亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百二十二話 国防委員長
宇宙歴 796年 4月 30日 ハイネセン 最高評議会ビル エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「国防委員長、捕虜の件はどうなっているかな?」
ここ最近、最高評議会での最大の関心事は捕虜交換だ。これが上手くいくかどうかで和平の首尾も決まる、つまり国防費の削減も決まると皆が見ている。皆がネグロポンティに視線を向けた。既に捕虜交換は実務レベルでの交渉に入り同盟ではネグロポンティ国防委員長が担当者になっている。
「同盟、帝国の両国が抱える捕虜の名簿を交換しました。現在帝国に抑留されている同盟兵捕虜が約二百二十万、同盟に抑留されている帝国兵捕虜が約二百七十五万となっています」
トリューニヒトの質問にネグロポンティが手元の資料を見ながら答えた。周囲は捕虜の数に呆れた様な表情をしている。
偉いよな、ネグロポンティは最高評議会では新参者だからいつも山の様に資料を持ってくる。俺も新参者だが資料など持ってきたためしがない。時々ネグロポンティが恨めしそうに俺を見る事が有る、今度から資料らしきものを持ってきた方が良いかもしれない。
「それで彼らへの補償は?」
「はい、先ず抑留期間が十年以内の将兵については一階級昇進させます。さらに十年以上の将兵についてはもう一階級昇進させます。但し帝国では捕虜の扱いが劣悪なため十年以上抑留されていた将兵はそれほど多く有りません。特に抑留期間が十五年以上になると激減します。生き残った者はその多くが若く体力が有った者、当然ですが階級が低かった者です」
「なるほど、こちらの捕虜が少ないのはその所為か。戦いを有利に進めているからというわけでは無いのだな」
「明確に有利になったのは近年だ。それに捕虜は少なかったはずだ」
シャノンとターレルが話している。皆がどういうわけか俺に視線を向けてきた。不愉快だな、俺が殺しまくったとでも言いたいのか? 敢えて気付かない振りをしよう。
「それと補償には彼らが捕虜であった期間の給与の支払いも含まれます。捕虜であった期間は休職中という事になりますので一年目は基本給の七割を、二年目以降は五割を支払う事になります。但し、捕虜の家族が遺族年金を受け取っていた場合はその分を差し引きます」
トリューニヒトがウンウンと頷いている。まあ死んだか捕虜になったかは判断が難しい。という事で明確に戦死、或いは捕虜になった事が分からない行方不明者は戦死扱いにされる。同盟、帝国の間には国交が無いから確認のしようが無い、帝国では捕虜なんて管理して無いに等しいから戦死扱いにするしか仕方が無いらしい。
「それで、どの程度の金額になるのかな? かなりのものだと思うが」
トリューニヒトに問われたネグロポンティがちょっと周囲を憚るような素振りを見せた。金額がデカいからな、言い辛いよ。
「計算したのですがざっと六百億ディナールが必要となります」
トリューニヒトとネグロポンティの遣り取りに彼方此方から溜息が出た。皆の視線がレベロに向かう。それを受けてレベロが口を開いた。
「ネグロポンティ国防委員長より話は聞いている。六月以降の暫定予算に組み込みたい。国のために苦労したのだ、報いるのが当然だろう。それに彼らを無一文で放り出せばそれこそ犯罪等の問題を起こしかねん。それでは捕虜交換の意味が無い」
皆が頷いている。ボローンが“全く同感だ”と言った。法秩序委員長としては治安の悪化は避けたいだろう。
「嫌がるかと思ったがね」
ホアンが冷やかすとレベロがフンと鼻を鳴らした。
「捕虜を抱えていれば彼らを喰わせるために年間約二百億ディナールの金が出て行く。三年で六百億ディナールだ、それを考えればここで捕虜交換のために六百億ディナールを用意するのはおかしな話じゃない。三年でペイ出来るのだからな。それに捕虜と違って労働力、消費者、納税者として期待出来る。財政委員長としては反対する理由は無い」
