打球は快音響かせて
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
高校2年
第十六話 ボロ雑巾
前書き
渡辺功 二塁手 右投右打 170cm64k
出身 日真脇東中学
美濃部とは幼馴染。1年秋からレギュラーで3番を打つ。
良識がある優しい人間。地味な実力者。
飾磨優作 三塁、一塁 右投右打 172cm84kg
出身 冨士原シニア
弱小シニアの4番打者だったが、脚力以外の実力は確か。
特に打撃は対応力がある。のんびり屋。
第十六話
梅雨の時期に入ってくると、もう殆どベンチ入りメンバーは絞られる。そして練習も、ベンチ入りを最低限「争う」メンバーが中心になる。中心になるというか、それ以外の選手は練習から閉めだされる事が増えるのだ。
「うぉーっ!」
「もう一丁こいもう一丁!」
梅雨は雨が増えるが、本当にグランドが使えないレベルの雨でない場合は練習は外でやる。
雨の日の練習は暑い晴れの日の練習よりもさらにダルい。グチャグチャの地面に足をとられ、スパイクと足が濡れて気持ちが悪い。ユニフォームがどんどん水を吸って重くなっていく。そもそも野球は雨の日にするものではない。
「おらぁーっ!来いやーっ!」
ランナー付きのシートノックで、外野から太田が声を枯らす。4月以降、ギリギリAチームに選ばれていた立場から代打を中心に地道に結果を出して、2年生ながらこのベンチ入りメンバー争いの最終局面に残っていた。
キン!
選手と同じようにびしょ濡れになっているノッカーの乙黒が打った打球が、太田の正面に転がってくる。二塁ランナー役の翼の足はまずまず。
三塁を蹴ってホームに突進する。
(殺す!)
その様子が目に入った太田は、バックホームの為に前進しながらゴロをグラブですくい上げようとする。
しかし、この日のびしょ濡れのグランドでは、ボールは思いのほか跳ねなかった。
「!!」
「何しとんやワリャァー!」
「何べん同じ事するんならー!」
グラブの下を打球はすり抜け、綺麗にゴロを後ろに逸らしてしまった。先輩や同期から罵声が飛び、太田は顔が真っ青になる。この日のシートノックでは、何度もこのような失態を演じていた。
「太田ァー!お前もうええわ!」
乙黒が叫びながら、ノックバットで指差した先には、ベンチで濡れたボールを拭いている京子。
その手にヘルメットを持ち、高く掲げていた。
ランナーをやれという事らしい。
「……」
太田は俯き加減に、ポジションから去って行った。
ーーーーーーーーーーーーー
「……」
「なぁ、もう泣くなよ。高校野球が終わった訳じゃないじゃんか。」
寮に帰ってから、太田は悔し涙を流していた。
1人寮の前のベンチで泣いている太田に、自販機でジュースを買ってきた翼が声をかける。
太田は翼をジロリと見る。
「…俺、炭酸飲まんのやけど」
「え、そ、そうだっけ?」
神経を逆撫でしてしまったか、とたじろぐ翼の手から太田はひったくるようにしてコカコーラを受け取り、グイッと一飲みした。
「あー、美味いわ!一年近く飲んでなかったけんな!体に良くないと思って!」
勢い良く飲み過ぎて、途中でゲップもしながら太田はコーラを飲み干していく。
「夏にはベンチ入ろう思って、あと少しまで来よったのに…今日で全部パァや!お前にも、よう練習付き合うてもらったのにな…」
「それはお互い様だったよ。俺も太田に受けてもらったんだし。」
翼にとってそれは実感だった。
太田が何度も何度も投げ込みに付き合ってくれなかったとしたら、B戦ですらマトモに投げられなかっただろう。
