打球は快音響かせて
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高校2年
第三十話 決め球
前書き
安曇野陽一 内野手 左投左打 175cm70kg
出身 水面・大塚シニア
旧チームではベンチ入りを争った。守備は上手くないが、その打撃は侮れない。ヤマを張って決め打ちする。
第三十話
「あいつら、全然通用しとーばい」
「やな。あの海洋とこんな接戦しよるけんな。」
三龍応援席では、引退した3年生が口々に語る。
回は5回を終わって、今はグランド整備中。三龍対水面海洋の準決勝は、3回に一点ずつを取り合った後、お互いチャンスはあったものの後一本が出ず、1-1の同点のまま前半戦を折り返した。
「え?でも俺ら5回の時点では5-0で勝ちよったで?」
夏の大会では1番センターを打っていた柴田が、おどけながら言う。
「まぁありゃ、城ヶ島から取った点やないけんな〜」
「そうそう、結局城ヶ島にはしっかり完封されたけん、あっちがハンデくれたようなもんやけん」
「おいおいやめーや、あの打たれた奴も今日ここ居るかもしれんけん!」
「確かに!絡まれたら怖いもんな〜」
同じ3年生が夏の大会を“思い出”として語る様子を見て、主将だった林は少し複雑な気分になった。自分はまだ話したくもない。今でも、あの試合に勝てていたらと思う。もちろん、あの試合に勝ったからと言って甲子園が決まっていた訳ではないし、次の試合であっさり負けていたのかもしれないのだが、そんな事はどうでも良い。海洋に勝ちたかった。名のある強豪に勝って強さを証明したかった。負けた思い出より勝った思い出が欲しいのは、ごくごく自然の事だろう。林はぎゅっと拳を握った。
勝てよ、お前ら。
「サタデーナイトいくでお前らー!声出してこーでー!」
ベンチ外の現役部員に混じって、夏の大会の時のように応援をリードする牧野が声を上げた。
林もメガホンを手に取り、大声を出す。
「「「さぁ行こうぜどこまでも
走りだせ 走りだせ
輝く俺たちの誇り 三龍 三龍
うぉ〜お〜お〜お〜
うぉ〜お〜お〜お〜」」」
ーーーーーーーーーーーーーーー
<6回の表、水面海洋高校の攻撃は2番セカンド安藤君>
グランド整備のインターバルが明け、試合が再開される。6回の海洋の攻撃は2番の安藤から。4回、5回と海洋打線は1人ずつランナーを出していた。
(ボール球になるスライダーを2巡目からしっかり見てくるようになったのはさすが海洋だよなぁ。一試合かけてもクルクル回り続けるチームもあるのに。)
宮園は気を引き締める。この回が大事だ。夏の大会では、グランド整備明けの6回に反撃の糸口を掴ませてしまった。この回は2番、3番と左打者が続き、4番には主砲の江藤も控えている。
(美濃部の決め球がスライダーってのはもう十分分かっただろう。ここからは違う球も混ぜていく。)
2番の安藤を追い込んだ後、宮園はそのボールのサインを出した。美濃部は頷き、大きく振りかぶって投げる。
(真っ直ぐ!)
少し甘めに入ってきたボールに、打者の安藤は食らいつく。が、バットの手元でそのボールは落ちた。
(あ……)
カキッ!
打球は高々とファールゾーンに上がる。
捕手の宮園がいち早く落下点に入り、空を仰いでキッチリと捕球した。
「ホームランもよう打たんお前如きが打ち上げてどないすんねんアホ」
すごすごとベンチに帰る安藤とすれ違いざま、次打者の川道は悪態をついた。安藤は首を傾げながら川道に言った。
「違うんです。何か手元で落ちたんですよ。これまでに無い球っす。」
「ふーん。落ちたんか。分かった。」
川道は安藤の言葉に頷いてゆっくりと打席に向かう。3番、捕手、主将と海洋の柱を担う川道の登場である。
(安藤はあんな驚いとったけど、でも球の下打ってキャッチャーフライなったって事は、初見でも普通に対応できる落差しかないっちゅーことや)
川道はチラ、と捕手の宮園の方を見た。
川道の事をマスク越しに観察していた宮園と目が合い、にぃ、と笑う。
(ここでフォークか何か知らんが球種増やして目くらましにする気やろけど、たかが三龍が俺ら海洋打線にホンマの決め球を出し惜しんでくるとは思えやんわい。つまり、ここまで投げんかった球っちゅーんは、元々そんなに使える球やないって事や。)
マウンド上の美濃部が投げる。ボールは真っ直ぐやってくると見せかけて、手元で少し落ちる。
(で、そんな“使えん球”を無理に投げてくるなら、そらチャンスボールにしかならへんで!)
