ソードアート・オンライン リング・オブ・ハート
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11:素顔を暴けば、こんなにも
コーヒーの香りと苦味、そしてデザートの優しい甘さは俺達の凝り固まった心を解きほぐしてくれていた。
だからなのだろうか、ゴキゲンな俺達の胃袋は空腹の訴えをし始めた。無理も無いと言える。
時間はちょうど、昼時を迎えていた。
「ふふっ、すぐランチを作ってくるわね。それまではどうぞ、ごゆっくり」
と言い残し、マーブルは空の食器をトレイに載せ、鼻歌に軽い足取りでカウンターの奥へと向かっていった。
結局、彼女は終始俺達をずっと満足そうなニコニコ顔で眺め続けていた。それに気付いていた俺は少々照れ臭くもあり、そのせいでアスナ達の雑談にも生返事ばかり返してしまい、三人から顰蹙を買われてしまった。まぁ、マーブルも含めた全員が上機嫌にある事も考えれば、極めて安い代償ではあったが。
すると、ちょうど入れ替わるように。
昼にはまた降りてくるという去り際に残した言葉の通り、コツコツと階段を降りる音と共に、ユミルが戻ってきた。
「……………」
ユミルは無言で俺達を一瞥すると、まるで見なかった事のように俺達とは離れた暖炉の前の床に腰を落ち着け、曲げた膝を抱えながらその火をただぼんやりと眺め始めた。
「……ちょっと、行って来ます」
途端、シリカが膝の上眠るピナをソファの傍らにそっと置き、立ち上がった。その目線はユミルへと注がれている。
「どうした、シリカ? ……もしかして、ユミルへ何か用なのなら、無理しなくても代わりに俺が――」
「邪魔しちゃダメだよ、キリト君」
アスナが席を立ちかけた俺に向かって、小声でピシャリと言った。
「な、なんだよ」
「いいから。あんたはそこで見ててなさい」
リズベットに肩を掴まれ、無理矢理着席させられる。
俺は訳が分からないままに、シリカがユミルの元へと向かう。
ユミルは彼女が近付いているのに気付いているはずだが、わざとか顔は全く動かさずに揺れ動く炎に向けられたままだった。
「あの……ユミルちゃん」
「やめて」
「えっ?」
シリカはピクッと肩を浮かせ、対するユミルは話すのも嫌そうに眉を顰めている。
「……ちゃん付け、やめて」
「え、あっ、ごめんなさい……ユミル、さん……」
「……なに?」
ユミルは退屈そうに曲げた膝を腕で抱きしめるも、まだシリカを見ようとはしない。
「えっと……まず、ピナのこと……ありがとうございました」
ぺこりと頭が下げられる。
「ピナ……それって確か、キミの使い魔の……?」
「は、はいっ」
シリカはその問いにパッと頭を上げて嬉しそうに言うも、ユミルはまだ顔を此方に向けられておらず、少し肩を落とす。
「無事なら、いい……。それで、他には何?」
早く済ませたいのか、簡潔に言葉を続けるユミルにシリカは一瞬怯みながらも、すぐに意を決したようにぐっと胸の前の両手を握った。
「あの、それから……あたし達はユミルさんのこと、一応……ちゃんと疑ってはいますからっ」
「…………え?」
ユミルはようやく顔をシリカに向けながら、ただ純粋に意が解せない風に少し目を丸くして顔を傾げていた。
「あたし達は……あなたに犯人の可能性があると、ちゃんと受け止めています。それでもっ、あたし達はあなたと友達に――」
「待って」
意味を把握したユミルの目がキュッと細められ、険しくなる。
「キミ、よくそんな立場でボクに言えたものだって、自分で分かってて言ってるの……?」
「はい、分かってます」
対するシリカも今度は一歩も引かず、目に真剣みが灯る。
「自分勝手なのかも知れませんし、迷惑に思われてるかもしれません。それに、あたし達はユミルさんのことをまだよく知りません。だから、時と場合も構わずに友達になりたい、なんていうのは間違いなのかもしれないと思います」
「だったら……」
「――だからといって、それを無下に断るのも間違いだとは思わないかな?」
「なっ……」
いつに間にかアスナが席を離れ、シリカの横に立ち彼女の肩に手を添えていた。
