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星の輝き

作者:霊亀
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第35局

 プロ棋士採用試験の予選、塔矢アキラはあっさりと通過を決めた。予選は1日1局持ち時間2時間で、最大5局打つ。3勝で本戦に勝ち抜け、3敗で予選敗退が決まる仕組みだった。
 アキラは当然のように3連勝で勝ち抜けを決めていた。

 塔矢アキラのプロ試験参加は、奈瀬以外の院生たちにとって衝撃だった。今まで、塔矢名人の息子がプロ級の腕前との噂は確かにあった。しかし、アキラはアマチュアの大会に出る事がなかったので、その実力の程は知られていなかったのだ。
 ちなみに例外的に交流のある奈瀬は、あまりに突っ込み所が満載な勉強会のため、院生仲間には勉強会の存在そのものを知らせていなかった。勉強会のことがばれて、参加希望者が出てきても色々と困るからだ。



 和谷義高は、師匠である森下九段の勉強会で、予選で対戦した塔矢アキラとの対局を並べていた。周りでは、先輩棋士である白川七段、都築七段、冴木四段の3人も盤上を熱心に眺めていた。

「…と、ここまでで、俺が投了しました」
「…ふん。さすが、行洋の息子といったところか、たいした腕だ」
 師匠の森下は、並べられた1局に唸っていた。和谷が大きく広げた模様にアキラは深く踏み込み、見事にシノイで見せたところで碁は終わった。和谷の地がまったく足りなくなったのだ。アキラは明らかに、和谷の力を凌駕していた。ふと森下の頭に、息子と娘の顔がよぎる。まったくといって囲碁が上達しなかった自分の子供たちと、思わず比べてしまう。
-いかんいかん、今はそんなことはどうでもいい…。

「見事に生きられましたねぇ。手はなかったのかなぁ」
 冴木の言葉に、白川が少し手を戻す。
「難しいところですよね。目いっぱい広げた場所だけに、スペースは十分にある…。ここはハネないで、伸びて我慢がよかったかな?」
「でも、ここを飛ばれると…」
「…そうだな。頭を出されてはどうにもならないか…」
 
 都築は腕を組んで和谷に語りかけた。
「模様の碁っていうのは難しいんだよね。打ってるときはすごく気持ちいいんだけど、勝ちきるまでが難しい。特にこの碁みたいに模様がほぼ1箇所になってしまうとね、囲いきれば勝てるけど、荒らされたら負け。そして、中で生きられたら勝負にならない」

 森下が続けた。
「そうだな。別に模様の碁、それ自体が悪いとは言わんが、まだお前には甘い手が多い。まぁ、力負けだな。もっと力をつけないとな」

「…はい、師匠。がんばります」

-…でも、プロ試験本戦は1ヵ月後だ。俺じゃあ塔矢には勝てない…。いや、伊角さんでも無理だ…。つまり、合格者3人のうち、1枠はほぼ確定ってことか…。本田さんや小宮さん、足立さんもいるし、最近は奈瀬も調子がいい…。予選で当たらなかった外来もいるし、今年も厳しいな…。

 考え込む和谷の肩を冴木は軽くはたく。先輩棋士たちの中でも冴木は年が若く、和谷との中も一番よかった。
「考え込んでも仕方ないって。まだ1ヶ月あるんだ。ほら、打とうぜ」
「はい、冴木さん、お願いします」

-そうだ、俺だって本戦に進んだんだ。チャンスはある。



 院生トップの伊角慎一郎は九星会の先輩棋士である桜野プロに指導碁を打ってもらっていた。桜野は美人で長い髪がトレードマークの女性棋士。九星会は囲碁専門の塾で、桜野とはそこで知り合って以来の仲だった。

「この下辺はちょっと甘かったですか?」
「そうね。それで白は手を抜いて、先に右辺にいけたものね」
「ちょっと、手をかけすぎでしたか…」
「でも、こんなところじゃないかな」
「そうですね、ありがとうございました」

 対局後の検討が終わり、伊角は碁石を片付ける。

「ふう、やっぱり慎ちゃんの相手はきついわねー。指導碁といってもほとんど本気よ、私。慎ちゃん、今年こそ合格しないとね」
「そうですね、オレも今年こそはと思っています。ただ、院生の仲間から聞いたんですが、今回、塔矢名人の息子が参加しているんですよ。かなり強いと」
「あー、そういえば聞いたことあるわね…。確か名人の研究会には参加してるんじゃなかったかしら。芦原君から聞いたことがある気がする。そっか、手強いライバルね」
「…すでにプロ並みとの噂ですからね。気が抜けません」
「あら、慎ちゃんだって、もうプロ並よ。この私が言うんだから間違いないわ!」
「ありがとうございます。がんばります」

