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瀬戸際タイムマシーン

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瀬戸際タイムマシーン

 
前書き
アンドロイド小村が活躍します。 

 














「瀬戸際タイムマシーン」
           シモヤマ p‐53














はじまりの歌

 冬の鉛色の空みたいに 分厚いコンクリートの中 森の中で出会った僕ら 孤独に咲いた花と秘密 そよ風に吹かれて 君が言う 星に願いを 消してくれ 甘い声 その記憶 その気持ち その気持ちの記憶 言葉になる前に消して ゆらぎに揺らぐだけの世界へ 愛情と性愛 邪魔になるのはわかっているから 布団に抱きつき 枕に顔をうずめる いつかこの気持ちもこの人形に埋め込んでもろともプレス  白痴のようなきれいな世界 それを目指しているんだ 世界を救うのは何も愛じゃない これが愛ならどこに行けばいい 全ての愛しさと悲しい記憶を消してしまう そんな機械を創るのさ 俺が生み出す世間に垂れ流してしまう苦痛を それでせき止めるのさ 俺はかっこいいのさ♪ そうかっこいいのさ♪♪


結婚式

 銃が撃ち鳴らされる。花びらが舞い散る。教会の鐘が鳴る。はじける笑顔達。私が思っていたよりも戸惑いがない。周りの人間にだ。ごく当たり前のように祝う。笑う。握手をする。まるで何度もこんな傷心は経験してきましたよってな具合に。傷心じゃない? いや傷心だろ。
別にそれほどいい女じゃないのかな、この人は。
私には。理解できない。することが出来ない。その回路が欠落している。または、世間で言うコンプレックスをいたずらに刺激されているだけなのだろうか。ひざまずいて足首を捕まえたい。私の場合はクミコを否定する言葉が脳裏に浮かんでも乾いた音がするだけで心の芯に響かないことになっている。
私は「クミコ」と心で思い「セックス」が頭の中からかき消される。「セックス」と心で思い「クミコ」に羞恥をおぼえる。私は完全にやられているのだ。
脇から嫌なにおいが立ち込める。「フアー」っと排気ガスのように臭いが立つ。全く俺はこんなんだから。バカだな。
季節はめぐり望んでもいないのに春が来る。誰から愛でられることのない春の想い。私にだけ不可能に見えるこの現実の理解。クミコが他人の奥さんになる。まだ自分に可能性があるうちにこの男に抱かれるのを想像するのは苦痛だ。これで和らぐ? あまりにも私が女に縁がないせいだ。もうそれが人生だといっていいぐらい。
齢四十八、まだ捨てきれない。何もかも。そんな訳で私の笑顔は引きつる。情けない。クミコに何かしらの同情を感じてほしいとさえ思う惨めさ。全てを殺したふりをして私は二人から目を背けた。
皆からはぐれることも出来ない。溶け込むことも出来ない。よく膝が笑う。怖いとかそういうことではない。理由がないため息をする。風の匂いをかぐ。誰かがブーケを取ってはしゃいでいる。何でそんなに拍手をするのか。その顔が理解を超えた印象を与えて混乱させる。何を感じて喜ぶのか。喜びを感じなくてもそれを顔に満たすのは苦痛なのだ。それは私が一番送り出したくない苦痛の一つなんだ。私は好きな人に応援など出来ない。顔がゆがむのだ。そう私には、その場にふさわしい感情、その場にふさわしい表情、その場にふさわしい言葉。何もない事に気づく。私は無言で無表情だ。しかし、それはそれで安住の地なのだ。

 夕暮れから夜景に変わる街を望む高層ビル。普段ならフォーマルなカップルが繁茂する バー「タカサキクニヒコ&キェシロフスキjr」。クミコとその夫 小林賢次郎が足しげく通った思い出の場所だ。ここの話はクミコがまだ私と研究所で働いていた時に聞いた。この街にきて一番気に入っている所なのだとか。緑御影がフロアを覆い、壁の裾からの照明がそれを照らす。ホールスタッフが頭を垂れて来客を迎える。皆、思い思いのドレスとスーツに身を包んだ人たちだ。彼らは刑事とその妻、彼女 独身の勢いのある若手。派手な場所なんてめったに出くわさない。派手な血しぶき。巧みな知能犯罪。被害者と加害者の煩悩の巨大さ。派手だといったらそれが派手だと思う人たち。全ての笑顔が挑戦的だ。私、小村 文(こむら ぶん)は店の奥に行きジントニックとチーズを頼んだ。運ばれてくるまでセブンスターを一本吸う。もう私ときたら家でパスタを茹でるのに二本、風呂が沸くのに四本、モスバーガーが運ばれてくるのに一本と何でもタバコで時間を計りたがる。せっかちなヘビースモーカなのだ。右手人差し指と中指が少々黄色くヤニ臭い。
 ライムを搾りマドラーでそれをステアし一口啜る。「ビフィータ」かな? 少し高めだ。三種類のチーズを一口ずつゆっくり噛んだ。今日の思い出も青い記憶として捨ててしまえばいい。クミコは賢次郎を置いて軽装に着替え、もうお役ごめん、てな感じで友達とはしゃいでいる。私はまた彼女で自慰に耽るのだろう。もう人の物だなんて関係ないのだ。もともと自分の物になった女なんて一人もいやしない。
「何も分かっちゃいないんだよぅこのメスブタと動物野郎ドモヨゥ」酔いがまわっている。
 
私はため息をついて目を閉じた。
遠くに森が見える。その手前の藪を掻き分けて森に入る。視覚とも違うそのイメージの中。私の進むスピードは夢の中のものだ。森に踏み入り、洞穴に入る。端々のシーンを箸折、出口を求める。目の前に広がるのは朝焼けの海。海面の遥か上から眺めている。全てのイメージは現実を揶揄するものではなく、それとしてあった。全ての夢が現実とつながっていなくてもよいのだ。
私は目を開けて周りを見渡した。若い女の子に目が留まった。年増にだけ目が留まるほど老けてはいない。
「今何時ですか?」
 隣の席に座った女の子に帰りの電車の乗り継ぎを聞いた。テキトウな駅名を言った。私だって見ず知らずの女の子に声ぐらいかけられるのだ。脊髄に走るどす黒い電気を我慢しながら女の子を見る。女の子はものすごく律儀にまっすぐ目を見て答えてくれる。近くの地下鉄の駅から乗り継ぎで山手線に出られるらしい。JR線は日にちが変わっても動いている。すごく便利だ。彼女の口角がきれいに上がっている。「これ以上入ってこないで」と言われているように見える。総ての仕草なんて裏に意味ありと見えたら終わりだ。その裏にはきっと・・・と思うと大抵終わりなのだ。
小村は大抵終わりの道を歩く。終わりに向かう道筋が身に染みて日差しを避ける癖がついたのだ。
 イメージも思考も言葉も全て、小村の持つもの全てが現実をすり抜けるように夜に消えていった。
 

  研究室

その夜、私は独り研究室にこもってソファに寝そべり、仮眠用の毛布を二枚重ねて丸め、抱きしめながら腰を振った。柔らかくもいきり立ったペニスに伸びきった包皮が優しく伸縮する。クミコがこうしてくれるなんていう期待は、もうしていない。その存在は性的なものの象徴として過去に留まっている。
「うん成功だ」私は射精の後、部屋の隅に置かれたメディカルチェアーに座る。パンツはそのままだ。研究室の蛍光灯はコンクリートの壁を照らし、緑がかった印象を与える。色気の無い照明を下に、かつてのクミコを想い、描き、それが自由に馳せる。三十過ぎのクミコの磨かれたふくらはぎを思った。彼女の体やらなにやらは理系にどっぷりと浸かった理知的な宇宙に包まれて、男の侵入を拒んで私に凝視を要求する。夏の暑い日にだけ拝めるストッキングを剥いだつやのあるすねや、絞まったふくらはぎには股間のたぎりが否めなかった。私はまたもよおした。再びソファで用を足す。「フー」とため息をつき椅子に座りなおした。

 ヘルメット 被る 男 一人 股間 萎えた 恋心 強い電磁波 垂れ流す それを好しとしない男が ヘルメットを 被るの♪
 吸い上げる ケーブル 光 デジタルの心 アンドロイドにためて その青い記憶 結晶に残すの♪

 小村が被るヘルメットから信号が送られる。一定のリズムを刻んでテクテクテクテク・・・・送られる。思い出す感覚。たぎる情熱。性的欲求から成される妄想。青い光になり光ケーブルを走る。隣に座った鉄の「アンドロイド小村」が全てを受け入れてくれる。許してくれるってわけじゃない。ただ吸い込んでくれる。それを彼の中で反芻し、言葉の持つ結晶力に頼り、確たる過去に追いやることを生業とする。この世の中に垂れ流されるべきではない欲情を、小村の脳の彼処に探し回り、現実に終止符を討つべくその唇から非現実を物語り、結晶にしてくれる。小村は何度か股間を握りそうになる。
 アンドロイド小村に『私』が充満するのを確認して、私は席を立った。「アンドロイド小村」の頭頂に刺さるクリスタルな管を抜き取る。キレイな結晶が出来ていた。青く、少し緑に近い。北国の樹氷のように複雑な形をしていた。管から出し、テーブルの上に置き、写真を撮る。もう二度とお目にかかれない青い情熱だ。
「二回も用足してまだこんなにあったか・・・」
プレス機の前に立つ。結晶を台の真中に置き、躊躇無くプレスした。
アンドロイド小村の身体が少し震える。涙が浮かんでいた。
 小村は「アンドロイド小村」の頭を撫でてやる。プレス機にはまだ隙間があった。一度にプレスするとまばらに思い出の欠片が残る。その隙間を確認して再起動をし、腕を組んだ。圧力が増すのに時間がかかる。「キーン、キーン」と切羽詰った音が響く。手馴れた手つきで、しかし慎重に見えるほどゆっくりレバーを押し下げた。
「ズン!!!キーンッ!!!ブルルルル!!!!」
 若干空間が同心円状に揺らいだ。津波みたいに。コンクリート壁を突き抜けただろうか?実はちょっと影響がある。人の「想い」に対して。当たり前だ。これほどに強いねばねばした「想い」の結晶を亡き者にするんだから。小村の隣で「アンドロイド小村」はいつもの冷たいアンドロイド小村になった。


