亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百三十二話 要塞攻略案
帝国暦 487年 8月 27日 オーディン 宇宙艦隊司令部 アウグスト・ザムエル・ワーレン
八月二十六日から二十七日へと日付が変わった。作戦会議は終了しオフレッサー元帥、ミューゼル総参謀長、ケスラー副参謀長は既に退席している。残った俺達の席の前にはコーヒーが置いてあった。先程ミュラー少将が持ってきてくれたものだ。だが誰も口を付けようとしない。無言で考え込んでいる。コーヒーを持ってきたミュラーも含めて……。
メックリンガー提督がフーッと太い息を吐いた。
「クレメンツ、卿は如何思うのだ、元教え子の作戦案を。採点してくれんかな」
「からかうな、メックリンガー。今ではこちらが教えを請いたいくらいだ」
クレメンツ提督がほろ苦く笑った。そして”途方もない事を考える男だ”と言って真顔になった。
確かに途方もない事を考える男だ。ここに居る男達はいずれも胆力に優れた男達だ。そうでなければ百万以上の将兵の命を預かる事など出来ん。だがヴァレンシュタインの提示した作戦案の前に皆が沈黙している。度胆を抜かれたとしか言いようがない。退席したオフレッサー元帥、ミューゼル総参謀長、ケスラー副参謀長も何処か気落ちした様な表情をしていた。
”作戦案の根幹にあるのは要塞には要塞を以って対抗するという事だ”
” ガイエスブルグ要塞をもってイゼルローン要塞を攻略する”
オフレッサー元帥が何を言っているのか、ヴァレンシュタインが何を考えたのか、さっぱり分からなかった。まさか要塞にワープエンジンと通常航行用エンジンを取り付けイゼルローン回廊まで運ぶとは……。
「ガイエスブルク要塞をイゼルローン回廊まで運べるかどうかは技術的な問題だ。そこは置いておこう。それ以外の攻略案に関して言えば極めて理に適っていると私は思う」
クレメンツ提督が考えながら、言葉を選びながら話し出した。
「理に適っているか?」
「うむ。イゼルローン要塞を難攻不落たらしめているのは三つの要因によるものだ。一つ、要塞の持つ堅固な外壁。二つ、トール・ハンマーの持つ圧倒的な破壊力。三つ、動けない要塞を助ける機動力を有する駐留艦隊。その三つの要因が有機的に結合する事でイゼルローン要塞は難攻不落となった」
皆が頷いた。
「同盟軍はイゼルローン要塞を攻めたが攻略する事は出来なかった。ヴァレンシュタインは過去の失敗から艦隊戦力を以てしてはイゼルローン要塞を攻略する事は極めて困難であると考えたのではないかと思う。艦隊戦力だけでは三つの要因を打ち砕く事は出来ないと。第七次イゼルローン要塞攻略戦が要塞の攻略では無く艦隊戦力の撃滅になったのもその認識が有ったからだと私は考えている」
彼方此方から唸り声が起きた。
「そう考えると今回のガイエスブルク要塞の利用の意味が良く分かると思う。ヴァレンシュタインはイゼルローン要塞を難攻不落たらしめている三つの要因を無力化しようとしているのだ。ガイエスブルク要塞と圧倒的な艦隊戦力が有ればそれが可能だと考えている。彼が示した四つの攻略案はいずれもその事を示しているだろう」
「なるほど」
メックリンガー提督が相槌を打った。皆も頷いている。
攻略案は四つあった。一つ目はガイエスブルク要塞をトール・ハンマーの死角に運びそこから要塞主砲で攻撃するというものだ。反乱軍がそれを妨害しようと駐留艦隊を出撃させてもこちらの方が兵力は多い、簡単に撃滅出来る。連中にはイゼルローン要塞が破壊される前に降伏するしか生き残る道は無い。
二つ目はガイエスブルク要塞の主砲を以ってイゼルローン要塞のメインポートを射程範囲内に捉えるというものだ。そうする事で駐留艦隊の出撃を封じる。そしてこちらの艦隊を以ってイゼルローン要塞の外壁を破壊しそこから陸戦隊を送り込んで内部から制圧する。自由惑星同盟が第六次攻防戦で行った戦法だ。制圧目標は司令部、又は核融合炉になる。
