剣の丘に花は咲く
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第十一章 追憶の二重奏
第七話 前へと
「もうそろそろだな。あと少しだ、頑張ってくれ」
深い緑が広がるウエストウッドの森の中に、士郎たち一行が草を踏みしめる音が響く。先頭を進む士郎が背後を振り返り、息も荒く後に続くルイズたちに声をかける。
「あ~っ、はぁ、もうそろそろって、既に限界超えてるわよ。もう足がパンパン。やっぱりシルフィードが回復するまで待っておけばよかったわ」
ぜいぜいと犬のように舌を出しながら息を荒げるロングビルが後悔を多分に含んだ視線を背後に向ける。もう姿かたちはとっくに見えてはいないが、視線は今頃夢でも見ているだろうシルフィードに向けられていた。ロサイスからウエストウッドの森まで休みなく飛び続けたシルフィードの疲労は極限に達しており、体力が回復したら後から追いついてくるよう指示した士郎たちは先行し、村へと向かっていたのである。
「これぐらいで弱音を吐くなんて鍛え方がなってないね。もうちょっと普段から鍛えといた方がいいんじゃないかい? 若いからって油断していたら色々と緩んじまうよ」
士郎の直ぐ後ろを歩いていたロングビルが、息も絶えだえのキュルケの様子に鼻を鳴らして笑ってみせる。何時もならば直後に皮肉混じりの悪態を返すのであるが、ほぼ休みなく歩きどうしによる強行軍による疲労からキュルケは顔を伏せ息を荒げるだけで返事を返さない。
そんなキュルケの様子に興味を失ったように顔を前に向けたロングビルの背に、ポツリと小さな声が投げかけられる。
「……下品ね」
「あ? 何だって?」
「若くない人は大変ねって言っただけよ」
「……へぇ」
「…………」
何時もなら軽く流す程度の軽口でありながら、一触即発状態となるキュルケとロングビル。疲れによる苛立ちが頂点に来ているからだろうか? いや、そうではない。確かに不慣れな森歩きによりキュルケには疲労による苛立ちはあったが、ロングビルには歩き慣れたウエストウッドの森であるため体力的な問題はなかった。しかし、変わりに別の問題を抱えていたのだ。
それは今回の目的である虚無の担い手……つまりティファニアの事である。
自分の妹分であり、今までずっと隠し守ってきた存在。
アルビオン王家の血筋であり、ハーフエルフというどれか一つでもバレてしまえば命の危険に晒されてしまう大切な妹。だからこそ、ティファニアの気持ちを知りながらこれまでこんなところに閉じ込めていた。
それが突然の今回の依頼。
理由は分かる。
必要なことであることも分かっている。
ティファニアをハルケギニアで保護するのが現在の最善手であることも……。
しかし、分かってはいるが納得は出来ない。
それがただの好悪……感情によるものだと分かっている。
だからこそ反対はしていない。
原因も分かってはいるのだ……。
―――わたしらの気持ちは無視かい……。
自分たちの預かり知らない場所で決まった事で、自分たちの運命が決められる。
権力者の都合により排除されたと思えば次は呼び出される。
こちらの都合も意思も関係なく。
どうしようもないことであると言うことは分かっている。
別にあのアンリエッタ女王が悪いわけじゃないことも……。
それでも―――どうにもならないのだ。
それが理屈ではなく、感情によるものであるから……。
