やはり俺がワイルドな交友関係を結ぶなんてまちがっている。
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誰がどう見ても、諸岡金次郎は小物である。
前書き
小町が動かないとヒッキーが動かざるをえない事を知った。
…………知らない地面だ。
有名なセリフに倣えず天井じゃないのは、周囲を覆う霧があまりに深く、そもそも天井があるのかもわからないからだ。
どこだ、ここ。
そんな月並みな感想。だが、心は不思議と落ち着いていた。下手をすれば自分の手足すら見えなくなりそうな霧は、むしろ心地よくさえ感じる。
というか、確か俺は堂島さんの家に着いたあと、夕飯を食って布団に直行した筈なんだが。
…………夢か。夢だな。
そう結論づけた時だった。
ーーーーやあ。
それはまるで包みこんでくるような声だった。
霧のせいかはわからないが、声の出処が特定できない。更には中性的な、もっと正確に表すのならば和音のようにハモって聞こえるその声は、霧の向こうの人間をイメージさせない。
ーー君は、真実が欲しいかい?
はっ。
何を言い出すかと思えば、真実ときたか。
俺の苦笑に反応してか、空気が微かに震える。
俺の夢のくせに、俺のことを全く分かっていないな。
真実なぞくだらない。
例えば、アイドル。
世間的に見目麗しく、性格も良いと定義されている彼女たちは、それ故素顔を知りたいと願う者は多いだろう。
だが実際はどうなのだろうか。
容姿の良し悪しなんて個人の主観によるところが大きいし、現実に会ってみたら大した事なかったー、何てことも多々あるだろう。
そもそも、テレビに映るアイドルがそのまま素の表情だなんて誰もわからないのである。というか、むしろどんなアイドルだって多かれ少なかれキャラ作りをするものだろう。
テレビの中では童顔天然系キャラで売っているアイドルが、実は飲んだくれのヘビースモーカーだったなんて可能性もあるのだ。
そんなもん、夢の欠片もありゃしない。
真実がいつもこちらの期待に応えてくれるとは限らない。むしろ、いつも裏切られてばかりだ。
真実は残酷で、嘘は優しい。
嘘と欺瞞で我が身を押し殺すリア充どもが世の中を席巻しているのが、何よりの証拠ではないか。
そして彼らは自分達が正しいとばかりに街を闊歩する。
本物の正しさなど、そこには無いというのに。
なら、この世界における正しさの基準がそもそもまちがっているというのなら。
俺は真実なんて求めない。
なにも、求めるものが真実である必要などないのだから。
ーーへえ。
くすりという微かな笑いが聴こえた。
ーー追ってくるのはどんな人かと思っていたんだけど。そっか、そういうふうに思うんだ。
追ってくる…………?
ーーうん、君は確かに何かを追っていたよ。それで、てっきりこっちを追って来ているのかと思ったんだけど。
ばかいえ。誰が興味のない事を進んで追うかよ。
ーーそっか。
ーーふふ、君は、もしかしたらこちら側の人間なのかもしれないね。
すっと声がどこかへ引いていき、そして霧の中には俺一人が残された。
………………おい。
これから俺にどうしろと? 俺はここがどこなのかすら分かっていないというのに。
マンガとか小説的には、ここで霧が晴れるか、夢が覚めるところですよ?
………………マジで放置かよ。
はあ、とため息をついて、一歩踏み出す。
その時だった。
霧の奥から、この状況に似つかわしくない排気音が聞こえてきた。
どこか安らぎを覚えるようなその重低音は、次第にこちらへ近づいてくる。
ーーーーーーっ
突然、視界が青く染まった。
そのとき俺は説明のつかない不思議な感覚に襲われていた。
感覚がフワフワしているのに、思考だけはハッキリしている。そんな、夢と現実の狭間にいるような感覚。
景色が変わった。
車内、のはずだ。
窓の外で一方向に流れていく霧と、車特有の排気音がそれを表している。
だが、内装が異様。
さながらバーのような設備と、電灯もないのに照らしてくる青い光。
そして、極めつけがーーーー
「ようこそ、ベルベットルームへ」
俺の正面。向かいあう形に設置されたシートに座る男。
ぎょろりとした目と、物理法則を無視していそうな鼻をもつ老人が、この空間の異質さを如実に表していた。
「ーー私の名はイゴール。お初にお目に掛かります」
長っ鼻が口を開く。
「ここは、夢と現実、精神と物質の狭間にある場所。本来は、何かの形で契約を果たされた方のみが訪れる部屋」
…………電波的な感じですか?
