万華鏡
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第六十八話 秋深しその四
「別にね。ただイメージで」
「私恋愛もののイメージじゃないの」
「ファンタジーとか冒険ものとかね」
「確かにどっちも好きだけれどね」
それと共に恋愛ものもだというのだ。
「まあそっちもね」
「そういうことね」
「そう、だからね」
「恋愛ものも読むのね」
「そうなの。じゃあ読むから」
こうしてだった、琴乃はトリスタンとイゾルデを読むことにしたのだった。とりあえず五人共自分が読むべき本を読んでいった。
そしてだ、琴乃は次の日部活の朝練の時に里香にこう言った。
「トリスタンとイゾルデ読んだけれど」
「どうだった?面白かった?」
「面白かったわ。ただね」
「ただ?」
「何ていうかね」
読み終わった感想をだ、琴乃は部室の前でジャージ姿で柔軟体操をしながら自分と同じく準備運動をしている里香に話すのだった。
「悲しいわね」
「二人共死ぬからね」
「トリスタンとイゾルデがね」
「そうよね。けれど死んでも」
「それでもね」
琴乃は里香の言いたいことはわかっていた、それでこう言った。
「それで愛が成就したのね」
「そうなの、二人の死でね」
「ううん、死によって成就する愛ね」
「そうした愛の形もあるのよ」
「考えさせられたわ、いい読書感想文書けようよ」
「つまり読んでよかったのね」
「ええ、よかったわ」
その通りだとだ、琴乃は微笑んで里香に答えた。
「読んだ価値があったわ」
「トリスタンとイゾルデは元々歌劇なのよ」
琴乃が読んだのは脚本を読んだのだ、三幕のそれをだ。
「だから音楽が常に演奏されていてね」
「台詞のところは全部歌ね」
「そう、歌なのよ」
「オペラだからね」
「疲れるのよ、これが」
里香はここでトリスタンとイゾルデのこのことを話した。
「精神的にね」
「気力使うのね」
「そう、前にも言ったけれど」
「そんなに気力使うの」
「相当にね。聴き終わったら」
その時はというと。
「もうへとへとになってるから」
「読むのはすぐだったけれど」
「それが聴くとまた違うのよ」
歌劇は総合芸術と呼ばれている、その全てと向かい合い最後まで聴くと精神的にかなりの疲労になる。特にワーグナーの場合はそうなのだ。
「四時間聴いてね」
「もう終わったら」
「へとへとだから」
そこまで疲れているというのだ。
「相当な作品なのよ」
「ふうん、そんなに聴くと疲れるの」
「他の歌劇の作品より疲れるわ」
トリスタンとイゾルデを聴くと、というのだ。
「あとね」
「あとって?」
「トリスタンを歌える人も少ないのよ」
「えっ、そうなの」
「テノールでもワーグナーのテノールは特別なの」
里香は琴乃にこのことも話した、ワーグナーの音楽世界における革命はテノールに対しても大きく発揮されたのだ。その革命の産物はというと。
「ヘルデン=テノールっていうテノールで」
「ヘルデン=テノール?」
「そう、バリオンみたいに低い声域だけれど輝かしい声を出すの」
そうしたテノールだというのだ。
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