SAO ~冷厳なる槍使い~
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SAO編
第一章 冒険者生活
13.戦場霧中
古樹の巨人《ライオット・ジ・エンシェントトレント》との戦いは、あたしが想像していたのとはちょっと違ったけど、その忙しなさは想像以上だった。
あたしたちの部隊は、スイッチを重ねた行動阻害系ソードスキルの連発によってスキル効果の重複を狙い、ボスの足止め的な役割をする。支援目的のため攻撃力は弱いけど、そのかわりボスの憎悪値を必要以上に上げることも無い。
決して安全ってわけじゃないけど、ボス戦部隊の中では一番ローリスク、ローリターンな部隊なんじゃないかと思う。
「ボッ、ボォォオオオオオ!!」
それでも暇ってわけじゃない。
あたしたちはずっと動き回っていた。
「ボスが移動するぞー! 攻撃部隊、下がれぇー!!」
「壁部隊は前に出てくれ! ボスの移動線上は開けて……馬鹿そこ違う! 動きが止まってから囲むんだよ!!」
「一旦攻撃中止! 支援部隊は下がりつつボスの真横に移動します! 今の隊列のまま横に動いて下さい!」
四メートル近い巨体を持つボスの動きは遅い。だから比較的、攻撃場所の移動に難は少ない。
……なんだけど、やっぱりその重量から繰り出される攻撃はかなりの威力らしく、たった二回攻撃を受けただけで、壁部隊前線のプレイヤーは回復ポーションを飲むために後続と交替していた。壁役プレイヤーたちの頭上のHPバーも、ボスの攻撃を受けたときにガクッと大きく削れるのが遠目にも見て解った。
重装甲を纏った壁部隊のプレイヤーたちでさえそれだ。あたしたちみたいな革布主体の軽装備、しかも支援部隊は両手用の長物武器が多くて盾を持つプレイヤーは少ないのに、もし、ボスの攻撃が当たってしまったらどうなってしまうのか。
「そこっ、止まるなよ! 動け動けぇー!!」
「早く! 早く行ってくれって、リアルで!!」
「うおおおおお!! マジ、こぅえええええ!!」
そういった恐怖があるせいか、ボスに動きがあればプレイヤーたちは過敏に反応する。ボスの動きが遅いとは解っていても、早く攻撃範囲外に移動したいという気持ちは止められない。あたしたち含め、プレイヤーのみんなは逃げることに必死だった。
「やばいッス……あれ、やばすぎッスよ!」
「チマ、急ぎたいのは解るけど、はぐれないように気を付けて……!」
「……こうも周りに人が多いと、自由に動きようも無いな」
「そうですけどっ、でも逃げなきゃあぶないですよ!」
落ち着いているように見えるキリュウさんも、その視線は周囲を見渡すように忙しなく動いていた。 いつも的確なアドバイスをくれるキリュウさんだけど、今回ばかりはどうしようもなさそうだ。
はっきり言って、今までモンスターと戦ってきた経験はボス戦じゃ意味を成さなかった。
そもそもあたしたちは、少人数での効果的な戦い方をキリュウさんから教わってきた。こんな大人数での戦いは想定外だ。
ソードスキルなんて現実ではありえないものがあるけど、この戦いは大昔のまだ銃火器が無かった頃の戦(いくさ)と似ていると思う。大人数でぶつかり合う兵士せんりょくの削り合いをするような戦いだ。
でも、このボス戦ではそんな犠牲は許されない。出来れば全員で生きて帰りたい。
だからそのためには、プレイヤー全員の一糸乱れぬ機械のように正確な団体行動が求められると思う。まさに本当の軍隊のような動きが。
今みたいに、最低限はやることが解っていても、足並みはバラバラ、各部隊同士の意志疎通も満足に出来ていない状態じゃ、もしかしたら最悪の事態も考えられる。
――なんとかしたい。
だけど、出来ない。それがもどかしかった。
「――《雨》が来るぞー! 範囲外から退避しろー! 退避出来ない奴は盾の後ろに移動しろよォ――!!」
巨人が、剣を持っていない左腕を首に巻きつるようにして体を捻る。
アルゴさんの攻略本の情報曰く、《ア●ーンのポーズ》らしい。……意味は解らないけど。
「みんな! あたしの後ろに!」
あのポーズは《広範囲投剣スキル》の前兆だ。
範囲外まで逃げられないと感じたあたしは、左手に装備しているラウンドシールドを掲げて、ボスとレイアたち三人の間に入った。
「……俺はいい。流石に三人を庇うのは無理だ」
そう言ってあたしの隣に来るキリュウさん。
ボスに向けて、二メートル以上ある長槍を体の前に掲げている。
――も、もしかして……槍をくるくる回して飛んで来る投剣たちをキンキンキンッて弾くやつをするのっ!?