それを見たユミルの目が、ますます鋭くなる。
「またキミか……。キミこそあの時、あんな目でボクにレイピアを突きつけておいて、よくもそんなっ――」
「話をすり替えないで欲しいな。わたし達は前から重ねて質問してるのに……なぜ、あなたは逃げているの?」
「…………ボクは……逃げてなんか、ないっ……!」
静かに立ち上がったユミルは、今度はしっかりとシリカ達を睨め付け、向き直った。気に触れたのか、その静かな所作に反して声は低く、ただならぬ威圧感が感じ取れるが、それに対する二人は微塵たりとも揺らいではいない。
「いいえ、あなたは逃げている。だって、あなたはわたし達の質問に答えていないから」
「…………っ」
ユミルは暫くの間アスナを睨んでいたが、その決意に満ちる姿に、これ以上の相手は無駄だと悟ったのか、表情はそのままで肩の力だけを緩めた。
「……もう何を言っても無駄そうだね」
溜息と共に吐き出されたその言葉は一見、友達になるのを受け入れたかの様ではあったが、表情を見るにそういう意味ではないのは明らかだった。
「だけど、何度問われたって、ボクの答えも変わらない。ボクは、キミ達の友達なんかにはなれない。そんな安っぽい気持ちなんかいらない。何より、ボクはそんなキミ達が……――信じられない」
有無を言わさぬハッキリとした口調で言われた言葉だったが……
それをアスナは、微笑みすら浮かべて受け止めていた。
「うん、分かった。……『今は』その答えのままでいいよ。わたし達はただ、改めてあなたの口からの返答と本意の声が欲しかったんだ。答えてくれてどうもありがとう、ユミルちゃ……ユミルさん」
アスナが軽くお辞儀し、慌ててシリカもペコリと頭が下げられる。
顔を上げた二人を、ユミルはまるで怪しい宗教勧誘の人を見るかのように、訝しそうに顰めた目で見ていた。その気持ちも分かる。
今までの話は、先程話した内容と何も差異はないものだったからだ。
「……結局、キミ達はこの会話で一体何がしたいの」
俺と全く同感だったユミルの問いに、アスナは苦笑しながら少しだけうーん、と唸って逡巡した。
「何が、かぁ……。そうだね、例えるなら……ただの決意表明、かな」
「決意表明?」
ユミルは再度首を傾げる。
それにアスナは隣人の肩をポンと軽く叩いた。それに応じたシリカが頷き、胸の前で手を握りながら答えた。
「そうです。あたし達の、あたし達による、あなたのそんな考えを変える為の表明です。だから……」
シリカは一旦息を吸いなおし、
「――……あたし達が、ユミルさんを変えてみせますっ!」
そう、宣言した。
「なっ……な、なぁっ……?」
張った声でそう言い付けられたユミルはしばし、口をパクパクさせながら目をあらん限りにまん丸にしてその姿を眺めていたが……
やがて、二人の視線から逃れるように再び暖炉へと向き直り、
「…………決意表明とか……ホントに、ワケわかんない。どうせ無駄だろうけど……もう、勝手にしたら」
と、鼻を鳴らして焚き火を見入る作業を再開し始めた。一見不機嫌なその横顔は、どこか拗ねた子供のようだった。
「はい、勝手にさせてもらいますっ」
そういい残して、満足そうになった二人は踵を返し、俺達の元へと戻ってきた。
***
ソファに座った二人に、俺は可笑しさを我慢できず笑いを漏らした。
「ハハハッ、なるほどね。何を言い出したかと思ったら……決意表明と来たか。物は言い様ってもんがあるもんだ」
「さ、流石に強引だったでしょうか……」
「些かね。端から見てて肝が冷えたわよ」
恐々と胸を撫で下ろしているシリカに、リズベットもヤレヤレと言った風に手をひらひらと振る。
「でも、これで大分ハッキリしたわね」
「うん。わたしから見ててもそう思ったもん。きっとそうだよ」
「なにがだ?」
俺が二人に問うと、アスナはふわりと笑って見せた。
「ユミルちゃんは、心の底からわたし達を嫌っていないってこと。それに、マーブルさんの言ったとおり、中身は普通の子なんだなって」
「へぇ、その心は?」
「ちょっ……『その心は?』って、あんた……」