いや、どうにもさっきからの状況を見るに適当を言っている訳ではないのだろうが、それにしてもおかしいだろ。
俺は契約何てした覚えはない。ついでにするつもりもない。誰が進んで会社と契約なんて結んでやるか。百歩譲って保険会社くらいだ。
「まあ、お待ちください。あくまで本来は、ということでございます。もしかしたら貴方には近い将来、そういったことが待ちうけているのやもしれません」
断固として拒否したいね、そんなのは。
「フフ、貴方がそう望むのならば、そうなるやもしれませんな」
適当だな、おい。
「ーーそれにしても、つくづく珍しい雰囲気をもつお客様だ。今までのどのお客様とも似つかない」
そりゃ、俺がぼっちだからだろ。
「ふむ…………貴方のように変わった定めを持つお客様がワイルドの力を得たというのも、きっと何か意味があるのでしょう」
…………ワイルド?
「それはおいおい。それより今は優先するべきことがありますーーマーガレット」
長っ鼻は隣に座る女性に目をやる。
「お客様の旅のお供をさせていただきます、マーガレットと申します。お見知りおきを」
マーガレットと名乗った女性はこちらを一瞥すると、何かを差し出してきた。
仄かに青い光を放つそれは、鍵の形をしていた。
「それは契約者の鍵。時がくれば貴方をまたここへいざなうでしょう」
なんだそりゃ。カーナビみたいなもんか?
「…………かーなび、というものが何かは存じませんが。今はお持ち頂けるだけで充分です」
マジかよ、この車カーナビついてないのかよ。
「おっと、そろそろ時間のようです。フフ、貴方の行く先に幸多からんことを」
最後に長っ鼻がそれだけ言うのを聞いて、視界がブラックアウトした。
ぺちぺちと頬を叩かれる感触がして、俺は目を開く。
相も変わらず不景気な小町の顔がうつった。
「……おはよう、お兄ちゃん」
「…………うあよぅ」
「なにそれ……もうご飯だから」
俺渾身のおはようにくすりとだけ笑い、小町はさっさと階下におりていってしまった。
時計を見ると7:45。そろそろ学校の準備をしなければならない。
小町と入れ替わりに入ってきたカマクラを軽く撫でて、ダンボールの方へ。
『衣服』と書かれた箱を開けて、真新しい制服をとりだす。
これから俺が通うことになる八十神高等学校の制服は学ランである。
中学、高校とブレザーだったので、一体どんなもんかと思っていたのだが、袖を通してみて思う。
「………こりゃ、ブレザーの方がいいな」
試しに一番上までボタンを閉めてみると、首周りがキツイ。これまでブレザーのスカスカに慣れてきたからだろうか。
しばし考えて、それから前を全開にしてみた。やはり楽である。
学校に着く前に閉めておけば指導なんて面倒くさいものにも引っかからないだろう。
開いていても気にされない可能性はあるが。主に存在自体が認知されない方向で。
まあ、由比ヶ浜だって二年の始めの頃は校則違反のオンパレードだった訳だし、意外と大丈夫かもしれない。
そんなことを思いながら階下におりると、既に小町が朝食の準備を済まして席についていた。
俺も向かいの席につき、二人で手を合わせる。
「そういや、堂島さんは?」
「叔父さんなら昨日遅くに仕事で出てったじゃん……あそっか、お兄ちゃんさっさと寝ちゃったもんね」
「そか」
会話はそれきり。
しずしずと朝食をとり、二人して八十神高校に向かった。
…………仕方ないとはいえ、小町の入学式を見逃すこととなったのは兄として一生の不覚である。
担任である諸岡とともに3-Bの教室に入る。
途端に集まる好機の視線。気分の悪さに脂汗が滲む。
当然というべきか、教室内はざわめいていた。
「あれか、転校生」
「なーんか暗そう」
「あー分かるわーそれ」
「でも、可哀想だよな。いきなりモロ組って」
「諸岡ねー。それを言ったらアタシらもっしょ」
「目ぇ着けられたらリアルに停学とかくらうもんねー」
意外にも覚悟したほど注目を集めている訳ではなさそうだった。諸岡さんバンザイ!
