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打球は快音響かせて

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高校2年
  第三十七話

第三十七話


パッパラッパパー♪
「「「アイヤ!」」」
パッパラッパパー♪
「「「アイヤ!アイヤ!アイヤ!アイヤイッラサッサ!!」」」


三塁側・南海学園アルプスからの地鳴りのような「ハイサイオジサン」に、球場が揺れる。
マウンド上の投手や、野手陣にその巨大な音の波が襲いかかり、彼らから平常心を奪っていく。
そして投じられた一球。追い込んで余裕があるはずのカウントで、ボールが甘めに入ってくる。

(もらったァ!)

左打席から知花が華麗に流し打ち。
バットに弾かれたボールはレフト前に落ちる。

「回れ回れー!」

三塁コーチャーのぐるぐる回る手の動きに導かれ、2塁からランナーが本塁を突く。三塁ベースを蹴る際の膨らみを極力なくして、遠心力を抑え込みながらホームへと加速していく。
ボールを捕ったレフトは浅めの位置からバックホーム。ボールはしっかりとベース付近に返ってくるが、ランナーはキャッチャーのブロックをすり抜け、タッチをかいくぐった。

「セーフ!」

球審の手が横に広がると、ランナーは両手を上げてガッツポーズ。アルプススタンドは蜂をつついたような大騒ぎになる。

「これで3-2。もう7回で、この勝ち越し点は大きいのう。」

浅海の隣で試合を見ている乙黒が呟いた。
浅海は神妙な面持ちで、腕組みしたまま黙っていた。


カーン!
「ひょぇええ!また真芯ばい!」

勝ち越した次の回、ショートが痛烈な打球を抱え込むようにして何とかグラブに収め、一塁に大遠投。間一髪でアウトにとり、そのプレー一つ一つにスタンドから大声援がこだまする。
水面にも匹敵する都市圏・羅流洲地区2位の強力・白陽打線は、このように会心の当たりを南海学園の堅守の前に阻まれる事が多くなっていた。
それが戦前の予想を覆した、南海学園リードの展開を加速させる。

南海学園のマウンドには3人目の投手。小刻みな継投により、白陽打線の狙いを巧みに外している。3人の投手は全員、身長が160cm台の小さな投手たちだが、しかしそれぞれに持ち味があり、それを本人たちも生かしながら好投を続けていた。

(選手達の体はみんな小さいし、打線に迫力はない。投手も特段良い訳じゃないけど、全員ストライクは必ずとれる。守備に関しては足が速くて肩が強い、枡田みたいな選手が沢山居るって感じだな。奔放なイメージの強い木凪の代表の割には、守備中心の堅実な野球をしている。)

浅海は南海学園ベンチを見る。
白髭をたくわえた神谷監督がベンチの隅にちょこんと座り、満足げな表情で戦況を見守っていた。

(ま、神谷監督の野球だと考えれば、それほど不自然でもないけど)

カーン!

またグランドから快音が響く。
が、この打球がまた大胆にポジションを変えてきている外野手の真正面。南海学園アルプスから大声援が再び送られた。


ーーーーーーーーーーーーーー


「ふぉっふぉっふぉっ、また今日も子どもらは楽しそうやのう」
「いやいや、おじいちゃんの方が楽しそうですよ。でも余裕こかんといて下さいよ、リード一点だけなんですけん」

ベンチで高笑いしている神谷監督を、その隣に座ってスコアをつけている女子マネージャーが諌める。しかし、神谷監督は意に介さず、髭もじゃの顔を引き締めようともしない。

「これが愉快やなくて何じゃい。あの相手の顔を見てみい、イライラしよろ〜?わしゃ相手のああいう顔見るんが好きなんじゃ」
「……性格悪いですね〜」

口ではそう言うが、女子マネージャーも、その顔には神谷監督と同じような笑みが浮かんでいる。

「ほれほれ、かき乱したれかき乱したれ!」
「ウチのチームは全員50m5秒で走るでぇ!」
「アホかお前、それはさすがに盛りすぎやけん!」

ベンチの雰囲気も絶好調。
緊迫した接戦のプレッシャーなど、そこには全く存在しない。心底、楽しそうな少年の姿だけがそこにあった。


ーーーーーーーーーーーーーーー


そして、白球が空に舞い上がる。
捕った内野手は、そのまま両手を上げてガッツポーズ。三塁側のアルプスがドッと湧き上がり、試合終了後の整列のタイミングになっても、その喧騒は止まない。