三つ目はガイエスブルク要塞をイゼルローン要塞にぶつけるというもの。これが一番驚いた。説明を受けているときも“馬鹿な”、“正気か”という声が出たほどだ。但し作戦にはぶつけると言って降伏させろと書いてあったらしい。主目的はぶつける事よりも降伏を促す事なのだろう。そして四つ目は上記三案を反乱者達に通知し降伏を促すというものだった。
「ガイエスブルク要塞を見れば、そしてガイエスブルク要塞の主砲で一撃されれば、それだけで連中は戦意を喪失するかもしれん。連中が反乱を起こしたのもイゼルローン要塞が難攻不落だと思えばこそだ。それが崩れれば反乱は早期に終結する可能性が有るな」
「というより内部分裂が起きる可能性も有るんじゃないか」
ロイエンタールとミッターマイヤーの遣り取りに皆が頷いた。
「ガイエスブルク要塞の改修には結構時間がかかる筈だ。その間はこちらも艦隊訓練に専念できる。そういう意味でも有り難いな」
「そうだな、ワーレン提督の言う通りだ。どのくらい改修に時間がかかるか分からんが一月という事は有るまい、もっとかかる筈だ。反乱鎮圧には万全の状態で取り掛かれるだろう」
満足そうだな、ビッテンフェルト。
先程からミュラーは会話に加わらず深刻そうな表情で何かを考えている。彼とアイゼナッハだけが何も喋らない。
「ミュラー少将、何か気になる事でもあるのか?」
声をかけるとミュラーは困ったような表情を浮かべた。
「クレメンツ提督、提督はエーリッヒがあの作戦案を考えたのは亡命してからだと思いますか?」
クレメンツ提督が訝しげな表情を浮かべた。
「……違うというのかな、ミュラー少将」
ミュラーが“ええ”と頷いた。
「エーリッヒの作戦案を小官も見ましたが余りにも詳細に過ぎると思うのです。今回の反乱を契機に考えたとは思えないのですが……」
会議室の空気が重くなった。皆も考え込んでいる。
「ガイエスブルク要塞の事など小官はこれまで気にした事は有りませんでした。具体的な要塞の性能など何も知らなかった。しかしあの作戦案にはガイエスブルクの持つ性能が記載されています。同盟に居たエーリッヒにガイエスブルク要塞の事が分かったとは思えません。それなのに何故あの作戦案が出て来るのか……」
「帝国に居た時に考えた、そう思うのだな?」
クレメンツ提督が答えるとミュラーが“ええ、そうとしか思えません”と頷いた。呻き声が起きた、ビッテンフェルトが“馬鹿な”と呟いた。俺も馬鹿なと思った。帝国に居て何故イゼルローン要塞攻略を考えるのだ?
「そうですね、馬鹿げています。しかしどう考えてもそうなるんです。……あいつ、一体何を思ってイゼルローン要塞攻略を考えていたのか……」
最後は呟く様なミュラーの口調だった。皆が顔を見合わせた。
「ゲーム、かな」
ロイエンタールが呟いた。皆の視線がロイエンタールに集中する。ロイエンタールが困惑を見せた。
「いや、何となくそう思ったのだ。難攻不落など無い、ただそれを証明したかったんじゃないかと」
「……」
「馬鹿げているかな?」
俺には答えられなかった。そして誰もロイエンタールの問いに答えなかった。
帝国暦 487年 8月 30日 オーディン 新無憂宮 オットー・フォン・ブラウンシュバイク
「皆、御苦労である。これよりイゼルローン要塞攻略の作戦会議を始める。始める前に注意しておく。今回の一件、帝国の一大事である。故に陛下の御臨席を願った。皆、忌憚無い意見を述べるように」
新無憂宮の一室で会議の開催を宣言すると出席者がそれぞれの表情で頷いた。
軍からは軍務尚書エーレンベルク元帥、統帥本部総長シュタインホフ元帥、宇宙艦隊司令長官オフレッサー元帥、宇宙艦隊総参謀長ミューゼル大将、科学技術総監シャフト大将。他には内務尚書リッテンハイム侯、財務尚書ゲルラッハ子爵が出席している。そしてアマーリエとわしの合計九人。