それを聞いたリズベットは一瞬、口をあんぐり開けたあと、すぐに呆れた、と溜息をついた。
……なんだ、その人を小馬鹿にするリアクションは。
「あんたって……本ッ当、ニブいわね。だからいつまで経ってもニブチンなのよ」
「に、ニブチンて……」
再度リズベットに呆れた風にやれやれと手を振られる。
……もしかして、この中で唯一俺だけが男だから、こんなに彼女らと理解の差があるのだろうか? まさか本当に鈍いとか頭が悪いとは思いたくはないが。
「いい? こんな歪んだ世界で人と人とが疑心暗鬼になりやすい中、本当に人が人を嫌ってたら、普通あんな話にマトモに受け答えなんかしてくれないわよ? ……でもユミルちゃんは嫌々そうだったけれど、なんだかんだで改めて話を聞いてくれた。決意表明なるものを許可してくれた。……あの子が本当にあたし達を嫌ってたなら、立ち去るか、今でも無視を決め込んでたところが妥当な対応だったわよ」
「まぁ……確かに言われてみればそうかもしれないが……」
チラリと床に座るユミルを見てみれば、こちらに完全に背を向けていて表情は伺えない。
……と、その時マーブルさんがカウンター奥の扉から戻って来て、先程よりも大きなトレイを手に俺の視界を横切った。
「お待たせしました、お昼のランチよ。この人数だから、まずはこれだけ。もう一品あるから、すぐに持ってくるわね」
それぞれから感謝の言葉が続き、マーブルは手馴れた手付きでテーブルに次々と料理を並べた。メニューはホワイトブレッドにシーザーサラダ、オレンジに似た色と香りのミックスジュースだ。
それが合わせて、四人分。
「………ん? あのっ、マーブルさん」
トレイを空にしたマーブルが踵を返しかけた所で、俺は慌ててマーブルを呼び止めた。
「んもう、キリト君? 食べ盛りなのは分かるけど、男の子がそう急かさないの。最後の一品なら、持って来たときのお楽しみよ」
「あっ……いや、そうじゃなくて……」
くるりと此方に振り返った後、腰に手を当て、唇に人差し指を立てた仕草に一瞬胸を打たれつつも、頭に鞭を打ち、クールさを装う。
「その……ユミルの分は、どうしたんです?」
途端、マーブルさんの顔が僅かに曇り、立てた指が降ろされ、トレイを胸に抱く。
「……そうね。出来るなら、どうしたってそうしてあげたいのだけれど……」
「マーブルさん、もしかして……」
察したアスナの言葉にマーブルは頷く。彼女はあくまで笑顔をしようとしているが、眉が八時になったままだ。
「大体想像は付いたかしら……? あの子は、ここの食べ物もどうしても食べてくれないの……。まともに食事をしたところも見たことないから心配で、お金は要らないからって作ってあげもダメだったわ……。あの子、むしろ申し訳なさそうに涙目になっちゃって……。だから、もう作ろうにも作れないの……。ごめんなさい、私じゃどうにもできないけれど……でも、あなた達のお腹なら満たせるから。どうかせめて、ここに居る間だけは楽しんでいってね。……それじゃあ、すぐ続きを持ってくるから、待ってて」
マーブルは申し訳なさそうにペコリと三角巾を下げ、再びカウンターの奥へと姿を消していった。
辺りを見ると案の定、三人はサラダなどに舌鼓を打って笑顔であろうと努めているが、その顔色が暗澹となりかけていた。
マーブルも笑っていなくちゃと言っていたが、早々で全員がこの様では先が思いやられること必至だ。
俺は強く思う。
――やはり……ユミルと、マーブルも含めた俺達は『現状の関係』を打破しなければならない。
だが、ついさっきもアスナ達が再三優しく声をかけても……曰く、手応えは僅かにあったらしいが、何度言っても門前払いに終わってしまった。……それなら。ならば、だ。
なら、いっそ……
「…………ふむ」
俺は軽く息を吐露し、席を立った。
「キリトさん? 食べないんですか?」
シリカ達が不思議そうに見上げる視線に、俺はニヤリと笑ってみせた。
「いや、すぐ戻ってくるよ。……さっきはシリカ達が頑張ってくれたからな。――次は、俺の番だ」
「……え? あ、あのキリトさんっ?」
困惑する三人をその場に置いておき、俺はユミルの居る暖炉の方向へと歩き出した。