漫画で見たあの動きが実際に見れるかもしれない、と状況も忘れてそんなことを考えてしまうあたし。
色んな意味でドキドキだった。
「来るぞ!!」
「うおおおお!!」
「誰か盾! 盾ェ!!」
ボスの根で出来た左腕が紫色の光を帯び、腕全体がささくれ立ってトゲトゲになる。
ハリネズミのようになったその左腕を、ボスは裏拳を放つように振り払った。
「バッ、ボオオオオオオオ!!!」
振り払われた勢いで無数の棘が腕から飛び放たれ、まるで雨のようにプレイヤーたちに降り掛った。
ボスにとっては小さい棘。だけどあたしたちプレイヤーにとっては短刀ほどもある杭の雨だ。
「く、うっ……」
ガンガンガンガン! とあたしの盾を打つ棘の雨。
濃い紫色のライトエフェクトを纏っているのも相まって、それは黒い雨に見えた。
痛みはないけど、その分衝撃が凄い。棘に打たれるごとにじりじりと押され、視界端にあるあたしのHPバーが、ほんの微かに削れる。
――盾を持ってるあたしですらこれなのに、キリュウさんは……?
あたしはしかめた顔のまま、横にいるだろうキリュウさんに視線を向けた。
「う、わ……」
そして思わず声が出た。
それほどまでに、キリュウさんは凄かったから。
「……! っ! ……ふっ!!」
キリュウさんは、あたしが想像していたのとは違う動きをしていた。
最小限の動きで自分に当たりそうになった棘だけを、《槍の刃先》で弾く。
木製の柄の部分で攻撃を受けると耐久値の減少が著しいけど、金属で出来ている刃の部分で受ければ、その限りではないことが以前に解った。でもそれが解っていても、雨の様に飛来する無数の棘を、正確に刃の部分にだけ当てて弾くなんて、常人の芸当じゃないと思う。
盾の傘で、棘の雨を凌ぎながらも、あたしはキリュウさんから目が離せなかった。
「――攻撃再開ィ! (ボスが)次の行動に移るまでにどんどん削れぇー!!」
あたしのHPが五分の一ほど削れたころ、ようやく雨が止んだ。
結構長く感じたけど、時間にすればほんの数秒のことだったみたいだ。
「支援サポート部隊も攻撃を再開します! 全員、号令を聞き洩らさないようにお願いします!!」
ポスキムさんの必死そうな掛け声。
ボスの雄叫びやプレイヤーの喧騒に負けないくらいの大声で叫び続けるのもツライと思う。
「次、行きます! ――スイッチ!」
あと三回のスイッチであたしたちの番だ。
あたしは気合いを入れ直してボスを睨んだ。
「攻撃だあああ!! 攻撃攻撃攻撃ィィィ――!!」
五本あったHPバーが二本を切ってボスの動きが止まってから、プレイヤーたちは狂ったように我先にとボスの巨体に攻撃を繰り出していた。
さっきまでのようにボスの動きに逐一怯えなくていいから、その分、抑圧されたものを解き放つみたいに、ボスに突撃していっている。
「……俺たちは早めにドームの壁際まで避難しよう。ボスの硬直時間が情報通りとも限らない。いきなり毒ガスを撒かれても困る」
キリュウさんが、攻撃には参加せずにあらかじめ毒ガスの範囲から避難しようと提案してきた。
「はい。そうですね、それが一番安全だと思います」
「う~ん、きっとわたしら報酬低いッスよねぇ」
「命には代えられないよ、チマ!」
「ま、そりゃそうッスね」
あたしたちはボスへ近付こうとするプレイヤーたちの波に逆らって、壁際を目指して進んだ。
「……ふぅ~、ここまで来れば大丈夫だよね?」
あたし、レイア、チマが壁に手を付いて安堵のため息を同時に吐く。
「そう……だとは思うけど、まだ油断は出来ないよ」
「……ああ、その通りだ。まだ《ベータ時の情報との差異》は確認出来ていない。第一層、第二層と続けて差異はあったらしいから、この三層にも当然あると考えていい」
「アルゴさんの攻略本にも、ボスのHPが少なくなってきたときとか、これから起こる毒ガスとかが怪しい、って書いてあったッスしね」
「……ここも、完全に安心は出来ない。ボスの動きには常に注意していた方がいい。それでなくても、プレイヤーたちの波に呑まれて思うように動けなくなる可能性があることだしな……」
「はいっ、わかりました!」
返事をして、あたしたちはボスの方を見た。
未だプレイヤーたちの攻撃は続いている。
だけどボスの方には、目に見えて解る変化が現われていた。
