剣の丘に花は咲く
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第十二章 妖精達の休日
第二話 騎士へと至る道
前書き
……最近まじ忙しい。
体調も悪いし……ゆっくり温泉にでも入りたい。
……………………
「―――ティファニア、それは本気で言っているのですか?」
「……うん。もう決めたから」
「どうなるか本当に分かっているのですか? あなたはもう簡単に逃げられるような立場ではないのですよ」
「だからこそよ。だから……決めたの。正面から立ち向かおうって……どうせ、早いか遅いかの話だし、それなら早い方が良いと思って」
「……決意は強いようですね。分かりました。それなら私も覚悟を決めました」
「えっと、アルト?」
「……結果がどうなろうと、必ずあなたを守る事を誓いましょう」
「……ごめんね……ありがとう」
…………………………。
ティファニアがとある決意をしたその翌日。
一年生のソーンのクラスでは、1時限目である“土”系統の授業が始まろうとしていた。教鞭を取るのは“赤土”の二つ名を持つ色々と豊かな肢体を持つ最近お腹のお肉が気になりだしたミセス・シュヴルーズである。教室の中に入った彼女は、教壇の前に立ちクラスの中を見渡すと、名簿を開き出欠を取り始めた。
出欠が半ばを超え、一人の少女の名を告げる。
「ミス・ウエストウッド」
だが、返事はない。
名簿から視線を離し、クラスを見渡すともう一度声を上げた。
「ミス・ウエストウッド? いないのですか?」
返事はやはりない。
首を傾げ再度クラスを見渡すも、あの目立つ帽子の姿は何処にも見当たらなかった。
教室にいないことを確認すると、シュヴルーズは名簿に記載されたティファニアの欄に欠席とチェックを付ける。
「どなたかミス・ウエストウッドの欠席の理由を知っている人はいますか?」
シュヴルーズの質問に答えを返すものはいなかった。生徒たちが顔を見合わせざわざわと話を始める。話題は勿論突然の欠席をしたティファニアの事だ。その中には席の一番後ろの指定席に座るベアトリスとその取り巻きの姿もあった。
ベアトリスたちは互いに目を合わせると、「くふふ」とくぐもった笑い声を上げた。
「やっぱり休んだみたいですわねあの子」
「ええ。やっぱり帽子を脱ぐことが出来なかったので来れなかったのでしょう」
「もしかしたら今度は仮面なんて着けて来るんじゃないかしら?」
「そうなったら傑作ね」
ベアトリスたちは意地の悪い笑みを浮かべると、生徒たちにティファニアの欠席理由を知らないかと再度問うシュヴルーズに視線を移した。何度か問いただすも、ティファニアの欠席の理由が誰も知らない事が分かったシュヴルーズは、自分なりにティファニアの欠席理由を想像し、後で様子でも見に行こうと考えながら出欠を再開する。次々と生徒の名前を呼び、それに応える生徒たち。だが、その返事がまたもや不意に止まった。
「ミス・ペンドラゴン?」
ざわりと教室が騒めく。
シュヴルーズだけでなく生徒の多くが教室を見回す。しかし、誰の目にも目的の人物の姿は捉えられない。
意地悪く笑っていたベアトリスたちも、予想外の人物の欠席に驚き辺りを見回している。
噂の転校生二名が同時に欠席。明らかに関係あるだろうその理由を想像し予想する生徒たちが互いに自分の意見を話し始めた。ざわめきが騒々しくなるのはあっという間であった。
教壇に立つシュヴルーズが静かにさせようと魔法を使おうと杖を振り上げたその時である。
「―――失礼。遅れました」
涼やかな声と共にガラリと教室の扉が開いたのは。
教室中の視線が一斉に扉に向けられる。開いた扉の向こうにいたのは、噂の内の一人―――セイバーだった。
「どうかしたのですかミス・ペンドラゴン。あなたが遅刻するなんて珍しいですが、そう言えばあなたはミス・ウエストウッドと同室でしたね。彼女も一緒ですか?」
「はい。ティファニアなら一緒にいます」
シュヴルーズの質問に頷いたセイバーは、開いた扉の影に隠れていたティファニアを促す。