場合によってはイゼルローン要塞の破壊を選択するという事も有り得るだろう。アマーリエがここに居るのは皇帝も了承しているという事を示すためだ。それほどまでに今回の反乱鎮圧は厄介で複雑な事になっている。何と言っても攻略案を示してきたのは同盟なのだ。
「先ず、ガイエスブルク要塞をイゼルローン回廊まで移動させる事が可能かどうか、シャフト技術大将、科学技術総監部の意見を聞きたい」
皆の視線がシャフト技術大将に向かった。同盟からの連絡にはシャフトがフェザーンと通じている可能性が有るとの指摘も有った。
シャフト本人もそれを認めた。もっともフェザーンと地球教の関係を知ってからは恐ろしくなって手を切ったと言っている。フェザーンも混乱した所為でそれ以降の接触は無くなったとも。現時点においてシャフトは憲兵隊、内務省の監視下に置かれている。本人もその事は分かっている。
「ガイエスブルク要塞に通常航行用エンジンとワープエンジンを取り付けさらに進路方向制御用の補助エンジンを側面に取り付ける事で軍事移動要塞とする。理論上は十分可能であると言えます」
皆が頷いた。理論上は可能だろう、ワープ航法は既に確立された技術だ。要塞を運ぶなど突拍子もない案だが考えてみれば運ぶ物が大きくなっただけだ。不可能ではあるまい。
「問題は実現性です。まず第一に質量とエンジン出力を調整しなくてはなりません。約四十兆トンの質量を持つガイエスブルク要塞を動かす事が可能なだけのエンジン出力が必要となるのです。膨大なエネルギーと言ってよいでしょう」
シャフトの説明に何人かが太い息を吐いた。アマーリエも小さく息を吐いている。
イゼルローン要塞の反乱が無ければ、こんな話を聞いたら馬鹿馬鹿しいと一喝しただろう。未だにこの話している内容が信じられない思いがする。悪い夢でも見ているのではないだろうか? いやイゼルローン要塞の反乱そのものが悪夢であることを考えれば解決策が悪夢になるのは当然か。まして解決策を提示したのがニーズ・ホッグであれば……。
「これを実現するためには同盟からの作戦案に有りましたようにそれぞれ十二基の通常航行用エンジンとワープエンジンを取り付ける必要があるでしょう。これの制御が技術面における問題になります」
「……」
「複数のエンジンを使う以上完全に連動させなければなりません。ワープエンジンの出力にばらつきがあれば、またその同期にばらつきがあれば、どのような結果になるか……。ガイエスブルク要塞は亜空間で行方を絶つか原子に還元してしまうという事も有り得ます」
シャフトの説明に皆が顔を顰めた。実現出来るのか、そう思ったのだろう。
「通常航行用のエンジンについても同様です。これらの出力にばらつきが有れば要塞は進路を保てません。バランスを崩し非常に危険です。先程も言いましたがガイエスブルク要塞をイゼルローン回廊に運ぶにはこのエンジンの制御が技術面における最大の問題になります」
「そして宇宙工学的な問題も有ります」
「工学的?」
アマーリエが声を出すとシャフトが“はい”と頷いた。
「質量四十兆トンを超えるガイエスブルク要塞がワープ・イン、ワープ・アウトした場合、それが一体通常空間にどのような影響を及ぼすのか。時空震の発生が致命的なものにならないか、その検証が必要です」
溜息が出た。わしだけではない、皆が溜息を吐いている。
「科学技術総監部としてはそれらの問題は解決可能だと考えているのかな、答えてくれ」
リッテンハイム侯が質問するとシャフトが僅かに姿勢を正した。
「解決は可能だと考えています」
「時間はどの程度かかる?」
「改修、試験運用に約三カ月を想定しています。もちろんこれは現時点においてです。新たな問題点が発見されればその分だけ時間は伸びます」
「統帥本部はどのように考えるか? シュタインホフ元帥」
アマーリエがシュタインホフに答えを促した。
「はっ。技術的な問題が解消されガイエスブルク要塞をイゼルローン回廊に運ぶ事が可能であるならば、同盟より提示されました作戦案を実行するべきかと考えます。実際問題としてそれ以上の攻略案を我々は持ちませぬ」