ミシィ……ミシィ……とゆっくりと、けれど確かにボスの巨体は膨らんでいる。
まるで古くなったタイヤみたいに全身に細かな亀裂を生みながら膨張を続ける巨人。
それを見たプレイヤーたちが次第に攻撃の手を止め、壁際に下がって行く。
だけれど、まだ攻撃を続けている人たちのほうが圧倒的に多い。
SAOでは与えたダメージ量によって、戦闘後の取得経験知も変わってくる。それは解ってるけど、でも命が懸かった状況でギリギリまで粘ろうとする気持ちは、あたしには解らなかった。
「…………」
ボスの毒ガスが放たれるまでの二分が、いやに長く感じた。
「――これ以上は危険だ! 後列からドーム壁際まで順に下がれ!」
ボスの体が丸みを帯びるまでに膨らみ、誰かが避難を叫ぶことで光景は一変した。
ほとんど全員が攻撃を止めて壁際まで走ってくる。
「ちょっ、こっちに来るッスよ!?」
「わ、わあー!?」
今まで攻撃を続けていたプレイヤーたちの波が、あたしたちに押し寄せてきた。
「レイア! チマ! はぐれないように固まって!」
あたしは流されないように必死に二人を掴む。
「ネリー……チマっ、キリュウさん……!」
「むおおぉぉ……!!」
あたしたちはお互いをしっかりと掴み合い、満員電車状態が落ち着くまで待とうとした。
――ブシュアアアアアア!!!
動きが止まったのはそんな音が聞こえたのとほぼ同時だった。
「……?」
瞑っていた目を開けると、ボスの居た辺りがバイオレットカラーのスモッグがもくもくと広がっていた。プレイヤーたちはそれに魅入ったように固まっている。
「なんとか、無事っぽい……?」
「う、うん。私は大丈夫」
「わたしもー。かなりビックリしたッスけど」
お互いに顔を見合せて苦笑するあたしたち。
毒ガスの散布が始まったってことは、ガスが消えるまではボスに手出しは出来ない。
一応の休憩タイムだ。
どんどん広がる紫色の濃霧を見ながら、あたしはキリュウさんに話しかけた。
「でも、毒霧(これ)が終わればもうちょっとですよねっ。さっきの総攻撃でボスのHPもあと一本近くまで減ってます……し…………あれ?」
だけどあたしの言葉は空を切った。
ついさっきまでそこに居たキリュウさんの姿が、いつのまにか消えていたから。
◆
『――実はネ、オイラも《ベータテスト経験者》なのサ。定義からすれば、ビーターとも言えるかもしれナイ。……でも、出来れば信じて欲しイ。確かにベータテスターの中には、利己的で自己中心的なプレイヤーは多いダロウ。だが、ベータテスターの全てがそうではないということだけは心に留めて欲しイ。自己中なベータテスターのせいで、それ以外のベータテスターも風評被害を受けているんダ。ベータテスターというだけで嫌な顔をされる、そんなのは誰だってイヤだろウ? 《ビーター》という蔑称も、本当ならばそれ――自己中心的プレイヤーとそうでないプレイヤーを明確に区別させるために、とあるプレイヤーが苦肉の策で出した《必要悪》だっタ。今ではごっちゃになっている感は否めないけどネ。そして、件のバリーモッド――――彼もまた、《ベータテスト経験者》ダ』
アルゴもまた、ベータテスターだった。
だが、それは薄々感じていたことではあった。あの多種多様な情報量も、ベータ時代から調べていたのだとしたら納得のいく話ではある。
それよりも、アルゴのメッセージを見て疑問が浮かぶ。
何故、同じベータテスター同士なのにバリーモッドは事を起こそうとするのか。
その答えも、次の文章に書いてあった。
『バリーモッドは、ベータテスターだということを仲間に隠していタ。だが常日頃から、長くは隠せないとは考えていたんだろウ。そして、いつか打ち明けようと苦悩していたんだと思ウ。……しかし、そこに来て《ビーター》の登場ダ。恐らく彼はこう思っタ。ビーターという蔑称まで出来てしまい、今後は一層に一般プレイヤーとベータテスターの溝は深まル。もしバレたら、自分も今まで隠してきたことを周りから追及されるかもしれなイ、とネ。これはその後の彼の行動からも読み取れる思考ダ。彼は、ビーターの容姿と悪い噂を流していた。まるで、ビーターを《個人の呼称》として皆に認識させようとしているかのようニ。そして今回の件だ。…………彼、バリーモッドは、現在ビーターだと特定されているひとりのプレイヤーに全責任を押し付けた上で――――消す気、なんダ』