「ま、先輩らが居る中でここまでベンチ入り争えたんなら、俺たちの代ではレギュラーも見えてくるよ。無駄にならないって、太田の努力は…」
「違うんや!そげな事やないんや!」
空になった缶を太田はゴミ箱に放り投げた。
ドンピシャで缶は箱の中に収まり、カコン、と間抜けな音を立てた。
太田の剣幕に、翼は口を噤む。
両者の間に気まずい沈黙が続いた。
「…すまんな、好村。気を遣わしてもたな。明日から俺もランナーやるけ。コーラありがとな。」
不意に立ち上がった太田は翼に向かって無理矢理とってつけたような笑顔を見せて、寮の中に戻っていった。ベンチには、翼だけが残された。
「お前、よくあんな地雷踏みに行けるな。俺なら無理だ。放っておくね。」
そこへ物陰から姿を現したのは宮園。
実に呆れた顔で、翼を見下ろしていた。
「……一緒に練習して、頑張ってきた仲間を放ってはおけないよ」
「ふぅん、それでメンバー外同士で傷を舐め合おうとした訳ね。そりゃ太田も良い気持ちしないだろうな。」
「…………」
翼は黙るしか無い。
何と無く、宮園が言いたい事も分かる。
早々とメンバー外が確定した自分に慰められても、余計にイライラするだけだったかもしれない。
「お前には太田の気持ちなんて分からないよ。お前と違って、あいつはギリギリで落ちたんだからな。俺たちの代ではレギュラーだって?馬鹿だなぁ。そんな先を見てあいつは努力した訳じゃないし、先を見てないからこそ大して上手くもないのにここまで粘れたんだ。俺たちの代なんて見据えてたら、とっくの昔に、一つ上の先輩にこの夏を譲ってるよ」
「…………」
言われれば言われるほど、宮園の言葉が翼の胸に刺さる。自分の浅はかさが、宮園の言葉で浮き彫りになっていく。忸怩たる思いでそれを聞くしかない。
「まぁお前も頑張れよ。“俺たちの代のベンチ入り”を目指してな。」
宮園は翼に背を向ける。
カツカツと、宮園が階段を登って寮に戻る靴音を聞きながら、翼はどうしようもなく惨めな気持ちになった。
泣きたかった。さっきまで自分が、泣いている太田を慰めていたのに。
ーーーーーーーーーーーーー
「ああ…」
「うわぁー」
夏の大会の組み合わせ抽選の結果が出た。
ベンチの壁に貼り出されたそのヤグラを見て、三龍ナインは頭を抱えた。
3回戦の相手、水面海洋。
水面地区私学3強の一角である海洋が、春は不祥事で出場辞退していた為ノーシードとなり、Dシード(春のベスト16)三龍の前に大会序盤から立ちはだかる事になったのである。
なお、昨秋海洋はベスト4。実力はけして弱い訳ではない。むしろ、三龍より格上。
「何だよ林ィ」
「ホントあいつくじ運悪いわ」
3年生の先輩は一様にクジを引いて来た主将への愚痴をこぼす。鷹合は気合い十分に意気込む。
しかし殆どの部員がお通夜モード…
まるで昨秋、初戦が帝王大水面と聞いた時の、そっくりそのままの再現である。
(海洋ね…)
しかし、昨秋と違うのは、宮園も多くの部員と一緒にお通夜モードに入っていたこと。
「ジャイアント・キリングや!海洋に勝てれば勢いに乗る!」
昨秋と全く変わっていないのは乙黒。
鷹合と同じような呑気さで、今度こそと意気込んでいた。
ーーーーーーーーーーーーー
「…また好村がバッピ(打撃投手)を…」
「海洋のエースは左らしいですからね。左を打つ練習だーって、監督が言ってましたよ」
あの男が考えそうな事だ、と浅海はため息をつく。組み合わせが決まってからというもの、翼は毎日、フリー打撃での打撃投手を担当していた。
元々打撃投手をする事はあったが、全ての班のフリー打撃を担当するとなれば、球数は一体どれだけかさむのだろうか?