レベロが太っ腹なところを見せると彼方此方で同意する声が聞こえた。
「捕虜交換は財政問題か、確かに言い得て妙だな」
「全くだ。ここまで金が絡むとは思わなかったよ。人道も和平も金無しでは進まない、厳しい現実だな」
ターレルとボローンの会話に笑い声が起こった。俺が議会で捕虜交換は財政問題の解決策の一つだと言って以来、政府の公式見解は人道と財政問題の解決策になっている。和平なんてどこにも出てこない。冗談だったんだけどな。
ちなみに予算編成はまるで進まない。捕虜交換、首脳会談の成果次第で和平の進展具合が決まると見ているため誰も積極的に動こうとしないのだ。通常暫定予算は一カ月から二カ月だが今回は八月一杯まで、五カ月間を暫定予算で行こうという話になっている。前代未聞の事だそうだ。議会が突っ込みそうなもんだが議会も薄々は気付いているらしい、余り騒ぎ立てる事も無い。
皆が笑う中、ネグロポンティだけは神妙な顔をしている。トリューニヒトが皆に確認を取ったが誰も反対はしなかった。問題の一つが解決した。ホッとしたようなネグロポンティが俺に視線を向けてきたが知らぬ振りをした。ネグロポンティ、いやネグポン。俺を見るんじゃない、怪しむ奴が出るだろう。
俺はこの件では無関係なんだ。真っ青な顔で諮問委員会に飛び込んできて“思った以上に金がかかる。レベロ財政委員長を説得するのを手伝って欲しい”とか“トリューニヒト議長の手を煩わせたくない”とか“受け入れられなければ国防委員会や軍に面子が立たない”とか言って俺に泣き付くんじゃない。
レベロは金に煩いが本質は善良な男だ。金を払った方が利が有る、市民のためになると言えば渋るかもしれないが最終的には納得する。今回は俺が動いたが次からは自分で解決しろ。俺を頼るんじゃないぞ。それじゃなくても俺の事を胡散臭い眼で見る奴が多いんだ、痛くもない腹を探られたくない。
「戻ってきた捕虜は軍の方に復帰させます。捕虜という特異な環境での生活から元に戻るには時間がかかる可能性が有る。特に抑留期間が長ければ長いほど社会に適合し辛くなっていると想定されている。カウンセリングは当然の事だが技能訓練等を行いつつ焦る事なく社会に復帰させたい」
「国防委員長の仰る事は理解出来るがそうなると軍の人員削減などはまだまだ先の事だな」
トレルの口調は残念そうだった。多分国防費の削減は難しい、経済開発委員会に回ってくる予算は少ないと思ったのだろう。他にも面白くなさそうな表情をしている人間が少なからずいる。
「その事だが軍は今後五年間で四百万人の技術者、輸送および通信関係者を民間に戻そうと考えている。以前から社会機構全体に亘ってソフトウェアの弱体化が進んでいると人的資源委員長から指摘が上がっていた。国防委員会としても無視は出来ない。なんとか歯止めをかけたいと考えている」
ネグポンが発言すると“ほう”という声が彼方此方で上がった。皆がホアンの顔を見た。ホアンが咳払いをした。
「出来る事なら今すぐ四百万人を民間に戻して貰いたいと言いたい。しかしそれをやれば軍組織が滅茶苦茶になるのも事実だ。五年間で四百万人を民間に戻す、国防委員長からの提案を受け入れようと思う。但し、受け入れるには条件が有る」
ホアンが皆を見回すと会議室に緊張が走った。このあたりが実力政治家の凄味だな。残念だがネグポンにはまだそれは無い。
「和平を結び、戦争を終結して欲しい。戦争が無くなれば技術者を軍に徴用される事も無くなる。技術者達のスキルの向上、蓄積を図れるのだ。ソフトウェアの弱体化を防ぐ事が出来る」
「分かっているよ、ホアン。そのための第一歩が捕虜交換なのだ。必ず成功させる」
トリューニヒトが答えると皆が頷いた。
「しかし、軍は大丈夫なのかね。五年とはいえ四百万人を民間に戻すのだろう。実際に出来るのか?」
シャノンがネグポンに問い掛けた。他のメンバーも首を傾げている。
「現時点で大規模な軍事衝突が起きる可能性は極めて少ないと判断できる。この機会に軍は組織のスリム化と支出の削減を図ろうと考えている」