川道はその落差にしっかりアジャストし、左打席から払いのけるようにして打った打球はライナーになってセンター前に弾む。海洋打線のヒットはこれで3本目。勝ち越しのランナーが出塁した。
(川道の奴、ホンマにランナー欲しい所では必ず塁ば出よるな。これでキャッチャーやなかったら、1番を任せたいんやが……)
海洋ベンチでは高地監督が最前列に出てくる。一点を争う展開になりそうなこの試合、どう攻めるか迷い所だ。
(足の速い川道やから走らせてもええんやが……しかし格下の三龍相手に、同点の場面でバタバタと仕掛けるんはみっともない。キャッチャーの肩もええし、失敗したら相手を調子づかす。こちらの方が層の厚さ、戦力は上やけ、焦ったらいけんのや)
高地は打席の4番・江藤に目力を送って気合を入れた。江藤はしっかりと頷く。
(頼むで、4番。お前に任した。)
一死一塁の場面。
ノーサインで送り出されたのは海洋の4番・江藤。この試合でもヒットを一本放っており、打撃の安定感は強豪の海洋でも1番である。
(ここはやっぱりゲッツーが1番いけんわな。相手もスライダーPやし、引っ張りにかかったらいけん。)
江藤の狙いは右方向。その狙いをキッチリと遂行すべく、アウトコースに来たスライダーを手元まで引きつけ、チョンと軽くバットを出した。
例え軽いスイングでも、バットの芯に当たった打球はライナーとなって一、二塁間を切り裂いていく。
(俺は4番やけど、このチームは俺の他にもスラッガーばたくさんおる。つないでいくんが、敵さんとしちゃ1番苦痛なはずよ。)
あくまでも謙虚。海洋の4番を打つ力を持ちながら、自分で決めにかかるような気負いが無い事が江藤の好打を支えている。
一死一、二塁。この試合初めての連打で、海洋の勝ち越しのチャンスは更に広がる。
「タイムお願いします!」
守りにつく三龍ナインは、たまらずタイムをとってマウンド上に集まる。この試合の山場。流れがどちらに傾くかの、これが分水嶺だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「打たれてない球を疑うな。」
ベンチから伝令に走ってきた翼が、開口一番そう言った。三龍の内野陣はポカンとする。
「あ、これはバッテリーへ伝えろって、監督が。」
宮園はベンチの浅海を見た。浅海はこのピンチにも、表情一つ崩さずに毅然とした態度で細い腕を組んで立っていた。
(……確かに、スライダーがクリーンヒットにされたのは今の江藤が初めてだな。ボール球に手が出にくくなっただけで、ヒットにはされてない。)
宮園はハッとした。視線をマウンドにあつまった仲間達に戻し、語りかける。
「よし、ここはスライダー勝負だ。一、二塁間、多分狙ってくるぞ。強い打球しっかり止めろ。」
「「オウ!」」
「三遊間、ひっかけた打球来るぞ。緩いゴロはアウト一つずつ取れればいい。」
「「おっしゃー!」」
「美濃部!絶対止めるから、遠慮せずに投げてこいよ」
「……元からお前に遠慮した事なんて無いけ。」
マウンドに集まった6人の内野陣が、それぞれ腹をくくった。最後に渡辺が声を出す。
「勝つぞ!」
「「「オウ!」」」
マウンド上の円陣が解かれる。
このピンチの守りに、それぞれ散っていった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
<5番サード西市君>
海洋の勝ち越しのチャンスで打席に向かうのは5番打者の西市。懐の大きな構えで雰囲気のある強打者だ。
「さぁーいきましょー!」
「「さぁーいきましょー!」」
「さぁーいきましょー!」
「「さぁーいきましょー!」」
海洋応援席からは「さぁいきましょう」の大応援。ここまで湿り気味の猛打爆発に期待がかかる。
(安藤はフォークみたいなん来たって言いよったし、今江藤はスライダー打ったけ、配球もボチボチ変えてくるとか?)