「あぁ、大丈夫やろ。俺もあれくらいは投げてたけん。」
浅海が監督室で乙黒を問いただすと、乙黒の返答は実に適当なモノだった。
「それにまぁ、どうせ試合では使えん程度のピッチャーっちゃろ?だったらバッピでチームに貢献してもらうんがよか。生徒の力は使える所で使ってやらんといけんやろ。好村にはあそこで頑張ってもらうんや。」
「使えない、か。Aチームで使った事も無いのによく言うよ」
「少なくともこの夏の候補にはもう入っとらんばい。あいつにはまだ来年もあるけん、ここでケガっても来年夏には十分間に合うわ。使えるモン使わんと、この夏負けちまう方が、3年に申し訳なかやろ?」
「…………」
随分あっさりと言ってくれるな、と浅海は思う。
乙黒自身は翼に何の指導もせずに放っておいて、浅海の指導でまずまず翼が仕上がってきたかと思えば、途端に打撃投手で使い捨てるような活用の仕方をする。乙黒は基本的には人が良い。乙黒の語る理屈も分からないでもないが、浅海としてはどうにも納得できない。
理性ではなく、情緒が納得しない。
3年生の夏が最優先なのは分かる。メンバー外が確定している以上、チームの為にはサポートに回るべきだというのも分かるし、自分でもそう命じると思う。でも色々理由をつけても、やってる事は結局選手の使い捨てではないか?繊細な投手が一度ケガしたら、回復後も全く元通りになる保証なんてない。
(でも、不憫なのは私じゃなくて、好村本人か…)
監督室の窓から見えるフリー打撃の様子に浅海は目をやる。L字の防球ネットの向こうで、翼が一生懸命にケージの中の打者目がけて投げ込んでいた。一球一球、力を込めて投げ込んでいた。
やめろ。適当で良いんだぞ、そんなの。
浅海は心の中でつぶやいていた。
ガシャーン!
その時、大きな音が響いて、L字ネットの向こうの翼が倒れこんだ。フリー打撃が中断され、翼の周りに選手が集まっていく。翼はいつまでも起き上がらない。
「ああっ!もーっ!バカ!」
乙黒は悪態をつきながら監督室を出て行く。
浅海は虚ろな目で、その様子を眺めていた。
ーーーーーーーーーーーーー
「…………」
「で、全治2ヶ月の骨折なんやって?ヨッシー」
その日の晩、寮に帰ってきた翼は松葉杖をついていた。フリー打撃の流れ弾が防球ネットの隙間を縫って、翼の足首に直撃したのだった。
ギプスで重たくなった左足を引きずって部屋に戻ると、枡田が待っていた。
歩きにくそうな翼を見ると枡田は肩を貸してやり、ベッドの上に座らせた。翼はひどく疲れた顔をしていた。
「……俺、バッピすらマトモにできないのか」
「そんなん言うてもしゃあないですよ。あんなん事故やん。俺ら一年の準備が適当すぎたんですって」
落ち込む翼を枡田は慰める。
普段とことん舐め腐っている割には、こういう所は律儀なのだ。
「前向きに捉えましょうよ。あのまま投げてたら、ヨッシー多分肩肘どっちかいわしてましたよ?そこ壊してたら、多分もっとシャレにならへんくなってましたよ?」
「え……」
「普通に考えて、あんなバッピばっかずーっとずーっとやらせんのおかしいですやん?監督か奈緒ちゃんかは知らんけど、ボロ雑巾みたいに使い捨てるつもり満々やで、あれは」
翼は薄々気づいていた事を面と向かって言挙げされて、複雑な気持ちになった。
確かに、その雰囲気は感じられた。
かと言って、それに歯向かう気にもなれなかった。実際問題、自分はバッピくらいしか役に立てる事はないだろう。良い気分はしないが、でもそれに異議を申し立てられる程の力も価値も自分にはない。自分は、無力だ。
「ちょっと左で練習したかて、そんなん結局気休めでしかないですよ。まだ2年のヨッシーを、そんなしょうもないことに使い潰そうとするとか、ホンマ俺、ここの野球部に失望しましたわ。」
「…でも俺、バッピくらいでしか役に立たないし、文句言える立場にないよ」
「いや、それはええんですって!ムカついたらええんですって素直に!別にチームから金もろてる訳ちゃうねんし、野球を自分の為にやっても何も悪い事ありませんよ!ヨッシーを三龍に行かせた葵ちゃんも、まさか人の役に立ってこいとか言うてないでしょ?人の為に犠牲になりたいとか、無理に思わんでええですよ!」
「……」
枡田の方が、翼の扱われ方には憤慨していたし、より必死になっていた。翼は苦笑いする。
苦笑いするが、でも少し嬉しいような気もする。
多少なりとも、救われる。
「…まぁ、ゆっくり治して下さいよ。また秋に一緒に試合出ましょ。ほんで、葵ちゃん水面に呼んで見てもらいましょ。」
「……うん、ありがとう」
枡田は親指をビッと立てて、ニカッと笑顔を見せて、部屋を出て行った。
こうして、翼の2回目の夏がやってきた。
ページ上へ戻る