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大阪の妖怪

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第三章

「全く違う場所になるわ」
「人も殆どおらん様になって」
 いるのはようやく店を出て千鳥足で歩く男や務めていた女達だ、怪しげな店の灯り位がまだ健在である。
 そこから女達の嬌声が聴こえて来る、その声も聴きながらだった。
 二人は難波を歩いていく、すると。
 目の前にだ、あの噂通りに。
 急に何かが出て来た、それはというと。
 小柄な、一四〇もない様な男だった、質のいい着物を来たその男が急に出て来たのだ。
 それだけでも驚きだった、しかも。
 一枝はその男の顔を見てだ、びっくりして言った。
「犬!?」
「ああ、犬やな」
 織田もその男の顔を見て言った、男の顔は六十過ぎと思われる顔だった。その皺くちゃの顔は何だったかというと。
 犬、それも狆の顔だった。それで妻も言ったのだ。
「狆よね」
「ああ、狆やな」
 まさにそれだった。
「狆の顔っちゅうと」
「犬人間かいな」
「そやな、まさかそれなんてな」
「思わんかったな」
「馬鹿を言うな」
 だが、だった。その狆そのままの顔、ついでに言えば耳も頭もそのままの男がここで二人にこう言い返してきた。
「わしは人間じゃ」
「いや、あんたさっき急に出て来たやないか」
 織田が眉を顰めさせて男に返した。
「それ見たらや」
「わしが化けものだというのじゃな」
「噂になっとるで、真夜中に急に出たり消えたりするってな」
「ふむ、これは術を使っておるのじゃ」
「術!?」
「今この人術って言うたな」
 一枝も男の言葉を聞いて言う。
「間違いなく」
「ああ、言うたわ」
「左様、わしは術を使うのじゃ」
 男はそれが当然であるかの様に二人に話す。小柄で高齢だが背筋はしゃんとしている。
「忍の術をな」
「忍ってあんた忍者かいな」
「うむ」
 その通りだとだ、男は織田に答えた。
「その通りじゃ」
「まだ忍者なんておったんかいな」
「わしの名前は濁狆犬祭斎という」
「また変わった名前やな」
一枝はその名前を聞いて思わずこう言った。
「濁狆さんやなんて」
「甲賀流を使っておる」
「っていうと甲賀忍者ですか」
「如何にも」
 その通りだとだ、老人は織田に答えた。それも誇らしげに胸を張って。
「代々忍であり免許皆伝じゃ」
「それはまた凄いですな」
「あらゆる術を使える」
 忍術ならばだというのだ。
「日露戦争の折はこの忍術で武勲を挙げたものじゃ」
「それはまた」
「残念ながら高齢で今の戦には加われなかった」
 このことは無念そうに言う老人だった、満州からはじまった戦争、事変と呼んでいるがそれは長く続き亜米利加との仲もすこぶる怪しくなってきている。
 その戦争についてはどうかとだ、老人は織田達に語った。
「息子達が行っておる」
「そうなのですか」
「武勲を祈っておる」
 こうも言う老人だった。
「それで今のわしじゃが」
「さっきも言いましたけれど」
「うむ、近頃大阪で妖怪が出ているとな」
「そうです、それでご老人がです」
「わかっておる、その噂の出処はわしじゃ」
 全てがわかっているという返事だった。その顔もだ。
「わしが夜の大阪の街を忍術を使いながら闊歩しているせいじゃ」
「わかっておられたんですね」
「わかっているとも。忍の耳は地獄耳じゃ」
 このことも誇らしげに言う老人だった。
「千里先の針が落ちる音も聴こえる」
「じゃあ噂話も」
「聴こえておる」
 実際にそうだというのだ。
「何でもな。聴かぬと決めたら聴こえぬが」
「それはまた便利な耳ですね」
 織田が聞いてもだった、老人の耳は実に便利なかつ都合のいい耳だった。聴きたくないことは聴こえなくなるというのは。 
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