「静まれー!」
額に目に見えそうなほどの青筋をたてて諸岡が叫ぶ。それに反応して、ざわめきが極小化した。
ふん、と諸岡はご満悦の様子だが、これは多分あれだろう。別に諸岡の威厳の為せる技とかじゃなくて、単純に逆らうと後々面倒だということを生徒が経験則で知っているだけだろう。
かくいう俺も、登校直後に眼つきの悲惨さについて三十分ほど説教されたからわかる。
つーか悲惨さって。せめて目つきの悪さとかだろ。大体目つきなんていう生まれつきのもんを、今更どう矯正しろというんだ。
因みに留めるのを忘れた学ランのボタンはおとがめ無しだった。
俺が罵詈雑言の嵐を思い出してうへぇとなったいると、諸岡がこちらを指してきた。
「今日は誠に遺憾ながら転校生を紹介する。おい比企谷、自己紹介しろ」
「はぁ…………」
別に俺が自己紹介しなくてもあんたが名前言っちゃってんじゃん、なんて思いつつも、真面目に自己紹介しようとすると。
「おい貴様!」
「ひゃ、ひゃい!?」
いきなり大声出すなよ。きょどっちまったろうが。
「貴様、今窓際二列目前から三人目の女子生徒に妙な視線を送ったろう!」
「はい?」
なんでそんなに細かいんだよ。確かにその辺見たけどさ。
「よく覚えておけ、ここは今まで貴様が暮らしていた胡乱な都会とは違うのだ! 大体、最近の奴らは…………」
ああ、こりゃ嫌われるわ。
最近の若いもんは…………とか言った時点でアウト。面倒な奴ランキングで上位にランクインする、自分の子供の頃を基準に物事を判断しちゃうタイプの人だ。
まあ、その言葉がなくても俺が嫌いなタイプだということに変わりはない。
諸岡のような威張り散らすやつは、大まかに二タイプに分類できる。
第一に、本当に力を持つが故の自信に溢れちまったタイプ。
こちらはなかなか珍しい。
元クラスメイトの三浦のように、絶対的な勝ち組オーラで周囲を威圧し、ねじまげる。
普通に畏怖の対象であるが、本当に力を持っている分まだましといえよう。
対して諸岡は二タイプ目。
内輪の中でしか威張れないタイプだ。
そもそも人間は人との輪、つまりは嘘と欺瞞に満ちた世界を作りあげて安心しようとする。そのためには自分を押し殺すことも、他人を貶めることも厭わない。
時に過剰にもなりえるそれは、おそらく経験則から脳にインプットされた一種の自己防衛機能だ。
だがこのタイプの人間は、それだけでは安心できない。
だから、威張る。威張って自分が他よりも上なのだと周囲に見せつけようとする。
力なんて本当は持っていない癖に。
そうすることでしか平穏を感じることができないから。
つまり、このタイプの人間の本質はただの臆病者だ。
いつだって一人で切り抜けるぼっちとは決して相容れない存在。
…………まぁ、だからといってどうという訳ではないが。
諸岡のご高説は続いている。
「…………であるからにして、コイツはただれた都会から辺鄙な田舎へ飛ばされてきた、そう言わば落武者だ!」
「…………はっ」
思わず苦笑してしまった。それを諸岡は見逃してくれなかった。
「何だ貴様! 」
「いえ、何でも」
素っ気ない俺の返しに、諸岡は苛立ちを隠そうともせずに舌打ちした。
いや、少しは隠した方が良いぞ。特に生え際の辺り。
「文句があるなら直接言え!」
「はぁ、いえ、どうせ呼ばれるなら腐った眼、とかの方がいいなぁと」
そっちの方が言われ慣れてるからな。ただでさえ見知らぬ土地だ、受けるダメージは最小限にとどめたい。
あれ、ダメージ受けるのは確定なんだ。何か悲しい。
諸岡は失笑に包まれたクラスメイトどもの方に睨みつけるような視線を送って、次いで俺にはその五割増しくらいのを向ける。
「…………よしわかった。貴様の名前は『腐ったミカン帳』にしっかりと刻んでおいてやる」
何それ甘そうな名前。果物は腐る直前が一番甘いっていうしな。その調子で俺への当たりも甘くなってくれないかな。