思ったより根深かったようだね……過去の傷って奴は……。
ティファニアを除き全てを失った過去を思い、内心一人自嘲するロングビルであったが、自分に向けられる苛立ちによる鬱屈が込められた視線に気付くと小さく頭を振った。
大人気なかったね……八つ当たりなんてさ……。
小さく溜め息を吐いたロングビルは、顔を伏せ、垂れた赤い髪の隙間から睨みつけてくるキュルケに頭を下げた。
「すまないね。少し苛々していたからちょっと……」
「……別にいいわよ。……ま、事情が事情だし、ね」
頭を下げるロングビルに軽く手を振って返すと、顔を上げ以前ここに来た記憶を回想するキュルケ。その脳裏には黄金で出来たかのような美しい金の髪を持ち、人ではない証の長い耳を持った人間離れした美しい少女の姿が……。
あの時……アンリエッタからアルビオンにもう一人の虚無の担い手がいるとの話を聞いた時、キュルケは自然とティファニアのことを思い出していた。特に何か確信があった理由ではない。
ただの勘……のようなものであった。
ティファニアが虚無の担い手ではないかと……。
その勘が当たっていたと知ったのは、アルビオンに向かう途中、シルフィードの背の上で士郎の口からである。自分だけでなく、どうやらルイズも感づいていたようであり、士郎からティファニアが虚無の担い手であると聞いても特に慌てた様子はなかった。
ティファニアの色々と難しい立場や状況については、あの時本人の口から聞いたから分かってはいるし、ロングビルとの関係もその時に聞いて大体のところは理解している。ずっと隠し守ってきた存在を、必要だからと表に引っ張り出される。例えそれが保護のためだとはいえ、ロングビルが今回の任務に対し苛立ちを感じてしまうのは仕方がないだろう。
静かに深呼吸し、気持ちを切り替えたキュルケは、小さな笑みを口元に浮かべるとロングビルに向け肩を竦めて見せた。
「あのテファが虚無の担い手ねぇ……アルビオン王家の直系でハーフエルフで更には虚無の担い手……ちょっと詰め込みすぎじゃない?」
「確かにテファは詰め込みすぎだね。色々と……」
「……そうね。確かにあの子は色々と詰め込みすぎね」
互いに自分の胸を見下ろしながら呟くロングビルとキュルケ。二人共決して小さくはない。それどころか一般的に巨乳と呼ばれる程の大きさを持っている筈であるにも関わらず、自身の胸を見下ろす二人は、己の無力さを噛み締めるかのような表情が浮かんでいる。
「……仲直りが終わったならさっさと歩いたら」
何時の間にか一行の一番最後を歩いていたルイズが、立ち止まって自分の胸をにぎにぎと揉んでいるロングビルとキュルケの二人を追い越すと、振り返りジト目で睨むと注意をする。
ロングビルとキュルケは自分の胸を揉む手を止めると、互いに苦笑いを向け合った後、前を歩くルイズを追いかけた。
「ルイズ。あなた何イラついてるのよ?」
小走りに駆けたキュルケは、ルイズの横に立つと視線を下げる。
「……別に、気のせいでしょ」
「そうかい? まあ……確かに単純に機嫌が悪いって理由じゃないようだね」
ロングビルの言葉を聞き、キュルケは確かにと内心頷く。最近変わってきてはいるが、まだまだルイズは気持ちが顔や態度に出ることをキュルケは知っていた。だから改めてルイズを見直し、単純にイラついているわけではないことに気付く。
イライラと言うよりも……ピリピリ? ん~? ちょっとそれも違うような……?
