妻を見ること
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第四章
第四章
「そなたの女房のものだと」
「何と」
義隆も周りの者もそれを聞いて驚きの声をあげた。
「はい、それがしの女房のものです」
彼はまた述べた。しかも正直な様子で。
「如何でしょうか」
「いや、それは嘘であろう」
義隆はそれを信じようとしなかった。いぶかしがる目で浜田を見て言うのであった。
「その歌は今帰らない相手を想う気持ちのもの。しかし御主の女房はここにはおらんではないか」
「それはですね」
浜田はそれに応えて述べる。
「実は女房は横におります」
「横に!?」
皆それを聞いてまた首を傾げる。
「誰もいないではないか」
「そうじゃのう。誰も」
「それがいるのでございます」
浜田はそれでも述べる。
「他の方々には見えはしませぬがそれがしには」
「鬼であるか」
義隆はそれを聞いてふと気付いた。
「御主の横には鬼がおるのじゃな」
「そのようです」
浜田は主に対して答える。
「ですが死んだ鬼ではないようです」
鬼はこの場合は日本でよく言われるあの大きな角のある鬼ではない。中国で言う鬼、つまり人の霊のことである。二人には中国の話の知識もあるからわかったのだ。人が死ぬことを鬼籍に入ると表現するのはここから来ている。
「生きた鬼です」
「では生霊か」
「またどうして」
「そこまではわかりませぬが」
浜田は答える。
「ですが今確かに」
「ふうむ」
義隆はそれを聞いて目を閉じた。袖の中で腕を組む。暫し考えた後でようやく目を開けて浜田に対して静かに述べるのであった。
「浜田よ」
「はい」
浜田は彼に応える。
「そなたはすぐに家に戻れ」
「何故でしょうか」
「生霊だからじゃ」
義隆はそう彼に述べる。
「生霊はな、普通に出るものではない」
彼は言う。
「死霊とはまた違ってな。人の心がそのまま出て来ておる」
「それではおたけは」
「そうじゃ。そなたを想うておるのじゃ」
こう浜田に対して言う。
「じゃからじゃ。すぐに戻れ」
「すぐにですか」
「それで女房を安心させるのじゃ」
優しい顔で彼を見ていた。
「よいな、それで」
「宜しいのでしょうか」
そう主に問う。
「それがしが今ここを抜けて」
「よいと申しておるのじゃ」
義隆はまた浜田に述べた。
「主の命令じゃぞ。よいな」
「ははっ」
そこまで聞いて頷く。そのうえで頭を垂れた。
「有り難き幸せ」
「よい女房を持ったな」
にこやかな顔でそう応える。
「では行って参れ」
「ははっ」
そのままその場を下がりすぐに馬に乗る。そしてすぐにおたけの待つ家にまで帰ったのであった。
家に着いた時はまだ夜だった。馬を止めて急いで中に入る。
「おたけ、おたけ」
「はい」
それに応えておたけが出て来た。寝巻のままである。
「もう帰って来られたのですか」
「一体何を言うておる」
浜田はそのおたけにこう述べた。
「御主がわしを呼んだのではないか」
「私がですか」
「そうじゃ」
彼は述べる。妻の顔を見ながら。
「泊まっていた場所に出て来てな」
「はあ」
言われても首を傾げたままであった。
「それは覚えておりませんが」
「そうであろう」
浜田は女房のその言葉に頷く。
「御主は生霊となって来ておったのじゃからな」
「生霊ですか」
「歌を詠んだであろう、夢の中で」
彼はそれを問うてきた。
「どうじゃ?間違いなかろう」
「はい、確かに」
そして彼女もそれを認めて頷いてきた。
「その通りです」
「やはりな。では決まりじゃ」
浜田はそれを聞いてあらためて頷いた。そのうえでまた述べる。
「御主は生霊となってわしに歌を授けてくれた。済まぬな」
「いえ、それは」
おたけは彼が礼を述べたのに少し戸惑いながら返事をした。
「妻ですから」
「この礼は何時かする」
彼は述べた。
「そういうことじゃ。では帰ったし」
「どうされますか?」
「床に入るとしよう。よいか」
「畏まりました。それでは」
「うむ」
こうして二人は共に床に入った。その中で再会を楽しむのであった。
それから暫くして大内氏は陶の謀反によって義隆が自害し家は陶に操られることになる。それを見た浜田はどうするべきかと思ったがそのおたけの言葉に従い大内を離れ毛利についた。毛利氏では外様ながら教養と知識を替われ政治において活躍した。厳島では思いも寄らぬ武勲をあげその名をあげた。以後それからも毛利の名臣として称えられた。それは全て妻おたけの内助の功によるものであると伝えられている。実によくできた女房であった。
妻を見ること 完
2007・2・15
ページ上へ戻る