セイバーに促され教室中の視線が集中する中進み出たティファニアの姿に、戸惑ったような声が教室のあちこちから上がった。
「え? あれ、何?」
「見慣れない服だな?」
俯き歩み出たティファニアの格好は、何時もの魔法学院の制服姿ではなかった。
袖の部分が波打ち花びらのような形をした砂色のローブを、ティファニアは身につけていた。何時も被っている帽子の変わりに、ローブについているフードを目深に被っている。セイバーに促され前に進み出たティファニアは、胸の前で拳を握り締めながら顔を上げた。
「全く二人揃って遅刻なんて寝坊でもしていたのですか? 今日のところは授業がまだ始まっていないので遅刻扱いはしませんが、それよりもその格好を何とかしなさい。今日は仮装パーティーでも何でもありませんよ。直ぐに着替えてきなさい」
腰に手を当てシュヴルーズが叱責する。
「そうよ。ここは仮装パーティーの会場じゃありませんわよ。そんな変なローブを着て。もしかして帽子の変わりにそれを着たのかしら? いやねぇ、田舎者は。まるで道化師ねその格好」
ベアトリスの取り巻きの一人であるリゼットが殊更大声でそう口にすると、教室のあちらこちらからくすくすと笑い声が漏れ聞こえてきた。笑い声を上げるのは全員が女子生徒であり、人気者のティファニアにいい感情を持っていなかった者たちである。
悪意が混じった笑い声が上がる中、ティファニアは声を張り上げた。
「そ、そんなこと言わないでくださいっ! これは、これはわたしの母のローブです! 道化師の服なんかじゃありませんっ!」
初めて聞くティファニアの大きな声に驚き教室が静まり返る。
シンっと静まり返った教室の中、シュヴルーズが戸惑いながらもティファニアに近づくと、その服を眺め始めた。
「ミス・ウエストウッドのお母さまのローブですか。変わった作りですね。しかし……何処かで見たよう……―――ッ! こ、これはまさか、い、いえ間違いありません。この縫製のやり方、砂漠の民、それも―――」
ハッと顔を上げたシュヴルーズがティファニアから離れるように後ずさると、震える腕を持ち上げティファニアを指差した。
「―――あ、あなたの母とはまさか、そ、そそ、その、え、エ、え、ええ、エル―――」
あからさまに怯え震えるシュヴルーズの姿に一瞬悲しげに目を伏せたティファニアだったが、直ぐに意を決したように教室を見渡すと、目深に被ったフードを勢い良く脱ぎ去った。
顕になる顔、髪、そして―――。
「―――エルフ!」
長い耳。
その明らかに人とは違う耳を見た生徒の一人がその正体を叫ぶと、教室が一瞬でパニックに陥った。
一斉に席を立った彼らは、出来るだけティファニアから離れようと転がるように逃げ出す。壁に張り付くように後ずさった生徒たちは、ガクガクと身体を震わせながらティファニアを怯えた目で見つめる。シュヴルーズも腰を抜かしたのか、床にへたりこんだ姿で這ってティファニアから離れようとしていた。
そんな悲鳴と怒声が上がり収集の目処が全くつかない教室に、鋭い一括が響き渡る。
「静まれッ!!」
その声に秘められた威に萎縮され、再度教室が静まる。
教室中の目が一体誰の声だと発生源に視線を集中させると、そこにはティファニアの横に控えるように立つセイバーの姿があった。
学院の制服に身を包んだその姿は、可憐の一声でありながら、今のセイバーには、見るだけで人を跪かせるほどの何かがあった。貴族である生徒たちは思わず膝を折りそうになるが、その横に立つティファニアを視界に収めると慌てて頭を振って我に返る。
教室を見回し静まったのを確認したセイバーは、視線を横に向けてティファニアを促すように顎を引く。ティファニアはセイバーに頷いて見せると一歩前に出た。
「驚かせてすみません。どうかわたしの話を聞いてください」
一歩前に出たティファニアは、深々と頭を下げた。