にわかには信じられない話だった。
しかし、否定する材料も無い。
納得のできる話ではないが、一応は理解できる話ではある。
「…………」
それでも、アルゴの情報を踏まえてもう一度考えてみても、どうしたらいいのか、その答えは出なかった。アルゴの話には理解は出来る。けれども、バリーモッドがベータテスターだったことが真実だとしても、はっきり言えば状況証拠による推測がほとんどだ。バリーモッドが本当に何を考えて行動しているかは、バリーモッド自身にしか解らない。
だから俺は、これ以上結論の出ない思考をするのを止めて、自分の直感を信じることにした。
――考えても本当に正しい事が解らない場合は、自分の直感を信じろ。
これも祖父の言葉だ。
善悪正誤が解らなくても、自分自身で選んだのならば後悔も少なく済む。そういう教え。
アルゴのメッセージには、他にもつらつらと色々なことが書いてあったが、俺はその中の一文に、アルゴの本心を見たような気がした。
『――バリーモッドのターゲット、ビーターと呼ばれているプレイヤーは、私の知人なんダ。情報の報酬は要らない。後のことは責任を持とウ。……頼む、助けてやってくれ――――』
俺の意志は、決まった。
古樹の巨人の真横に居る俺の視界斜め前方、ボスの正面に位置するプレイヤー集団の中に、ボスに攻撃を行っている《黒コートのビーター》。そしてその数メートル後ろには水色に逆立った髪の男性バリーモッドの姿。
もうすぐ硬直を解いて毒ガスを撒くというボスから離れようとする周りに反して、バリーモッドは前へ前へとゆっくりと進んでいく。
――本当に、する気なのか……。
俺やルネリーたちは既にドームの壁際、ボスが噴き出すという毒ガスの範囲外に退避している。
この後にボスは広範囲に毒ガスを散布し、それが晴れるまではプレイヤーたちは動くことが出来ない。
つまり、それまで此処は一応の安全地帯ということになる。
「……ならば」
三人には此処に居て貰い、俺はバリーモッドを追おう。
胸の内で三人に詫び、此方に向かって退避して来るプレイヤーの波に紛れてボスの方へ進む。
「――これ以上は危険だ! 後列からドーム壁際まで順に下がれ!」
この声と同時、退避してくるプレイヤーが増える。
進み難くなるが、もう時間が無い。
視線の先のバリーモッドがソードスキルの体勢に入った!
距離を考えれば間に合うかは際(きわ)どい。
小走りだったのを全力に切り替え、槍を構える。
「うおおおおお!!」
「おらああああ!!」
ビーターがボスに、バリーモッドがビーターに向けてソードスキルを撃つ。
「ッ…………はあっ!!」
槍の長さを最大まで使うようにして片手で押し出す突きを、俺は彼らの間に放った。
「な…………ななな、なにぃっ!!?」
硬質な接触音が響く。
俺の槍は、ビーターの右足の手前でバリーモッドの剣を防いでいた。
――間に合った、か……。
守れたことに安堵する。この選択をして、僅かばかり良かったと思った。
やはり誰であろうと、傷付け、傷付けられるというのは見たくない。
「て、テメェは……」
「…………」
行動を妨害されたバリーモッドが、驚きと怒りの混じった顔で此方を睨んで来る。
――さて、どうするか。
正直、この後のことは考えていない。
否、考えても答えが出なかった。
実行に移している時点でバリーモッドは覚悟を決めているはずだ。ならば説得は期待できない。ビーターに攻撃をしたということが、後戻り出来ないという一種の脅迫概念となっているだろう。何を言えば彼の考えを変えられるのかなんて、俺には想像がつかない。
かと言って、戦うという選択肢も出来ない。現実とは違い、このソードアート・オンラインという世界では、ゲームシステム上、故意に気絶にさせることが出来ない。脳を酷使し過ぎた場合になる可能性があるかも、とは二木は言っていたが、基本的にそれらしい状態異常は《睡眠》か《麻痺》だろうか。《転倒》や《盲目》などは効果時間が短すぎるし、この場をなんとか出来るとは思えない。なにより《睡眠》も《麻痺》も特殊なアイテムを用いなければならない。
仮にそういう状態に出来たとしても、身動きの出来ない彼をどうすれば良いのか。
考えて出てくる方法はどれも問題が山積みだ。