  近隣にて

 セミダブルのベッドに、見晴らしのよい小窓から冷たい青い月明かりが射す。部屋のあらゆる物は薄闇に溶け、染まり尽くす。夫「何某」の腕が妻「ナニガシ」の頬に触れるためにゆるりと動いた。月明かりに「我が物に遠き誰その腕」、となるような物である。
「今日は何かいつものやつじゃないな」
「ナーニ?」
「終わった後、疲れがなくなるような」
「そうだったの?」
「何のあとくされも無いって表現がぴったりの、何かをリセットしたみたいな」
「キレイな物見たわ」
「何? 夢?」
「白昼夢でいいのかしら? とてもきれいで、現実にもどっても後をひかないさらりとしたやつ」

 
 アンドロイド小村の創った夢

  青濃い宙、遥かに断崖を望む水際の線。控えめな水の泡立ちと無音の波が現実を遠くにする。その断崖は、威圧を遠くに在るからの不知とし、美しさは現実から逃避するように漠と観察されたぼやけたものではなく凛とした輪郭と確かさを送りつける。桟橋がある。曖昧な桟橋である。良くある邪魔をしない桟橋である。良くあるからの馴染み深さを、その月日による朽ち果てに頼り、佇むことを許されている。水が透明を逸したクリスタル。その不透明さは水が透明であるからの美しさを超えた、空を克明に映す重い銀色のクリスタルである。おもむろに水面下に在るクリスタルのハイヒール。それを飲み込むその不透明はしかしながらにヒールの姿を隠すことなく透かし、淡いベージュのワンピースを纏う歌姫を誘い、ヒールをすくい上げるのに何一つの邪魔をしない。歌姫はそれをすくうと水面に泡を浮かべる。「あぁ、水なのだ。息ができなかったのだ。ここは水辺なのだわ」呼吸一息。生命を息吹く一息は意識を満たし、断崖に向かう勇猛な男のレガッタを確かに進めている。彼らの色濃く焼けた肌。汗にまみれた輝く皮膚。その下の赤肉の存在。桟橋に置かれたクリスタルのヒールは水を飲み、桟橋に滲む。


 射精後、妻「ナニガシ」が肥大した夫のペニスをゆっくりと眺め、包皮を滑らし、にじみ出る後汁を指ですくって口に運ぶ。とても素敵に見えるのだそうだ。こんな時(人知れずアンドロイド小村が涙を流す時)は冷静な欲情が襲って来る。「とてもキレイだ」は必ずしも勃起を促さないが、「とてもキレイ」と硬い勃起が身体の中に同居している素敵な時間が流れていた。胸やら下腹部にじんわりと熱さを感じつつ、ひどくクリアで冷静に妻の肉体を認識し観察することが出来る。決して視覚からの欲情じゃないと言える。欲情が視覚と完全に分離してしまうのだ。それは妻も同じだと答えた。
妻は挿入中、夢を見ていたらしい。それほど性的な夢ではなく、心が洗われる美しい映像が見えるのだそうだ。性的興奮と映像のbrilliantがシンクロしているとも言っていた。
「あそこに、コンクリートの箱が出来てから何度かあるわ」

 愛が壊れる其の度に 新しい感情が生まれるものとする その愛の行方は 私の頭上僅か数センチ 根を張る物 サヨナラを言う者 サボテンのように棘を放ちその身を守る物 頬を濡らす者がその意味を知る 
壊れたその先に 無の世界が広がれば良い 何もないことに あこがれた男さ サヨナラ淡い欲情よ もう時間が経って 匂うのは昨日の夜 サヨナラ サヨナラ サヨナラ 青い花 ルルルル・・・♪

 幾人かの性的な交わり 幾人かの初性交 幾人かの交わす愛の言葉 幾人かの目覚め 幾人かの甘い思い出との邂逅 幾人かの穏やかな生 幾人かの新しい感覚。小村とアンドロイド小村の想いが空間を僅かに揺らした。揺らぎはそれぞれの中に僅かに残り、芽を吹く時を待っているのだ。例えそれが揺らぎの主に幸福をもたらさないにしても、である。

  
  過去の日の草原にて

クミコがいる。私と、魂を抜いたアンドロイド小村が座っている。
クミコがビデオカメラを構えている。その前に私が白衣で立つ。白衣の下はベージュのチノパンだ。カメラの前に立って皺が気になり始めた。私はしきりに裾を引っ張る。クミコは白衣を着てスカートだ。彼女が膝を折るとその裾から横にはみ出したふくらはぎが見える。とても形がいい。
カメラの中には私と、アン公だ。クミコの右手が上がる。スタートの合図だ。
「えぇ、よろしいですか。この開発はですね、人間の未来の夢といいますか、形而上学の有形化といいますか、メタファーの完成形といいますか、テクノロジーと魂の和解といった出来事なのであります。より深くなった言葉による心理探索といいますか、未分化の心の種をそのままフリージングするといいますか、永遠の悟りといいますか・・・」
「あっ、ちょと待って。端的に言わないと」
「そうだな」私は頭が熱くなって細かい事が分からなくなっている。アンドロイド小村が世の中のどこに立ち居地を見つけるのか。否定か肯定か。神になるか悪魔になるか。心を有形化するのは何もアン公だけじゃない。ありとあらゆる芸術家が成し遂げようとしたことじゃないか。全ての優れた芸術家がカタルシスをうまくやるように、私とアン公は結晶を砕いて事を終わらせる。
「カタルシス・・・」
私は『カタルシス』という言葉を織り込もうとして考え込んでしまった。矛盾や理不尽を大きな波でさらっていくイメージだった。愛だなんだと叫んでいる男と、常識を逸脱した刑事達と、理想的な売女が現れては消えていく。
「アン公はそんなんじゃないのになぁ・・・」
 私の頭に『便所』なんて言葉が浮かんでくる。えっ? 汚いもの全部 アン公に放り込んで『ドーンッ!』ってすればいい? 全部まとめて『ドーンッ!』って? いやいや、便利だからってそれは無いんじゃない?

「よし、いこう」
「大丈夫ですか局長」とクミコがわらう。
 そのあと私は仕組みを大まかに説明した。
「あの、皆さん『超能力』はご存知で? 『スプーン曲げ』はご存知ですか? 原理は一緒ですからね。えぇ、まず・・・こうスプーンを持ちます。 [小村スプーンを持つ]  見つめます。集中します。 [小村見つめて集中している] イメージなのです。 [人差し指を立てる] 集中している自分を相手のスプーンと同じくらい統一するのです。相手がステンレスならステンレスほどに純化統一のイメージです。この時点で両者は原子レベルで通じ合います。原子レベルで通じ合った後、私が主導権を握ります。『折れろ!』と念じるのです。主従関係で言う『従』のスプーンが折れています」
 小村の手にあったスプーンが草原に折れて落ちた。
「このアンドロイドも同じことをやります。光ケーブルから被験者の感情を、多くの場合『マイナスな感情』ですか、これをアンドロイドに満たします。満たすと言うより、アンドロイドが吸引すると言うべきでしょうか。感情が満ちるのは頭の部分だけではありません、体全体です。彼の中にはこの感情が満ち溢れることになります。このとき被験者の『マイナスな感情』とアンドロイドは原子レベルで通じ合っているのです。アンドロイドが先ほどの私で、『感情』が先ほどのスプーンと言うことでしょうかね。アンドロイド自体が『マイナスな感情』になったといえばいいでしょうか。被験者の心の具現化みたいなことです。このときまだ被験者にはマイナスな感情が残っています。もちろんそれは彼自身の『感情』なわけですから、アンドロイドの中に含まれてもシンクロニシティーで繋がっているわけです。シンクロニシティーはご存知ですかね? 簡単に言いますと他者が同時に同じ感情を抱くような事です。アンドロイドの中に『感情A』 被験者の中にも『感情A』と言うことです。互いに引き合う恋心みたいなものです。そして彼の中には一つ真空の部分があるのです。脳天です。 [小村は脳天からクリスタルの真空管を抜き出す] 彼はここに感情がないことを感じています。それで彼はその空虚感を満たすべくクリスタルを透過して感情の結晶を管の中に作り出すのです。感情がこのクリスタルの管の中に結晶として残る。アンドロイドは全身を使って『感情』をクリスタル管の中に絞るのです。スプーンに『折れろ!』という具合にです。まぁ実際は念じるわけじゃなく、物語を語るのですが・・・。物語を語る事と結晶の間にはどんな関係が? それは中世における魔女と科学のような関係がありまして・・・。ご理解いただけますかね、その辺。そしてその結晶は被験者のマイナス意識とシンクロしています。まだそこには『感情』としての働きがあるのです。ではその結晶を砕くと何が起こりますか? そうですよね、元々あった感情が一緒に消えていく。アンドロイドというものを媒体にして結晶と被験者がシンクロニシティーを起こすのです」小村は一息つく。「どうでしょう?」
「いいと思いますよ。わかりやすいんじゃないかしら。本番もしっかりしてね」とクミコが言う。
「本番は何年後かなぁ」私は含み笑いで返した。「本番、本番・・・」と唱える。
 そう、研究発表の記者会見の予行練習をしていた。カメラがずらりと並んでアン公にフラッシュを焚くんだ。いつそんな状況に置かれるか分からない。いつでも自身を守れるように答えは準備しておくものだ。私の体から不安が消えて気が満ちてきた。クミコはカメラをしまい帰り支度を始めて言う。
「夢が遠ざかる気がしますけど」
「認められないって?」
「多分」
「君が思うのか?」
「私だけならいいですが」
「世の中のものは体外そうだよ」
「自信満々に聞こえますね」
「慢心は砕いておこうか?」
「それがいいかもしれません」
「そうしておくよ」
 私はまた終わりの道を歩いてしまった。会話が終わってしまったのだ。熱に満ちた私は風を感じていないのかもしれない。独りよがりに胸だけが疼く。