無理か。無理ですね。
というか、結局腐ってるんだな、俺は。
諸岡は、まだ何か言おうと口を開いたのだが、一人の女子生徒がそこに割り込んだ。
「先生、転校生の席、ここでいいですか?」
彼女は自分の隣、窓際の空いた席を指差していた。
「…………ああ、そこでいいか。おい比企谷、さっさと席につけ」
言われなくても。これ以上目立つのは御免だ。
生徒からの視線を受けながら教室を歩き、席についた。
それを確認すると、諸岡は出席をとり始めた。
「…………えっと、ヒキタニくん、だっけ?」
さっきの女子生徒が小声で話し掛けてきた。
雰囲気こそ大人しめだが、仕草の端々から女子高生やってます! というオーラが溢れている。
要するにリア充っぽい。
俺に話し掛ける時点でコミュ力は間違いなく高いし、さっきのフォローも絶妙のタイミングだった。それと、俺をヒキタニと呼ぶのは大体リア充だ。
誰だよヒキタニ。ついでにこんな呼び方考えたの誰だ。戸部か、戸部だな。
「……何であんなこと言ったの? 絶対、目つけられたよ」
「……そうみたいだな」
「……そうみたいだなって…………まぁ、いいけどさ」
彼女は、話し掛けてきた割にどうでも良さげに相づちをうった。
…………確かにさっきのは俺らしくなかった。
まさかいきなり教師を敵に回すとは。
誰にも影響せず、誰にも影響されない孤高のぼっち。それが俺のスタンスだったはずだ。
…………転入初日で気が立っていたのかもしれない。
そんな風に自分を戒めていると、女子生徒がまた話し掛けてきた。
「……とにかく、気をつけなね。モロキン、目をつけた生徒にはとことん厳しいからさ」
「……わかった、気をつける」
そうとだけ答えて、前をむく。
話はこれで終わりだと思ったのだが。
「……ねえ、ヒキタニくんってどこから来たの?」
まだ終わらねぇのかよ。流石はリア充、話しが長い。
「……千葉だよ」
最低限の単語で話しをする気はないですよアピールをしてみる。
「……そっか千葉かー。あれだよね、ディスティニーランドとか、幕張メッセとか。あたしも行ってみたいなー」
…………これは単に気づいていないだけなのか、それとも気づいて無視しているのか。
とにかく、女子生徒が話しを畳む気配はなかった。
「……ほら、さっき結局自己紹介できなかったからさ」
「……別に授業中に話さなくていいだろ」
こんどは直接的に言葉にすると、彼女の顔が少し歪んだ。こりゃ、いい感じに嫌われたかな。
そんな風に思ったのだが、どうも違ったらしい。
「……今日、家の手伝いで早退しなきゃでさ」
そう言った時の彼女の表情には目に見えて陰りがさしていて。これ以上は踏み込んではならないと俺の脳内アラートが鳴り響いた。
なんとしても話題を変えようと、雀の涙なコミュ力を総動員する。
だが、解決策は思わぬ方からやって来た。
「おい小西! ちゃんと返事をしろぉ!」
出席をとっていた諸岡ことモロキンである。
「あ、はーい」
女子生徒が、のんびりとした調子で返事を返す。凄いな、俺ならいきなり声を掛けられたらきょどること間違いなしだぞ。
それ以降、小西というらしい女子生徒があの表情を見せることはなかった。その点についてはよかった。
その変わりなのか、小西が早退するまで質問責めにされたのだが。
「ねえ、雪子。これからどっか、遊び、いかない?」
「え、えっと……誰?」
その場面に出くわしたのは、午前のみの授業が終わった後。転校生恒例の質問タイムもとい羞恥プレイ回避のために速攻で教室を抜け出し、正門で小町を待っている時だった。
帰ろうとする仲良さげな二人の女子生徒のうちの一人に他校の男子生徒がナンパし始めたー。
たぶん、その認識で合っているはずだ。雪子、なんて明らか名前呼んでるけど。きっと彼はストーカーなんだね!
