妖僧
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第一章
妖僧
バンコック朝が成立した頃の話だ、この王朝により都と定められたバンコクに一人の僧侶がいた。
名をピーニャ=サッチャラーンという、日々修行に明け暮れ生真面目で熱心な僧侶として人々に知られていた。
彼はひたすら修行に励み学んでいた、その中でこう言うのだった。
「私はまだまだだ」
「それだけ修行されてもですか」
「まだですか」
「そうだ、悟りを開いていない」
それ故にだというのだ。
「私はまだまだ修行し足りず学び足りていないのだ」
「それだけ修行されてもですか」
「学ばれてもですか」
「そうだ、だからだ」
それ故にだというのだ。
「まだだ」
「まだ、ですか」
「修行されますか」
「今以上にな」
寝る間も惜しみ食事も最低限でだ、それでだった。
修行を続けていた、しかし。
人は必ず老いる、それはサッチャラーンも同じだ。
老いて病の床に入った、だがその床の中でも言うのだった。
「まだだ」
「まだ、ですか」
「修行と学問をですか」
「私はまだ悟りを開いていない」
だからだというのだ。
「修行をしなければ、学ばなければ」
「しかし御坊はもう」
「間もなく」
「わかっている、命が尽きようとしている」
このことを自覚していた、自分でも。
しかしだ、それでもだというのだ。
「だが、悟りを開いていない」
「それ故に」
「御坊は」
「口惜しい」
無念の声がだ、ここで彼の口から出た。
「実に」
「悟りを開けないことが」
「そのことが」
「私は悟りを開きたかった」
それが為だというのだ。
「だからだ、今死ぬことが」
「左様ですか」
「次に生まれた時には」
転生する、その時はというのだ。
「私は必ずだ」
「悟りをですね」
「開かれるのですね」
「そうしたい」
こう言い残してだ、そのうえで。
サッチャラーンは息を引き取った、その亡骸は焼かれ灰は川に流された。骨は墓に埋められた。
こうして彼は悟りが開けなかったことを無念に思いながら世を去った、僧達はこのことを残念に思った。
それでだ、こう話すのだった。
「次の生になるか」
「あの人が悟りを開くことはな」
「また次か」
「次だな」
「悟りを開くことは難しい」
ここでこうした言葉も出た。
「あれだけ修行して学んだ人でも達することが出来ない」
「そうだな、生真面目で熱心な方だったが」
「それでもな」
「それだけのことをしても悟りを開けない」
「煩悩は強い」
「そういうことか」
こうだ、彼のことからも悟りに達することの難しさについて思うのだった。
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