 風が深緑の絨毯を波打たせる。遠く都会からの風は、森を抜けて無臭をよそおう。研究塔はもうすぐ夕闇に沈む。誰の目にも触れず立ちつくす姿を二人は「己のように」と表現した昔。今、白衣の二人は同じ空を見る。
二人は夕日に背を向けている。小村の後ろに、影が届かないところにクミコが立つ。背にした太陽は東の空に闇を誘う。もはや太陽には手が届かないのか、押し戻せないのか、紺はその力強さに侵略を任せ、冷風その色の意味を染める時間である。
 クミコは右回りに回り、研究室に向かう。小村がその手を取った。
「先が見えたし」
「何?」クミコの声が優しく、風に馴染んだ。
「手で良いから、してくれないか」力強く答えた。
「手でいい?」とクミコが言う。「テ?」両手の爪を並べて眺めている。
 クミコの手はちょうど陰茎をつかむ形になっている。
「さっぱりしたいの?」クミコはそれほど子供ではないのだ。
「いや、そういうんじゃなくてさ。心が開放されて、まぁ、あっ あの・・・つぃぃりっちゃんつかさ(つい言っちゃたんだけどさ)・・・ほんの ほんの ほんの ほんの・・・・・」
 小村の股間は明らかに膨らみ、いや、撮影中からしっかり勃起していた。しかしながら、もはやその腰は引けていない。「いい」と言われるまでベルトには手をかけなかった。クミコは軽く何度か頷き目線を下にした。
 ゆっくりと包皮をめくり上げ、観察しながら陰嚢を左手で左右交互に上下してくれる。何度も指先に唾液を付け、カリから先がすべるようにしている。根元から先までゆっくりしてくれると少し男に自信が持てた。少し自らのストロークを悲観していたのだ。
クミコは、私が果てるのを気にしなかった。白衣に滲んで少しの優越感を感じる。
そう、私はクミコをこんな風に見ていた。実際こんな風だった。こんな風にしたかった。射精した分だけ悪魔が私に入り込んだ。
私は独り、「見えないところが見えるのはうれしいね」とつぶやく。「見えないものを欲するのがいいことの始まりさ」
私はしばらく湿った陰茎を風に曝していた。
「今日のことがトラウマにならなければいいが」
風は東から吹いている。都会からさらった匂いは森の奥に潜む。その澱みは森の濾過で己の姿が変わるまで隠れているのだ。風が人々の心に届く頃には全てがキレイ事になって片付いている。夕闇は明星の独壇場だ。私は部屋に帰らなければならない。


  小村とナルシズム

 私の肉体は才能を語る能力に乏しい。私の指がタバコをもてあそぶと、私の指はタバコをもてあそんでいるだけで。私の動くスピードは誰の想像の範疇をも超えることなく、誰の乳首をもコリコリさせない。空気は私の匂いを犬の鼻に情報として運んで、私自身を肉片に変える。
 私は理解する。私の才能はこの思考回路だと。
作り出す全ての結論が、思考過程の美しさには及ばないのだ。いつかの芸術家が言ったように、「芸術はその過程に意味があるのだ」と信じる。

  「才能」 小村 文 フューチャリング 「アンドロイド小村」♪

僕の羊の毛はかつて
  あなたが褒め称える色をしていて
  あなたの頬を濡らした
  そんな日もあったんだろう

  今僕の羊の毛は
  あの日のように
  あなたの胸を暖めていますか?

  もう僕の羊はかつての色を失い
  僕の偽りの絵の具の色をしているというのに
  あなたはまだそれを抱きしめているのですか
  僕は静かにあなたを見ています

偽者の羊達は今も
  電気仕掛けであそこに動いていて
  僕の手の届かないところで
  誰かに毛を刈られている

  今僕の羊の毛は
  あの日のように
  あなたの胸を暖めていますか?

  盲目の紳士が手触りで知る才能
  僕は羊達の世話を怠らずそのふところを探る
  あなたはまだそれにお金を払うのですか
  僕は静かにあなたを見ています

  昨日の僕を塗りつぶすために
  あなたを忘れるかも

今僕の羊の毛は
  あの日のように
  あなたの胸を暖めていますか?
  暖めていますか? ♪

 この日、私は「慢心」を砕いて粉にした。


  午前0時

 午前0時。風が止む。思考が停止する。焦りが身体に回る。それは突然やってきた。映画の脇役の人生みたいに脈絡もなく。大きな流れに身を任せている日々に注射を打つ感じで。
今日すれ違った女に見られた薄笑いを思い出している。薄笑いの素は塊として私の頭、右上から迫り頬をかすめて唇をゆがめ、私の薄笑いとして現実の世界にその顔を覗かせる。「想い」を潰すと、(私の場合クミコへの「想い」であるが)その揺らぎは僅かながら、しかし途方も無い広がりを見せ、それは目に入るものの中に少しずつ、私が「想い」募らせるであろう種になって、クミコ的な要素を内包する者、揺らぎを受け取った各人によって街に運ばれ、私の目に留まることでやはり私のクミコへの「想い」に帰結させられるか、各々で消化するかである。
私の「想い」は日々誰かに消化され、削れ、消えていく。私がかき集めない限り、人々が燃やし尽くしてくれる。全てを背負い込むほどタフではないから私は日々「想い」を、「結晶」を砕き続ける。
風はまだ止んでいる。どこにも流してはくれない。過去はとどまって意識に溜まり続ける。風が止むと私は私以外の人間になることが出来ないのだ。空気は残酷なまでに澄み渡り、皮膚に張り付く。過負荷無しに過去の重さが身体に電気のように満ちる。重さを力と考えるか、足かせと考えるかは人により違うだろう。過去を背負うには歳をとりすぎたか、軽い世界に焦がれている。自分が自分でなきゃいけない『圧迫』に嫌気が差している。
違う運命はあったか? 自分の思う最悪の明日にニアピンでも、ホールインワンでなかったことに胸をなでおろす日々に辟易をおぼえる。本当はもっとましな明日があったはずなのに。ベッドにふして頭上を見る。天井との間にジリジリとした空間がある。濃密な空気が存在を明らかにして、体を起こすのをためらわせる。頭上に何処かへ誘う誘惑がひしめき、無言を強要しているかに感じる。思い切り飛び込めなかった数十年を思う。
ピンボールの鉄球がピンに弾む。点は尾を引き曲線になりゆっくりと放物線を描く。Yの壁を越えて下降しXの下に潜り井戸に向かう。記憶より深い性の井戸へ。


  歌舞伎町

 私は日本の首都にいる。午後四時を回っている。暑さは太陽の存在を薄め、まるで何に暖められているかわからなくなるある夏の日。私は一時間ほど中央線に揺られ新宿に立つ。渋谷署の小林賢次郎に、「時間が空き次第会いたい」との電話を受け揺られてきたのだ。この時間小林はまだ電話に出ない。忙しいらしいから根気よくマメに電話してみてとクミコに言われる。どっちが会いたがっているのかわからない。
 私は東口近くのシューズショップに入った。とてもおしゃれな靴がワンフロアに十数点ずつディスプレイされている。接客は黙ってくれている。

小村は「想像でマッカーサーを街に送り込む」

 僕の本当の姿は この靴に守られている この靴を履けば あいつは黙りこくる この長い足は 女にまたがる物さ 高い鼻は プライドの高さで 爆弾のことも どうしようもないだろ? 僕がこういえば かっこよくなる 僕がタバコをふかせば 君の手に灰皿 僕がキミのかわりに歌えば 街は踊りだすんだろ? それでいいじゃないか それでいいじゃないか キミは後ろにいればいいじゃないか ルルルルルルル ♪

 小村が正気に戻る。窓を通しての外の風景は柔らかな日差しの午後を演出している。店を後にする。
 私は時間を潰す術を知らない。街を歩く。大通りは嫌いだ。わき道を歩く。タバコを吸える場所を探している。新宿アルタ前。禁煙だった。ここが禁煙だなんて! 喫茶店を探す。若い人向けのカフェはこの時間満員である。古めの喫茶店に入った。アイスコーヒーをたのむ。物の三十秒で運ばれてきた。私はアイスコーヒーをキレイにタバコ三本分の時間で飲み干す。店を出る。時間を潰す術を知らないのだ。歌舞伎町から風が吹いている。私の股間が軽く期待になびく。足はすぐ大通りを渡った。
 風俗情報館に入り割引チケットを物色する。AV女優のいる店にした。新宿区役所の裏だ。「この娘は・・・」と聞くが出勤日ではないといわれた。写真から一番派手な娘を指名する。一時間待ちだと言われる。七本のタバコとモスバーガーをかじりながら待った。十分前に入った待合室には誰もいない。灰皿と風俗情報誌。テレビにはMTVが流れている。こういう時はどのタレントの顔も見たくないものだ。店員に声をかけられる。ピンク色のチラシに地図が書かれている。部屋は向かいのビルだと言われる。階段を下りて向かいのビルの六階に向かう。エレベーターを降りるとスーツの男が部屋を教えてくれた。「A―5」引き戸の向こうにはピンク色のバスタオルが三枚ベッドにかけられている。後を追って入ってきた女の子は膝を折って「ルイです」と挨拶する。服を脱いでシャワーを浴びる。泡でまみれながら女の子の胸を触ると「ヒヤッ」と言った。
「何カップ」無粋な声で聞く。
「Cあたりだと思います。大きいのがいいですか?」
「あまり関係ない」
 私は視覚が良くない。視力は悪くないが認識が弱いのだ。巨乳だろうが貧乳だろうが何も感じない。ヴァギナを見ても性的には感じないし、常にペニスを刺激していないと性的興奮を感じることが出来ない。「出来損ない」といつも自分を下す。「触覚だけなんて・・・」全ての性的高揚が圧覚に追いやられてしまって寂しい。
 女の子は指と足と胸と舌で巧みに私を刺激した。途中肛門に指を入れてくれたが、前立腺は感じない性質だといって辞めてもらった。自分自身で何度も試したのだ。自身の指やら器具やらで。
行為はひたすらに続く。しかしいつものように醒めてしまう。射精ができない。風俗に通いはじめたうちは「緊張」と思った。次は「売女」と。「インポ」「不感症」「この娘の真実」とか「純粋と苦労が見え隠れて・・・」とか。しかしどれも違う。ただ単に男ではないのだ。いつものように最後は自分の手でイッた。日焼けした跡に黄色身がかった精液がかかった。深いため息をつく。
「ありがとう」
 私は店を後にした。歌舞伎町の路地裏でタバコを吸う。黄色い「PUB響」の看板がある。空にはまだ青さが残っている。見上げた青い色が胸の奥までは染み入ってこない。恐らく憤懣か何か、言葉にすればわかりにくい濃いエキスが腹に溜まっているのだ。
疲れきった若い男が地べたに座ってうめいていた。
「俺は電波の街でもっとビンビンに勃起してたいんだよぅ・・・」
 