ゆっくりと顔を上げると、顔に掛かっていた髪がサラリと音を立て肩に落ちる。窓から差し込む日の光がティファニアの姿を照らし出す。白い肌と金の髪が太陽の光を反射させ、まるでティファニア自身が光輝いているかのように見せる。エルフと言う恐怖の代名詞を前にし、怯えと恐怖に顔を染めていた生徒たいの顔が一瞬だけ呆けたように緩むが、直ぐに髪から覗く長い耳を目に入れると、再度顔を恐怖に染めた。
「皆さんが怖がるのは無理はありませんが、どうか話だけでも聞いてください。わたしは見ての通りエルフの血が流れてはいます。だけど、決して皆さんに危害を加えようなどと言った気持ちは持っていません。ただ、皆さんと仲良く出来れば、一緒に学び、話を出来ればと思いアルビオンの森からやってきたのです」
一言一言噛み締めるように訴え掛けるティファニア。
しかし、皆エルフに怯えるだけでティファニアの話がまともに聞いてはいなかった。
「ふ、ふざけた事を言わないでっ!」
リゼットが身体を震わせながらも大きく声を上げた。
震える身体でティファニアを指差すと、恐怖と怒りが混じった声を吐き出す。
「そ、そんな馬鹿な話を信じられるわけないでしょ! だ、誰がそんなエルフの話を信じられると思っているの!」
リゼットの叫びに、震えながら何人かの生徒が頷いて見せる。
震えるリゼットの前に進み出たベアトリスが、恐怖によるものか、それとも怒りによるものか身体を小刻みに震わせながらティファニアを指差す。
「そうよ! 誰が騙されると思っているの! わたしたちがどれほどあなたたちエルフと戦ってきたか知ってて言っているの! あなたが何を言ったとしても、信じる者など何処にもいやしないわ!」
「私は信じている」
「―――な」
静かな声に生徒たちの視線が一斉に声の主に集まる。
セイバーは一歩前に進み出ると、強い視線で生徒たちを見回した。
「誰が何と言おうとも、私はティファニアを信じている。何も知らないのは、あなた達の方だ。ティファニアはあなた達の知るエルフとは違う」
「そ、そんな、な、何を言っているのですか」
憧れの人物がよりにもよってエルフの弁護をするのを見て、ベアトリスの顔が奇妙な形に引き攣る。
「ベアトリスさんの言う通り、確かにエルフとハルケギニアの人たちが争ってきたのは事実ですが、わたしの父と母は違いました。父は母をとても愛していましたし、母も父を愛していました。だから、わたしは母のエルフの血と、人である父の血の両方を愛していますし、誇りにも思っています」
胸に手を当て真摯に訴え掛けるティファニアを、嫉妬で濁った目で睨みつけていたベアトリスが鼻で笑った。
「はっ、何よあなた、ハーフだったの。エルフの色香に狂った男の娘だなんて、ただのエルフよりもなおタチが悪いじゃない!」
「―――ッ! 父を侮辱しないでッ!!」
ベアトリスの言葉に顔面を蒼白に変えたティファニアが、悲鳴のような怒声を張り上げた。生まれて初めて感じた目の前が真っ赤に染まるほどの怒りに押され、窓ガラスが揺れる程の大声を上げたティファニアは、噛み付かんばかりの視線をベアトリスに投げかける。
初めて向けられる本気の怒りの視線に、ベアトリスが一歩後ずさった瞬間である。
教室の窓ガラスが一斉に破れたのは。窓ガラスを破壊して教室に飛び込んできたのは、二十人近い騎士であった。突然の出来事に生徒たちの口から悲鳴が上がる。怒濤のごとく巻き起こる出来事の数々に、シュヴルーズはとうとう気絶してしまう。
教室に飛び込んで来た騎士たちは、訓練された動きでベアトリスを守るように取り囲んだ。生徒の中の一人の男子が、騎士が身につけた鈍い青色に輝く甲冑の胸に刻まれた空を目指す黄色の竜の紋章を見て叫ぶ。
「空中装甲騎士団!」
その言葉に悲鳴を上げるだけの生徒たちの目が驚きに見開かれ、その現ハルケギニア最強の呼び声高い騎士団の姿に感嘆の唸りを響かせた。
ベアトリスを囲む騎士団の中から、隊長と思しき男が、一歩前に進み出ると、腰から抜いた細身の軍杖をティファニアに突きつけた。
否―――正確には何時の間にかティファニアを守るように前に出たセイバーに、である。