……あ。
「そうね。確かに……そう、機嫌が悪いと言うよりも……何か怯えてる?」
「―――ッ?!」
ピタリと足を止めたルイズは、グッと唇を噛み締めると顔を俯かせた。
「え? ちょっと、どうかした?」
「気分でも悪くなったかい?」
突然足を止めたルイズを囲むようにして、キュルケとロングビルが心配気に声を掛ける。
―――が、
「……ごめん。本当に大丈夫だから、ありがと、心配してくれて……」
ルイズは顔を俯かせたまま顔を横に軽く振ると、そのまま顔を上げることもせず逃げるように先を行く士郎とタバサに向かって小走りで駆けて行く。
「……本当にどうしたのよあの子?」
「キュルケ。あんた心当たりとかないの?」
ロングビルの問いかけに、顎に手を当て暫らく考え込んだキュルケは、今朝タバサから聞いた話を思い出しポツリと口から零した。
「―――ん、そう言えばあの子、今魔法が使えないとか……」
「魔法が使えない? そりゃまた何でいきなり?」
首を傾げながら横目で訪ねてくるロングビルに、キュルケは眉間に皺を寄せながら吐き捨てるように言う。
「原因何て知らないわよ。わたしも今朝タバサから聞いたばかりで詳しい事情なんて知らないし」
「魔法が使えないねぇ……それが原因かねぇ?」
何処か納得出来ないと言う顔をしながらルイズの背中を視線で追うロングビルに、小さな声が応える。
「……多分違うと思うわ」
「ん? なら何だってんだい?」
「……わからないわよそんなこと……でも……」
「でも?」
「多分……」
ロングビルの視線に沿うようにルイズの背中を見つめたキュルケは、直ぐにその先へと視線を移した。
ルイズの向かう先。
そこには遠目でも分かる広い背中が……。
「シロウに関係してることでしょうね……」
………………。
ルイズは走っていた。
前へと―――。
顔を俯かせながら、しかし駆ける足を緩めることなく。
―――早く目的地に到着するため……。
否。
……逃げるため。
誰から?
何から?
図星を突かれたから?
『怯えている』……?
そんな筈―――ない……のかな。
……ううん。
多分……そう。
……きっとその通り。
自分の内に渦巻くドロドロとした嫉妬と恐怖に気付かれるのを恐れて……怯えて……。
だって、仕方がないじゃない。
あそこには……いるから。
彼女が―――。
初めて会った時は気付かなかった。
……彼女が、あの騎士だなんて。
そう―――あれは、時折見る不思議な夢……。
その夢の中で時折見かける一人の騎士。
華奢な身体を蒼い甲冑で包み、黄金の剣をもって嵐のような剣戟を魅せるその姿。
人を超えた域で交わされる剣戟はあまりに激しく疾すぎて、わたしの目ではまともにその姿を捉えることは不可能で。
でも、霞むその姿からでも分かる華奢な体つきと天に流れる星の輝きのような美しい金の髪から、かの騎士は女性ではないかと思ってはいた。
そう、思っていたけど、初めて会ったあの時、わたしは彼女がそうではないかと思うどころか考えもしなかった。
……違う……そうじゃない……そういう事じゃない。
あの時のわたしにとって、それは別に気にするようなものじゃなかったから……。
例えあの時彼女が夢の中の騎士だと気付いたとしても、あの時のわたしならそこまで気にすることはなかったと思う。
―――だけど、今は違う。
今のわたしは魔法が使えない。
ただの能無し。
シロウは大丈夫だと言ったけど……でも、そんなのただの気休めだと分かっている。
もしかしたら二度と使えないかもしれない。
そんなことになったら……わたしはシロウの傍にいられないかもしれない。
伝説の系統。
始祖の後継者。
それに縋っていると自分でも分かっている。
だって、仕方がないじゃない。
シロウの隣に立つにはそれぐらいの力がなきゃいけないから。
何時も何時も危険も何も省みることなく飛び込んでは心も身体も傷だらけになるシロウ。
だから、そんな彼を支えるために……守れるように隣に立とうと思った。
でも、それには……どうしても力が必要なのだ。
―――なのに。
今のわたしにはその力がない。
……そして、そういう時に限って嫌な事は続いてしまう。
今朝見た夢。
その夢にはシロウがいた。
背の高さや髪の色どころか肌の色さえ違っていたけど、それは間違いなくシロウだった。
黒と白の双剣を持って戦うシロウの隣には……彼女がいた。
蒼い甲冑を身に纏い、黄金の剣を振るう騎士。
その姿をはっきりと捕らえた……騎士は……彼女だった。
背を合わせ迫り来る敵と戦う二人。
それは、わたしの理想だった。
互いを完全に信頼し、支え、補い、高め合う二人の姿を見て……わたしは……怖くなった。
―――もし。
もし、今、わたしが現実で彼女とシロウが共に戦う姿を見てしまったら折れてしまいそうで……。
それが、何なのか自分でも分からない。
自信?