電波でビンビン・・・。電波でビンビン・・・。電波でビンビン・・・。

「あっ・・・あいつの電源・・・」


  アンドロイド小村

 ご主人様。ご主人様。ご主人様は偉いのであります。とても寂しい可哀想な人であります。仕事が終わるといつも私の頭をなでていただけるのが楽しみであります。クミコ様はザンネン・・・ザンネン・・・・残念でありましたが、あっ・・・こんな言い方ではクミコ様はお亡くなりになられたものに聴こえますわ。あらいけないこと。クミコ様ときたら毎晩毎晩高校時代の彼とまぐわう想像であれやこれや私に押し付けて。いやアレでございますのよご主人様。クミコ様は類まれな淫売。アソコには毒袋を抱えていらっしゃる。ご主人の大事なアレが腐れてしまいかねない。あー嫌だわ、アー嫌だわ。そんなことになっちゃ!  あーーーーーーー!
「ツーーーーーーーー」アンドロイド小村の電源が落ちる。待機時間が過ぎたのだ。
彼の頭は銀色に光り指先は細やかな神経に包まれている。神経束は脊髄に吸い込まれ、背面から吸いだされるように光ファイバーで纏め上げられボックスに収められている。心臓は感情と耐久力の限度を図るものとし銀の肋骨の背後に赤々と座している。瞳は、やや緑がかった虹彩が美しい。
彼はその機能として人を語る。人々が果たせなかったことを、その「想い」を結晶に換えるべくその才を搾り、物語を完結する。人々の魂を言葉により開放していく。
彼は生まれながらの創作者なのだ。


  渋谷警察署

 取調室に小村がいる。テーブルを挟んで賢次郎が座る。賢次郎が遅れたことの侘びとシャツを替えた事を笑顔で告げる。シャツを替えたことをわざわざ言う奴なんだ。「あなたの前に御免する」とか言う感じで。とても爽やかじゃないか。いや、実に。
「タバコを吸って・・・どうぞ」賢次郎が灰皿を指で押し出す。小村はセブンスターのボックスから一本取り出し咥える。もう一本を賢次郎にすすめる。賢次郎が右手で制して断る。口元には感じのいい笑みが見える。小村の中身が飛び出してその唇に吸い付く。小人が体から走り出て勝手に行動するのだ。他人には見えない。小村には良くある妄想だ。街ゆく女の子の唇にもよく吸い付くし、お尻に腰をあてがっては犬のように腰を振る。本当にイケナイ中身だ。
「研究所のほうは」賢次郎が聞く。
「毎日泊り込んでいます」
「一人ですか」
「えぇ」
「一人でもアレは動くんですか」
「十分だと思いますが」彼はもちろんそんなことは知っている。クミコの夫なのだ。
「出来上がっているのですか」
「出来上がっている?」
「完成ということですが」
「完成していると何が起こるんですか」
「何が起こる?」
「何をするんですか、というか何がしたいんですか」
「いや手助けを・・・」
「簡単?」
「失礼、何がですか」
「簡単なことですか?」
「簡単かはわかりませんが、たぶん難しいのでしょう。色々システムやらなにやら、決まりもあるでしょうし」
 小村はひとしきり考えるフリをした。顎に指をやったり、首をひねって耳たぶを触ったりする。考える理由は何もないのに。サンプルが欲しい。小村はそれだけが言いたくて、そして決して言えないのだ。
「だれを?」小村が聞く。
「詳しく?」
「簡単でも」
「精神異常者であると」
「何をしたので?」
「人を殺した」賢次郎の人差し指が立つ。細かく左右に揺れる。
「人を殺した?」
「ええ」
「何故? その人を?」
「単純には反省させたい」
「反省?」
「理解と反省を」
 小村がへぇ、とつぶやいた。
「へぇ・・・・・・」
 賢次郎の話ではその彼は宗教が「幸せ」を求めると私の幸せの取り分が減り、彼らの法人税は「私たち」のように彼らから「幸せ」を吸い取られた人間に支払われるべきなんだとか。私が人を殺したのはいわゆる「思想家の思想世界を超えた新たな道徳としての芸術」なのだとか。いやはや。いやはやである。私はとてもいい素材だと思い頷いた。


  マンション404号室

 カツ・キー カツ・キー とクミコの包丁が肉を切る。無心に見える。その瞳は熱を伝えない。夜の十時。思考は明日の予定を組み立てている。「早朝の事」「雨降りの場合」「晴れた場合」「風の強い場合」「気持ちの強い場合」「昼の過ごし方」「ランジェリーの色」「角のパン屋の主人の事」「生理の事」
 全てを考え、自己の内部で収まるようにプログラムする。あの人があれを言った場合私はこう答える。Aに対してBを差し出し、甲に対して乙を提示する。正しいのかは定かではない。身を守るためのプログラミングだ。いつだって危険は舞い降りる。不確かな意見は身を滅ぼしかねない。
 賢次郎の後ろからの左手がクミコの腰に回り、右手が彼女の頬を歪め唇を吸い上げる。硬くなった股間が押し付けられている。
「ショノママ、ショノママ」賢次郎が言う。ビクビクと膝が嗤い、クミコの思惟は深く根ざす前に健次郎に掬い上げられる。神秘の海の底にあるであろう、知恵者達が知を絞って捜し求めた答えに触れる前に。その思惟はクリスタルのハイヒールの如く、性的な完結性をもってして永遠に旅を終える。毎日のように終わりが訪れる。桟橋の上のハイヒールは誰かに落とされるかしない限りそこに留まり安定を得、誰かの手により再び水に潜ればそれを掬うべき人によってより安定な場所へと運ばれる。完結のある性生活に「アンドロイド小村」は必要ない。クミコの一つの意見だった。
 「早朝」二人は別々にシャワーを浴びる。昨晩のSEXはそれぞれの細部に血液を運ぶ心臓に自信を蓄え、隅々まで逞しく身体を支える。乱れの無い今日がやって来る。
 賢次郎はヒーローの如く悪を憎み、クミコはこの夜に掬い上げられるクリスタルのハイヒールを履く。賢次郎のワイシャツは白く、クミコの胸は少し大きくなった。


  「アンドロイド小村」の隣で

 小村がソファに寝そべっている。左手には赤い箱のマルボロ。セブンスターが売り切れでアメリカンな奴を買った。口の中が粉っぽくアメリカンだ。
「なぁアン公(アンドロイド小村)」アン公は返事をしない。「俺の欲望を何できれいな詩に変える? 何で物語りの俺の描写は美しい?」もちろん美しいのは小村じゃない。アンドロイド小村の物語の語り口に小村の理想が投影されてしまうからだ。物語の中の小村は美しい。姿形じゃない。その素行の総てが魅力的で勢力旺盛な中年の色気を醸し出すのだ。
 物語の中で私は激しく女の唇を奪い、誰かがガザのピラミッドと比喩する完璧な勃起は微塵の不安も寄せ付けない。しかしながらどうだ? 私の「想い」の醜さといったら。鈍重な怪物が胸を食い破ろうと内側からノックする。その辺のガキの青い性欲なんてかわいく見えちまう。エイリアンが私を鬱に引きずり込まんとノックする。それは下腹部に移動して熱に変わる。もよおすのだ。鬱ともよおしが交互にやってくる。性的興奮が鈍重を導き、鈍重が破廉恥を呼び込む。フーマッタク。
 私はアン公の頭を撫でてやる。優しく撫でてやる。待機電力でほのかに明かりのともったアン公は臨戦態勢だ。私は頭をウンウン縦に振る。
「がんばれよアン公」
 客が来るまであと少しだ。


  患者「瀬戸内 要次」VS「アンドロイド小村」

  リノリウムの床に敷布団が敷かれている。床と布団の間にはカーペットがある。冷たい床に布団を敷くほど無作法ではないみたいだ。コンクリートの壁に囲まれているが部屋は暖かい。空調の音がしている。仕切りの無い便所がある。便器がそのまま部屋に露出している。部屋にドアが一つ。黄緑に塗られた鉄のドアに鉄格子付の小さな窓。枕元にはプラスティックの容器に入ったコーンポタージュとバターサンド、一八〇ミリリットルの紙パック牛乳がプラスティックトレイに載っている。
瀬戸内は枕の臭いを嗅ぐ。クリーニングの匂いがする。身体を起こす。パジャマのズボンのゴムがめり込む腹を見る。腹を引っ込め上着をはだけてみる。幾筋にも走る皮膚の皺を見る。わき腹、背中を指でつまみ脂肪の厚みを測る。深く息を吸い長い息を吐く。焦燥感が身体に張り付いた。耳を澄ましても誰の言いつけも聞こえては来ない。全てを一人で感じ、レスポンスしなければならない。
孤独感、やり場のない意欲、社会からの逸脱、そして恐怖、そのいずれの心の動きにも言葉が付き添っていないことに気付く。イメージは直接 感情と理解に繋がり、そのいずれも言葉になる暇を持たなかった。恐怖を言葉にする人が今までいたかを思索するが思い至らない。
瀬戸内は『プラスティック』と言葉に出してみた。
『プラスティックスプーン』
唯一、連想した言葉だった。
 プラスティック・・・プラプラ・・・ティッ・・ティッ・・ティック・・・。プラスティックがそれなりの重さで頭に響いた。『プラスティック』は何度口にしても何ら攻撃的ではない。
瀬戸内は腕立て伏せをする。五〇回。布団の上でV字腹筋をする。五〇回。スクワットをする。五〇回。背筋をする。五〇回。
白衣を着た白髪の男に諭される。
「そんな事しなくてもいいんですよ」
「いや、それはしなくてもいいのだから、してもかまわないのかな?」と瀬戸内が言う。
「しなくてもいいと言ってるんです」
「してはいけないのかな? 心に反しているよ?」と瀬戸内が言う。
「心を直せばよいのですよ」
言いながら白衣は瀬戸内の上腕を掴む。柔らかい上腕の内側を強く触られて不機嫌に瀬戸内が言う。
「心を直すのは腕立て伏せをしないという事と関係があるのかな?」
「統計的に」と答えた。
「僕がそれに当てはまる確立はどのくらいかな? どのくらいなのかな? えっ? どのくらいなのですか? どの・・・どの・・・どの・・・くら・・・ぁぁぁぁぃ。どのくぁぁぁぁぃ・・・・はぁぁぁぁぁ・・・・」白衣を着た人々は説き伏せられるのが嫌いなのだ。用意していた鎮静剤を左肩に刺した。
 