っていうかもう一人の女子生徒が可哀想です…………
とりあえず面白そうなので静観していると、近くで同じく野次馬やっている男子生徒二人が話し始めた。
「あいつ、どこの高校?」
「さあ。よりにもよって天城狙いとはな」
「え、じゃあ、あれが天城? うわ、マジで美人じゃん」
「何お前、知らなかったの? 八高生としてどうなのよ」
「いや、名前と、天城越えに挑戦して敗れていった奴らの武勇伝は知ってたけどさ。実物見るのは初めてだったから。なんつーか、和風美人? って感じだな」
「まあ、天城屋旅館の次期女将だしな」
「あぁ、天城屋といえば、知ってるか? 不倫問題でニュースになってる山野アナ、あそこに泊まってるんだってよ」
「そうなのか?」
「ああ、確かな情報」
「お前、そういうのには詳しいよな……」
「なあ、今から見にいかね?」
「天城達の方は最後まで見ていかないのか?」
「どーせフラれんだろ」
「それもそうか。じゃ、いくか」
そんな風に言って男子生徒たちはさっさと下校して行った。
どうでもいいが、有名人をわざわざ見に行くという感覚は俺には良くわからない。
なぜ人一人を見るためだけに出歩かにゃならん。
不倫に関しても同じ。むしろ不倫のようなニュースが面白いのは、あくまで自分が蚊帳の外にいるからだと言ってもいい。
関わるということは、リスクを負うということだ。
俺には、時間を削ってまでリスクを負いにいく意義が分からない。
何て考えている間に、天城達の方は新たな展開を見せていた。
「いくの、いかないの、どっち!?」
男子生徒が苛立った声で天城に迫っていた。
「い、行かない…………」
天城は怯えたように一歩下がる。そりゃそうだろう、見るからに非リア充な男子に迫られたら、誰だって怖くなる。
だが、男子生徒はそこで諦めなかった。
「何でさ!」
なんでって…………もてない男の典型だなあ、と思ったです、はい。
「ちょっとアンタ、良い加減諦めなよ!」
見かねたもう一人の女子ーージャージ少女が割って入った。
何かどこぞのカンフーファイターみたいに臨戦態勢をとっている。
男子生徒は一瞬ビビったように後ろに下がったが、半ばヤケクソ気味に叫んだ。
「うるさい、邪魔なんだよ!!」
今にも襲いかからんばかりの男子生徒に、ジャージ少女は一歩二歩と近づいていく。
男と女、体格に差こそあれジャージ少女の構えは素人目にも綺麗に見える。冷静さを欠いた男子生徒に勝ち目はないだろう。
ふむ、この場合はジャージ少女が男子生徒を倒してしまっても大丈夫なんだろうか。正当防衛、ちゃんと認められるのか? 分からんな。
「千枝、蹴りはダメ!」
同じように思ったのか、それとも単純に良心が咎めたのか、天城が叫んだ。
その声に、ジャージ少女は不服そうだったが、次の瞬間何かを閃いたような表情をした。
「だったら! ほら、雪子彼氏いるし!」
「え、えっ?」
いや今明らかに、だったらって言ったよね。
案の定天城は混乱し、男子生徒は突っかかってきた。
「だったらってなんだよ! そんな奴どこにもいないだろ!?」
凄い剣幕の男子生徒に、ジャージ少女はたじたじとなりつつも辺りを見渡した。
「いるよ! ほら、あの人!」
へえ、誰だろう、偽彼氏役に選ばれるのは。
傍観者気分でジャージ少女の視線の先を辿ると。
「…………あれ、俺?」
いや、どうせ選ぶならもっと別の奴を選べよ! それっぽいの一杯いるだろうが。
なんて周囲を見渡すと、なんと俺以外の生徒がこの場にはいないのでした。
「………………」
「……………………」
値踏みするように見てきた男子生徒と目が合う。なんとなく睨めっこのような状態に移行。
しばらくその状態が続いていたが、ついに男子生徒の方がふいと視線を逸らした。
「…………なら、いい!」
捨てゼリフを残して走り去った男子生徒の背中を見送る。
勝因にはだいたい予想がつく。たぶん俺の腐った眼を直視するのに耐えられなくなったのだろう。
初めてこの腐った眼に感謝していると、女子二人が近づいてきた。
「あの……ありがとうございました」
そうご丁寧に頭まで下げられると困ってしまう。
「いや、俺別に何もやってねえし」
「でも、勝手に彼氏役押し付けたのはごめんじゃん」