決意?
理想?
……分からない。
だけど……だからこそ……怖い。
ただ……ただ……怖い。
太陽が地平線の向こうへと沈みだす直前、士郎たち一行は何とか目的地であるウエストウッドの村に到着することが出来た。
「さて、何とか無事に辿り着くことが出来たな」
「……無事?」
「……一部を除いてね」
森に一部ぽっかりと開けた空間に立ち並ぶ簡単な造りの小さな家々を見回し、士郎が安堵の吐息と共に頷くと、隣に立つタバサとロングビルが小さく首を傾げると背後を見る。
「―――っ、は、っく、ひぃ」
「―――ふぇ、ふぅ、はひぃ」
そこには地面に両手と両膝を着き、大地に荒い息と多量の汗を降らせるルイズとキュルケの姿があった。
そんな二人を背に、頬にタラリと汗を流しながら士郎はウエストウッドの村の入口の一番近くに建てられた家に顔を向ける。そこが今回の目的地であるティファニアの家であった。時間からして丁度夕食時であるためか、藁葺きの屋根から煙が空へと登っていくのが見える。
タイミングが良かったなと思いながら、士郎は背中に背負った荷物を抱え直すとティファニアの家へと向かって歩き出す。それにタバサとロングビルが続き、呼吸を整えたルイズとキュルケが後を追った。
「ん。いるようだな」
扉の前に立った士郎は、中に人がいることを気配で悟ると、ノックをしようと手を持ち上げた。
しかし、突如として胸の内に「どうせなら驚かしてみたらどうだろうか」と言う思いつきが生まれその手を振り下ろす前に止めてしまう。
そう……思いついてしまったのだ……手を……止めてしまったのだ。
―――それが―――自分の―――命運を―――決めるとも―――知らずに……。
口元に悪戯めいた笑みを浮かべた士郎は、ノックのため持ち上げた手をそのままドアノブに向けると、
「久しぶりだなテ―――」
一気に力を込めて扉を開き。
そして、
「…………は?」
「え?」
―――固まった。
士郎の視線の先。
そこには確かにこの家の主であるティファニアの姿があった。
金を煮溶かし細く伸ばし造り上げたかのような黄金色の髪。
触れることさえためらってしまう程白く滑らかでありながら、確かな温かみと柔らかさを感じさせる肌。
最高級の翡翠さえも霞む美しい瞳。
神々が苦心の末ようやく辿り着いた巨乳でありながら細いという矛盾でありながら矛盾していない一種の神秘とも言える身体。
窓から差込む赤く染まった光りが白い肌で反射され、まるで熱に火照ったかのように全身が淡い赤に染まり、それが異様に艶かしい。
染みどころかホクロさえ見あたらない、その大理石の如く白くすべらかな肌。
これぞ至高と断言できる程の完璧を備えた巨乳の頂点に座す淡く桃色に色付く小さな果実。
スラリと長く細い足の始まりに有りし女体の神秘を隠す淡い黄金の草原。
「―――き」
つまり、
「き、き」
どういうことなのかと言うと、
「きき、き」
―――つまるところティファニアは裸であった。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?!?!?」
「さてシロウ。慈悲深い私はあなたに選択の余地を与えます」
床の上に正座で座る士郎の前で、突き立てた絶世の名剣の柄の尻に両手を乗せ仁王立ちするセイバーが微かな笑みを口元に浮かべながら問いかけてくる。
「―――どのような最後を望みますか?」
―――処刑の方法を。
「―――まてセイバー。まずは弁明をさせてくれないか」
「必要があると?」
片手を前に出し「待ってくれと」頼む士郎に、仮面のような微笑を貼り付けた顔をコテリと横に傾け疑問符を浮かべるセイバー。
その姿と雰囲気により「これは真剣で命の危機」であると直感した士郎は、床に拳を叩きつけながら声高に主張する!