前回のシリカの時と同じく、床に体操座りしている彼女は、俺が近付いてもまったく反応を見せず、あえて無視している様子で、強いデジャブを感じる。
だが近付いて見てみると、先程と違う点が一つあった。
ユミルは懐から小さな袋を取り出しており、その中身を指でつまみ出して口に運んではちびちびと齧っていた。ユミルの口元からカリコリと硬い何かを咀嚼する音が、僅かに俺の耳にも聞き取れる。
誰かが作った料理すらも拒んでいるから、自分で調達した食材のみを食べている……ということか。
「……今度はなに?」
「おっ」
少し驚いた。視線は炎に注がれたままだが、あちらから先に声を掛けてきた。……当然、心底うんざりとした表情と声色ではあったが。
「いや、何食べてるのかなー、と」
「……………」
表情はそのままに、じっとりと目を見事なジト目にさせ、鼻の溜息と共に、実に怪しむ視線で俺を見上げた。
……シチュエーションさえ違えば、それも陰鬱そうながらも可愛らしくある仕草なのだが……今はそういう場合ではない。
と……
「うおっ?」
ユミルが小袋から新しくつまみ出した謎の小粒を指で弾いて、こちらに放ってきた。俺は慌てて両手で受け止める。
見てみればそれは、何のことはない木の実だった。ただ、見たことのある種類ではなかった。枝豆の実に似た大きさと形状で、表面も滑らかだが……色は明るい黄色だ。香りも微かな柑橘系のようだが……まるで味の想像が付かない。
「コレ、くれるのか?」
鼻を鳴らして、目を逸らされた。
……まぁ、つまりはそういうことなのだろう。
俺は木の実の表面を軽く指先で触れ、ウィンドウを表示させてみる。
システムの解説によると、これは《ココリの実》という名の木の実で、この階層全域でのみ採れる特産品のようだ。味の表記はされていない。物は試しにと早速口に放り込み、噛み砕いてみる。
予想通り、果肉というよりも、ナッツやキャンディに近いカリッとした硬い歯応えがあるが、噛んだ途端に果汁が迸る実に瑞々しい食感で――
「――くぉっ!?」
次の瞬間、尋常ではない刺激が俺の舌を襲った。
……なんと言えば良いのだろう。
酸い。
とにかく酸っぱい。
例えるなら、レモンとグレープフルーツの果汁を混ぜて、限界まで濃縮させたかのような……強烈な酸味が果肉と果汁から、これでもかとダイレクトに味覚を舌に伝えていた。おまけに噛み砕く前とは比較にならない酸っぱ過ぎる香りが俺の鼻腔を駆け抜け、ツーンと思わず視界が涙で薄くにじむ。
だが……刺激に慣れてくると、この独特な食感も相まって、実にフルーティな果実だ。確かにクセになる人もいるかもしれない。
気付けば、俺のリアクションを予想していたのか、ユミルにフフンと軽く鼻で笑われた。
…………だが落ち着け、桐ヶ谷和人。俺はここで怒るようなガキではない。
「……美味しかったよ、ありがとう。ユミル」
この風味にも負けない位に爽やかに笑って見せるも、語尾が僅かにブレたのは強い酸味で喉が引き攣ったせいだ。ああ、間違いない。
「……それで? どうせキミも、何か下らない事でも言いに来たんでしょ、《黒の剣士》?」
「……その二つ名で呼ばれるのは好きじゃないんだ。名前のほうで呼んでくれると嬉しいな」
キリトだ、と改めて名を伝え手を差し出したが、ユミルはそれに一顧だにせず、怪しむ目でひたすらに「用件はなに?」と問いかけていた。
「本当に無愛想だな……分かったよ」
俺は溜息と同時に手を引っ込め、問いかけた。
「……どうしてマーブルさんの料理を食べないんだ? やっぱりそれすらも信じられなくて……もしかしたら、自分を貶める毒が仕込まれているかもしれない……とでも疑っているのか?」
問うたその瞬間、ユミルの気に障ったとばかりにギロリと睨まれる。
ジト目の時も少しばかり感じていたのだが、こうして直に睨まれると、本来の可愛らしい目の形から一気に鋭くさせられるギャップが大きい為か、ひどく不似合いに感じられる。それが何故か、俺の胸の奥で微かに悲しい余韻を残した。
「……別に、マーブルの場合は毒が入ってるとかは思わない。それ以外の人のは……その通りだけど」