「動くな。それ以上殿下に近寄れば死ぬものと思え」
相当な訓練を行っているのだろう。傍から見ても隙は全く見えない。自分に杖を向けられているわけでもないのに、生徒たちは汗が滲み出るのを止められないでいた。
しかし、杖を向けられている当事者であるセイバーは涼しい顔で自分に杖を向ける男を睨みつけていた。
「―――誰にものを言っている」
静かに口を開くセイバー。
小さく抑えられている声にも関わらず、その声に秘められた怒りの大きさに、杖を向けていた隊長の身体がびくりと震えた。
年端もいかないような少女の声に怯えた自分の事が信じられず、目を驚きと戸惑いに見開いた隊長は、知らず震え始めた自分を鼓舞するように声を張り上げた。
「だ、黙れっ! エルフのような化物に味方をするような輩が! だ、誰が口を開いていいと―――!!」
隊長の声は途中で遮られた。
誰かが話しに割り込んだ理由ではない。
突然何の前触れもなく発生した突風によってである。
セイバーを中心に渦を巻く風は、もはや竜巻と言ってもいいだろう。騎士団が教室に飛び込んできた際に破壊された窓が、窓枠ごと外へと向け飛んでいく。教室の中発生した局地的な竜巻は、鍛え抜かれた騎士たちでさえまともに動けないほどである。飛ばされないよう必死に床にすがりつく生徒と騎士たち。数秒かそれとも数分か。唐突に発生した竜巻は発生と動揺に突然消え去った。
「黙るのは―――貴様たちだ」
氷の刃のように冷たく鋭い声と共に、名残のように渦を巻いていた風がセイバーを中心に放射線状に散る。
顔を叩く風に一瞬目を瞑った生徒たちが、床に尻を着いた姿で恐る恐ると目を開くと、そこには一人の騎士がいた。
白銀の鎧に紺碧の服。
複雑に編み込まれた髪が日の光に照らされ、まるで王冠のように眩く輝いている。
麗しい顔を厳しく引き締め、ピンッと背を逸らし立つその姿は、神が創り出した己に仕えさせるための騎士のように何処か触れ難い神聖さを放っていた。
教室にいる者たち全てが息を飲み、その奇跡のような美しさに見惚る。シンっと静まり返った教室の中、静寂を破ったのはセイバーの声であった。
「ティファニアの言葉に嘘偽り等はない。彼女は真実あなた達との友誼を交わしたく思ってこの学院に来たのだ。正体を隠していたのはエルフと言う存在が皆に恐れられるものだと知っていたからこそ、余計な混乱を避けるためのもの。何も良からぬ事を考えていた理由ではない。だが、それでもやはり正体を隠しているのは騙しているのと同じと、非難されると知りながら、ティファニアは自らの正体を証したのだ」
スッと、セイバーの目が細まる。
「―――その覚悟と決意に対する答えがこれか」
斬りつけるような鋭く重い言葉。細められた視線がベアトリスの前に並ぶ騎士たちを見回す。
既に隊長がセイバーに突きつけていた杖は、頭を垂れるように力なくダラリと垂れ下がっている。それはベアトリスの前に壁のように立つ騎士たちも同様であった。今にも膝から崩れ落ち、床に尻を着けそうになるのをガクガク揺れる足で必死に耐えている。
ハルケギニア最強と謳われる竜騎士隊“空中装甲騎士団”の隊員たちは今、混乱の只中にいた。
常日頃、最強の幻獣である竜に乗る彼らにとって、大抵の生物は怖いとは感じない。竜を乗る者たちに、そんな弱い心を持つ者などいないのである。野生の竜程ではないが、それでも騎竜とする風竜の恐ろしさは並大抵のものではない。実際に竜騎士を目指し、しかし、竜を目の前にして怯えて一度も騎乗することなく去っていく者も少なくないのだ。
竜も自分を恐れ怯える者を乗せる筈もなく、竜騎士には並外れた胆力が必須なのである。
だが、その並外れた胆力を持つ筈の竜騎士たちは、抱きしめたら折れてしまいそうな程華奢で可憐な少女を前にして怯えを隠せないでいた。
紺碧の衣装に白銀の甲冑を身に纏っているが、しかし少女である。
絵画に描かれる戦乙女のように美しさはあるが、何処からどう見ても強そうには見えない。
しかし、
―――な、何なんだよコレは―――!!?