「ほんとうにやるとはなぁ」

瀬戸内は目覚める前に声を聞いた。「ほんとうにやるとはなぁ」が頭の中に浮かび、人殺しと、なしとげられた横恋慕と、栄光のゴールをあちらこちらにちりばめる。見上げた天井に高い空を思い、また夢想した空の低さに自らの感性の窮屈を感じている。
その部屋で長い時間が過ぎる。一日は食事とトレーニングで終わる。トレーニングを止めることは諦めたみたいだった。しかし五〇回を過ぎることは無い。それなりに抑止されているのだ。苦痛は瀬戸内のその表情からは伺えない。この部屋には鏡も無いのだ。
三週間が過ぎる。「妄想は無いか」と聞かれる。「無い」と答える。「幻聴は無いか」と聞かれる。「無い」と答える。「誰かが見ているか」と聞かれる。「誰も見ていない」と答える。瀬戸内はベッドを与えられる。二週間同じ毎日が続く。食事をしてトレーニングをする。白い錠剤は徐々に瀬戸内から緊張感を奪い始める。それでもトレーニングは続く。物事を続けるモチベーションは何も緊張感だけではないのだ。瀬戸内は『否トレーニング』と戦っている。
瀬戸内は日焼けを許される。毎日一時間日焼けをする。トレーニングをする。鏡がある。それをのぞく。そこにいる男は瀬戸内である。日焼けをして、身体が締まってみえる。そこにいるのが瀬戸内であるのは瀬戸内がよく知っている。瀬戸内が鏡の前に立っているのだから瀬戸内なのだ。よく日焼けをしているのでそれは誰でもかまわないのかもしれない。身体を締め、日焼けをすることで匿名性を得たのかもしれない。それをじっと見つめる白衣がいる。彼は瀬戸内に白い錠剤をあと何㍉与えればブヨブヨと太るのかを計算している。
ある日「ここから出たいのですが」と瀬戸内が切り出した。時間が切り取られる事に少し参っていたのだ。「これからもここに通うか」と偉い白衣に聞かれる。「通う」と答える。瀬戸内には私服が与えられる。街に出た私服の瀬戸内は普通の三十二歳だった。
  瀬戸内はアパートを借りる。大きな姿見を買う。その中の男は確かに瀬戸内なのだ。瀬戸内は毎日トレーニングをする。食事を欠かさず摂り、太陽を求め南へ旅をする。よく日焼けをし、匿名性を得る。

 
   瀬戸内は詩を詠む

アフリカの奥地
水を汲んできた男
地雷を踏んだ

そのまま動けず
やってきた甥っ子に
助けを求め

  一日が過ぎる

男が詩を詠む
救われない者などいない
そんな詩を詠んだんだ

  男は神になり
  男は骨になる
男は風になり
男は雨になる  ♪

  
瀬戸内は夢を見る

  砂の大地に渇きを感じさせない子供の目、その顔は頬白い。父親カリカがその息子ビトに問う。
「空紋が見えるか」
「フウモン?」
「いや、地下水脈を導く空紋だ」
  ビトは空を眺める。きっと青の深さが違うのだろうと注視する。親子は砂の大地をラクダに似た「キュー」に乗り空紋を探す。「キュー」の毛は白く目が小さい。まぶたの下に薄い膜があり砂嵐から眼球を守っている。翼があるが飛ばず二本足で歩く。背中のコブがラクダ風だ。首は太く黄金色の飾り毛に覆われ、その背にまたがる者の助けになる。
飼い猫の「サイ」がビトの胸に隠れる。瞳がグリーンに輝く。
「空紋が集まって来た。神が降りるぞ」カリカが言う。
カリカは小指をくわえ長い口笛を吹いて辺りを眺める。「ブンチョ」を呼んでいるのだ。「ブンチョ」は「帝國」の名残である。「帝國」は緑の大地から砂漠に侵略する。砂漠の向こう側の「小国群」に届くように。戦時中砂漠で水を確保するため「ブンチョ」を育てた。「ブンチョ」は銅で出来ており、細い二本足で走る。その間から細い管を砂に下ろし、水脈から水を吸い上げ背中の小池にためるアンドロイドである。「ブンチョ」は「チー」と鳴く。鳴いて仲間を呼び集める。水のありかを知らせるためだ。カリカは「チー」と口笛を吹く。ビトは砂に右手中指を差し込んだまま左手で猫の「サイ」をなでる。風がひゅるひゅるビュウビュウ音程を変える。遮るものがない。時間が流れる。白い月が小さく浮かぶ。カリカの五感は砂粒の味と、匂いと、痛みと、意識をふさぐように響く音と、視界をさえぎる砂煙とを通り越した。丘の向こうと意識が通じたのだ。向こうに遠くからブンチョ親子が走ってくる。カリカが小さいほうを指して言う。
「お前あっちな」
ビトは右手中指についたベッコウ色のポン砂を舐めている。ポン砂は「砂の一族」の栄養になる砂漠の養分である。砂中に指を突っ込みグルグルとかき回す。磁石に集まる砂鉄のようにポン砂が指にまとわりつく。皮膚の水分を奪い飴状のポン砂の塊が指をコーティングする。味は無く、舌触りは濃い油のようにトロリとして咽を乾燥から守ってくれる。ポン砂の影響でカリカとビトの胸部にはクリスタルの結晶が出来ている。「砂の一族」特徴だ。勲章にも似たクリスタルが青く、生命に馴染むようにして輝く。
 ブンチョ親子はなみなみ水を湛える。カリカ親子はそれをゆっくり飲み干す。ブンチョの首に縄を付けてキューに縛る。また水を求める時にはこれを放し、後を追えばいい。
彼らは神を手なずける。一番過酷な場所で生きる人たちの特権である。命満たすべき総てにおいて枯渇しがちなこの砂漠で生きるために。偶像に溺れず、何が私たちを満たすのかを知る。
私たちを満たすのは神の吐息ではない。ブンチョの水なのだ。


   瀬戸内と六感カウンセラー

  男は幸せそうに見える。三十台半ばで瀬戸内と年代は変わらない。よい年のとり方をしていると感じられる。年輪が正しく刻まれているのだ。しかるべき時にしかるべき経験をし、しかるべき傷と誇りを備えているように見えた。男の繊細な顔つきはその人生に共感を促す事に長けている。瀬戸内は長い間、匿名性を得るためにしこしこと身体を磨いている。肌は小麦色になり、肩幅は人並みを超えている。そして瀬戸内は同情を払いのけ、孤独を手に入れたのだ。
私は同じ年代を生きた事が二人の人生についてどのように影響を与えるかを考えている。コンプレックスとセクシャルなモラルのこと。男性ホルモンとその強さの時代的寵愛度。あるいはBOSEのステレオスピーカーの進化について。男も瀬戸内も同じく世紀末を越え、新世紀を生きてきた。大きな変化ではあるがその意味がどれほど個人に深く染み入ったのかは想像ができなかった。
男の左薬指にはシルバーのリングが光っている。私生活が垣間見えるのは人間の武器だ。「私も生活をしているのだ」と主張する。踏み込んではいけない領域を暗に指し示している。瀬戸内は自分がホモセクシャルである可能性に思惟をめぐらす。アダルトビデオのペニスとヴァギナのどちらに感じるのかを考える。瀬戸内の中ではどちらも他人行儀に振舞っている。そういえば自分のペニスにも他者を感じる時がある。問題がホモかヘテロかの枠を超える。だいいち、結婚していないだけでいぶかしげに見られる時代ではないのだ。
男は瀬戸内がはじめて会う「カウンセラー」だった。瀬戸内は自らの考えを人に話す事はまずない。瀬戸内の中に築かれた世界は瀬戸内の理解と同時に宇宙を介してすべてに沁み込み、広がらなければならないと感じさせる密度を薄めていく。瀬戸内の世界は知らず知らずにあたり前になるのだ。
瀬戸内が「カウンセラー」に語る。「カウンセラー」は語られるのを待っているのだ。

  「昨日、神様が降ってまいりまして・・・・私に真実を伝えていきました・・・いや、   正確には昨日ではなくて昨日までに、です・・・・。この話しはよろしいですか? よろし・・・い? はい。まずここに一つの幽体離脱した存在があります。幽体離脱した幽体は目的に向かって時空を越えます。もちろん目的にまで達するまでいろいろな人を通ります。その幽体が時を越える時、長い距離を移動したい時、さまざまな越えるべきものに適した中継地を経て目的地に辿り着きます。ちなみに中継地は人間の脳の中の無意識であります。もっと専門的にいえば余剰意識と言うものです。そして辿り着いた先が『魔法使い』なのです。幽体が辿り着いたところが『魔法使いの身体』なのです。元々彼・彼女が魔法使いではないのです。幽体が辿り着いたからなのです。彼らは自分が『魔法使いになった事』を知りません。彼らは『魔法使いに近い職業』を選び始めます。『ミュージシャン・作家・弁護士』それらの・・・」
   「すいません弁護士が魔法使い?」とても誠実な表情を見せて「カウンセラー」が言った。
   「もちろん!人の心を自分の中で理解しなきゃならない。別人格の幽体がたすけてくれるのですよ。これらの職業は全てそうだ。しかしね、辿り着いた先で魔法使いになれなかった子に地獄が待っているんですよ。その可能性はあったのに成就できなかった人。その人に地獄が待っているのですよ。幽体は彼の中から幸せの種を全て奪い取ります。そしてその種を彼のごく近い友人関係に配りまわるのです。幸せの種をもらったものは幸せを、享楽的な幸せをむさぼっていきます。元々彼にあった彼に享受されるべき幸せです。それを見て幽体は実体を持ち始めます。孤独な彼の中で膨らむ劣等感に比例して実体化していきます。そして聞いてください。この街にはなんと実体化したものが数千もいると言う事ですよ。そして神様はこういいました。あなたは掃除屋だと。あなたは全ての悪魔を・・・・・。ここで神は姿を隠しました」