結局スコアは3-2。南海学園が木凪・瑠音地区優勝の勢いそのままに州大会の初戦を突破した。

「……結構、厄介かもな」

同時に、準々決勝で三龍と対戦する事も決まった。東豊緑州の選抜出場枠は4。次の準々決勝は事実上の甲子園出場決定戦となる。その準々決勝は、島民からの大応援に後押しされたチームだ。宮園が顔をしかめたのも無理はない。次の試合、三龍はヒールになる事が明白である。

「でも勝つしかないけ。次の試合だけは。」

美濃部は童顔を引き締める。
次の準々決勝は、野球人生で最も勝ちたい試合になるだろう。
何故なら、勝ちさえすれば。

甲子園。
それが現実になるのだから。




ーーーーーーーーーーーーーーーー



「昨日までの6試合でチーム打率は.293、長打は二塁打が5本だけ。盗塁数は10個。エラーは3つか。」

乙黒が三龍の寮監室、即ち浅海の部屋にやってきていた。手にとっているのは州大会準々決勝の相手、南海学園のデータ資料だった。指導陣2人でのミーティングである。

「やっぱ生で見た通り、守備走塁中心の渋いチームやなぁ。木瑠(木凪・瑠音地区の略称)の5試合でも、点差は開いて4点。ここ3試合の点差は1、2、1か。接戦をしぶとく勝ってきたって感じか」
「そうだな。タイムリーなしでの得点が8点もあったり、ヒットを打たなくても点を取る、そんな野球をしている。神谷監督が商学館を率いていた頃の野球だ。」

浅海はベッドに腰かけ、風呂上がりの髪をタオルでしきりに拭いていた。濡れた肌には張りがあり、モチモチとした質感を感じさせている。乙黒はそんな色っぽい浅海から意識的に目を逸らし、資料のページをめくる。

「投手は……おお、5人もおるんか。ほんで、結構イニング数に差がないな。満遍なく投げさしよるんやの。ほんで、満遍なく点を取られよる。」
「完投は一つもない。状況を見ながら継投して、投手陣トータルでの失点を2〜3点に抑えてきたんだ。5人がそれぞれ別の持ち味を生かして、束になって相手打線に挑みかかる……1人1人が大したことがなくても、厄介かもしれんな」

浅海が言うと、乙黒は直接見た南海学園の初戦を思い返す。南海学園の先発投手は背番号10のスリークォーターで、インコースを度々突いていた。2番手は背番号17の左投手で、これがべらぼうに球が遅く、その上投球のほとんどが変化球だった。最後を締めたのは背番号1のエース。オーソドックスな投げ方で、ストレートを武器にしているようだが、球速はせいぜい130キロちょっと。しかしそれでも、球の遅い2番手の後に投げたので、相手打線は振り遅れていた。
確かに、意図的に相手の目先を変えるようなボールの持ち主同士でつないでいる。3人とも大したピッチャーではなかったが、しかし四死球は少なく、相手打線が狙いを絞りきらない内に次の投手にリレーしていた。

「……とりわけ良い打者が居る訳でも、凄い投手が居る訳でもない。しかし、軸が不在でも、脇役が束になってかかる事で結果を出している。不気味なチームだな……」

浅海は壁に背中を預け、天井を見上げてつぶやいた。もうすっかり下っ端扱いに慣れてしまった乙黒であるが、この浅海の様子には少し頼りなさを感じた。いつものような、毅然とした態度が今は見られない。

「浅海、お前ビビッとん?海洋相手にした時でも、もうちょい余裕あったんに。」

浅海は、乙黒の方をゆっくりと向いて笑みを見せた。乙黒はハッとする。これまで一度も見た事の無いような、くたびれた笑みがそこにあった。颯爽と、毅然としたいつもの浅海ではなかった。

「……やっぱり、緊張するよ。後一つで、甲子園なんだもの。みんな期待するし、ここまで来て負けるなんて、みんな嫌だろう。私も嫌だ。勝ちたい……何とか、勝ちたい……」

噛み締めるように浅海は言う。
乙黒は何も言えなかった。
そして言うまでもない。負けたくないし、勝ちたい。一生に一度しかないかもしれない、このチャンス。逃すわけには、いかない。