その小さな身体から滲み出る強烈なプレッシャーは、彼らの知るどんな存在よりも比較にならないほどに大きかった。
例えるならば―――竜。
それも強大な―――それこそ自分たちの知る竜などよりも何倍―――否何十倍と大きく強力な竜。
緊張と混乱、そして恐怖により騎士たちが目眩や吐き気をもよおし始め、恐怖が理性を犯し、悲鳴を上げさせるその間際。
「―――っ、そ、そんな事を言われても、信じられるわけがないですわっ! だってハルケギニアの歴史は、エルフとの戦いの歴史なのですからっ! しょ、証拠もないのに突然そんな事を言われても、信じられるわけがありませんわっ!!」
それを回避させたのは意外にもベアトリスであった。
騎士団たちの背後に立つベアトリスは、騎士団の身体が邪魔で見えないセイバーに向かって声を上げる。騎士たちが怯えて縮こまる中、ベアトリスが声を張り上げられるのは、しかし別段ベアトリスが強い理由だからではない。セイバーが警戒しているのは、突然教室に侵入してきた武装集団である空中装甲騎士団だけであったため、直接的な警戒を向けられていない生徒たちには、騎士団たちに比べれば威圧感は感じていなかった。
しかし、だからと言って一瞬で騎士甲冑を身に纏い、恐ろしい程の魔力を身体から滲み出させるセイバーを前にして何か言えるだけでも大したものであった。
「っ、そ、そうですわ。き、きっと騙されているのですね! ミス・ペンドラゴンのような方がそんな薄汚れたハーフエルフを擁護するなんておかしいと思ったのですわ! きっとエルフの“先住魔法”で操っているのでしょう! そうよ。きっとそういう事よ。なら、納得できるわ」
何やら自分の口にした言葉にうんうんと頷き、納得した様子を見せると、ベアトリスは騎士たちの隙間から見えるティファニアに向かって指を突きつけた。
「やっぱりエルフの使う“先住魔法”は悪魔の魔法ね! 空中装甲騎士団!」
悲鳴のような声で命令を下すベアトリス。その目には、既に正常な光の姿はなく。何処か狂気に近い光が宿っていた。
「あの女を退治しなさいっ!! 人心を惑わし狂わす魔女よっ!!」
金切り声で叫ぶようなベアトリスの命令に、騎士たちは互いに目配せをして躊躇いを見せたが、隊長が歯を噛み締めながらも重々しく頷くのを見ると、各々腰に差した杖に手を伸ばした。
「―――仕方がありません、か。すみませんティファニア。少し移動します」
騎士たちの目に決意と覚悟を見たセイバーは、説得は難しいと判断すると、隣に立つティファニアを抱き寄せて素早く両腕で持ち上げ教室の中を駆け抜けた。余りの早業に、誰も反応することが出来ない。魔法を放つどころか、静止の声さえ上げられないでいた。一瞬で窓際まで駆け寄ったセイバーは、そのまま止まることなく、破壊され尽くし、もはや窓とは言えなくなった元窓から躊躇いを見せることなく身を躍らせた。
「……アルト、ごめんなさい」
「何故謝るのですか?」
「だって、わたしが勝手に決めたことで、こんな迷惑……」
「私は迷惑などと思ってはいません」
「でも―――っ」
「―――ティファニア」
風が吹き付け、セイバーの複雑に編み上げられた金色の髪の一房が揺れる。流れる髪に導かれるようにセイバーの顔が、自身の背後に不安気な様子で立つティファニアに向けられた。厳しく引き締められていたセイバーの顔が緩み、ティファニアを安心させるように笑いかける。
「あなたの覚悟と決断は誰にも恥じることのない素晴らしいものでした。エルフと恐れられると知りながら、それでもと逃げないあなたの姿は尊敬に値します。そんな強く美しいあなたを守る事は、迷惑どころか誉れでしかありません。それに、覚えていませんか?」
悪戯っぽく口の端を曲げたセイバーは、ティファニアに背中を向けながら笑い混じりの声で告げ―――、
「結果がどうなろうと、必ずあなたを守ると誓ったことを」
―――杖を抜き放った騎士たちに向き直った。