「じゃあ、何故マーブルさんだけ別なんだ? ……ある意味では、彼女だけは……信用してるのか?」
「違うよ」
少し期待をして問いかけたが、間髪入れない即答が帰ってきた。
そしてまるで愚か者を見るかのように、目の鋭さと威圧感が消えた代わりに、冷ややかに細められた視線が俺へと注がれる。
「マーブルにはもう、これ以上借りを作りたくないだけ」
「借り……宿にはいつも泊まっているのに、か?」
「マーブルはボクの事を常連だなんて呼んでたけど、別に毎日泊まってる訳じゃない。普段は一人で野宿してる。ここへ来るのはせいぜい三日に一度程度だよ。……もっと間隔を空けたいんだけど、一度何日も行かなかったら、村からかなり離れた森の中だったのに、遥々ボクを探しにきたときは驚いたかな……。だから、少しくらいは顔を出してる。まったく……正直、迷惑だよ」
「…………お前……マーブルさんがそこまでしてくれて、本当に迷惑だと思ってるのか」
ユミルの心無い言葉に、俺は湧き上がってきた苛立ちと憐れみを抑えきれず、言葉に僅かにそれらの感情を含ませてしまった。
するとユミルは、俺の顔をジロリと目を細めて覗き込んだ後、酷く不愉快そうに目尻をピクピクと引き攣らせた。
「……さっきの二人といい……なんでキミ達は揃いも揃ってボクをそんな目で……! そんな憐れむ様な目で、ボクを見ないでよ……!!」
それからすぐに目をサッと逸らされ、視線が炎へと逃げさせられる。その髪が一瞬宙を舞い、サラサラと戻っていく。
「なぜだ? お前は、誰がどう見ても、こんなにも憐れだ。心に血の通った奴なら、誰が見たってお前をそう思うだろうぜ」
「違う……! ボクはそんな奴じゃない……ボクはもう、誰とも接したくないだけなんだ! 同情も、哀憫も、憐られもされたくない人間なんだ! だから、もう……ボクを放っておいてよ……!!」
ガリリッ、と口に含んでいた果実を一気に噛み砕く音が聞こえた。その口元はもう何度も垣間見た犬歯が覗き、食いしばられている。
「…………ユミル、お前は本当に可哀想なヤツだな。……小さく、弱くて、女々しい。……なぁ、ユミル、俺にはお前が――」
その時だった。
「――いま……て…った」
俺の言葉は、ユミルの小さく低い声の呟きによって遮られた。
「え?」
よく見れば、抱きかかえられた麻のボロズボンの握り締められた膝の部分の皺が大きく広がり、わなわなと肩が震えている。
そして……
「――今、なんて言ったッ!?」
「うわっ!?」
急に立ち上がったかと思えば、ずんずんと俺に詰め寄り胸倉をぐわしと掴まれ、鼻と鼻を突き合わせるように、背伸びして顔を押し付けられた。
文字通り眼前に迫るその可憐な顔は怒りに歪み、エメラルドの目には憤怒の炎が轟々と燃え盛っている。
「黒の剣士ッ!! さっき、ボクになんて言ったんだよ!?」
「あ、あー……えっと……」
「どうなのっ!? 答えてよっ!!」
肩だけでなく、桜色の唇すらも怒りに細かく震えている。余程ご立腹のご様子だ。
そんなユミルを見て俺は半ば呆気にとられつつも、脳裏ではこう思っていた。
……こいつはラッキーだ、と。
つい、心の中で千載一遇を確信した指パッチンを決める。
淀んだ関係を構築してしまったユミルと俺達だったが、ではもういっその事……彼女をひたすら挑発して、今の関係を垣根からぶち壊した方が得策だと俺は考えていたのだ。
アスナ達曰く、彼女が見た目通りの疑心暗鬼に捕らわれた不信症者ではないとしたら、この際コミュニケーションがとりづらい今の関係よりも、まだ敵対関係にあるほうが、彼女の事を知るには格段に良い関係だ。互いに疑い疑われ、気まずい雰囲気での現状維持を続けるよりも、睨み合い、時には小突き合っていれば、彼女の素性も自ずと見えてくるだろうと踏んでいたのだ。
だがまさか……今の発言のどの単語が逆鱗に触れたかは分からないが、よもやこんな展開でユミルの気が引けるとは思わなかった。
ニヤニヤと口の端が釣り上がりそうになるのを、今は必死に抑える。
「……ああ、確かに言った。お前は実に可哀想だ」