渋い表情だ、攻略案を提示されるなど屈辱でしかないのだろう。
「宇宙艦隊は如何思うか?」
アマーリエの問いが続く、オフレッサーが僅かに頭を下げた。
「宇宙艦隊も統帥本部と考えを同じく致します」
「では具体的にはどの攻略案を採るのか?」
「それにつきましてはミューゼル総参謀長よりお答えします」
オフレッサーの答えにミューゼルが頭を下げた。
「帝国の現状を考えますと出来れば戦う前に降伏させたいと思います。帝国軍同士での戦力の潰し合いは避けるべきでしょう」
ミューゼルの言葉に皆が頷いた。ふむ、以前はもっとぎらついた目をする男だったが少し変わったな。
「先ず第四案を使い反乱者達に降伏を促します。降伏しなかった場合は第一案から第三案のいずれかによってイゼルローン要塞を攻略する事になります」
「第三案は止めて貰いたい。イゼルローン要塞とガイエスブルク要塞を両方失うのは余りにも痛すぎる」
ゲルラッハが渋い表情で言った。
「財務省は国際協力都市イゼルローンに期待している。金銭的なものだけではない、イゼルローンから得られる利益は非常に大きいと見ているのだ。辺境星域も大きく発展するだろう。財務省はこれを機に積極的に辺境星域を開発するべきだと考えている」
財務省だけではない、わしもリッテンハイム侯も同じ考えを持っている。政府の公式見解と言って良い。
「軍務省も第三案は避けて貰いたいと思っている。ガイエスブルク要塞が動くのであればイゼルローン方面の要塞にも使える。そうなれば新たな要塞建設はフェザーン方面だけで済む。帝国の防衛体制は早期に完成するだろう。後はゆっくりと宇宙艦隊の編成を行えばよい。だが第三案を採れば先ずイゼルローン要塞の建設から始めねばならん」
エーレンベルクがゲルラッハに続いた。
同盟からは新たなイゼルローン要塞の建設には同盟も資金を出すと言っている、共同で建設しようと。正直有難くない申し出だ。そうなればイゼルローンから帝国が得られる利益は格段に減るだろう、うかうかとは乗れない。しかし断れば帝国の防衛体制に遅れが出るのも事実。反乱など起こした馬鹿共を絞め殺してやりたい思いだ。
「もちろんその辺りの事情は宇宙艦隊も分かっております。第三案を採るのは最後の手段です。攻略には第一案、第二案を優先して使用します」
「……」
「成功率が高いのは第一案ですがイゼルローン要塞の損傷が酷いのも第一案です。第二案はイゼルローン要塞の損傷は比較的軽微に済みますが作戦の成功率は第一案に比べれば格段に落ちます。同盟も一度要塞内部に兵を送り込んだ事が有りますが要塞制圧に失敗、撤退しました」
沈痛と言って良いミューゼルの口調に皆が顔を顰めた。ただ落せというなら難しくは有るまい。だが出来るだけ損害を少なくという条件が付けばとてつもなく難しくなる。オフレッサーもミューゼルも表情が厳しい。無理難題を押付けられている、そう思っているのだろう。
「これ以上宇宙艦隊に注文を付けるのは彼らの手足を縛る様なものではないかな。宇宙艦隊は状況を良く理解している様だ。彼らの判断に任せるべきだと思うが? 攻略案のどれを使用するかはイゼルローン回廊に行ってみなければ分からぬという事も有ろう」
「……」
わしの言葉に皆が渋々ながら頷いた。オフレッサー、ミューゼルの二人の表情が少し和らいだ。
ガイエスブルク要塞の改修に三月はかかる。その間に状況が変わるという事も有り得るだろう。反乱を起こした馬鹿共が反省して降伏する、又は伝染病で全員死んでしまうとかだ。ヴァレンシュタインに呪い殺させるという手も有るな、頼んでみるか。現実逃避かな、それとも名案か、呪殺料は一億帝国マルク、そんなところだろう。誰が反乱の首謀者か、確認しておくか……。
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