教室の窓から外へと飛び出たセイバーは、そのまま駆け抜け出しアウストリの広場で足を止めた。寮塔、土塔、本塔、水党に囲まれたアウストリの広場は広く、空中装甲騎士団が揃っても全く狭いとは感じないほどである。騎士たちがセイバーに追いつき杖を向けると、セイバーたちを追って駆けつけてきた生徒たちが、遠巻きに取り囲み始めていた。決闘の観客のようにセイバーと騎士団を取り囲む生徒たち。その中心には、それぞれ自分たちの守るべきものを背に向かい合っている。
傍目から見ればそれは勝負にもならないと感じるだろう。
完全武装の騎士団に対するのは、甲冑に身を包んでるとは言え、たった一人の少女。それも花を摘んだり刺繍をしたりするのが似合うだろう華奢な少女だ。
だが、相対する騎士たちの目には油断の色は見えない。
確かに姿形だけを見るならば、片手でもあしらうことが出来そうだが。先程の教室での一件で、見た目とは真逆の存在であることを騎士たちは理解させられていた。
竜巻のような魔力の奔流。
小さな身体が巨大に感じられる程の威圧感。
刃物のように鋭い視線に欠片の隙も見当たらない姿。
白銀に輝く手甲で覆われた手には何も持ってはいないが、不用意に近づけば斬り伏せられると言う妙な確信があり、騎士たちは近づくことも出来ないでいた。
緊張に額に汗を滲ませる騎士団に対し、しかし、セイバーは涼やかな顔で無造作に立っている。杖も剣も何も持っていないにも関わらず、その顔には危機的なものを一切感じさせない。ただあるがまま、自然体で騎士団と向き合っていた。
騎士団とセイバーが対面し、だが何も起きずジリジリと時間だけが過ぎていく。セイバーたちを取り囲む生徒たちも時と共に増え、今では学院中の生徒がいるのではと思うほどの数が集まっていた。
「もうっ! 何をぐずぐずしているのっ! さっさとあの女を捕まえなさいっ!!」
騎士団の背後でベアトリスが大声で騎士たちを叱責する。騎士たちは肩越しに自分たちの主を確認すると、周りの騎士たちと顔を見合わせあう。躊躇するように顔を視線をうろつかせるが、覚悟を決めたように一度目を硬く瞑り―――開く。
手に掴んだ杖を強く握り締め、騎士団の中から一際大柄な騎士が一歩前に進み出た瞬間。
「これはまた、随分と派手にやっているな」
「―――シロウさんっ!」
セイバーたちを取り囲む群衆を掻き分けて、士郎が姿を現した。セイバーの背後で不安そうに震えていたティファニアの顔に一瞬喜色が浮かんだが、直ぐに眉根が下がり悲しげな顔になった。
「さて、これは一体どんな状況なのか誰か教えてくれるか?」
「っ、あなた何よ! 関係ない人が入ってこないでくださる!」
セイバーと騎士たちを見回しながら進み出た士郎に対し、ベアトリスが眉根を釣り上げて激昂する。少女特有のキンキンとした金切り声に、不快気に騎士たちの眉間に皺が寄った。しかし、その声を向けられた士郎の口元に浮かんだ不敵な笑みには、ピクリとも変化は見えない。
そして、士郎の瞳は暗く冷え切っていた。
「関係がない?」
士郎は目を細め見つめると、ベアトリスはその視線の冷ややかさに、びくりと身体を震わせた。
「な、何よ、あ、あなたに一体何の関係があるって言うの」
「あるが……それを説明する義理も義務も俺にはないな」
「っ―――説明出来ないって言うなら引っ込んでなさいっ! いくらあなたが強いからって、わたしの空中装甲騎士団に勝てると本当に思っているの!? それに、女王陛下の近衛が自分の都合で勝手に他国の騎士と戦って問題ないと思っているのかしら? あなた学院生の使い魔だって聞いたけど、主に迷惑が掛かるかもしれないわよ。ああ、迷惑で済めばいいけど、クルデンホルフ大公国のお姫さまに楯突いたってことは、もしかしたらもっと酷い処分が下るかもしれないわね」
ヒステリックに叫んだベアトリスだったが、何かに気付くと意地の悪い笑みを浮かべて士郎の身動きを取れないよう画策をし始めた。どんどんと不利になっていくが、士郎は何処吹く風にと変わらない。興味無さげに細めた目でキャンキャンとわめきたてるベアトリスを見ているだけ。
そんな士郎に背後から掴みかかる人影が現れた。
それは士郎が出てきた群衆の一団から駆け出してきた四人の人影である。