西市は様子を見る。この場面での初球は、いきなり外のスライダーから入ってきた。
「ストライク!」
球審の手が上がり、西市はふーんという顔でマウンド上の美濃部を見る。
(打たれた球を続けてくるとは、度胸あるばい。てっきり、真っ直ぐでくるもんかと…)
美濃部は捕手の宮園からボールを受け取ると、サインを覗き込み、ゆっくりとセットポジションに入る。息をひとつついてから、思い切り良くその右腕を振り抜いた。
カンッ!
「ファール!」
2球目もスライダー。西市は今度は手を出し、ファールにする。
(なるほど、このピンチではスライダー頼みか。)
西市も美濃部のスライダーに完全に的を絞った。
3球目はインハイにストレート。これは大きく外れてカウント1-2となる。
(一球内見せて、来るで、スライダーが)
西市が4球目を待ち構える。
そして美濃部は、西市が待っているそのスライダーをまた投げ込んだ。
手元でガクッと軌道が折れ曲がり、右打者の目線から逃げていく。
ブンッ!
「ストライクアウトォ!」
外低め、ストライクゾーンに来たスライダー。
しかし、“待っていた”はずの西市はそれを空振りした。
(今の一球、めっちゃ曲がらんかったか!?)
西市は悔しさよりもむしろ驚きを顔に浮かべてベンチに帰っていく。マウンド上の美濃部は拳を握りしめ、大きな声で吠えた。
(おい!ストライクゾーンに来たスライダーくらい何とかせぇや!待ってたボールとちゃうんかえ、このアホ!)
二塁ベース上では、川道が心の中で悪態をついていた。塁に出てチャンスを作っても、帰してくれない事にはどうしようもない。
カキッ!
(くそっ!狙ってたスライダーなのに…)
二死一、二塁と変わって打席に入るのは6番の穴井。穴井もこの秋ホームラン2本をマークしているスラッガーだが、しかし美濃部のスライダーを捉え切る事ができない。
(……中学ん時に覚えて、俺を地区大会まで連れて行ってくれた球やけん、このスライダーは!)
愚直なまでに得意球を投げ続ける美濃部。
そこにあるのは自分のスライダーへの信頼、自信。そして気迫。体の小さな美濃部にとって、この変化球こそが投手としての命である。自分自身の命を、そのまま打者にぶつけていく。
(打たせる訳にはいかんのやァー!)
セットポジションから、体のバネを生かしたようなフォームで右腕を振り抜く。少し縫い目をズラした握りで、リリースの瞬間に中指で球を「切る」。
ブンッ!
「ストライクアウトォ!」
「うらっしゃぁあああ!!」
6番穴井のバットは、5番西市に続いて空を切る。
このピンチを連続三振でくぐり抜け、美濃部は言葉にならない声を上げる。穴井は天を仰ぎ、海洋ベンチでは高地監督が顔をしかめてボヤいていた。
「美濃部、ナイスピッチ!」
「当然よ!打たれると思ったか!」
三龍ベンチではバッテリーがハイタッチ。
後ろを守っていた野手も、ベンチで見守っていた控え選手も美濃部の会心のピッチングに酔いしれていた。
(不意をつかれたんでも裏をかかれたんでも何でもなく、狙うてたのに打てへんってかえ……)
二塁ベースに釘付けになった川道は、チッと舌打ちを漏らした。
(それじゃまるで、“力負け”やないか!)
「美濃部が良く投げてる。君達は海洋に、全く引けをとっていない。」
「「「オウ!」」」
円陣の中で浅海が穏やかな余裕のある顔で三龍ナインに語りかける。
「さぁ、仕掛けるぞ!この回こちらも2番から!ピンチの後にチャンスあり!畳み込め!」
「「「ヨッシャー!!」」」
三龍ナインは自信に満ちた表情で力強く返事をした。この試合を通じても、それぞれの顔つきが逞しさを増してきていた。
6回の表が終了、1-1、いまだ同点。
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