申し訳なさそうなジャージ少女。申し訳なさそうなのに何か馴れ馴れしい。あまり得意なタイプではないな、と思った。
「気にすんな。あの状況じゃ仕方なかったろ」
「……そうだよね、ありがと!」
ジャージ少女は一転、ニコリとした笑みを浮かべた。
頃合いか、と思って別れを切り出そうとした時だった。
「ねえ、あたし達ジュネス寄って帰るんだけどさ、一緒に行かない? お礼ってことでさ」
ジュネスとは全国チェーンの大手スーパーなのだが。
その発言に少し疑問を覚えた。
「確か放送で、事件が起きたからまっすぐ帰れって言われなかったか?」
「そんなん無視でいいじゃん」
さいですか。
「あの…………」
今迄黙っていた天城が口を開いた。
「あの、迷惑じゃなかったらで良いんです……ちょっとでいいからお礼したいなって」
ストレートに伸びた黒髪が揺れる。
雪ノ下と同じくらいの長さはありそうだ。少し見とれてしまったが、きっちりと断っておく。
「すまんな、妹を待たにゃならん」
事件なんて物騒な時にあいつ一人で帰す訳にはいかん。
つーか女子二人と下校とかどんな地獄だよ。気を使いすぎて禿げるまである。
それで天城は諦めたようだったが、ジャージ少女の方は尚も食い下がってきた。
「じゃあ、妹さんもいっしょに」
「いや、待ってたらいつになるか分からんし、良いよ」
あいつのことだから、友達でもつくってくっちゃべっているのかもしれないし…………な。
「……千枝、今日は諦めよう」
天城の言葉に、ジャージ少女はしぶしぶといった風にうなづいた。
「……じゃあ、名前だけ教えてよ。あ、あたしは里中千枝、それでこっちが天城雪子ね」
まあ、名前くらいなら。
「三年の比企谷八幡だ」
そういうと、ジャージ少女改め里中は驚いた顔をした。
「うっそ、先輩だったの!? 見ない顔だったから新入生だと思ってた」
「そりゃ、転入生だからな」
「あ、そーなんだ……いや、そーなんじゃん?」
いや、それ敬語になってないからな。
「じゃあ、私たちはこれで……」
「今度何かおごるからねー」
それぞれに口にして、彼女たちは去っていった。
「…………さて、と」
本格的に暇になってしまったので、スマホを取り出す。
昨日の夜から千葉の奴らからのメッセージがたまりに溜まっていた。
その数計73件。
「………………」
「……お兄ちゃん」
声のかかった方を向くと、小町がいた。
「…………早いね。友達とか、できなかったの?」
「お前、俺を誰だと思ってるんだ? 友達なんてできるわけないだろ」
小町は軽く息をついたが、いつものようなツッコミはなかった。
「お前こそ、クラスで話したりしなくて良いのか?」
いろいろあったせいで結構時間がたった気がするが、実のところ授業終了からまだ十分しか経っていない。
友達くらい息をする位に簡単に作れるであろう小町にしては珍しい。
「…………今はそんな気分じゃないよ」
「…………そか」
気の利いた言葉一つ返せない自分が恨めしい。
「……帰り、何か食えるもん買って帰るか」
堂島さんが料理ができないので、家には全くといっていいほど食材がないことを朝気づいた。
「……ほれ」
それだけ言って、小町に手を差し出す。
「…………?」
「……久しぶりに、手でも繋ぐか?」
俺の言葉に小町は少し驚いたような顔をしたが、素直に手を握ってくる。
「…………珍しいね、お兄ちゃんからこうしてくれるの」
「ま、たまにはな」
「そっか」
二人で正門を抜ける。
小町が、ごくごく小さな声で呟いた。
「…………ちょっとだけ、待ってて……すぐ、元の小町に戻るから……」
その人だかりに気づいたのは、食材の買い物を済ませて帰路を辿っていた時だった。
「人、集まってるね」
「そうだな」
小町と言葉を交わしつつ、遠巻きに見つめて通り過ぎようとしたのだが。
「……あ」
見知った人と目が合ってしまい、立ち止まらざるをえなくなった。
「堂島さん」
「……ああ、お前らか」
堂島さんが人ごみの中心からこちらへ向かってきた。
「どうしたんですか? こんなところで」
小町が尋ねると、堂島さんはボリボリと頭をかいた。
「仕事だよ……これでも刑事なもんでな」
「あ、そうだったんですか」
無駄に迫力あると思ったら、刑事でしたか。