四人の人影―――ギーシュ、マリコルヌ、ギムリ、レイナールの四人は、士郎に駆け寄ると腕やら服を掴むと引っ張って野次馬たちの下へと向かおうとした。
しかし、士郎はピクリとも動かず騎士団とベアトリスを見つめているだけ。
「っ、ちょ、隊長っ! こ、ここはほんと堪えて! 相手クルデンホルフ大公国のお姫さまだって!! 問題を起こしたら大変なんだよっ!!」
士郎の足元にすがりつきながら、ギーシュが悲鳴のような声を上げる。
目を細めた士郎が、足元にすがりつくギーシュを見下ろす。
「……で、本当のところは?」
「家が借金をこさえているんで、問題起こしたら実家から殺されてしまうんだ」
「………………」
「………………」
士郎とギーシュの視線が交わるが、
「…………てへ」
直ぐにギーシュが目を逸らし外してしまう。
「―――では問題ないな」
てへぺろと舌を出して小首を傾げるギーシュを蹴り飛ばして足から外した士郎は、身体にすがりつく他の三人を虫を払うように引き剥がすと、地面に転がるギーシュたちを腕を組み見下ろした。
「まあ、あのお姫さまの言っていることは特に間違いではない」
「な、なら―――」
士郎の言葉に喜色を浮かべたギーシュがガバリと勢い良く顔を上げた。士郎はそんな喜びが浮かんだギーシュにニヤリとした笑みを向けると、ゆっくりと口を開いた。
「だから、お前たちが逝ってこい」
「「「「…………は?」」」」
士郎が言った言葉の意味が分からず、一瞬呆けたギーシュたちだったが、時間と共に理解が頭に染み込むと、一気に立ち上がり再度士郎に詰め寄っていく。
「ちょ、ちょちょちょっと隊長! さっき言ったこと聞いてなかったの!? クルデンホルフ大公国と揉め事を起こすわけにはいけないんだって!!」
「い、いってこいって、ぼくらにあの空中装甲騎士団と戦えって言ってるのかいっ!?」
「相手はハルケギニア最強と言われてんだよっ!」
「ああ、そうみたいだな。良かったな。これに勝てばお前たちが最強と言うわけだ。男なら一度は最強を夢見るものだろ? いいチャンスじゃないか。気張っていけ」
にこやかに笑う士郎の目が本気であることを悟ったギーシュたちは身を寄せ合い、背筋に走る寒気にブルリと身体を震わせた。
「え、えっと。た、隊長、ほ、本気で言ってるの?」
「く、クルデンホルフのお姫さまも言ってるじゃないか。か、勝手に他の国の騎士団と戦ったら問題だって」
「ああ。だからお前たちがやれば問題はない」
「「「「は?」」」」
士郎の言葉に、ギーシュたちの口から疑問の声が漏れる。士郎はギーシュたちの疑問に笑顔を深くして頷いて見せた。
「実はお前たちは、まだ正式に水精霊騎士団に入団しているわけではないんだ。まあ、言ってみれば仮入団と言ったところか。だから、お前たちが他の騎士団と問題を起こしたとしても特に問題はないってことだ」
「「「「……………………はぁッ!!?」」」」
一瞬呆けた顔を見せたギーシュたちだったが、直ぐに正気に戻ると士郎に詰め寄っていく。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ隊長! そ、それは本当かい!?」
「にゅ、入団テストを合格したじゃないか!」
「い、一体どういうことですか!?」
詰め寄ってくるギーシュたちを、士郎は、まあまあと手を上下に揺らして落ち着かせた。
「まあ、一言で言えば実力不足だな。最低限身を守れる程の力がなくちゃ話にならんだろ。だからある程度の実力が身につくまで正式な入団は待っていたんだ」
「う、そ、それを言われると……」
自分たちの実力の程を知っているギーシュたちは、最初の勢いをあっと言う間に萎ませると、肩を落として顔を俯かせた。
「だが、まあ最近は最低限の力は付けてきたなと考えていてな」
「え!」
「そ、それじゃあ」
喜色の色を浮かべて顔を上げるギーシュたちに満面の笑顔で頷いた士郎は、すっと手を伸ばしギーシュたちの背後に並ぶ一団を指差した。
「だからアレと戦ってこい」
「「「「…………なぜ?」」」」
肩越しに背後を振り返り、自分たちの様子を戸惑った顔で見ている空中装甲騎士団を視界に納めて顔を戻したギーシュたちが、揃って首を傾げてみせた。