しかし、取り合えず目の前の目的ははっきりしている。ボス戦が無事に終わるまでどうにか時間を稼ぐことだ。ボス戦のどさくさに紛れて行動を起こしたということは、公にはしたくないと彼も思ってはいるのだろう。つまりボス戦が終われば問題は取り合えず先延ばしにすることは出来る。後のことはアルゴとでも話し合おう。
――バリーモッドを牽制しつつ、ボスの動きを気に留めつつ、この戦いが終わるまでもたせる。
厳しいと思う。残してきたルネリーたちも心配だ。
だが、決めたのならやらなくてはいけない。
「……テメ、どういうつも――」
「引けぇー! 下がれぇー! もう限界だああああ!!」
「毒ガスが来るぞおおおお!!」
「逃げろっ、逃げろ逃げろおおおお!!」
業を煮やしたバリーモッドが言葉を発した直後、それをかき消すかのように怒号が飛び交った。
最後まで攻撃をしていたプレイヤーたちが、ひとり残らず急いで逃げようとしている。
「アスナっ、俺たちも……!」
「ええ!」
ビーターの少年も漆黒のコートを翻してボスから離れていく。
「……?」
自分の真後ろに居た俺とバリーモッドを一瞬だけ疑問の顔で見てきたが、ビーターはそのまま壁際まで駆けて行った。
「ちっ」
バリーモッドが舌打ちしながらビーターを追うように避難していく。
恐らく、これで一番の難所は越えたと思う。想定外のことが無い限り、彼がビーターに何かをする機会はほとんど無いだろう。
ミシ……ミシミシ、ミシミシミシミシッ……!!
膨張したボスの体から聞こえてくる軋みが、速くなっている。
俺もバリーモッドのあとに続き、急ぎボスの傍から離れた。
――ブシュアアアアアア!!!
ボスとドーム壁際のちょうど中間地点を駆け抜ける中、後ろからそんな音が聞こえてくる。
確認するまでもなく、毒ガスの噴出音だろう。
走りながらちらりと背後を確認すると、まるで津波か鉄砲水のように此方に迫る紫煙。
広がり具合を見るに、俺の走る速度よりも速い。
だが、最悪飲み込まれても、この方向に走り続ければ毒ガスからも抜けられる。問題はガス内で方向が解らなくなることだ。
「飲まれる! 飲まれるぅぅぅぅっ!!」
「おーい! 早く来い! 早く早く!!」
「風を感じる……っ!!」
「うおおおおお!! 間に合えええ!!」
其処彼処から必死の絶叫が聞こえる。
この距離なら十分間に合う。問題は無い。……無い、はずだ。
「……っ」
しかし俺の心に余裕は無かった。
大丈夫だとは理解していても、有害が勢いよく迫って来るという状況に、現実では経験したことが無い危機的状況に、内心では随分焦っていた。
そのせいか、周り同様、俺も必死になって毒ガスから逃げていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
脳にピリピリとくる疲労を感じながら息を整える。
近くには避難したプレイヤーたち、ビーターとバリーモッドも同様に一息吐いていた。
ほんの三メートル先には紫煙の壁。やはりというべきか、予想よりも広範囲に毒ガスは広まった。
それでも、毒ガス内に取り残されたプレイヤーはいないようだ。安堵の溜め息が至る場所で聞こえてくる。
「……っ」
そんな中、ようやく落ち着いた様子のバリーモッドと目が合った。
彼は憎々しげに俺を一瞥して、俺とビーターから離れる様に背を向け――
「…………は?」
その間の抜けた声を出したのはバリーモッドだった。
だが俺含め、その場にに居た全員がそれに絶句したのは間違い無い。
「な、なんだよ……なんなんだよ、コレ!?」
一本の太い茶色の触手が毒ガスの中から飛び出て、バリーモッドの胴に一瞬の内に巻き付いていた。
事前情報には無かった事態。しかし、驚くのはまだこれからだった。
「ちょっ……やめっ、うそだろ、あ、うぁあああああああ!?」
「!?」
――バリーモッドが毒ガスの中に引きずり込まれる……!?
疑問、混乱、焦燥、逡巡。
それぞれが一瞬にして浮かび――――しかし俺の体は直情的なまでに動き出していた。
「――っ!」
ボフンッ、ボフンッ、と音を立ててバリーモッドの後を追い毒ガスの作る壁に突入。
左腕で口元を覆いながら駆け、すぐ前方に幽(かす)かに影として見えるバリーモッドに手を伸ばす。
――届かない……!