……それでも姿勢は正座のまま。
微妙にチキンである。
「当たり前だっ! ただ俺はびっくりさせようと思っていただけで、別に覗こうとしたわけではない。つまりそうっ! あれは事故なんだ! だからその点を配意して―――」
「扉には鍵を掛けていました」
舞台役者のように両手を大げさに動かし必死に自分の無罪を主張したいた士郎だったが、セイバーの一言で電池が切れた玩具のようにピタリと動きが止まる。両手を広げた姿のまま扉
を開いた時の事を回想し……。
「……」
そう言えば扉を開ける時、抵抗があったような気が……。
「言い訳はそれだけですか」
「まっ、待てっ! ちょっと待ってくれっ!! 確かについ勢いのあまり鍵を壊したのは事実だが、だからといって俺が覗こうとしていたとは言えないはずだっ! 俺はあの時テファが着替えているとは知らなかったわけであり―――」
「あなたならば扉越しでも、中の相手が何をしているか等、音や気配だけでも気付けた筈です」
「―――ッ!? そ、それは……」
「それでは処刑を始めましょうか」
「まっ! 待ってくれっ! べ、弁護士を呼んでくれっ!! お、俺は―――」
セイバーが大上段に振り上げたデュランダルの刃が窓から差し込んむ夕日にギラリと血のように赤く輝く。
刃が反射させた光がセイバーの顔を隠し、彼女が今どんな顔をしているか士郎には伺い知ることは出来ない。
セイバーは今、怒っているのか悲しんでいるのか、それとも笑っているのか……。
衛宮士郎には知ることは出来ないでいた。
そして、士郎の訴えも虚しく、
「俺は無実だああぁぁぁ~~~ッ!!」
死の宣告は無情にも振り下ろされた。
「ちゃんと反省したのですか?」
「死にたくはないからな」
「あれはただの冗談です。あの程度でむくれるなど子供のような真似はやめたらどうですか」
「……デュランダルを薄皮一枚挟んで突きつけられながら笑って許すような奴がいるのならば、是非この目で見てみたいものだな」
薄皮一枚どころか実際はギリギリ切れていた。
それが偶然か故意なのかは……考えないことにしている士郎であった。
「でもあれ、シロウが悪いと思うわよ」
「くっくく。まあ、事故とはいえ、嫁入り前の女の裸を見たんだ。どんな事情があったとしても、ああ言うのは見た奴が悪いんだよ」
「それは分かってる。だからテファには土下座でしっかり謝っただろ」
「ふんっ……シロウのスケベ」
「……エッチ?」
テーブルをはさんで向かいに座るティファニアの胸を見たタバサは、静かに自分の平坦な胸を見下ろし両手を胸に当てると微かに肩を落とした。何時もの無表情がどことなく悲しげに見えたのはきっと勘違いではない筈である。
あの時、士郎に偶然(士郎の談)着替えている姿(わざとなのか偶然なのか丁度裸の時)を見られたティファニアが上げた悲鳴を聞きつけ居間に飛び込んできたセイバーは、瞬時に状況を把握すると即座にお仕置き(処刑だったとは士郎の談)を実行した。
かなり危険な所まで進みかけたお仕置き(処刑)であったが、被害者であるティファニアの弁護により土下座でお開きとなり士郎は九死に一生を得たのである。
そして今、士郎はやっと落ち着いた皆と共に居間に置かれたテーブルを囲んでいた。
「べ、別に怒っていませんから。シロウさんも気にしないで下さい」
「いや、そう言われてもな。流石にあれは……テファに不快な思いをさせてしまったのは事実だし」
「い、いえ。そんなことは……それに不快じゃなかったから」
士郎がすまなそうに頭を下げる姿を見て、ティファニアは慌てて首を横に振ると、視線を外すと小さく確かめるように声を漏らした。
「ん?」