「これが本当の最終テストだ。お前たちの戦いぶりを見て合格か不合格を判断する。今までの鍛錬を無駄にするかしないかはお前たち次第だぞ」
「そ、それは……」
「で、でも、あ、相手はあの……」
ギーシュたちが戸惑ったように背後の空中装甲騎士団を何度も見返しては互いに顔を見合わせる。ギーシュたちが逡巡していると、件の空中装甲騎士団の背後に控えていたクルデンホルフのお姫さまが苛立ち混じりの声を上げた。
「ちょっと、さっきから黙って聞いていれば何を勝手な事を言っているのよ! ギーシュ殿っ! あなたもそこで何をしていらっしゃるの!? こんな事をあなたのお父上が知れば何をおっしゃるか!?」
ベアトリスの声にギーシュの身体がびくりと震え、助けを求めるようオドオドと辺りを見回した。しかし、視線を合う人合う人誰もが顔を逸らしてしまう。
ギーシュだけでなく、ギムリやマリコルヌたちもクルデンホルフ大公国に実家が借金でもしているのか、見る間にやる気が萎んでいく様子が傍から見ても分かった。
その様子を見ていた士郎は、内心で小さく溜め息を吐くと、仕方がないかと目を一度瞑り、一歩前へと足を踏み出そうと、
「―――待ってください!」
その直前、セイバーの背後にいたティファニアが前に飛び出して来た。
「もうやめてくださいっ! ベアトリスさん! どうしてそんなに拒絶するんですか! 確かにハルケギニアの人たちとエルフはこれまで幾度となく争ってきました! でもっ、それは今、わたしたちに直接関係することなんですか!? わたしはただ、外の世界を見てみたかった……そして、友達が出来れば、それはとても素敵なことだなって……ずっと、夢見てた……!」
祈るように手を組み、涙に瞳を濡らしながら訴え掛けるティファニアは、陽光に照らされキラキラと輝いて見えた。まるで神に祈るかのような敬虔な姿と、真摯なその訴え掛けに、周囲に集まっていた生徒たちの口から感嘆の息が漏れる。
観客のように士郎たちの周囲を取り囲む生徒たちは、事情を知る者たちからティファニアがエルフだと聞いて、最初は恐怖に宿った目で見ていた。しかし、時間が経つにつれ、ティファニアの入学してからの姿と、今の訴えを聞いた生徒たちは、ティファニアが噂に聞く邪悪と恐れられる砂漠の妖精に思えなくなり、次第にエルフに対する恐怖の感情が収まりつつあった。中には声を上げてティファニアを擁護する者もいた。
ベアトリスは周囲の意識が自分から急速に離れティファニアに向かっていくのを敏感に感じると、焦り、怒り、苛立ち等様々な感情が渦を巻き、思考が混乱に陥ったまま焦燥に駆られるまま、叫ぶように命令を下した。
「い、いい加減にしなさいっ! そ、そんなデタラメをっ! もういいですわっ! 空中装甲騎士団! さっさとあの女を取り押さえなさいっ!!」
ベアトリスの命令に、空中装甲騎士団が揃って一歩前に足を踏み出す。
ティファニアはこれを止めようと更に前に出ようとするが、突然横から出された腕に遮られ立ち止まってしまう。
「え、し、シロウさん?」
「さて、お前たち。どうする?」
ティファニアの視線を無視し、士郎は前に立つ四人の背中に声を掛ける。
ギーシュたち四人は、士郎の声に背中を向けたまま軽く肩を竦めて見せた。
「隊長に言っただろ。美しい貴婦人を守るのは騎士の仕事だってね」
「色々と言いたいけど。ま、それには同意するよ」
「仕方がないか」
「ふふっ。美少女のためを思えば苦痛も歓喜に変わるってものよ」
若干一名の意見を無視し、士郎は応じるように肩を竦めて見せた。
「相手はハルケギニア最強の一つに数えられる騎士団だぞ?」
口の端を曲げながら揶揄うように士郎がそう尋ねると、ギーシュたちは肩越しに振り返り不敵な笑みを浮かべた。
「これまでの鍛錬を思えばどうってことないさ」
後書き
感想ご指摘お願いします。
次回色々と大暴れの予定。
上手くすれば今週の土曜日に投稿出来ると思います。
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