「そんなことはどうでもいい!! その続き!!」
すぐそこにある彼女の口から発せられる怒声が、吐息ごと俺に叩きつけられる。仄かな柑橘系の芳香まで香ってきており、心にまだ余裕のある俺は鼓動が高鳴りかける。
「可哀想なのはまだ、まだよかったにしてもっ……あまつさえボクが弱いという発言に加えて、ちっ、小さくてっ……め、めっ……女々しいだって!? キッ、キミ達はマーブルの客でもあるから、我慢してたけどっ……もう許せないッ!!」
ユミルは見る見るうちに顔を真っ赤に茹で上がらせ、俺を手で押し出して突き放したかと思うと、そのまま指をビシッと突きつけた。
「表に出て、黒の剣士!! キミを完膚なきまでに叩きのめして、ボクがそんな人間じゃないって所を見せてやる!!」
「ふっ……ふくくっ」
まさかの願ってもない展開の連続に、俺はついに込みあがる爆笑を堪えきれず、腹を押さえてそれを口から僅かに漏らしてしまった。
関係の打破に加えて、今度は決闘にてユミルの戦闘力についての情報を得られる絶好の機会を提供してくれると来た。
こんな予想以上の好結果に、笑わずしていられるものか。
俺の漏らし笑いを聞いたユミルは……ほんの一瞬だけ泣き出しそうな顔になり、しかし直後、火山が大噴火したかのように顔を真っ赤にして激怒した。
「な……なっ……なにが可笑しいっ!! ボクは真剣に怒ってるのに、キミって奴は、本当にっ……!!」
「アハハハッ……い、いやすまない……ははっ。よし分かった。その挑戦、受けようじゃないか。ただし……」
未だ込み上げる笑いを堪えながら、俺もユミルを人差し指で突きつけ返す。
「もし俺が勝ったら、俺を……いや、俺達を、ちゃんと名前で呼ぶこと」
「なっ……!? なんでそんな条件になるんだよ!?」
「おっと、決闘を頼み込んできたのはそっちだぜ? 別に俺はお前の挑戦を却下して、今すぐにでもランチタイムに洒落込むことも出来るんだが」
「くっ!? そ、それはっ………う、ううっ……!」
ユミルは悔しそうに歯を食いしばり、俺に突きつけていた右手を胸の前で握り締め、肩を震わせながら涙目で俺を見上げ始めていた。
流石に年下の子供に言い過ぎたか……と若干罪悪感がしないでもないが、言い始めた此方も最早引き下がる事は叶わない。
「…………じゃあっ、ボクが勝ったら、ボクに土下座して今までの全てを謝って! ボクを疑ったことも、侮辱した事も何もかも全部!」
「ああ、いいぜ。それじゃあ条件追加だ。俺が勝ったらお前の武器やアイテム、スキル及びステータス情報を洗いざらい見せてもらおうかな」
「ちょっ……ちょっと待って! なんで勝手に追加してるんだよ!? この決闘は、ただボクがキミの思ってるような人間じゃないってトコを見せ付ける為にっ……」
「腹減ったな、そろそろ席に戻るか……」
「くっ、うぅっ……!」
ちなみに。
目をソファの方へと向けた先に居るアスナ達は、最初から俺達のやり取りを聞いていて、当初は俺の突然の行動にひたすらあたふたと困惑し、ユミルが怒り始めた所から青い顔でオロオロし始め、今では口をポカンと揃って空けたまま、ただ此方を見ているだけだ。
こうなったからには、もう後は俺達二人の売り文句に買い文句がひたすら続く。
「じゃあボクは、勝ったらキミの有り金を全部貰う! これでどう!?」
「全然オーケーだ。じゃあ俺が勝ったら、ユミルには今後、俺達のパーティーに参加して、この後の狩りに一緒に出掛けてもらう」
「なっ、なんでそんな事までっ……!」
「あー、そう言えばそろそろランチのメインも来る頃だな……。おーいアスナー、そのサラダ美味いー?」
「うぎっ……う、ううぅ~っ! ……も、もう気が変わった! ボ、ボクが勝ったら……マーブルには悪いけど、キミ達にはこの宿から出て行ってもらう! もう話しかけてこないで! 顔も金輪際、見せないでっ!!」
「ああ、分かった。じゃあ俺が勝ったら……そうだなぁ、これはこっちの出費で構わないから、そのボロ服を着替えてもらおうかな。悪いけど正直、その格好は痛々しくて見てるこっちが耐えられないよ。せっかく親からいい容姿貰ってるんだから、もっと相応な召し物を羽織るべきだぜ?」