「ッ! い、いえッ!! な、何でもないですっ!」
「そう、か?」
顔を上げると顔を真っ赤にしたティファニアが凄い勢いで頭よ飛んでいけっ! とばかりに首を左右に降っていた。戸惑いながらも頷いて見せると、ティファニアはテーブルに額をぶつけるのではと思うような勢いで頭を振る。
「はいっ!!」
「まあ、ティファニアが気にしていないと言うのならば、これ以上私からは何も言いませんが。それでこんな所までわざわざ来るなど、何のようですか?」
どことなく不機嫌な様子でじろりとセイバーは、士郎とルイズたちを見回した。
「そう、だな。結論から言った方が早いから単刀直入に聞くんだが。テファ」
セイバーの問いに、居住まいを正した士郎はティファニアと視線を合わせると目に力を込めた。
「あ、は、はい」
「俺と一緒にトリステインに来てくれないか?」
「―――え?」
ぽかんと口を開いた顔のまま、ティファニアは何か信じられないものでも見るかのように士郎を見つめる。
「もちろんテファだけじゃない。この村の子供たち全員もだ。生活の保障もきちんとする」
「……あ、で、でも。そんないきなり……一体どうして」
「話せば長くなるが……」
そして士郎はティファニアにこれまでの経緯を説明する。ティファニアが使う魔法が他の魔法とは違う伝説に詠われる『虚無』であること。そして今、その虚無の担い手を狙う者がおり、ここも何時襲われるか分からないと。例えセイバーがいたとしても、人海戦術でこられれば、子供たちに犠牲が出る可能性もある。
だから―――。
「一緒に来てくれるか?」
「……少し……考えさせて下さい」
「ああ、それは構わないが。どれくらい必要だ?」
「……明日の……朝までには……」
頭を俯かせ黄金の髪をベールのように顔の前に垂らしたティファニアは、小さくそれだけ口にすると無言で席を立ち外へと歩いて行った。
日が沈み暗闇に沈み星が空を満たす頃、ウエストウッドの村と森との境界に一人立つ少女がいた。
ティファニアである。
木に背に寄りかかり、枝葉の隙間から覗く二つの月を見上げていた。
差し込む青白い光りに目を細めながらも、その視界には月の姿を映してはいない。
ぼんやりとした表情で立ちすくみ、振り注ぐ月光に淡く照らされ朧に浮かび上がるティファニアは、まるで月の精にも……迷子の幼子の様に見えた。
目を離したすきに消えてしまいそうな……そんな脆く儚げな印象を感じさせ。
だから、気付けば声を掛けてしまっていた。
「テファ」
「え? あ、シロウさん」
声を掛けられたティファニアはぼんやりとした目を瞬かせると、声を掛けてきた人物を目にすると小さな笑みを口元に浮かべた。
「どうしたんですかこんな時間に?」
「ん。眠れなくてな。だから眠気が来るまで散歩でもと歩いていたんだ。テファは?」
「わたしも同じようなものです」
後ろ手に手を組むと、ティファニアはコツンと背にある気に後頭部を軽く当て夜空を見上げた。
「……眠れなくて」
「すまない」
「……何が、ですか?」
「こちらの都合でトリステインに来てくれなど」
すまなそうに目を伏せた士郎を視界の端に映したティファニアは、木から背を離し二、三歩と足を前に動かした。
「実は昔から外の世界に憧れていたんです。この生活に不満はないけど……時々思うんです。この森の外には一体何があるんだろうって」
両手を広げ満天の星空を仰ぎ見ながら世界に問いかけるようにそう口にしたティファニアは、顔を下ろすと困ったような笑みを士郎に向けた。
「小さな頃は大きな屋敷の中から出してもらえず、屋敷から出たと思えばずっと森の中……わたしはまだ『世界』を見たことがないんです」