“オー”とか“ウム”とか声が上がった。歓迎されているぞ、ネグポン。
「先ず動員の解除だが技能や資格の有る人間から民間に戻していく。軍に残った者に対しても技能を習得させる事を積極的に行っていく。人数は減らすが質を向上させる事で戦力の維持を図るつもりだ」
彼方此方で頷く姿が有った。ネグポンも余裕が出て来たようだ。声に張りが出てきた。
「さらに国内に有る八十四ヶ所の補給基地を整理統廃合する。大凡の計画ではあるが十五ヶ所を廃し三ヶ所を新たに設けたいと考えている」
「新たに三ヶ所というのは?」
ラウドが問い掛けた。地域社会開発委員長だからな、有人惑星に基地が造られれば自分にも関係するとでも思ったか。或いは増やすことなど無いと考えたか。
「今後、軍はイゼルローン方面だけではなくフェザーン方面の防衛体制も考慮した防衛計画を策定しなければならない。新たな三ヶ所の基地は何れもフェザーン方面に設立する。その内の一ヶ所は惑星ウルヴァシーを想定している」
“ウルヴァシーか”と誰かが言った。皆ウルヴァシーが前の戦争で後方支援の拠点になったことは知っている筈だ。ラウドはちょっと残念そうだ、あそこは居住可能だが無人惑星だからな。
「軍は惑星ウルヴァシーをフェザーン方面の重要な戦略拠点にしたいと考えている。出来れば同盟市民を入植させ生産機能も持たせたい」
ネグポンの言葉に皆が顔を見合わせた。
「良い案だと思う、居住可能惑星を放り捨てておく必要はない」
「同感だな」
ラウドとトレルが積極的に賛成した。
まあこれでネグポンも最高評議会で上手くやっていけるだろう。どうしても他の委員長達に押されがちなんだよな。おまけに和平が近付いたことで予算の削減を迫られている。その所為で国防委員会、軍内部にネグポンの力量を不安視する人間がいるらしい。上手く立場を創ってやらないと政府でも軍でもネグポンは居場所が無くなる。国防委員長は実力者のポストなんだ、それなりにどっしりと構えてもらう必要がある。
取り敢えず捕虜に払う予算は確保した、その分人員の削減は受け入れる。但し五年で四百万、捕虜の受け入れを考慮すれば実際には二百万だ。軍だって人員の削減は受け入れなければならない事は分かっている。五年で二百万なら文句は言えないだろう。まあこの辺りは既にトリューニヒトとホアンで話はついているんだけどな。今日正式にネグポンから最高評議会に提案された事になる。なかなかの仕事ぶりだと思われただろう。ネグポンには政府と軍の仲介役になってもらわなければならん。
「ところで、皆フェザーンの状況は知っていると思うが?」
トリューニヒトが皆を見回しながら問い掛けると何人かが頷いた。不審そうな表情をしている人間は居ない。先日、フェザーンでは暫定政権が発足した。名前はフェザーン臨時政府と表明している。
代表者はマルティン・ペイワード、元々は第四代自治領主ワレンコフの元で補佐官を務めていたらしい。ルビンスキーが第五代自治領主に就任した時点で補佐官を辞任し民間に戻った。どうもワレンコフの死に不審を感じた様だ。ルビンスキーに殺されたとでも思ったのだろう。地球教の事は知らなかったと表明している様だが真実は分からない。
ペイワードはフェザーンの現状を憂いて自らフェザーン人達に自分に一時的にフェザーンを預けてくれと説得したらしい。独立商人達がその声に応えた様だ。ペイワードは彼らの支持を起点に他の勢力の支持を得ることに成功した。今の所暫定政権にあからさまな敵意を示す勢力は無い。それなりにフェザーンを掌握していると考えて良いのだろうとバグダッシュは分析している。
「一昨日、そのフェザーン臨時政府のペイワード代表から私に連絡が有った」
“ほう”という声が上がった。皆興味津々だな。
「自分がフェザーン臨時政府の代表である事、地球教とは関係ないので信じて欲しいと言っていた」
ボルテックも同じ事を言っていた。
「他には何を?」
ターレルが問い掛けた。