   カウンセラーは固いコンクリートの家に帰って思う。
  「幽体は・・・・あそこの使いじゃなかったか・・・・・」

アンドロイド小村はこれだけを語ると、ゆっくりとその目を閉じた。

 瀬戸内要次はその隣に座っている。ゆっくりと目を開けてアンドロイド小村を見る。
「ア・バオ・ア・クゥ」と言う。「ア・バオ・ア・クゥー?」

 パイプ椅子に座った小村が丁寧に礼を言い研究所に横付けされたスッテップワゴンのハイヤーまで瀬戸内を送る。ハイヤーの前には三人の白衣のスタッフが待っている。瀬戸内は両脇を抱えられて後部座席に、白衣の男に挟まれるように乗り込む。その表情には曇りがない。肌が白く白髪が多いだけで一見は健全な男に見える。実際健全なのでは? 健全でないのは彼を取り巻く何かではないか? それとも健全でない何かの対比として健全に見えるのでは? 彼自体は透明な存在では? 小村は色々と考える。


  「小村 文」と「小林 賢次郎」

 応接間にイタリア製の黄色いソファがある。その二人掛けの真中に賢次郎がロングピースを吹かしながら座っている。テーブルの灰皿には吸殻が2本と少なめだった。ペットボトルのジンジャーエールが三分の二程飲み干されている。健次郎の顔はよく日焼けしているが口元が白い。額がやけに褐色に輝いている。
「何かわかりましたか」小村が聞いた。
「何がとは?」
「彼のことです」
 賢次郎は「ウーン」と考えるフリをして「無い。分からないと言ったほうが適当だ」と答えた。
「彼の事を理解したいのでは?」小村は賢次郎が「理解」と言ったことを少し根に持っているみたいだ。おまえごときに理解できるほど人間は単純じゃない。社会と自分の関係とを単純化した上の殺人犯だったんじゃないか。お前が同じ様に単純に理解してどうなる。馬鹿者。単純に理解をした時点で人間の心はちゃちなオルゴールのメロディーに変わっちまう。賢次郎は唇の乾いた皮を剥きながら宙を見ている。
「このビデオはどうなる?」賢次郎が聞く。
「私が保管します」
「流出は?」
「それほど危険ですか」
「彼の話、つまり機械の話自体はどこにでもあるようなものだけど、この研究所自体がね」
「SF映画に見えるだけですよ」小村の頬肉が少し持ち上がる。
「それほどテープが重要だと思うかな」
「分からないのでしょう?」
「何が?」
「話が」
「小村教授。あなたには分かっているんですか?」
「話の意味は、あのままですよ。あれ以上の意味もなければ、それ以下でもない。話から彼を考察するのは自由だ。しかしね、それはあくまでも私たちの見解なのです。そしてアンドロイドから抜き取った結晶をプレスすれば終わる。もしかすると彼は反省するかもしれませんし。それが望みだったのだし」
「結晶を壊せば何もなくなると?」
「彼の『想い』が完結するのです。彼の『想い』は何も求めず、いわば社会的に完結します」
「社会的に?」
「現実的にと言った方が適切かもしれない」
「申し訳ない、具体的に言ってくれないかな」
 小村は少し考える。彼の想いが造ったこの物語の結晶をプレスした時の近隣の住民に対する影響を考える。彼自身のことは考えない。右の耳たぶをつまんで小村が言う。
「彼の付属品が剥がれ落ちるとか・・・」
「つまり?」
「彼を彼たらしめんとする社会との無関係化といいますか、彼の人生を形作ってきた事象の無意味化という感じです」
「そんなに上手く無になるのかな」
「彼の人生があなたの知っている犯罪と、それを招いたであろう彼の主観としての環境と記憶にだけ満たされているとすれば、です」
「そんなに上手く?」賢次郎は右斜め上の蛍光灯を眺める風で尋ねる。
「まぁそれが彼の本来のエキスを構成しているなら、です」
「抜け殻に?」
「はい?」
「彼は抜け殻になるのかい?」
「ある意味」言いながら小村は少し泣きそうになる。「抜け殻」なんて言葉聞きたくなかった。小村は今まで自分の「想い」を押し潰してきたのだ。抜け殻になったほうがましだ、と思いながら。抜け殻になることで自分を保ってきたのだから。
 賢次郎はこれ以上係わりたくないって感じで両手を上に向けて左右に振る。降ってきた雨を確かめるように手を振っている。
「俺は反省した態度をとってほしいだけなんだけどな」
「反省はもともと本人の中にない限り生まれないと思いますが」
「本当に?本当にそう思うかい?」
 小村は小刻みに首を縦に振る。賢次郎がため息をする。
「任せるよ」手を前に組んで賢次郎が言う。
「どうも」
 賢次郎はトヨタ「ソアラ」で研究所を後にする。草原の小さなコンクリートの塊に小村と、アンドロイド小村とそれに残る結晶だけがある。小村は深呼吸をした。蛍光灯がまぶしい。コーヒーを淹れてマルボロを咥えた。BICのライターは火を着けられずに小村の右手に揉まれる。換気扇と扇風機が四六時中部屋の空気をかき回している。
 それにしてもこれほどに密な物語をアンドロイド小村に作らせる情念に感服した。この「結晶」を砕いたとして彼がまた、自分に不利益なしがらみをかき集めないとは限らない。               
しかし精神病の殺人者なら刑務所より厳しい病院生活が待っているだろう。白い錠剤を言葉が不自由になるほど、小便が出なくなるほど飲まされ続けるのだ。しがらみなど感じないほどぼうっとして生きるしかない。生きた屍の様にだ。
では「結晶」を砕くのに意味があるか? 精神病が治る? 普通の殺人者に?
イヤイヤ・・・私の目指すのはそこじゃなんだ。病理を無くすんじゃないんだ。病理を生み出す『圧迫』から人を解放するのだよ。この世の中にある全ての『圧迫』の親玉的な情念を探しているんだ。それは社会的に危険な事だ『圧迫』を頼りに生活をしている人もいるのだから。
彼の「結晶」は親玉的圧迫だろうか? 今砕いていいのか?

 私はタバコに火を着けて深く煙を吸い込んだ。
「どうしようか」
 

  小村と「想い」の結晶

 応接室の机の上に写真が並べられている。数十枚の結晶の写真。小村の手には瀬戸内の「想い」の結晶の入ったクリスタルの管。写真はいずれも小村が「想い」の重圧から逃れるためにアンドロイド小村を経てプレスされるに至った物だ。どれも懐かしく美しい。
「美しいな。ウーン」小村は瀬戸内の結晶を眺めている。
 その結晶は写真の結晶とあまり変わらない形状をしているが、色が薄い緑のとブルーサファイアの結晶のようなものとまばらに混じった感じである。宝石の原石はこんな感じだったかと思う。樹氷状の枝を見るとわずかに螺旋階段を思わせるものがある。螺旋階段から「DNA」や「繰り返し」、「無限」「堂々巡り」「完全な閉じた世界」を思い浮かべる。小村のそれは気まぐれに伸びており、規則性は見当たらない。枝も雪の結晶のようには規則正しくなく幾何学的ではない。その形状から何かインスピレーションを受けることはなかった。規則性を見ればその質が分かる、と言えるまでサンプルを集めたいが、如何せんまだサンプルの幅が狭い。クミコのものはこの研究所を出る時、彼女自身で破棄してしまった。
「しばらく様子を見るか」
 結晶を形作ってからそれをかき消されずにいた場合、本人の「想い」がどのような変遷を経るのかまだ知らない。
「ん? 私で試すか?」
携帯に手がかかる。クミコに電話するのか? 顎に手をやりしばらく頭を空にした。マルボロの灰が長く伸び、床に落ちた。ソファに寝そべって天井を仰ぐ。疲れから来るだるさと賢次郎とのやりとりで少し脳の電圧が上がってしまった。下腹部に重たい情を感じる。手を伸ばさない。ペニスをしごきすぎるには歳をとりすぎているんだ。扇風機が風を運ぶ。風は頬を冷まして上空をマルボロの煙でまく。

  小村が詩を詠む

知らない外国のおじさんが言う
  一〇二六段階段を上ってくれないか

  一段目で君を知り
  七段目で君を失う
  十段目で将来を考え
  その次に理不尽を知る

  おじさんに言う
  あなたはどこまで上れたのかを

  おじさんは言う
  最後の段は私の気持ちです

  僕とおじさんはハート型の船で
  大洋を渡り
  崖の上で雄叫びを上げる
  それが何の意味があるかっていわれても・・・

  おじさんは言う
  東京がマグネチュー度4程の不幸から免れたって

  本当はどうだかわからない
  僕ときたらまだ君と寝たいと思ってる
  もうこんな時でさえ
  体がうずくんだ


頭の中で誰かが問う。
「タイトルは?」
「ア・バオ・ア・クゥー」
幻獣の名前だった。
 
小村は目を閉じ、まぶたの向こうを意識する。赤く輝く点が見える。月から見る火星が地平線へ没する以前か。やがてそれは彗星のようにぼやけて僅かに動く。この部屋に円い光源は無かったはずだ。残像じゃない。まぶたの向こうの赤い光がピンぼけのカメラを通したようにその向こうと溶けている。股間は目覚めたばかりのように8割方に硬い。
 瀬戸内を封じ込めたクリスタルを左手にもてあそび、小村は自分の為す行為のみを意識する。この結晶を砕く様を想像し、そこに後悔と嫌悪が無いことを確認する。
「よし」
 小村は結晶の写真を撮り、躊躇無くプレスした。
瀬戸内がアンドロイドにささやいた名前「ア・バオ・ア・クゥー」は悟りの道への付き人の名だ。殺人が悟りの道とは驚いたものだ。
「粉々に砕いてやる」
 小村は幾度となくプレス機をピストンして、世界はねじけていく。


  瀬戸内の結晶が広げた世界
 
風が潮を巻く街、レンガの倉庫群を望む埠頭。それまでの理知的に生きてきたであろう人生の歴史が刻まれる深い皺のある顔をもってして白髪の老人が隣の若い男に問う。
「純粋な苦痛を知っているかね」白髪の男が言う。
「『純粋な』という表現が解かりませんが」と若い男が言う。「説明して欲しいな、面白い仕掛けがあるのだろう?」若い男は素直で無表情だ。
「『純粋な苦痛』とは何も生み出さないということだよ。大抵の苦痛はそれから開放されることでの安堵や、一種の快楽を伴っている。苦痛の後には幸せがあるということもいわれる。ひたすら鉛のように思い悩んだかと思えば、次の瞬間三歩進める手を思いつくともある。だがしかし、この『純粋な苦痛』は、ただ苦痛として訪れ、苦痛として去っていく。後姿も見えない。いったい何が苦痛の種かさえ教えてくれないんだ。何も生み出さないとは、思い出や経験にもならず何の導きももたらさないということだ。どうかね君の存在がその類のものだったとしたら」