「そう、か」
目を細め答える士郎の姿に、困ったような笑みを少しだけ濃くしたティファニアは両手を広げぐるりと身体を回した。長い金髪が輪に広がる。月光を受けた髪がキラキラと光り、一瞬地上に三つ目の月が生まれたように見えた。
士郎に背を向け立ったティファニアは、背に手を組むと星空を見上げる。
……窮屈だと言うように。
「実はですね。シロウさんがルイズたちと一緒に帰ってしまったあの時のことなんですが……アルトに言われたんです。『ついて行くことも出来たのではないのですか』って……でも……わたしは結局ついて行くことはしなかった……」
「子供たちがいるから、か?」
「そうですね。それもあります」
「怖いからか?」
「……それも、ありますね」
「迷惑になると思っているからか?」
「……色々と……はい……理由はあります」
士郎に背を向けたまま、ティファニアは空を見上げていた目を閉じた。
そう……理由は色々とある。
本当に色々。
例えば……そう、予感がするから、とか。
シロウさんと一緒に行けば……何かが変わると……。
それが何かはわからないけど……でも、何故かそう思うたびにアルトの姿が心を過ぎる。
……アルトが時折話してくれるシロウさんとの思い出。
アルトは……色々……本当に……たくさんの事を聞かせてくれた。
悪いところ、良いところ、困ったところ、優しいところ…………本当にいっぱい……いっぱい聞かせてくれた。
シロウさんのことを話しているアルトは、笑ったり、困ったり、怒ったり、むくれていたり……でも……本当に幸せそうに語っていた。
だから、話を聞くたびにわたしは思った。
ああ、本当にアルトはシロウさんのことが好きなんだなって……。
―――好き……なんだなって。
そう……実感するたびに、胸の奥がチクリと痛んだ。
何で……だろ。
わからない……。
……わからない……けど……もう、いいや。
何時も通り……。
「―――うん……だから―――」
「なあテファ」
「―――え?」
ぐるぐると回る思考を止めたのは、静かに声を掛けてきた士郎の声。
思考の外からの声に、ティファニアはつい後ろを……士郎を見てしまう。
そこには、
「一緒に行こう」
「―――ぁ」
月明かりに浮かび上がるウエストウッドの村を背に、迎え入れるように両手を広げ立つ士郎は、大きな笑みを浮かべながらティファニアに話しかける。
「俺とトリステイン―――いや、世界を見に行こう」
「―――っ」
理由も何も分からない。
ただ、何故か息を飲んでしまう。
瞳に熱が込もる。
鼻の奥がツンっと痛んだ。
視界が、ゆるく揺らめく。
――っあ……いけない。
だめ……駄目よティファニア。
これは―――駄目。
今、口を開けば何か取り返しのつかないことに―――何かが動きだす予感がする。
だから駄目。
―――これ以上彼と一緒にいたら駄目。
理由は分からない。
何が駄目なのかも分からない。
何もかも分からない……なのに……駄目だと感じる。
これ以上彼の近くにいたら……わたしは……。
―――だから。
「……いろ、いろ……理由が、あるって……言ってるじゃないですか」
……なのに。
何で?
「子供たちが……」
「受け入れる用意は出来ている」
どうしてわたしの口は勝手に動いているの?
「わたし、ハーフですけどエルフですから……バレたら何をされるか……」
「俺が守ってやる」
どうして、『行かない』と言わないの?
「アルビオン王家の血を引いていますから……」
「何か言う奴がいたら黙らせる」
どうして……。
「……ずっとこの村にいたから、常識も何も知らないんですよ」
「教えてやる」
……確認するような言葉を口にするの?