「三つ有った。先ずフェザーンでは多くの人間が統治の形態を変える必要があると考えているらしい。これまでのように自治領主にすべてを任せていてはとんでもない事になる、為政者の行動をもっと監視すべきだと」
「それは議会制民主主義を導入しようというのかな?」
「はっきりとは言わなかったがそれらしい事を匂わせていた」
トリューニヒトとターレルの遣り取りに会議室がざわめいた。仲間が増えた、嬉しい、そんな感じだな。水でもぶっかけてやるか。
「こちらの好意を得ようとして耳障りの良い事を言っている、その可能性も有るでしょう」
皆が不満そうにこちらを見た。可愛げがないと思ったか。だがトリューニヒトが“その可能性は確かにある”と俺を擁護した。
「二つ目はフェザーンの独立についてだ。同盟政府は現時点でもフェザーンの独立を認めるのかを確認してきた。これについては認めると答えた」
トリューニヒトの答えに反対する人間は居ない。フェザーンは独立させ帝国との緩衝地帯として利用する。その事は同盟の安全保障の基本方針だ。
「最後の三つ目だがペイワード代表は正式に国交を樹立したいと言ってきた」
うん、ちょっと微妙な空気だな。皆困惑している。
「諮問委員長のいう耳触りの良い事というのは当たっているかもしれん」
「確かに、条約を少しでも有利にと思った可能性はあるな」
トレルとマクワイヤーの遣り取りに皆も頷いている。
「ペイワード代表には後で返答すると答えて通信を切った。後は諮問委員長、君から頼む」
どうせなら最後まで説明してくれればいいのに……。これじゃ俺がトリューニヒトの腹心みたいじゃないか。非常に不本意だ。
「議長から相談を受けて一番最初に考えた事はフェザーンが帝国にも接触しているのではないかという事です。同盟と帝国、その両者を上手く操り少しでも有利な条約を結ぼうとしているのではないか……」
俺が周囲を見回しながら言うとホアンが“フェザーンのお家芸だな”と皮肉った。好感度低いよな、フェザーンは。
「レムシャイド伯を通して帝国政府に確認しました。フェザーンは帝国に接触していません。ブラウンシュバイク公は酷く驚いていました」
皆が妙な表情をした。有り得ないことが起きた、そんな感じだ。
「本来なら帝国にも接触して同盟、帝国を上手く操って利を得ようとするはずだが……」
「どういう事かな」
レベロ、ボローンが首を傾げている。
「帝国に接触しないのはそれが危険だと考えているからだと思います」
あらあら今度は皆が首を傾げている。ニコニコしているのはトリューニヒトだけだ。こいつ、相変わらず性格が悪いな。
「フェザーンは帝国が独立を認めないと判断しているのではないかと思います。帝国に知られれば再度軍を派遣するのではないかと恐れているのでしょう。酷い目に遭いましたからね」
「なるほどな、可能性は有る。ブラウンシュバイク公はその辺り、如何考えているのかね? フェザーンの独立を許すのかな?」
リウが問い掛けてきた。視線が俺に集中する。
「さあ、迷っているようでした。自治領とは言っても内実は独立国です。しかし独立を認めては面子が立ちません、かといって今のフェザーンは反帝国感情が強い。自治領に留め置いても厄介な事になっては……」
誰かが“ウーン”と声を上げた。
「フェザーンが先に同盟との国交の樹立を求めたのは独立を既成事実にするためでしょう。おそらくはフェザーンの独立が脅かされた時は同盟が軍を派遣してフェザーンを守る、そういう形での安全保障条約を結ぼうとすると思います。その上で帝国との交渉に臨む、そんなところでしょうね」
皆が渋い顔をした。まあしょうがないだろう、フェザーンには軍事力が無いんだから。
「こちらとしては帝国との和平交渉を優先させるべきだと思います。フェザーンとの交渉はその後という事にした方が良いでしょう。帝国側も同盟との交渉を優先したいと望んでいます」
彼方此方から“それが良い”、“そうすべきだ”、“利用されずに済む”と声が上がった。ホント、フェザーンって嫌われてるよ、少し可哀想だな。
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