咄嗟に彼の腹に巻き付いている触手に狙いを定める。
明確には見えないが、バリーモッドの全体の輪郭からだいたいの見当をつけ、
「くっ…………はああああ!!」
走る勢いと踏み込みをバネに、触手があると思われる場所に渾身の刺突を放った。
「――おぅあっ!?」
鈍い感触が伝わって来る。
若干、宙に浮いていたバリーモッドの体が投げ出され、転がり、すぐ近くで止まる。どうやら上手く巻き付いていた触手は離れたようだ。
だが……。
「かっ……くっ……っとに、なんだよ!? なんだってんだよっ!? ガスの中に入っちまったのか!? 見えねえ! どっちだよ、くそおおおっ!!」
蹲りながら頭を抱えて叫ぶバリーモッド。
混乱しているようだが、動き回らないのだけは助かる。
――さて、どうしたものか……。
バリーモッドの言う通り、視界は最悪。伸ばした自分の腕さえも輪郭がぼやけて見える。
更には、バリーモッドを助けるという目的に必死だったため――――つまりは方向が解らなくなってしまった。
一応、進み続ければどの方向に行っても出れるとは思う。しかし、進んだ先がボスの正面だったら目も当てられない。
「……バリーモッド、さん。回復ポーションを飲んだ方が良い」
「う、うるせえ! 解ってる!」
もたつきながらもゴクリゴクリと飲みほす音が聞こえる。
足元のバリーモッドの顔は、見えない。微かに黒い影が見えるだけだ。
毒ガス内では解毒ポーションは意味を成さない。解毒しても直ぐにまた毒状態になってしまう。回復ポーションとで少しだけ抑えられるが、それでも序々にHPは減って行く。
しかし俺の場合、その点に関しては問題無かった。以前に手に入れたネックレス型の装備《ヌート・アミュレット》の効果でレベル1の毒には完全耐性が出来ている。
俺は試しにシステムウインドウを開いてみた。
――これも情報通り、か……。
毒ガス内に取り残されれば命は絶望的とされる理由の一つ。
それはシステムウインドウの無効化だった。
辺りに充満する高密度の毒ガスのせいで、ウインドウ上の文字も現在位置すらも確認出来ない。それは単に視界が悪いというだけではなく、毒ガスの特殊効果らしい。いくら顔を近づけても見えるのは四角い輪郭だけ。記憶を頼りにボタンを押そうとしても、伸ばした指は虚しく空を切るだけだ。
「…………っ!」
「うおっ!?」
ビュン! ビュン! ヒュオン! という音が周りから幾重にも聞こえてきた。
大きなものを振り回しているかのような風切音。
恐らくこれが、毒ガス内に取り残されれば命は絶望的とされる理由のもう一つ。そして、俺が先ほどからこの場を動かずに様子を見ていた理由でもある。
「……っ! 伏せろ!!」
「おあああ!?」
目の前に突如生まれた黒い影に反射的に身を屈める。
直後その影は、ビュオオオオ!! と轟音を撒き散らして俺とバリーモッドの頭上をかすめていった。
――これが《無差別攻撃》というやつか。
ガス内では、ボスは無差別に攻撃を行っているという事前情報があった。
今までのボスとの戦いからして、一撃でもまともに受けたら惨事になることは間違いない。辺りが見えない中を無我夢中で進み、万一、死角から強襲されたりでもすれば、最悪、死もありえる。だからこそ、早く脱出しなければならない状況でも下手に動くことは出来なかった。
「…………」
周囲からは絶えず風切音が聞こえてくる。先ほどの攻撃、恐らくはバリーモッドを引き摺り込んだ触手だろう。……いや、よくよく考えればボスは古樹の根で構成されている躰を持つ巨人だ。今の触手は太い根を鞭のように振るっているのかもしれない。
「……すぅー……ふぅー……っ」
丹田に力を込めながら息を吐き、軽く腰を落として半身になる。
槍を、やや石突側に両手で持ち、穂先を出来るだけ躰から離すように双の腕を伸ばす。