「よ、余計なお世話っ! ボクが勝ったらその冴えない身ぐるみも頂いて、マーブルに売りつけてボクの武器代の足しにしてやるから!」
「いいぜ。じゃあ俺が勝ったら……――今晩、俺達と一緒に晩飯を食べよう」
「じゃあボクが勝ったら……!! ――って…………え?」
ユミルの目の業火が一瞬で鎮火し、キョトンとした目を向けられる。
「聞こえなかったか? ……もし俺がこの決闘に勝ったら、ユミルは俺達と一緒にディナーを食べる。……おっとそうだ、ココリの実はナシだぜ。ちゃんとマーブルさんの手料理を味わってもらう」
「は……? なんで、そんなの……」
ユミルは僅かに左右に頭を振りながら、意味不明だと言わんばかりに困惑した顔で呟いた。
俺は笑みの種類を不敵な笑みから、優しめなそれに変える。
「なんでって、そんなの決まってるだろ? ただ単に、俺が……いや、俺達がそうしたいからさ。……決闘を挑んで来たからには、ノーとは言わせないぜ?」
「――――――。」
ユミルは絶句したまま、あらん限りに目を真ん丸くして、ただただ純粋に驚いている。
こうして見ると、先程アスナが微笑みながら、ユミルは根は普通の子と言っていたのも、まんざら当てずっぽうではなかったらしい。
そう。今に思えば……ユミルは、ひとたび素顔を暴いてみれば、こんなにも……
――こんなにも、表情豊かだからだ。
俺達に見せた表情は、怒ったり沈んだ表情こそ多いが……今回の俺との会話のように、陰鬱そうだったジト顔が突然爆発したかのように怒り狂えば、子供さながらに涙目で悔しがり、そして今ではこんな風に無垢にキョトンと驚いている。
表情に乏しいと自負している俺が言うのもなんだが、ここまで純粋で激しい表情の切り替えを出来る人は、意外とそうは居ない。居るとすれば、それはよっぽど感情にまっすぐな素直で子供のような人間か、よっぽど悪徳を極めて熟達した詐欺師のどちらかなのだが……ユミルの場合、後者はもはや有り得ない。
何故ならば、ユミルは俺達の目の前でピナを……俺達にとってはかけがえの無い仲間の相棒であり、ユミルにとってはたかが赤の他人の使い魔一匹である小竜を、身を呈してまでして救ってみせたからだ。
俺もようやく納得した。アスナの受け売りになってしまうが……きっとそうなのだ。
――ユミルは、思っていたほど悪い奴じゃないのかも知れない。
俺個人の本音を言うと、これはこれで可愛いヤツだとすら思う。
………………。
「……………」
「……………」
と、ユミルの無言がやたらと長く、そろそろ顔の前で手でも振ってやろうかと考え始めた頃、
「…………分かった。その条件でいい」
顔を真面目にさせ、頷いてくれた。
「お、言ったな。二言は無いな?」
「無い。絶対……ボクが勝つんだから」
確固たる自信を孕んだ真剣味溢れる発言に、つい不適に微笑んでしまう。
――敵味方に関わらず、こういう顔が出来る奴は……俺は嫌いじゃない。
「よし、決まりだな。どこでやる?」
「ついてきて」
ユミルは待っていたとばかりに踵を返し、ツカツカと足早に外への扉へ歩き出し、俺も後に続く。が、
「ダーメ♪」
と出口の一歩手前で、真横から優しい制止の声が掛かった。
すぐそばのカウンターに、戻ってきたマーブルさんが俺達二人をニッコリと見据えていた。
「何やら物騒なお話になってるみたいね、ユミルにキリト君。ケンカはダメよ?」
その問いかけに俺は軽く笑って見せ、
「いえ、これからユミルと仲直りしに行くんですよ。もし俺が勝ったら、ユミルは晴れて俺達の仲間入りです。しかも加えて今宵の晩餐は一緒にディナーも食べてくれるそうですよ」
と答えると、マーブルはわざとらしく合わせた両手を頬に添え、軽く首を横に傾けた。
「まぁステキ。本当なの、ユミル?」
「ち、ちがっ……! とにかくっ、ボクらはこれから外に出るからね!」
「だから、ダーメっ」
マーブルはカウンター越しに手を伸ばして、ユミルの額を指で軽く『めっ』と小突いた。
「な、なんでっ」