 白髪の男は魔法をかけたのだ。若い男に曖昧な恐怖が広がる。側頭葉から前頭葉、眉間に電気が走る。答えは見つからない。
「俺の存在自体が苦痛?」

この男のすむ街は古い港町で、観光客が多い。日ごろすれ違う顔なじみの人々は彼を既知のものとして対応する。「相変わらずだね」と声をかける。「調子はどうだい?」とかけ返す。「まあまあだよ」とお互い笑いあう。しかし週末の観光客は彼を一瞥するとその心に重い鉛を抱え込む事になる。「まあまあだよ」なんて言って笑いあわない。ましてや彼の下半身事情なんて知らない。ただ通り過ぎるだけだ。鉛は胸に柔らかく広がり、または前頭葉を重くし、思考回路を奪い取った。そんなわけで観光客はふさぎこんだ顔で彼とすれ違う事になるのだ。彼らは思う。この重みはなんなのだと。そして通り過ぎた若い男のことを思い出す。彼はそれなりのハンサムなのだ。そのハンサムぶりは旅行を楽しむような彼らには決して手に入れることの出来ないタイプのものなのだ。強いて言うならその土地に永く住む、遠い平和を見つめるテロリストの匂い。それが鉛のように張り付いているのだ。彼らの心の中に残る鉛の記憶と若い男のイメージは互いに寄り添っている。鉛の記憶と若い男のイメージが次第に同価値になってゆく。それは無意識に、ゆっくり進み、時間が経つに連れてあたり前の連想のように明確になる。
すれ違った人々の中での「男のイメージ=鉛」 が男に張り付き続ける。

 そして若い男の身長は五センチ縮んだ。

外の世界は五センチ縮んだ男を見て、彼の五センチ分の存在感の欠如に見合った変わり方をする。心が晴れたり、曇ったり、乱痴気騒ぎがあったりする。周りのものは皆、言葉を押し殺してマスターベーションしているのだ。誰にも言えない。
でも本当は彼が五センチ縮んだ事などもうどうでもいい。彼にはキレイな奥さんが出来たのだ。彼が五センチ縮んだあとに知り合い結婚をした。彼より少し背の高い目のきつい女だった。たちどころに風が吹いて、皆の興味が彼の五センチの欠如から奥さんの見えない欠如に移っていった。
そして彼はまだ自分が五センチ縮んだ事に気づいていない。彼はあまり勘がよくないのだ。 

 〝BGMとして〟

新潟の町外れの校舎の裏で
  おじさんが言う
  「坊主、たやすく愛を出しちゃいけない。
  愛は搾取の対象だから」

子供にはわからない背中と白髪
  僕と犬と彼女は倉庫の裏で
  黙って見ていたんだ

  賢そうな眼をした狼が
  僕の犬を見るんだ
  うなだれるように背を向けて
  歩く姿を見て
  僕の犬なんだと思う
  「まだ知られていない」
  僕の犬なんだって

  新潟の町外れの校舎の裏で
  おじさんが言う
  「坊主、たやすく愛を出しちゃいけない。
  愛は搾取の対象だから」

  子供にはわからない背中と白髪
  僕と犬と彼女は倉庫の裏で
  黙って見ていたんだ ♪

「アハアハ。愛は搾取の対象だって。アハアハ」男はひとしきり笑みをこぼす。

 若い男は切り替えて考える。切り替えて考える自分がシャープに思える。ハゲワシは禿げているから嫌われているのか? 死肉をついばむから? その存在自体が? 生きているだけで嫌悪を引き起こすことに思考を凝らす。彼は想像の中でハゲワシにカツラ被せ、性的なものを連想させる総ての欲望的な行為を覆い隠す。
醜いと言われる動物達の生態を地球規模で正当化する。「地球規模で言ったらアレよ・・・」ってな具合に。彼は「アハアハ」笑っている。「アハアハ。愛は搾取の対象だって。アハアハ」
残念ながら彼はそれほど頭が良くないのだ。彼はまだ自分が五センチ縮んだことに気づいていない。始めから自分の目線で物を見たことがないのだ。妻は未だ美しく、次第に欠如が目の奥に潜むようになった。美しい女によくある瞳の中の欠如だ。それが生まれてしまたのだ! 誰かが言わなければならない。
「あなたは五センチ縮んだのよ」って。マッタク!苦痛だ!
 それを知る苦痛は収まるべき彼のところに収まるのだろうか。五センチ縮むことは、彼の「純粋な苦痛」としての存在が生み出した嫌悪の対価なのか。五センチ縮んだ後も彼は嫌悪を生み出し縮み続ける、ないしは他の変化を遂げるのか。そのとき瞳の奥に光は戻るのだろうか? あるべき所に無いという苦痛はまだ続くのだろうか? フー・・・マッタク!

  
近隣にて

 嗚呼・・・・僕に君を輝かせる
 嗚呼・・・・君に僕を虐げる心があるなら

 一つ芝居をうって
 世の中を変えてみませんか
 これは醜い世の中だって・・・・・♪

 妻 ナニガシが言う。
「誰かが歌ってるわ」
「誰?」夫 何某が聞く。
「とてもきれいな声よ。邪魔しない声。私の意識とか、集中力とか。とても澄んでるわ」
「君の中でエネルギーが落ちてるんじゃないかい?」
「エネルギー?」
「君の意識がエネルギーって言葉で例えられる物だとしたら」
「だとしたら? 何?」
「君の本来守るべき領域に誰かが風を吹かしているんじゃないかな? それで今君の意識はその風に揺らぐほど不安定になってるんじゃないかって」
「悪い風かしら?」
「分からない」
「揺らぐのはいけないかしら?」
「僕は不用意に揺らぎたくない」女は常に揺らいでいるから・・・なんて儚い詩人の言葉が頭をよぎる。夫の指をいじりながら妻はその指を見つめている。
「セックスしたいぃ?」
「したい」
「すごく濡れているので入りやすいと思いますけどぉー♪」妻「ナニガシ」は夫「何某」の手を導く。
 風は全ての人に平等に吹く。それぞれの人のツボを心得ながら、快楽と苦痛を運ぶ。


  小村が見た夢

 東京に住む青年Cは出会い系サイトで写真入のメールをもらう。何回かやりとりの後、会う約束をする。時間を過ぎても彼女は現れない。もちろんネカマ相手にメールを打っていたのだ。七日が過ぎる。青年Cはレンタルビデオ屋のアダルトコーナーの暖簾をくぐる。写真の娘がAV女優のパッケージそのままだ。「ホホウ」と合点し、それを借りて一週間ゆっくりとマスターベーションをする。
 その時、東京に住むAV嬢「ナニガシ」の孤独が終わる。舞台に一人で立ち、赤いビロードの幕が下りると言う類の終わり方ではない。そんなものでは膜の向こうでも彼女は孤独じゃないか。安らかに幸せへと歩み始める事ができるようになったのだ。
それまでの彼女は、外見から孤独は見受けられなかった。彼女自身も孤独であることを知らなかったようだった。本人に意識されることなく、孤独は彼女の背中に張り付き、行き交う人々は彼女の孤独に唾を吐いていた。生まれつき孤独と「非」孤独感を同時に内包できるタイプだったのだ。
そして彼女の手をとったのは「非」青年Cである。それが、その男が青年Cである確立は「青年Cが十年前に生まれていれば第二次世界大戦は無かったのに!」と言われるくらいのものである。全くそのぐらいの確立である。
青年Cがテレビ画面でAV嬢「ナニガシ」を見つめる間に、「ナニガシ」の孤独が終わったのだけは確かだった。

 ある教室でホワイトボードに中年の男が書きなぐる。
1、AV嬢「ナニガシ」は 妻「ナニガシ」 と別人である。
2、妻「ナニガシ」は元AV嬢ではない。
3、AV嬢「ナニガシ」は空想の人物ではない。
4、アンドロイド小村の創った結晶はあらゆる人間の根底に流れる基本的感情を含んでいる場合がある。
5、青年Cのマスターベーションはその他大勢のそれと変わりがあるのかは分からない。また、それがAV嬢「ナニガシ」の孤独の終わりと時間的に同じであったのだけ確かである。
6、青年Cが実際にAV嬢とSEXする確立は低いが、青年Cが青年Cとして生まれたのは奇跡的な確立である。
7、今日はマスを掻くなっ!!!!
汗まみれの男が言う。
「今日はこれで終わりだ。帰れ」
 椅子を引く音が幾重にも重なる。
白い部屋の蛍光灯が消される。


   妻「ナニガシ」の詠んだ詩

長く 続く 世界 それは きれい マジナイ師の
水晶 写す 未来 それは 渦に 飲み込まれると言う

永久(とわ)の 愛を 貫く 僕達は 
恋人にささやく 言葉は 嘘で固める

遠い 昔の 夕暮れ 僕が 剥がれ落ちて
赤く 厚い カーペット 渦に 巻き込まれるという

楽園の 放つ 甘い ジリジリは
中にいるからの 快楽を 醸しだす

長く 続く 世界 それは きれい マジナイ師の
水晶 写す 未来 それは 渦に 飲み込まれると言う♪

ベッドの上、夫「何某」のまぶたは閉じられている。それを見る妻は世界にまぶたを閉じる事について考えている。孤独は目を閉じた者に訪れるのか? 感覚さえ無い深い眠りのことを想う。死に近い? 矛盾するようだが感覚的に? 頭の中で理解できた「きっとこんな感じ」をリアルに感じてしまった後の衝撃に何の教訓を得ればいい? 理解と経験は違うのよ? 深く眠って世界に対して目を閉じるのは素敵なことかしら? 誰も答えてはくれない。少しわくわくする。セックスの後にもかかわらず頭が電気を帯びている。孤独にひどく憧れを抱く。誰にも受け入れやすい類の結婚願望のような爽やかさがさそう。そこにあるかもしれない沼の匂いをかき消す爽やかな風が吹く。
妻はキッチンへ行って一人でペットボトルのクリスタルカイザーを片手にマンゴーをかじる。歯が「カチカチ」かみ合うたびに「コツコツ」と頭の中に音が響く。さっき頭に響いた歌声が耳障りでなかったのは、きっとこの音の感じだったからだと納得する。猫は「ゴロゴロ」喉を鳴らし、傷を癒す。内響する音が身体を癒すのだ。私の声は私を癒しているのかしら?
妻は一人で声の内響と癒しについて考察を続けている。夫はその世界に目を閉じたままである。