――東雲流、水分みくまりの型・浮葉。
毒の効果は問題無いが脱出は困難。
ボスの攻撃は轟音を纏っている。その音と一瞬見える影で回避出来ることは証明済みだ。
ならばここは、ボスの攻撃を耐えつつ毒ガスが消えるのを待つのが得策。
「……提案がある」
しかし、無事にこの場を凌ぐには、この男の協力が必要だ。
「ああ!? ンだよ、もう俺らは終わりだよ……ここから出られるわけねえんだ! 俺はベータ時代に身を持って知ったんだからな!!」
「……生きたくは、ないのか?」
「…………っ」
「生きたいのなら協力して欲しい。二人でなら……絶対に助かる」
足元に蹲る彼の顔はやはり見えない。
しかし、微かに震えている様子は確認出来た。
「…………ひとつ……訊かせろ」
「?」
「なんで…………俺を助けた?」
言われ、言葉に詰まる。
助ける理由など考えている余裕も無かったからだ。
だが、敢えて理由を付けるとするならば。
「……ルネリーたちなら、そうしただろうからだ」
「!」
これに、尽きると思う。
結局の所、俺は彼女たちに嫌われたくないのだ。嫌われるような行動を取りたくは無い。
それほどまでに、俺の中であの娘たちの存在が大きくなっていた。
「……わかった」
俺の答えに何を思ったのかは知らないが、彼は諦めたように頷いた。
《水分みくまりの型》は、完全受け流しの型である。
本来、突きが主体の槍において、構えとしては両腕を最初から引いておくか自然体で垂らしておく、つまりは《槍を突き出し易い構え》をとるのが普通だ。
しかし水分みくまりの型はその逆、槍を持った両腕は最初から前へ掲げる様に伸ばしておく。
「――右から来るぞ!」
背後にいるバリーモッドの声に、直ぐに穂先を右に向ける。
直後、ビュオオオ!! という風のうなりと共に黒い影が迫って来た。
「……!」
襲い来る影が突き出した槍の穂先を越えた瞬間、伸ばしていた腕を引く。
此方に迫る影と、引き戻す槍の速度を合わせ、相対速度がゼロになる刹那に、穂先の刃の腹を影の側面に添える。
そのまま槍を引きながら体を捻り回転、影を外へ外へと押し出しながら、自らは逆へ動く。
己の躰全体と槍を滑車のようにして、避けることが困難な強烈な攻撃を受け流す。
――流るる川面に浮かぶ木の葉と成りて……!
口伝を心の中で唱えることでイメージを明確にし、己の動きとそれを同一化する。一種の自己暗示のようなものだ。
「……はぁっ!!」
影――太い根の触手の一撃を、その側面を滑るようにして受け流した。
「くっ、おおお!!」
俺の背を両手で掴み、俺の動きに必死に付いて来るバリーモッド。
アルゴのメッセージには、彼のステータスについても詳しく書かれていた。
その内、使用スキルの中に《聞き耳スキル》があったことを思い出した。濃度の高いガスで視界は利かず、頼りになるのは周囲の風切音を聞きとる耳だけの状況。正確にボスの攻撃を受け流すには、彼のスキルが必要だった。
「う、後ろぉ!!」
バリーモッドの声と共に槍の穂先をその方向に向ける。
来る方向が解っていれば、見えるのが一瞬だとしても十分に対処出来る。
あとは俺の仕事だ。迫りくる閃影を見極め、攻撃を逸らす方向を決める。
そして…………受け流す!
「ふっ!」
正面から横薙ぎに襲いかかる触手に槍を合わせて下から押し上げ、自身は上体を逸らしながら回転、触手の下を潜るように回避する。
「ぬあっ、たっ!? おっ、こ、コラ! 後ろにいるヤツのことも考えて動けよ!?」
「…………済まない」
確かに今の動きは、背中にしがみついているバリーモッドがついて来るにはつらかったかもしれない。
「す、すまねぇじゃ……、――なっ、上ぇっ!?」
「っ!」
反射的に上を向く。
縦一本の影が、次第にその幅を広げていた。
――真上からの攻撃……!
