赤とんぼとステーキ
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第二章
第二章
「二匹釣れたよ」
「俺は四匹な」
「いいな、そんなに釣れるのか」
「俺の家族多いから全然足らねえよ」
しかし勇作はこう彼に返すのだった。
「全然な」
「そうか。御前のところって兄ちゃんや姉ちゃん多いからな」
「一番上の兄ちゃんも九州から帰って来たしな」
「皆生きてたんだな」
「婆ちゃんが死んだよ」
しかしここで勇作は口を尖らせてしまった。
「グラマンにやられてな」
「そういやそうだったな」
「御前のところは誰か死んだか?」
「叔父さんと叔母さんが死んだ」
周吉もまた親戚を失っていたのだ。
「叔父さんはフィリピンで死んで叔母さんは大阪に行った時に空襲で死んだ」
「そうか。御前のところも死んだんだな」
「ああ、それで俺のところに今二人の子供が来てる」
このことも話した。
「美加ちゃんな」
「女の子か」
「それで親父がその娘の分まで飯を手に入れに行ってる」
「大変なんだな」
「だからいないんだよ」
そうした事情があってのことだったのだ。
「家に殆どな」
「皆食い物がないんだな」
「腹一杯食いたいな」
周吉は心からこのことを思った。
「本当にな」
「そうだな。何か色々入れた薄い雑炊じゃなくてな」
「白い飯を腹一杯な」
「食えたらいいな」
「知ってるか?」
周吉は釣りを続けながら勇作に告げた。
「アメリカあるだろ」
「ああ」
「アメリカじゃ誰でも好きなだけステーキやチョコレートが食えるらしいぞ」
このことを話したのである。
「もう本当に何枚でもな」
「ステーキってあれか?」
「ああ、牛の肉を焼いたやつな」
それだというのである。今の様にオーストラリアから輸入肉を好きなだけ手に入れられるわけではない。この時代の牛肉はまさに豊かさの象徴であった。
その牛肉を話に出して。彼は言うのだった。
「分厚いのをもう何枚でもな」
「腹一杯食えるのか」
「信じられないよな」
あらためて勇作に話した。
「そんな国があるなんてな」
「俺達なんてそれに比べたらな」
「そうだよな」
食べるものもなくその食べるものを手に入れる為に釣りをしている。その自分達のことも思わずにはいられなかった。二人共もである。
「それはな」
「負けて何もなくなったんだよな」
そして戦争のこともだ。その何もかもなくなったことをだ。
「何か戦争でなくなるのって食い物だけかな」
「だといいよな」
二人は今度はこのことを言い合った。
「教科書黒く塗るとかな」
「そんなの嫌だよな」
こんな話をしながら釣りをしていた。釣りでは魚がそれなりに手にいった。ザリガニもである。それが終わった時にはもう夕方だった。
「なあ、周ちゃん」
「帰るのか?」
「もういいんじゃないのか?」
勇作はこう周吉に言ってきた。二人のその古いブリキのバケツはもう魚やザリガニで一杯である。とりあえず満足できるだけの量はあった。
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