  小村 文 と ジリジリの楽園

 それはまだ思春期の始まりに優と劣を分けるために存在する甘いジリジリ。
それはおしゃれな服をシンボルに掲げる街の占有者の国。
それは汗臭さを除いた狂乱の世界を想像させ、悪をおしゃれに染める。
それはくどき文句の要らない直感的意思疎通の世界。
 それは笑い声たゆまなく響く世界。大半の者、その世界に割り入るもそのジリジリに触れることはかなわない。
 それは大人の造った愛の溜まり。意識の広がったままセックスをする大人の世界。
 それはある意味、愛を見つけるのに一番近い島。それが「愛」なら、である。

 少年の時、周りの彼らは何を放っていたのか? 小村の手に触れることなくそこに厳然としてある甘い果実のジリジリ。かわいい女の子。それを取り巻く男の子。おしゃれな服。行為ではなくエネルギーの優劣としての排他を感じたものであった。己を信じて疑わなかった日々に真実のマイノリティーを見つけてしまいそうだ。
私、小村の人生は間違っていたのか? 男にありがちな「小さな劣等感」を「大きな権力」でねじ伏せてやる、的な感じで生きてきてしまった。今、手に入れたのはアンドロイド小村と孤独である。
 
私、小村は中野ブロードウェイにいる。サブカルチャーを支えるショッピングモールである。昼間に行けばフィギュアやマンガに埋もれることが出来る。夜十二時を回り店は閉まっている。人通りは少ない。それにつながるアーケード商店街サンモールにはストリートライブに幾人かの観衆が集まっている。路地をのぞけばニュークラブの呼び込みが見える。
 男とは二十四時ぴったりに待ち合わせしている。周りを見渡すがそれらしい男がいない。相手には自分の特徴を知らせておいた。無精ひげとノンフレームの眼鏡。ピンクのポロシャツである。

ストリートライブの歌声が響く。

今日の雨は
  強く降ってフォギー

  街を白く包んで
  濡れる靴もそのまま

生きてるだけましだろ
  なんだかひどいイジメみたい

  僕はぬれて
  君は乾いてCOOL

バスタオル白くくるんで
  君の言葉を待つのみ

  アレ返してくれません
  アレだけでわかるでしょ

  僕のシャツは君の部屋に
張りぼてみたいに飾られていて
エアコンの空気が僕の代わりに
  彼を膨らます

  今日の夜は
  強く握って shake it 

  階段白くにごって
  つまずいた弾み全力疾走

  少し貸してくれないか
  疲れに似た透明な冷静

「恥ずかしいんだ君の前じゃ」

  僕のシャツは君の部屋に
  張りぼてみたいに飾られていて
  エアコンの空気が僕の代わりに
  彼を膨らます ♪


 今日の東京の雨は強く、アスファルトを叩くその粒は白く煙った。確かに「フォギー」だ。霧雨が降らなくなって久しい。暖かい都会の空気に逆らうように落ちてきた雨粒は大きく育っている。研究所には届かなかった都会の匂いが溶け込んだ雨。湿気でピンクのポロシャツが重い。軽く挨拶をしてきた目の前の男の話が聞き取りにくい。東南アジア系の顔をしている。「ゴハツ、ゴハツ、ハチゴー」といっている。七万八千円と聞いていたのでぴったり用意した。それ以上は持ち歩かない。目の前の男が「ハチゴー」と指を立てて繰り返す。「ハチゴー」。無理やり七万八千円をくしゃくしゃにして渡して、「リーブ・メー・アローン」と繰り返して背中を向けた。彼の目の奥が光っていた。少しドギマギした。ドコモの紙袋を確認する。中に茶色の油紙に包まれた拳銃「マカロフ」がある。
 私は雨の中で「死」の大きさを量っている。アン公をまねて綺麗な物語に仕立て上げようとする自身の脳に逆らって、自らの死の世間的な「無意味」を願う。指折り何かを数える風で、何も考えられずにいる。私の中で「生」と「死」の境目が消えかかっている。ジワリと雨の浸み込み始めたスニーカーのように、それは時間軸のプラス側に確か進みつつある。

小村はこの世の中の『圧迫』が嫌いなのだ。アンドロイド小村を造り、それを駆逐する夢は持てる。しかしながら風は小村を死へ向かわせる。


  マンション404号室

 クミコがベッドで賢次郎を胸に包んでいる。賢次郎の短く刈上げられた、しかし細く柔らかな髪が乳房を刺激する。少し大きくなったBカップは賢次郎を満足させているのだそうだ。激しくしてもっと大きくしてあげたいのだそうだ。
 瀬戸内の謝罪を聞いたらしい。言葉だけでは反省の色を見せているらしい。病院送りにならずに、檻の中なのだそうだ。アンドロイド小村の影響とは言わなかった。そのことは一切クミコに話はしない。
「ああいう男は反省を知らない。反省の言葉を吐かせて矯正するんだ」
「長い間そういう人たちを見てきたのね」クミコが言う。
「自己暗示だよ」
 賢次郎は色々な犯罪者達のサバキ方をグズグズと寝言のように言っている。サバキ方といっても右に左に分けて処分する感じだ。日々、賢次郎は簡単な男になっていった。アレを見れば右に、コレを見れば左に投げるってな具合に。
 クミコにはそれが気持ちいい。どこまでも深く洞察し、いつまでたっても分別できないのはじれったいのだ。クミコは毎晩賢次郎と愛し合う。それがあたり前だから。
これから先、自分との「経験」が賢次郎の『女』のメタファーになるのを想像する。総ての愛し方が私の背後にあり私から導かれるのだと考えている。
「健次郎クゥン」甘ったれた声だ。「世界が閉じているワァ。世界が閉じているのぉ」
 

「404号室の上空」 

世界は砂漠のような無の広がりを湛え、空によって閉じられる。星の手に取れるほどの近さによって匿名の誰かの体は宙に吸い上げられ、風にその行く末を任せる。砂嵐の届かぬ空は偏西風が何故吹き続けるのかを考察する暇を与える。そこには神の存在を見つけてしまうほどの無知が広がる。神は民の思いのままに形を変え、それを拝む者を従える。大地に血脈を放つキャラバンは水のありかを知らせ、その知は報酬を運ぶ。キャラバンはオアシスを目指して旅を続ける。オアシス自らキャラバンに寄ってくることは無い。彼らは永遠にオアシスを追い続ける。

 これは何かの例えではなく、クミコ夫婦の上空に漂っている。何の暗喩でもなく「非・クミコ夫婦」として。


   米神のマカロフ

 私の右手にマカロフが握られている。それはしだいに体温で温かくなり体の延長線上になる。これを米神に当てて引き金を引こうと考えたのはいつだったか。意思は時に捻じ曲げられ、突き抜けるタイミングを計っている。意思から行為へ。その長い道のりは確信への旅である。意思を抱いた胸の、その温度を保ったまま迷い無く行為にいたるのは至難の業である。愛を身体に満たして強い性欲を操るのと同じぐらい至難の業である。
 右手に温められたマカロフは米神に当てられる。その銃身はまだ冷ややかだ。冷ややかが骨に伝わり、銃弾が右から左へつきぬける想像をする。全ての想像が現実の導きになろうとしている。全ての想像が甘い夢を殺す。
 そう、私は死ぬ。死ぬという現実を強い想像力でひきつける。覚悟を決めたのだ。

 「遠く中国で、私の顔も知らない女の子が、この銃身を磨いたのかもしれない。生活費を稼ぐためこの銃身を磨き、その結果が私の死だ。どう思うか? 悲しいか? 何も感じないか? 人一人殺して何も感じないか?  ・・・・・・・・・・・・・んっ?」
 私は虐げているぞ・・・遠い国の女の子を虐げているぞ! 何の罪も無い女の子を虐げているのだ。
「なぁんてことだっ!!!」
 私と来たら私の鬱屈した精神で罪の無い人々を虐げているのだ。

 私の死への願望のなんと浅はかな事よ!

 私がアンドロイド小村で救おうとした『圧迫』がここにあったなんて。この『圧迫』が世の中にはびこっていたんだ。己の行為が他人に何の関係もないと嘯き、つながりを認めず、非難と弁解を打ち合い、強者は肥え太り、弱者は土を食む。いや、弱者は虐げられ、人まで殺さざるをえない世界なのだ。

 その『圧迫』の親玉が自分の中にもあったなんて!

 私はアンドロイド小村に繋がって助けを求めた。
「頼むぞアン公!」

  「イタダキ物で。」  小村&アンコウ

僕らが打ち上げたロボットの国は
宇宙の果てを目指しエンジンを探す
僕らは飛び立たないゆらゆらしない
今日の果ては相も変わらず明日

背中に羽が生えても舞い上がらない
心奪われる夢なんて見ない

眠る前に立ち止まって
空の国を思い出した

よいどれエンジニア達 最新兵器の心 
僕と想像をつなぐ 
間違った道はもう御免さ
僕らはロボットから エンジンをイタダキたい
一つ分けてくれないか
明後日に行きたいだけなんだ

僕らが過去の日に別れたフィクション
別の世界で知らない夢を見てる
水に映る螺旋のジェットコースター
交わるようで交わらないの心

地球にフィクション滲んで涙は枯れず
心あふれる宇宙にリアル

眠る前に立ち止まって
空の国を思い出した

空から降り注ぐのは いつかの誰かの涙
僕は思い通り明日も
しかしながらの胸の焦がれ
僕らはあの星から エンジンをイタダキたい
一つ分けてくれないか
明後日に行きたいだけなんだ

つかみかけた夢の世界
足がすくんでこわしたい
君が許してくれるならば

今 僕はあからさまに

君のエンジンをイタダキたい。


 私は結晶を取り出し躊躇無くプレスした。

「この気持ちこそいらないものだったんだよ。やっと見つけた」

 結晶が砕かれた後の小村は、羽の生えたピカピカのアメリカ車みたいだった。


                                 了
 
 

 
後書き
これ、すごいね。
よく書いたね。
落ちたね。
びっくりだね。 
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