほどの事がない限り、私達が脅威にさらされる事はないはずだが。
「いや、そちらは問題ない。確かに完全に大人しくなったとも言い難いが……まぁ、堅気の連中に手出しはしていないからな。それなら、多少のガス抜きくらいは大目に見た方がいいだろう。下手に締めあげてお前達を逆恨みされても困る」
まるで猟犬だ。義弟の事を、そう言ったのは誰だったか。腹が立ったが――それでも、納得してしまった。確かに彼は猟犬だった。治安を乱すもの――彼が守ると決めたものに害を成すものを見つけ出し、狩りたてていく。ただし、手綱を握っているのは私ではない。もちろん恭也でも、彼らの両親でもない。もしも手綱が握る事ができるのなら、彼一人に押し付けずに済むのだから。
「それなら、一体何があったの?」
ため息を飲み込み、問いかける。それから先の彼の説明は、なかなか受け入れづらいものがあった。とはいえ、吸血鬼と魔法使いの会話であれば、別に突飛な内容でもない。
「異世界の魔法使いが持ち込んだ、何でも願いを叶える宝石……ね」
光が差し出した、青紫に輝くひし形の宝石。それを受け取った途端に、血が騒いだ。確かに何やら妙な力を秘めているらしい。
「この宝石に願えば、私も人間になれるかしら?」
「可能性はある。だが、どんな代償を要求されるかは分からない」
やめておけ。言外に、光は言った。私も本気で言った訳ではない。それは物騒ね、と気のない返事と共に、その宝石を彼に返す。
「ばら撒かれたのは全部で二一。うち三つは封印済みだ。残りを始末するまで、辺りが騒がしくなるだろう。特に異界の魔法使いには用心してくれ。何をするか分からない。最悪、この家の守りが突破される可能性もある。今さら改めて言う必要はないだろうが、なるべく関心を引かないようにしてくれ」
「ええ、充分に気をつけるわ」
頷きながら、胸中でため息をつく。光はやはりあの宝石より、異界の魔法使いを警戒しているようだった。
(あの子……ユーノ君の話を聞く限り、そこまで警戒しなければならないようにも思えないけれど……)
彼の言う異世界の魔法使いの事はすでに知っていた。もちろん、直接言葉を交わした訳ではない。あくまで恭也経由で話を聞いただけだ。ただ、その話を聞く限り……こう言っては何だか、光より遥かに平和的な魔法使いだと思う。もっとも、うわべを取り繕うなんて事はいくらでもできるだろうが。
「ところで、光君。桃子さんも士郎さんも、あなたが帰ってこないって心配していたわよ? もちろん、なのはちゃんも」
滅多な事で動揺を表さない『魔法使い』御神光から、僅かながら動揺を感じた。何となくホッとする。そんな場合ではないのだが。
「……奴らに目をつけられた以上、帰る訳にはいかない」
「彼らがいなくなったら?」
「…………。その時に考えるさ」
まぁ、今はこの辺りで満足しておくべきだろう。魔法使いでも揺らぐ事がある。それが分かったから。もっとも、それは当然の事だ。魔法使いだろうが吸血鬼だろうが、私達は感情を持った生き物なのだから。
「状況が変わったらまた連絡する。邪魔したな」
話はそれで終わりと言わんばかりに、光は言った。そのまま魔力を練り始める。せめてもの仕返しと言う事なのだろう。その黒い姿が月影となって消える直前、こんな事を言い残した。言外に、思い切り含みを持たせて。
「それじゃあ、ごゆっくり。素敵な夜を」
3
「ばれてたみたいよ?」
義弟の姿が夜の闇に消えてから、私は部屋の片隅に声をかける。
「……まぁ、アイツの心眼から身を隠せると思ってた訳じゃないからな」
そんな事を言いつつも、憮然とした様子で姿を現したのは恭也だった。
「それにしてもあいつはまた余計な事を……」
不満そうにぶつぶつと言うその姿に、思わず笑みがこぼれる。
「まぁ、いいじゃない。気を使ってくれたんでしょ」
私達は今日、近くの室内プールへ行く約束があった。表向きはデート。すずかやアリサ、なのは達も一緒だったが……それは私達にとってはよくあることだった。
だが、実は違う。というより、ここ数日の間に予定が狂ったと言うべきか。
奇妙な下着泥棒が出る。前々から行こうと話していたそのプールには、ここ数日、そんな噂が立っていた。そのプールの経営者は、私の家――資産家としての月村家とも多少縁があり、相談されたのが事の始まりだった。もちろん、言うまでもなく向こうは私が吸血鬼であるなどという事は知らない。相談と言っても改まったものではなく、挨拶に来た際についうっかりそんな愚痴をこぼしていったと言う方が正しい。
ともあれ、女としてそんな変質者をのさばらせておく訳にはいかない。珍しく夜遅くに訪ねてきた恭也と美由紀に相談したところ――といっても、私も愚痴っただけだが――彼らは妙にその話に食いついてきた。彼に促されるまま簡単に情報を集めてみると、確かに被害が出ているらしい。それもここ数日毎日のように。まだ四月と言う事で、一日の来客数はまだそこまで多くはない。だが、それでも相当数の被害者がいた。奇妙なのは、どれだけ巡回を強化しても犯人の痕跡一つ見つけられない事だ。更衣室に女性スタッフを配置しても効果がない。