「……そ、その……え、えっと、ほ、他にも―――」
―――ああ、そんなこと決まっている。
「―――テファ」
「―――ッ」
……行けない理由を口にした時点で、つまりわたしは行きたいと言っているのも同然なのだ。
そして……それに気付かない彼ではない。
何時の間にか俯いていたティファニアは、思いがけず傍から聞こえた声に驚き顔を上げる。
仰ぎ見る視界に映るのは、見上げる程に背の高い士郎の姿。天上から振り注ぐ月光に照らされた士郎の顔は、何処か困ったような笑みを浮かべていた。
「もう―――いいんだ」
「……もう……い、い……?」
ぼうっ……と士郎を見上げながら、呆けたように呟くティファニア。
「我慢しなくていい」
「が、まん……なんて……」
「諦めなくてもいい」
「あき、らめる……なんて」
ううん……そう、我慢してた……諦めていた……。
わたしは……違うから。
人間じゃないから。
半分エルフだから。
『外』へ出れば自分だけでなく周りも危険を及ぼしてしまう。
だから……そんなわたしを守ってくれるマチルダ姉さんに、これ以上の迷惑を掛けないように我慢してきた―――諦めていた。
例え誘われたとしても、行けば必ず負担をかけてしまうから……だから―――なのに。
「―――と、言うかだな。俺がティファニアと一緒に行きたいんだ」
―――っあ。
「……どう、して、です、か? どうして、わたしと一緒に行きたい、なんて……」
―――何で、そんな。
「それは勿論」
そんな嬉しそうな、楽しそうな顔で笑って―――。
「俺が、ティファニアと一緒に行きたいからだ」
「―――っ―――ぁ」
ああ、もう、そんなことを言われたら、
彼女が時折ここではない何処かを見ていることには、初めて会った時から気付いていた。
風に吹かれる髪をそのままに、遠く星でもなく山でもなく―――ただ、ここではない何処かを見つめていることに。
子供たちがいる前では決して笑顔を崩さない彼女が、不意に一人になった時に見せるその横顔はとても儚く朧に見え。
どうにかしてやりたかった。
だが、何故、彼女がそんな顔をするのかわからなかった。
子供達と一緒にいる時の楽しげな顔は偽物には見えない。
なら、何故彼女はあんな顔をする?
それが、今、わかった気がする。
彼女は―――テファは常に不安なのだ。
ハーフエルフという人ではない自分。
恐れ忌避されてきた過去。
自分は本当にここにいてもいいのか、と。
ここにいればそんな風に考えることは少ないだろう。
子供たちにとってティファニアは唯一頼れる存在であるし、時折帰ってくる姉にとってティファニアは唯一自分の過去と繋がりのある存在だ。
必要と欲せらている。
だが、それが永遠に続かないことをティファニアは知っている。
子供は時が来れば大人になる。
大人になれば、去っていくだろうと。
マチルダも、戻って来なくなるかもしれない。
そうなれば、ティファニアは一人だ。
それはもう……死んているのも同然である。
ティファニアは、きっとそれに気付いている。
だから、ティファニアは外を見る。
もしかしたらここではない何処かに自分がいてもいい場所があるのでは、と。
憧れを、希望を、外へ……世界に見る。
だが、それ以上の恐怖が足を止めてしまう。
過去の記憶。
恐怖の、悪意の、無理解の、拒絶の、暴力の、嫌悪の、憎しみの……過去が、恐怖が足を止めてしまう。
自分を受け入れてくれる世界があるのだろうか? と。
だから、俺ははっきりと口にする。
はっきりと伝える。
大丈夫だと。
受け入れると。
共に行こうと。
そう言った全てを一つにまとめて口にする。
心からの想いを込めて。
その結果はと言うと―――。
―――ああ、やっぱり。女の子は……笑顔が一番似合うな。
「―――はい」
断る事なんか出来るわけが―――ないじゃないですか。
後書き
感想ご指摘お願いします。
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