咄嗟に俺は右方へ横滑りに回避運動を行いながら、左腕で直ぐ背後に立つバリーモッドの躰を同方向に押し出す。
だが、霧中に映る影の膨張から推測できる攻撃速度を考えると間に合わない。
回避行動と同時に、俺は右手に持つ槍を頭上に突き出した。
「くっ」
影――振り下ろされる太い触手に、槍の穂先が直角に当たり、その重圧によって槍の柄が強かにしなる。
今にも折れそうなくらいに弧を描いてしなった長槍。
「バリーモッド! 跳べ……ッ!!」
「はあっ!!?」
疑問の叫びを上げながらも彼は同時に右方向へと跳躍する。
瞬時に石突を己の腹に当てる。
真上から圧迫され、支える俺とで挟まれて限界までしなり切った槍の柄は、俺が空中へ跳び出したことにより、圧力の逃げ場所を得る。
更に此方に迫る巨根の鞭に押されながら、槍は弧から直線へと戻ろうとする。
「……ムッ!!」
その反発に押し出される形となって、空中の俺たちは攻撃範囲から逃(のが)れることが出来た。
「――ぐはっ!?」
つい今し方まで立っていた位置、正面からバシャーンッ!! という叩き付ける衝撃音が聞こえるのと同時に着地する。背後では叫喚が。どうやらバリーモッドが着地に失敗したようだ。
「……大丈夫か?」
「う、うるせえ! テメ、指示がいきなりすぎんだよ!」
「……大丈夫のようだな。なら、立ってくれ。またすぐに次が来るかもしれない」
「コ、コノヤロウ……」
元々、敵同士と言ってもいい男と共闘している。不可思議な状況だが、その理を追求する余裕は無かった。
必要最低限は話さず、俺とバリーモッドは次々に襲いかかる触手に神経を集中した。
「……晴れた……毒ガスが晴れたぞぉー! ボスのHPもあと少しだ! 全員、再攻撃の準備ィィィ!!」
幾度目かも解らない攻撃を弾いて数秒後、やや離れた場所から掛け声が上がった。
どどどどど、と地鳴りと共にプレイヤーたちがボスへ駆けていく。
「……た、耐えられた……のか?」
紫色の靄が消え、周囲が見渡せるようになってきた。
巨人へ群がりゆくプレイヤーたちを茫然と見ながらバリーモッドが呟く。
「……っ! ……くっ」
しかし俺の顔を見た瞬間、彼は気まずげな表情を見せ、その後ボスとは反対の方向に走って行った。
「…………」
もう、彼がビーターを狙うことは無いと思う。少なくとも今回は。
明言していた訳ではないが、何故かそう思えた。
「……ふむ」
アルゴの頼みには一応の義理は果たしたと結論を出す。
確かな疲労を感じている躰に喝を入れ、俺は本来守るべき者たちのもとへ向かった。
「キリュウさん!!」
毒ガスが晴れて、途端に見えるようになったシステムメニューウインドウで確認し、三人の居場所へ歩き出してすぐ、ルネリーたちの方から此方に向かって走って来た。
そして俺を見つけた三人は、ぶつかってくるように俺の胸へ飛び込んできた。
「もうっ、もう! どこにいたんですか! 心配したんですよっ!?」
「そうッスよ! なんか、ウネウネ~ってのが毒ガスの中から飛び出してきたり、それから逃げようとしてみんながワー! ってなったりで、大変だったんッスからね!」
「……ウインドウ上のマップでもいきなり居場所が確認出来なくなったので、本当に……心配、しました……っ」
俺を見上げながら責める三人は、同様に目尻に光るものを浮かべていた。
――心配、させてしまったな……。
事情が事情ゆえに三人を放置する形となってしまったが、やはり自責の念を感じる。
しかし詳細を説明することは出来ないので、上手く誤魔化すしかない。
「……済まなかった。色々あったが、兎に角こうして無事に戻って来れた」
「はいっ、はい……っ」
肩を震わせて頷く三人。
だが、ずっとこのままというわけにもいかない。
まだボス戦は終わっていない。すぐ向こうではまだ攻撃が行われているのだ。
その後、俺は三人を促し、戦線に復帰した。
ボスのHPバーは既に一本を切っている。
終わりが見えたと誰もが思ったが、瀕死のボスの抵抗は凄まじく、又情報に無かった《鞭スキル》をも使用してきた。後で考えてみれば、毒ガス内ですでに使用していたのかもしれないが。
剣のように扱っていた根はしなりを帯び、その軌道は複雑。
苦戦を強いられることになったが、壁部隊との連携で乗り切ることが出来た。
そして幾度と攻撃を繰り返した後、ボスの身体は光に包まれ、最後に大きく吠えながら、ボスはその身を光の粒へと変えていった。
「やっと……終わり、ましたね……」
三人がいつかのような笑顔を向けてくる。
戦いは終わった。今回、俺のやるべきことは全てやったと思う。
流石に疲れた。早く安全な場所で横になって休みたい。
聞けば、少し休憩したら第四層へ上って主街区を開放するらしい。
俺たちはそれについて行くことにした。
「…………ふぅ」
これからも何度となくボス戦を行うとは思うが、今回のようなややこしい状況は二度と勘弁願いたい。
――そうだ。バリーモッドのことをアルゴに報告しないとな……。
疲労でボーっとする頭でそんなことを考える。
そして、花の咲いたような笑顔を浮かべる三人に腕を引かれながら、俺は四層への階段を上って行った。
俺たちの初のフロアボス戦は、こうして終わったのだった。
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