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ロスタイムメモリー

作者:修平
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二話


 玄関で、わたしは汗でじっとり湿ったプリントを抜き出した。彼の隣を歩いていると、夏だろうが冬だろうが関係なく、汗をかく。まいったなぁ、これ、テストなんだけど……。くしゃくしゃだし、湿ってるし。
 お玉を持ったまま台所から現れたお母さんが、わたしの手からテストを奪った。
「ひゃくてん! ……なんだ、あんたのじゃないのか」
「わたしが全科目百点なんて取れるわけないでしょ」
「そこで憤るんじゃないよ」
 お母さんはほとほと呆れた様子だ。
「最近の子は酷いことするねぇ」
「えっ」
 いたずらっぽい笑みを浮かべるお母さん。なんでもお見通しらしい。
「文乃は優しい子ね」
 わたしはマフラーに口をうずめた。顔を上げることができなかった。優しいって、一体なんだろう。少なくとも、大切な人のテストがゴミ箱に捨てられるのを、指くわえて見守っていたわたしは――。
「おかあさん……」
 お母さんのエプロンは、花の香りがした。安心する匂い。ちょっとゴワゴワした質感も、昔のまま。わたしはシャカイっていうのに揉まれて、嫌な娘になっていないだろうか。
「大丈夫、文乃は百点満点よ」
「でも、百点満点だと、シダンされるんだよ」
「指弾なんて難しい言葉どこで倣ったの?」
「わたしだってそれくらい知ってるもん」
 本当は、そのまま伸太郎の言葉を借りてきたんだけどね。
「過ぎたる力を、人は認められないのよ」
 お母さんは、悲しそうに呟いた。わたしにはその心がよく分からなかった。もし学校にヒーローがいたなら、誰も彼の名前を叫ばないのだろうか。誰もが彼のことを指弾するのだろうか。
巻いているマフラーが、急に重く感じられた。
「あの、お母、さん。鍋が……」
 遠慮がちな声が廊下に響く。お母さんの背後に立つ、クリーム色のパーカーを来た少年は、困り顔で母のエプロンを引っ張っていた。
「あら、いけない」
 別れる時は素っ気ないな、なんてわたしは思ったけど、セトの手前、お母さんにこれ以上甘えることはできない。彼はわたしの目をジッと見つめる。
「お姉、ちゃん。泣いてる?」
 わたしは目を〈赤く〉するセトに、手で目隠しする。
「だーめ。勝手に心を覗いちゃいけません」
「で、でも」
「心配、ありがとうね」
 過ぎたる力、か。わたしは右手のひらから伝わる子供特有の高い体温を感じながら思った。
 
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