素顔
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第一章
第一章
素顔
赤龍は最強の横綱と謳われていた。巨体と怪力、そのうえ多彩な技を誇りあの大鵬に勝るとも劣らないとまで言われる程の強さを誇っていた。
双葉山以上とも言われる。そこまでの圧倒的な強さを今誇示していたのであった。
その彼の顔は非常に怖い。眼光鋭く目は釣り上がり鬼の様な顔をしている。そんな彼の顔を見て母親が子供達に言ったりするのだ。
「いい子にしないと赤龍関に怒ってもらいますよ」
と。それで皆ピタリと収まる。彼はそこまで怖い顔をしているとされていたのである。
そんな彼であるが人気は高かった。圧倒的な強さとその謙虚な性格で意外と皆から好かれていたのである。今日もモンゴル出身の豪遊無双の力士と闘って寄り切りで倒したところである。
「いやあ、結構結構」
相撲協会の偉いさんが勝負の後で彼に対して上機嫌で声をかけてきていた。
「よくあれで勝ったものだ」
「はあ」
人相の悪い老人である。とある業界の大物であるがそのあまりもの横暴と暴言で敵を非常に多く抱えている人物である。世間では彼を忌み嫌い北朝鮮の国家元首の様に言っている。そうした下劣な人物が今赤龍に声をかけてきていたのだ。
「見事見事」
「勝負ですから」
赤龍は素っ気無くそう返すだけであった。
「別にそれは」
「勝っても嬉しくないのかね」
「嬉しいっす」
それには頷いてきた。だが態度は素っ気無い。
「それは本当です」
「ではもっと喜んだらどうかね」
「はあ」
また何か力のない返事を返す。
「折角外国人の力士に勝ったんだからね。もっとこう」
「あの爺」
「また言いやがったな」
周りにいるマスコミ関係者達が老人の言葉にすぐ反応してきた。この男は暴言が非常に多くそれが為に日本中に敵を抱えているのである。ある騒動の時にはこうした時こそ十四歳以下の出番だと言われていたし批判するサイトも多い。ある週刊誌の嫌いな人間のトップに輝いたこともあれば死ねば日本中で大祝賀会が開かれるとまで言われている。およそここまで嫌われている人間は他にはいない。こうした人物が大手を振って歩いているという怪奇現象が起こっているのもまた日本の問題点であるのだが。
「そう思わんかね」
「いえ」
しかし赤龍はそれには首を横に振ってきた。
「そうは思わないです。彼は立派な力士です」
「外国人でもか」
「それは関係ありません」
そうはっきりと言ってきた。
「土俵に上がれば皆同じです」
「しかしだね」
「私はそう思います」
老人にそれ以上言わせなかった。強い言葉であった。
「違いませんか」
「おいおい」
「爺さんも横綱には勝てないってか」
マスコミ関係者達はそのやり取りを面白そうに眺めていた。この老人は万人に忌み嫌われている。彼がへこまされる話は誰もが望んでいるのである。だから面白そうに眺めているのだ。
「しかしだね相撲は我が国の」
「それでもです」
赤龍はまたしてもきっぱりと言い切った。
「私には相手が誰であれ構いません。強くて尊敬できる相手なら」
「ううむ」
「それだけです。外国人とかそういうのは何の問題もありません」
そう言って老人を黙らせてしまった。傍若無人で知られる老人ですら黙らせてしまったのであった。
「わかった」
老人は憮然として頷いてきた。というよりは頷くしかなかった。
「そういうことだな」
「そうです。では」
「待ちまたえ」
また老人は彼を引き止めてきた。
「まだ何かあるんでしょうか」
「これから付き合わんかね」
彼は料亭好きで知られている。そこでの密談を常にしているのだ。本来はそうした料亭での密談を批判するべき立場にいる筈なのに自分がそれをしている。何処までも陰険で腐り果てた人間なのである。
「美味いものでも食べながら」
「いえ」
赤龍はそれも断ってきた。やはり言葉は毅然としていた。
「もう約束がありますので」
「約束とな」
「はい、親方達と」
そう言って彼の話を受けようとしない。これは本当のことなので断るには充分であったのだ。
「そういうことですので。じゃあ」
「くっ」
老人は彼が去って行くのを忌々しげに見送るしかなかった。憂さ晴らしに葉巻を取り出す。なおここは禁煙であるがそれでも構うところはない。
「帰るぞ」
火を点けさせて周りの者に声をかけた。
「えっ」
「帰ると言ったんだ、馬鹿者が」
「は、はあ」
周りのマスコミ関係者の侮蔑しきった視線にはもう気付いていた。だから余計に忌々しかった。
腹立ちまぎれにその場を後にする。マスコミ関係者はその愚かで無様な姿を侮蔑した笑みで見送りながら話をしていた。
「いい記事になるな」
「全くだ」
彼等は口々にこう言い合った。
「あの爺さんの人種差別発言か」
「その後での密談への介入」
これだけで記事になる。叩かれるには充分であった。
「ちゃんと映像にも取ってるぜ」
テレビ局のスタッフが言ってきた。
「おお、そうか」
「ここ禁煙なのに葉巻吸うところもな」
「いいねえ」
「じゃあ放送だな」
「記事にも書いて」
あの老人に関することならそうして書かれていくのだ。元々人望も何もなく自身の社内でも北朝鮮の独裁者の様な有様であるので誰も何も言わない。愚劣で醜悪な裸の王様というわけである。
「こりゃ売れるな」
「全くだ。いい記事になるな」
こうして老人と赤龍に対する記事が出来上がった。老人は薄汚い人種差別主義者という烙印も押され赤龍はそれを否定し相手を尊敬する真の横綱となった。大々的なスクープとなり老人の会社には抗議の電話やファックスが殺到した。あまり物凄さに仕事にならない程であった。
『くたばれ爺!』
『御前なんざさっさと地獄に行け!』
『角界の金正日が!』
そうした言葉が殺到していた。社員の中にはノイローゼ気味になる者までいた。この老人の立派な人望のおかげである。
「全く、何ということだ!」
老人は自社の社長室でその魔女の様に陰険な顔をさらに歪めさせていた。
「俺が何をした!何故あいつばかりが!」
こんなのだから批判されるとは思っていないのが実に素晴らしい。
「忌々しい!俺が何でいつも叩かれなくちゃいけねえんだ!」
「そんなんだからだよな」
「おい、聞こえるぞ」
部下達はそんな彼を見て囁き合う。彼は当然ながら部下に対しても暴君である。逆らえば何をされるかわからない。まさに将軍様なのである。
「社長、それで」
「何だ!」
部下の言葉に吼える。なおこれで八十歳である。無駄に元気で長生きしていると世間に言われている。間違いなく日本で一刻も早く死んでもらいたい人間のナンバーワンである。
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