書く執念
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第一章
第一章
書く執念
織田作之助は結核だった。
その為常に血を吐いていた。だがそれでもだ。
とにかく書いていた。書いて書いて書き続けていた。それはこの店でも同じだった。
カレーの匂いがする。あまり広い店ではなく内装は欧風だ。テーブルや椅子、やはり欧風の、いや洋風と言うべき何処か日本的なそれに座りそのうえでだ。彼は店のおばちゃん達に話していた。
「ここでもええか?」
「ああ、執筆ですな」
「お電話ですな」
「そや。書いてええか?」
己の横に立っているもんぺにエプロンのおばちゃん達にだ。こう尋ねたのである。
「仕事してええかな」
「ええですよ」
笑顔でだ。おばちゃんの一人が織田に答える。
「好きなだけ出して下さい。コーヒーもサービスしますさかい」
「有り難うな」
そのおばちゃんの言葉を受けてだ。織田は笑顔で応えた。そうしてだ。
早速ペンと原稿用紙を出して書きはじめる。コーヒーがその横に置かれる。その中でだ。
彼は書きながらだ。おばちゃん達に対して言った。
「ほなお昼は」
「カレーですな」
「名物カレーですな」
「いつものあれ頼むわ」
目は原稿用紙、手は走らせながらの言葉だった。
「よろしゅうな」
「はい、わかってます」
「すぐ持ってきますね」
「悪いな、いつも」
書きながら気さくに笑ってだ。織田はおばちゃん達に礼を述べた。
「我儘聞いてもらって」
「ええですよ。織田作さんの願いなら」
「頑張って書いて下さい」
「無理せんと」
「ああ、無理はしとるかもな」
笑ってだ。織田はこのことはだと言った。
「正直いつも書いてるさかいな」
「ほんまに大丈夫でっか?」
おばちゃんの一人がだ。心配する顔で織田に尋ねた。
「あの、織田作さんやっぱり」
「胸のことかいな」
「はい、その」
「大丈夫や。こうして書けてる」
だから大丈夫だと。織田はそうした。
「だから大丈夫や」
「そやったらええですけれど」
「まあその」
「大丈夫やって。そんでな」
織田はここで顔をあげた。そのうえでだ。
店の中を見回した。洋風の店の壁には大きなガラスがある。黒いお品書きには片仮名でメニューが書かれている。そのメニューはカレーやハヤシライスというものだ。
そして織田から見て前、カウンターのすぐ左の席の前にだ。キッチンが見える。キッチンの中では男達がせわしなく動いている。そうしたものを見ながらだ。
織田はこう言ったのである。
「わし思うんやけれど」
「はい、何ですか?」
「何かあったんですか?」
「ああ。とにかくこのお店でな」
どうかというのだ。この店でだ。
「カレー食いたいわ。ずっと」
「これからも贔屓にしてくれるんですか」
「そうしてくれるんですか」
「うん、そうしたいわ」
笑顔でだ。織田はこう言うのだった。
「やっぱここええ店やさかいな」
「ほなずっと来て下さいね」
「うち等何時でも待ってますかさい」
「カレー用意してますね」
「頼むで。わしも書くさかい」
この言葉と共にだ。織田はまた書きはじめた。そしてその彼の前の席にだ。
そのカレーが来た。最初から御飯とルーを一緒にしている。それで白いお皿の上にカレー色だけがある。そしてそのカレーの上のくぼんだところに卵が入れられている。
そのカレーを置いてからだ。おばちゃんが言った。
「インディアン一丁」
「じゃあ貰うで」
「はい、どうぞ」
おばちゃんの声を受けながらだ。織田は原稿用紙とペンを一時横にやってそのうえでだ。カレーの皿を前に持って来てからだ。
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