つつかれた額を押さえながら、半ば涙目になりながら訴えるユミル。それを眺めるマーブルはどこかとても嬉しそうで、
「今からランチタイムなのよ? キリト君達には、これを冷めない内に食べてもらわないと困るもの」
と、カウンターの木のテーブルに、先程の大きいトレイが置かれた。その上には、湯気を立てて実に美味そうな半熟玉子にケチャップ風ソースのオムライス。
「欲しいなら、ちゃんとユミルの分の食材もあるから、すぐに作って来てあげるわよ」
「い、いらないっ……いいから外に出してよマーブル! ランチなんかよりも大事な事なんだよっ!」
手料理をいらないと言われたマーブルさんだが、あえておどけた風に眉を潜ませ、困った風に立てた指を頬に当てた。
「あらそう? そこまでどうしてもって言うなら、別に出かけてもいいけれど……」
ここでわざとらしく首を傾げて、
「――あなた、そのスッカラカンの背中で、一体何を手に戦うの?」
「え」
ユミルは一瞬何のことか分からない風に目を顰め、すぐ目を丸くして背中をまさぐるが……それは、ただ空を掻くだけに終わっていた。
「「…………あ」」
偶然にも、俺とユミルの声が完全に一致した。
言われて俺も気が付いた。ユミルは自前の昼食を摂る為に一階へ降りた為、背には武器を背負っていなかったのだ。
その事に気付かず、ユミルは武器も持たず外へ出歩こうとしていた。
ユミルのリアクションを見るに、恐らく武器はストレージに仕舞わず、二階の個室に設えてある武器立て掛け棚か、チェスト箱の中にでも置いてあるのだろう。武器の置き忘れは、SAOで宿を定期的に利用する者なら、まず一度はうっかりしてしまう事の一つではある。
「まぁまぁ、ユミルってば、心機一転して素手のファイター目指してたのー? お姉さん知らなかったわー♪」
「うぐっ……!」
マーブルは意地悪い笑みでユミルを見つめ、対するユミルは背中を手でまさぐるポーズのまま硬直し……
「うっ、う、うううっ…………ううぎうぅぅうう~~~っ……!!」
やがてみるみる顔を羞恥と屈辱に赤くさせ、下睫毛に涙を溢れんばかりに溜めていっていた。
かと思えば。
「しょっ、勝負は一時間後に村の南門っ!! マーブルのバカバーカ!! うぅぅううぅっ……!!」
そう叫び残し、目元を腕の袖で隠しながら凄まじい勢いで二階へと駆け上がっていった。すぐにガチャバタンッと派手に扉がほぼ同時に開閉される音が届く。
「ああ、本当に可愛い……。うふふふふっ」
マーブルは口を手で隠しつつも、実に愉快そうに笑いに肩を揺らせ、その姿を見送っていた。
「マ、マーブルさん……あんた……」
俺は彼女を横目で見る。すると彼女は実にわざとらしく心外そうに手を広げた。
「あらやだ、私は本当に嬉しいのよ? あんなユミルを見るのは……初めてだもの♪」
「だからって、今のは意地悪過ぎますよ……」
俺のジト目をマーブルはしれっとスルーして、オムライスを乗ったトレイを俺に持ち上げてみせた。
「そんなことより。ホラ、もう食べましょ?」
後書き
マーブルさん、マジ策士。
現在容疑者となっているマーブルですが、今回の最後に、彼女は自ら被った「容疑者」という立場にめげず、いつもの陽気なテンションでユミルをからかい、決闘を中断させたのは彼女なりの理由があります。
それは、いかにキリト達に感づかれずに、ユミルを落ち着かせられるか、ということ。
今のユミルは頭に血が上り、対するキリトも今は行け行け調で、二人だけで急ぎ決闘へ出向こうとしている。そこを心配しない彼女ではありません。
そして、あえて周囲からは、自分は本心からおどけているように見せ……その実、自身のユミルに対するその心配、気遣いをキリト達にも悟らせない。
ある意味では、とても大人な立ち回りでのたしなめ方だったのでした。
早速相宮先生から感想を頂いて、ちょっと補足がてら解説してみました。
いやはや、私もいつも読者側になったつもりで読み返し推鼓するのですが、やっぱ本当の読者に読んでもらうのが一番ですね。
みなさん偉大ですわ……
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