まるで透明人間ね。私の冗談に、恭也達はますます表情を険しくした。慌てて問い詰めた結果、打ち明けられたのが、喋るフェレットと、なのはを襲った化物。そして、その原因となった何でも願いを叶える宝石の話だった。
ひょっとしたら、その下着泥棒も……?――半信半疑のまま、今日を迎えたわけだ。
「リブロム君は平気?」
ついでに言えば、結果は大当たり。恭也となのは、そして喋るフェレットのユーノと、光の相棒である偽典リブロムのお陰で無事に解決に至った。
「さんざん愚痴ってたが、どうにかな」
喋る陽気な本であるリブロムだが、本だけに水は苦手らしい。プールに行くと言った時
はかなり本気で嫌がった。本が相手では水着の女の子も餌にはならない訳で、説得するまで随分と苦労させられた。と、それはともかく。
「そう。それなら、お礼をしないとね」
言いながら、指先を伸ばす。と、一匹の猫がそこに鼻を近づけてきた。一見すれば、普通の猫だ。しかし、実際は違う。光が生み出した魔法生物の一体だった。魔犬ならぬ魔猫。彼が私達姉妹を守るために用意してくれたもう一つの保険。怪しい相手に探りを入れられる、手綱のある猟犬ならぬ、猟猫だった。この子達なら、おそらくあの宝石も見つけ出せるだろう。
「お願いね」
用意しておいたナイフで指先を軽く切り、滴る血を舐めさせる。光の魔法には代償が必
要だと言う。その為の血だ。血を舐め終ってから囁くと、魔猫は小さく鳴き、静かに闇の
中へと走り去っていく。
「あの宝石を追いかけていけば、いずれ光君にも追いつけるでしょ」
今の状況から考えて、リブロムと恭也、なのはに対するお礼としてはそれが一番だろう。それに、私自身も心配だった。……もっとも、光本人にとっては余計なお世話なのかもしれないが。
「ああ、そうだな。ありがとう」
「いいわよ。私にとってもいずれは弟になるんだしね?」
「……まぁ、そうだが」
そこで何やら不満そうに恭也が腕を組む。
「何よ?」
「別に。ただ、何かあいつと話している方が楽しそうだと思ってな」
思わずきょとんとしてしまう。そのあとで吹き出してしまったのも、不可抗力だ。
「なぁに? 弟相手にやきもち?」
そっぽを向く恭也の頬を突いてやる。全く可愛らしい。さて、どうしてくれようか。
「そんな事言われてもね~。誰かさんだって今日は水着の女の子に夢中だったしね~」
「ばっ! あれは周りを警戒してただけだ!」
「そうかしら? でも、実際見つけたのはなのはちゃんだしねぇ」
「仕方ないだろ。心眼は使い慣れてないんだ」
「それならなのはちゃんはそもそも使えない訳だし。それに魔法使いになったのもつい最近でしょ? そのなのはちゃんに後れを取るなんて、一体何にそんな集中力を乱されたのかしらね~」
ぐぐっと、恭也が退くのを感じる。まぁ、実際は犯人探しより私達の護衛に注力していたからだろう。それくらいの事は分っている。それを素直に言えないところが彼らしい。
とはいえ、
「せっかく新しい水着だったのにな」
それどころではなかったのは百も承知だ。けれど、何か一言欲しかったのも事実。実は少しだけ冒険したものだったからなおさら。
もっとも、器用な愛の言葉なんて彼には似合わないだろうが。
「それはもちろん、気付いていた」
そっぽ向いたまま、恭也が言った。
「綺麗だったぞ。……他の人なんて目に入る訳ないだろ」
今度言葉に詰まったのは、私の方だった。まったく、酷い不意打ちだ。せっかく抑え込んでいたのに。義弟や義妹が危険な役目を背負っている中で、私達だけがのほほんとしている場合ではないのに。
そこでふと魔猫が一匹だけ部屋の片隅に留まっているのに気づいた。紅い瞳がにやりと笑ったように見える。それが錯覚なのかどうなのかは分からない。だが、それでも。
『それじゃあ、ごゆっくり。素敵な夜を』
唆すように、義弟の意地の悪い声を確かに聞いた。
ああ、ひょっとしたらばれているのだろうか。私達夜の一族特有の、そういう時期だって。だとしたら、勘が良すぎるのも考え物だ。
(今度会ったらとっちめてやるわ……)
単なる濡れ衣だろう。と、冷静な自分が呆れかえる。とはいえ、そんな冷静ささえ、愛すべき邪悪な魔法使いの囁きの前では無力だったが。
……――
「やれやれ。これで借りは返したぞ、恭也」
あの二人が実際にこれからどうするかは分からないが、やるだけの事はやった。邪魔をしたデートの埋め合わせができるかどうか、あとは兄次第だ――と言ってしまうのは、さすがに即物的すぎる気もするが。まぁ、それも含めて上手くやってもらいたいところだ。