「お前らこそこんなところで何してる。帰宅命令が出てたはずだろ」
「すいません。でも、朝みたら冷蔵庫に何もなかったんで」
俺がレジ袋を軽くあげて答えると、堂島さんは微妙な顔をした。
「それは…………すまんな」
「……何があったんですか」
持たなくなりそうな間を埋めるためそう聞くと、堂島さんは困った様子で言葉を濁した。
「いや……まあ、なんだ」
「あ、言いづらいことならいいですよ」
小町がフォローをいれ、その話は終わるかに思えたのだが。
ちょうど、二人のオバサン方が大声で話しつつ俺たちの横を通り過ぎていった。
「いやねえ、死体だなんて」
「ええ、電線に引っかかってたらしいわよ」
「見たかったわぁ」
「惜しいわね、もう警察と消防団で下ろしちゃったわよ」
「………………」
「………………」
俺たちの間になんとも言えない空気が流れる。
「…………まぁ、そういう事だ。お前らもまっすぐ帰れ」
堂島さんがため息をついて言った。
「そうですね…………ほれ、行くぞ小町」
そういって、小町ともう一度手を繋ぎなおす。
その様子を堂島さんが見つめていた。
「……どうかしましたか?」
「…………いや、仲が良いのはいいことだな」
それだけ言うと、堂島さんは俺たちに背を向けた。
「じゃあ、気をつけて帰れよ」
「はい」
「叔父さんも、お仕事頑張ってくださいね」
堂島さんが人だかりに消えて行くのを見送って、俺達も歩きだす。
のどかな田舎だと思っていたのに、まさかの人死にだ。俺達の周りには死が付きまとっているんじゃないか。
そんな風に考えてしまい、自分のネガティブ思考に嫌気がさす。
ふと、小町が身を寄せてきた。
その様子がどうにも儚く、頼りないものに思えて。繋いだ手をぎゅっと握りしめた。
『死体を見つけたとき、どう思った?』
『え、えっと…………』
自室のテレビに映った第一発見者に見覚えがあるような気がして、俺は荷解きの手をとめた。
今日の怪死体ーー山野アナが電線に引っかかって死亡していた事件についてのニュースの、第一発見者へのインタビューが映っていた。
…………思い出した。こ、小……小西、だったか。今日早退した、俺の隣の席の女子だ。
ということは、あの直後に死体を発見したということか。
インタビュー映像は、特に明確な返答があるわけでもなく終了した。
『ジュネスは毎日がお客様感謝デー。見て、触れて下さい。エヴリデイ・ヤングライフ・ジュネス』
CMになったので、テレビを消した。
時計を見ると0時一分前。窓を叩く雨音が聞こえてくる。
再び荷解きを始めようとした時のことだった。
カチッと時計の三本針が重なる音がして。
ジジッと消した筈のテレビの画面がうっすらと光始めた。
同時、昨日も感じた激しい頭痛が襲ってきた。
痛い、痛い。
『ーー我は汝、汝は我。汝、扉を開く者』
ついに幻聴まで聞こえだした。
足元がおぼつかない。フラフラとした足取りで、テレビに寄りかかる。
いや、寄りかかったはずだった。
「…………!?」
テレビの画面に手を置いたはずが、その感覚がなかった。それどころか、手が、テレビに刺さっている!?
自分のおかれた状態を正確に把握する間もなく。
「うおっ」
手がぐいっと引っ張られる感覚。
テレビに引きずりこまれそうになる。
「ちょっ、おいっ……」
がきっと肩に痛みがはしる。なにかと思えば、どうにもテレビの枠に肩が引っかかって引きずり込まれるのを免れたようだった。
「この……やろっ」
力任せに体をテレビから引き抜いた。
勢い余って尻餅をついてしまう。
「いって……」
尻をさすりながら状況を確認すると、もうテレビは光ってなどいなかった。
幻聴も、頭痛もしない。
「…………何だったんだ」
呟いてみても、誰も答えてはくれなかった。
後書き
長い……短くまとめようと思ったんですが、無理でした。
というか、小西先輩……いや同級生か、の口調がわからない……
とりあえず、次回で初戦闘くらいまでは行きたいと思ってます。
追伸:ななこちゃんはお母さんと共に事故に巻き込まれています。よって存在自体がなくなったわけではないです
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