ーーーーーーーーーーーーーーーー


「チーム打率は3割3分ちょっと、ツーベースがまぁまぁ多いけん、長打もある。そこそこによう打つってこっちゃ。」

南海学園ナインが宿泊している水面市内のホテルの会議室では、神谷監督が選手を集めてミーティングをしていた。内容はもちろん、次戦の相手、三龍についてである。

「やっぱマークするんは、1番と7番とですか?」
「そうじゃ!1番の渡辺は打てる球を確実に打ってくるけん、最注意よのう。甘く入って二塁以上いかれるんがいちばんいけんぞ。7番の鷹合は、ありゃスイング見たが、えげつない力を持っとる。何で7番に置いとるか分からんが、マトモに当たりゃ飛んでくけ、4番やと思って対処せえ。何も考えず振ってくるけ、ボール球から入れ。」
「「「ハイ!」」」

神谷監督の指示に選手は元気良く頷く。
そこには、監督への厚い信頼が伺えた。

「他のバッターも侮れんバッターばっかりやけ、投手陣は長打にだけは気をつけていけよ。次もしっかり繋いでいくけんな。全員投げる気でおれよ。ええか?」
「ウス。」
「任して下さい」

南学の5人の投手陣は、どれもこれも食えない、不敵な面構えをしている。140キロは投げられない、体の小さな投手ばかりだが、しかし自分の、いや“自分達の”投球に大きな自信を持っている。

「攻撃についてやが、エースの美濃部は体は小さいがスライダーがようキレよるし、球速もチビの割に135は出とる。真っ向勝負でねじ伏せにかかってくるタイプやけ、外のスライダー捨てて、球数増やして三振を減らしていけ。こういう奴ほど、三振が取れんとリズム崩していくけ。」
「まるで宇良みたいやのう」

知花がチームメイトの1人を茶化す。宇良は初戦の最後を締めた投手で、背番号1を背負っている。柔軟な継投策をとる南学においては、背番号1と言えどもけして“エース”ではないが。

「いやいや、俺は今はもうちょい大人やけ、一緒にせんでやぁ」
「確かに。お前言うて135も出んし、スライダーの変化もショボいし、一緒には出来んの」
「うっさいわMAX116キロ!」

鼻白む宇良を更に茶化すのは、背番号17の翁長。
宇良に言い返されたように、球速はべらぼうに遅い。しかし、左のアンダースローという変則投法でキッチリ投手陣の一角を担っている。

コホン、と咳払いを一つ挟み、神谷監督は話の流れを戻す。

「初戦では見んかったけど、2番手には越戸っていう右のサイドがおるらしい。こいつの投げ方がまた、タイミングの取りづらい、けったいな投げ方みたいや。ボール自体も、ストレートでも微妙に変化するらしいわ。ワシとしちゃ、こいつの方が厄介やないかと踏んどる。こういう奴は慣れが1番大事やけ、早めに美濃部を引きずり下ろして、越戸の攻略に時間をかけたいの。ええか?」
「「「ハイ!」」」

今度は野手陣の意気が上がる。
決して強力ではない打線だが、しかし、神谷監督の老獪なタクトに導かれた“チビッ子軍団”は、数字以上の実力を備えている。

「お前ら、次の試合にゃ、島からの応援団が5千人来るらしいぞ。水面で試合はしよるが、球場はワシらのホームみたいなもんや。ありがたい事やの。他にも、水面の3番手4番手の私学なんかより、よっぽどウチに勝って欲しい人らは山ほどおる。のう、キャプテン、勝つべきチームはどっち…」
「もちろん、俺らです!」

神谷監督が言い切る前に、知花が大きな声で答えた。神谷監督は髭もじゃの顔をさらにクシャクシャにして、ガハハと高笑いした。

「その通りじゃ!次も勝って、ワシらが斧頃島の歴史、ほんで高校野球の歴史塗り替えちゃるぞ!ええか!?」
「おーっ!」
「やっちゃろやないかァ!」
「待っとれ三龍!」
「待っとれよ甲子園!」

神谷監督の檄に、選手らのモチベーションは最高潮。気負いなし、プレッシャーもなし。ただそこには、勝負の楽しみだけが溢れていた。勝ちたい。そして、勝てる。監督も選手も、今の状況を幸せに感じ、そして心底楽しんでいた。




次は事実上の甲子園決定戦。
三龍と南学、勝つのはどちらか。








 
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