(あの気配からして、多分そろそろそういう『周期』だろうしな)
詳しい事は知らないが、どうやら吸血鬼には吸血鬼なりに特徴的な生態があるらしい。
吸血鬼の生態に興味がないとは言わないが――だからといって、俺には兄と兄嫁のベッドシーンなんてややこしい物を覗く趣味などなかった。
(半ば職業病とはいえ……我ながら悪趣味だな)
時折義姉が纏う妙な気配。あのテの気配は……まぁ、経験上そういう欲求が高まっている時だった。どうやら、彼女達の一族にはそういう時期が一定周期でやってくるらしいという予測を立てている訳だが……そんな予測は口が裂けても義姉や兄の前では言えたものではない。もちろん、姉や妹も同様だ。確かめるなど論外である。秘め事というのは秘密にしておくべきだから秘め事というのだ。と、それはともかく。
(だが、助かったのは事実だな。それに、どんな魔物だったかは分からないが、みんな無事で何よりだ)
己が生み出した魔法生物との接続を断ちながら――代償として中空に生み出していた小さな血塊が蒸発するのを見ながら、呟く。
どうやら、今日感じたジュエルシードは、恭也が見つけて対処してくれたらしい。完全に出遅れた自覚があったため、正直助かった。もっとも、封印できたと言う事は、ユーノはまだあの家に留まっているのだろう。何とかして引き離したいところだが。
(リブロムが上手い事やってくれればいいが……)
それも正直不安だった。何せ、リブロムはなのはを苦手としている。ついでに言えば、何故だか――俺やら士郎やら恭也やらと同じで――桃子には頭が上がらない。下手をすると、なのはがこの一件に関わってくる事を止められない可能性がある。
「……いや、いくらあの二人が変わり者でも実の娘は可愛いだろうからな」
自分に言い聞かせるように呟く。それで不安が消えた訳ではないが、現状では打つ手がない。あの家の事は、しばらく相棒に任せるしかない。
「そうだな。残り一七個、さっさと見つけてあのフェレットを追い払うか」
結局のところ、それが一番手っ取り早く確実だった。それで、一連の厄介事にはケリがつく。この時はそう思っていた。
4
ひと組の男女が愛を語らっている。男女と言っても、年端もいかぬ子どもだ。だが、子どもとはいえ――いや、子どもだからこそ、二人は純粋で真摯で真剣だった。その純粋なままの願いを、二人は一本の樹に誓う。この樹のように、この想いも大きく育ちますように。その願いに応じるように、樹は大きく育つ。大きく大きく。大きく大きく。やがれ世界を包み込むほど大きく育ったその大樹が見下ろす世界の片隅で、ひと組の若い夫婦はやがて子どもを――……
「……何だったんだ?」
妙に甘ったるい夢を見たらしい。妹の蔵書にでも毒されたのだろうか。寂れた隠れ家の寝床の上で呟く。全くガラでもない夢を見た。
(本当に、一体何だったんだ?)
安物の恋愛小説じみたその夢は、しかし妙に鮮明だった。見下ろす街、頬をなでる風、樹の香り。そんな感触が妙にはっきりと残っている。これはひょっとして――
「異境が反応した、か……?」
あの魔石は強烈な思念によって発動する。いわば聖杯と同じだ。俺が生きた聖杯無き新世界でも、奴らは隙をついて似たようなものを放り込んできた。だから、必然的にそれを感知する術には長けていった。その知識と技術は、ほんの一部とはいえ、この街を覆う異境にも活かされている。つまり、強烈な思念に呼応する『何か』を察知できる訳だ。
とはいえ、幸いな事にこの魔石は聖杯と違い『奴ら』の気配がまるで感じられない。もっとも、それ故に感知するのがいくらか難しくなっているとも言えるが――それでも『奴ら』が関わって来ないならそれだけで充分幸いだ。さすがに、今の状態では『奴ら』の相手などできるはずもない。
「探すしかないか……」
ともあれ、異境が発動したというのなら暴走は近いと考えていい。手掛かりなどろくにないが……おそらく持ち主は、なのはと同じかそれより一つ二つ年上の子どもだろう。
(それだけの手がかりで見つけられれば誰も苦労しないな)
呻いた直後の事だった。強烈な魔力が辺りを包み、異境が悲鳴を上げる。
その辺に投げ捨ててあった法衣を引っ掴み、外へ飛び出す。変化は一目瞭然だった。市街地のど真ん中に、巨大な樹が聳え立っている。何の冗談かと思った。まるで夢でみた大樹そのものだったからだ。だが、冗談ではない。樹の位置と、規模からすれば翠屋が巻き込まれていたとしても不思議ではなかった。
「隼の翼よ」
練り上げられた魔力によって、背中に翼が生じる。加速は一瞬だった。瞬く間に樹へと近づく。だが、近づいた後はどうすればいいのか。場所が場所だけに、やみくもに燃やしてしまう訳にも行くまい。本当の標的だけを確実に始末する必要がある。
(核となっているのはどこだ?)
