名犬駄犬
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第三章
第三章
「もういいよ。コロは僕が面倒を見るから」
そう言って寝ていたコロを抱き寄せる。そして顔を近付けさせた。
「僕がいるからな、コロ。安心していていいよ」
彼はコロに優しい言葉をかけた。
「お母さんに何を言われても気にしちゃ駄目だよ。御前には僕がいるからな」
「けれど一樹」
「もういいよ、本当に」
また息子に突き放されてしまった。
「コロのことはもういいよ。僕が面倒をみるから。お母さんだって嫌いな犬と一緒にいたくなんかないでしょ!?」
完全に俯いてしまった。何も言えない。
「それじゃあね。今から散歩に行って来るよ」
そのままコロを連れて散歩に行ってしまった。そして後には俯いたままの真美子だけが残った。
非常に後味の悪い気持ちだった。息子にそんなことを言われたのは。自分が教えていく筈の息子に見抜かれていた。自分が気付いていなかったことまで。
コロの小屋を見る。そこにはもうコロはいない。今一樹と一緒に外に出てしまった。
自分は一人になったように感じた。今までの自分が崩れ去ったように思えた。人間としても、親としても。彼女は全てを失ったように思えた。
ソーニャの方へ足を向ける。だが彼女はその時寝ていた。
「ねえソーニャ」
それでも誰かに話さずにはいられなかった。だから彼女に声をかけた。
「私、間違ってるのかしら」
しかし返事はなかった。ソーニャは寝たままであった。
「一樹にあんなこと言われるなんて。悪い母親よね」
そう言ったところで顔を上げてきた。そして真美子を見上げた。
ソーニャは何も言わない。ただ真美子の顔を見上げているだけである。しかし彼女はそこ左右で色の違う目に何かを見たような気がした。
「・・・・・・・・・」
彼女は何かを思った。そして家の中に入った。やりきれない心をそのままに。それでも何かを感じていた。その何かをどうかしたいと思った。
次の日だった。一樹は一言も口を聞こうとしない。怒ったままであった。真美子も何も言うことは出来なかった。一樹が学校に行くと彼女は家を出た。
「あれ、何処に行くんだい?」
夫である賢一が声をかけてきた。丁度お茶を飲みに部屋を出たところだったのだ。
「買い物か?」
「ううん、違うわ」
真美子は夫の問いに答えた。
「ちょっと犬の散歩にね」
「こんな時間にか?」
彼はそれを聞いて怪訝そうな声をあげた。
「まだ早いだろうに」
普段は夕方に行くのが真美子の散歩の時間であった。だが今日は違っていた。どういうわけか朝に行きたいと言っているのである。賢一はそれに今一つ釈然としないものを感じていたのだ。
「ちょっと気分転換にね」
「仕事が詰まっているのか?」
「ええ」
実は違うのだがここはこう答えた。
「ちょっと」
「そうか。まあそういう時は散歩で頭の中を切り替えるのがいいよな」
「そうでしょ?だから」
「じゃあ行って来ればいいさ。ついでに買い物でも行って来たらどうだい?」
「今日の献立?」
「まだ決めてないんだろ?だったらついでにと思ってね」
「そうね、そうしようかしら」
何となくそう返した。そこまでは考えてはいなかったのだ。
「留守番は僕がしておくから。ついでにお昼も」
「ビールは夜にね」
「わかってるって」
実は賢一はビール好きだ。少し暇があるとすぐに飲もうとする。真美子は健康上の理由と一樹への影響を考えて賢一に昼にはビールを飲まないように頼んでいたのだ。
こうして買い物も兼ねて散歩に出掛けることになった。まずはその前に犬小屋に向かった。
ソーニャを連れて行った。コロも。昨日の一樹の言葉が気になって仕方がなかったのだ。
「一緒に行く?」
コロに声をかける。見れば嬉しそうに尻尾を振っている。どうやら散歩に行くのが本当に嬉しいようである。
こんなに馬鹿にしている自分に。そう思うといたたまれない。しかしここはそれを押さえて彼も散歩に連れて行くことにしたのである。目的は一つであった。
「本当かしら」
コロのいいところ。それを見たかったのである。
あの時一樹は自分を責めた。コロのことが何もわかっていないと。そしてコロとソーニャを比べて区別していると。その言葉がずっと耳に残っていたのである。
(それなら)
真美子は心の中で呟いた。
コロのいいところを見たい。そして自分が間違っているかどうか確かめたい。彼女はその為にコロを散歩へと連れて行くのであった。多分に自分の為であったが。
コロの首輪を紐に繋ぐ。そしてソーニャも。二匹をそれそれ連れて散歩に向かうのであった。
途中まではいつもと同じであった。相変わらずソーニャは気品があり凛としているがコロは情けなく、トボトボとしか感じで歩いていた。ここまでは本当に同じだった。
それでも真美子は違っていた。コロから目を離さない。今は彼の動きに注目していた。
買い物まではすぐに終わった。店の外にソーニャとコロを繋いで買い物を済ませる。そして店を出た。その時に彼女は最初のものを見たのであった。
「えっ・・・・・・」
コロである。そこにはコロがいたのだ。
彼はソーニャと一緒にいた。だが違うことをしていたのだ。
道にあったタンポポを眺めていたのだ。ただ、のどかに眺めていた。
「コロ・・・・・・」
ソーニャはいつも通り真美子を待っているだけだった。きちんと座って待っている。それだけだ。
しかしコロは違っていた。花を楽しそうに見ていた。それを見て真美子は一樹の言葉を思い出した。
「そう、そうだったのね」
見ると不思議に心が穏やかになった。コロはたんぽぽの上にカナブンが来ても追い払ったりはしない。そのカナブンまでも優しい顔で眺めているだけであった。
コロのその姿を見て真美子も優しい気持ちになった。彼女もそれに合わせて花を見る。不思議な程穏やかで優しい朝の散歩であった。
それから彼女はコロにも普通に接するようになった。ソーニャはソーニャ、コロはコロとしてそれぞれ公平に、そして大切な家族として扱うようになった。一樹にもそれはわかり、二人の仲も元に戻った。
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