-和谷とフクはあっさり塔矢に負けた…。もう一人は外来だったようだが…。塔矢アキラか、どれだけの力を持っているんだ…。








 注目を一身に集めていた噂の塔矢アキラ。彼は必死になって勉強をしていた。手元の本を読みながら、要所をノートにまとめていく。彼が必死に読んでいるその本は、

『猿でもできる、簡単ブログ解説!』

-進藤に任せていたら、いつになるか分かったもんじゃない!そもそも、大事にしているようだから、見せてくれるかも分からないし、ボクが彼から棋譜を借りて、まとめるのが一番だ!

 今、アキラの頭の中を占めているのは、プロ試験ではなく、saiの棋譜だった。それも、進藤ヒカルとの対局棋譜だ。なんとしても見たい。そのため、アキラはヒカルに代わってブログを立ち上げることを目論んでいた。スポンサーは緒方だ。
 夏休みで時間はあるが資金的に厳しいアキラと、プロ棋士のため金はあるが時間がない緒方の目論見が一致した結果だった。ヒカルが公表したくないのであれば、非公開でも構わない。開設者になってしまえば、少なくとも自分たちだけは見れる。

 アキラは必死だった。







「ヒカルー、とりあえず日付順に並べていけばいいのよね?」
「ああ、所々ごっちゃになってるからな、まずはきちんと並べないとな」
「でも、これ全部貸し出すの?」
-随分たくさんたまりましたよねえ。
「いや、全部はまずいよなぁ…。特に、こっちの佐為と会ったばかりの頃の棋譜は出せないな」
「え、そうなの?」
「ああ。俺が初心者のころの棋譜がないと不自然だから、それを渡すとなると、前の世界の棋譜になるだろ?俺がだんだん強くなるのと同時に、佐為もネット碁で新しい定石とか今の時代の碁を覚えて強くなった。その後こっちの世界での棋譜になるだけど、佐為は打ち方が昔の虎次郎の頃のままで、新しい定石とかを知らなかった」
「あ、なるほどー。いきなり古い定石ばかりの碁に戻っちゃうんだ」
-確かに、そうなると不自然ですね。
「だろ?だから、最初の半年分くらいは丸まる封印して…、その後も俺がいきなり強くなってるのもあれだから、俺がうまく打てたぶんをしばらく隠して…。やっぱりめんどくさいなぁ…」
「でも、整理は必要だと思うよ?ちゃんとした棋譜の用紙に書けてるのは最近のだけで、ほとんどはノートに書き込んでるんだもん。やっぱり読みにくいよ」
「そうなんだよなぁ。金がなかったせいで普通のノートに書くしかなかったからなぁ」
-ヒカルの字は、きれいとはとても言えないですものねぇ…
「うるさいぞ!ああ、もう、余計なこと言っちゃったなぁ」
「でも、佐為との棋譜をちゃんと記録に残すのは、いいことだと思うよ。とても素敵な碁がいっぱいあるもん!私が打ってもらったのもヒカルに言われてからノートに残してあるから、いずれ棋譜に起こすつもりだよ」
「…まぁなぁ。塔矢があきらめてくれるといいんだけど、そうもいきそうもないしなあ。とりあえず整理しながら、少しずつ抜き出す形にするか。最終的にはやり方を自分で覚えて全部まとめることにして…」

 ヒカルと佐為の対局の回数はかなりの数になる。何しろ、前の世界での2年間に、こちらでは7年以上だ。1日1局としても合計で三千回を軽く超える。実際はそれ以上だ。ヒカルは前の世界で佐為が消えた後、本因坊秀策の棋譜とともに佐為との対局を思い出せるだけ何度も繰り返して勉強していた。そのため、こちらの世界に来た後に棋譜として書き起こすことが可能だったのだ。
 できるだけきちんとした形で整理したいが、すべてを見せてしまうといろいろと不自然な点が多く出てきてしまう。

 膨大な数の棋譜を前に、ヒカルの悩みは尽きなかった。 
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