必ずどこかにジュエルシードと、それを発動させた人間がいる。自分に言い聞かせ、心眼で居場所を探る。
(樹の頂上付近か……)
それらしい気配は見つけた。だが、それをどうすればいい。無暗に切り裂いて、中身は無事なのか。真っ先に思ったのはそんな事だった。
(所詮は二流という事か……)
生粋の魔法使いなら、おそらく迷うまい。かつては大魔導士とも呼ばれた身でありながら、そんな甘さは今に至るまでついに消えなかった。だからこそ、かつての自分は大魔導師などと呼ばれる半面、そんな呼ばれ方もされていたらしい。どちらの評価が正しいのか――その答えはひとまず黙殺しながら、最寄りの枝に着地する。取りあえず迎撃の様子はない。というより、積極的な破壊行動は見せていない。
そもそも、この樹から感じる気配は神聖なもの……少なくとも人体に深刻な悪影響を及ぼさないものだ。もっとも、長期的に放置した場合どんな影響が出るかは知れたものではないが。
「さて、どうするか……」
気配の中心。そこには、薄い膜のようなものがあった。うっすらと、その奥に二人分の人影が見える。つまり、これが将来結ばれるであろう幼い恋人達だということか。その膜を破る事は難しくなさそうだったが……。
「どうする?」
繰り返し呟く。破っても大丈夫なのか。それだけが問題ではない。いつまでこのままにしておいていいのかも問題だ。万一消化吸収でもされれば厄介だ。消化されないとしても、例えばヴァルハラ寺院の繭のような事例もある。楽観は危険だろう。
「迷っている場合でもないか」
覚悟を決め、異形の双剣を生み出す。右手の小太刀を逆手に持ち替え、切っ先を突き立てる。その直前、思わず飛びのいていた。なりふり構わず、樹そのものから飛び降りる。
直後、桜色の閃光が視界を閉ざす。魔力によるものだ。分かったのはそれだけだった。
「隼の翼よ!」
速やかに近づく地面を感じながら、魔力を練り上げる。状況を確認したところで、生き残れなければ意味がない。もっとも、地面に叩きつけられたくらいでは死にはしないが。
ともあれ、翼が具現化すると同時、再び加速。おおよその勘で近くのビルの屋上に着地する。着地と言っても、ほとんど激突に近い有様ではあったが。
いくらか地面を転がってから、立ち上がる。
「何だと……?」
樹がなくなっていた。正確には、瞬く間に崩壊が進み、消えようとしていた。幸い、核となっていた幼い恋人達は無事らしい。魔力による保護膜に包まれ、ゆっくりと地面に降りていく。だが、肝心のジュエルシードは見当たらない。誰かが回収したらしい。
「あのフェレットの仕業、か?」
いや、あいつがこれほどの魔力を持っていたとは思えない。と、なると――
「あの野郎……。どうやら命がいらないらしいな」
撃たれたであろう方向を睨み、ありったけの呪詛を込めて毒づく。
おそらく撃ったのは、なのはだ。ユーノに唆されたのだろう。これほどの素質を秘めていたとは驚きだが、どうしても喜んでやるに気はなれそうになかった。それにしても、
「あのネズミ野郎、リブロムを出し抜いたか? それとも、まさかとは思うが相棒の野郎無視しやがったか?」
だとしたら燃やす。容赦なく燃やす。俺の血肉や魂のかけらを練り込んで作り出した以上、あいつもどうせ不死の怪物なのだ。少しばかり火にくべたくらいでどうにかなるものではない。
後書き
「隼の翼」は「隼の羽」の進化系ということで……。誤字ではありません。
「剣魔女の護剣」と併せてオリジナル供物です。
魔法生物は……まぁ、ED後だからということで。
ページ上へ戻る