赤城と烈風
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
防衛の要
零式艦上戦闘機『烈風』、1式軽戦闘機『隼』
前書き
改定前
零式艦上戦闘機も史実と異なる点がありますので、説明の必要が有るかと思われます。
九八式12.7粍の固定機銃4挺を装備、1940年に採用され『烈風』の愛称が決定。
『れいしき』の頭を採り『れっぷう』、の説もありますが定かではありません。
九六式艦戦『強風』の三菱A9瑞星、600馬力を上回る千馬力級の発動機を予定。
直径の太い三菱A8金星を基に、気筒の全長を縮小し重量を軽減。
倒立式に配置する軽量小型の新型発動機、A14を開発し装備する計画でしたが。
1936年の衝撃に拠り当面の敵ソ連空軍に対抗する為、発動機の開発計画も見直されました。
新型戦闘機用のA14は構造に余裕が無く、潜在能力が乏しいと判断。
馬力向上の見込める大型化が推奨され、A14の開発は中止されました。
元々は爆撃機用の三菱A8≪金星≫、川崎製≪栄≫を装備する改設計を決定。
≪金星≫の出力向上と共に速力と運動性、防御力及び火力の強化を図ります。
武装は12.7粍に統一し20粍機銃、7.7粍機銃は皆無となりました。
史実の九八式7.92ミリ固定機銃は国産化に手間取り、性能の安定化に数年を要していますが。
1936年の衝撃に拠る波及効果が生じ、航空機用の固定機銃にも変化が生じました。
ドイツのラインメタル社から製造権を購入しましたが、高度な工作精度が必須と判明。
現場の技術者達の声が重視され、ラインメタル機銃の国内生産は早期に断念されました。
鉄鉱石の産出しない日本では溶鉱炉の能力不足もあり、発条の折損に起因する故障が多発。
当時の日本工業全体の弱点、≪折れない発条≫の隘路を回避する為です。
強靭な発条の製造と安定供給は民間、官営工場を問わず克服の糸口が見えない難関でした。
ブローニング機銃の弾道が直進する秘訣は、63gの弾頭重量が作用していると推定されます。
史実では実情を知る技術者達の声は無視され、軍担当者の横暴が罷り通ったのですが。
1936年の衝撃に拠り軍内部の改革を強力に推進、頑迷な反対論者達は排除されました。
海軍機関科将校達の発言力強化と同様、民間技術者の声を開発方針に反映する体制を構築。
後述する有坂小銃を開発した銃砲設計家の後継者が創設の民間企業、中央工業が製造を担当。
合州国の誇るブローニング機銃が目標の国産品、九八式12.7ミリ固定機銃は初期不良が続出。
現場から苦情が殺到、中央工業の技術者達と陸軍技術将校達は総出で各航空隊へ赴きました。
彼等は整備員や搭乗員達の罵声を浴びながら、懸命に故障の原因究明と根絶に取り組みます。
真摯に努力を重ねる彼等の姿に、現場からの苦情も徐々に鎮静化して行きました。
1938年に制式化の九八式12.7ミリ固定機銃は、3年の時を経て作動時の性能安定化に成功。
嘗て苦情の嵐を浴びせた整備員達も、無故障機関銃と賞賛する程の信頼を獲得しています。
砂鉄から日本刀を鍛え上げる鍛冶職人の技術を参考に、発条の改良も試行中。
発条の改善に拠り、52gの弾頭が発射可能となる事が期待されています。
九八式12.7ミリ固定機銃の弾道は多少、上向きに変化する傾向が見受けられますが。
九九式エリコン20ミリ固定機銃と比較した結果、直進性は良好と判断されました。
当初は1挺に付き携行可能な装弾数は250発でしたが、改良を重ね1挺に付き500発まで増加。
弾頭に炸薬と発火剤を封入、着弾の衝撃で点火し機体内部の燃料タンク炎上を期待します。
信管が不要となり生産効率も向上、戦闘機隊は12.7ミリ機銃弾に統一し利便性が向上。
20ミリ及び7.7ミリ機銃弾は全て他機種に廻され、補給業務の円滑化に貢献。
当初は弾頭重量36gの12.7ミリ機銃弾で充分、と想定されていましたが。
諸外国の発動機は馬力を向上、防弾装甲が強化され火力の相対的な弱体化を懸念。
1932年に製造権を購入、国内生産の実績もある艦対空機銃。
1933年に国内製造を開始、初期故障は既に根絶済みな13.2ミリ機銃の装備を決断。
先ず航空機用の旋回機銃へ転用、後述する一式陸上攻撃機『連山』へ試験的に搭載。
主翼を強化した零式艦戦『烈風』21型は改造を実施、13.2ミリ固定機銃4挺に換装。
ホチキス艦対空13.2ミリ機銃は、弾頭重量52gの弾丸を初速950m/sで発射。
エリコン20ミリ機銃弾を参考に、鋼鉄と接触し高熱が生じる炸薬を詰め炸裂弾を開発。
52gの弾頭重量は弾頭重量36g、12.7ミリ機銃の軽量弾と比較し約1.5倍。
63gのブローニング機銃弾には及びませんが、互角に近い直進性の実現に努めています。
陸軍は≪九八式軽爆撃機≫同様に構造を簡素化、製造工程を削減する改設計を実施。
零式艦上戦闘機『烈風』の改造型ですが、生産は川崎が担当。
1941年に制式化の≪一式軽戦闘機≫、愛称『隼』は量産効率を向上していますが。
陸軍では製造費の低減を目論見、工程を見直し更なる簡易急造型の改設計を要求。
アルミニウムを節約し機体重量の増加、最大速力の低下を厭わず鋼製化を試作。
海軍では『烈風改』と仮称されていますが、陸軍では『隼2型』と呼称しています。
史実と比較し一式軽戦『隼』は機体強度が格段に向上、13.2ミリ機銃4挺と火力も強化。
零式艦戦『烈風』も20ミリ弾1発の破壊力と引換えに、命中率の向上が期待されています。
陸軍では一式軽戦『隼』の機体を更に強化、火星への換装を模索する動きもあります。
元々≪瑞星≫搭載で設計された零式艦戦『烈風』、一式軽戦『隼』には負担が過大ですが。
既に陸軍航空隊では一式軽戦『隼』の火星装備型を実現可能と判断、『隼3型』と仮称。
海軍としては後述する14試局地戦闘機『雷電』、15試局地戦闘機『紫電』に期待しています。
当世界の零式艦戦『烈風』は被弾時に炎上の危険を削減する為、主翼内燃料タンクを廃止。
航続距離は史実と比較し大幅に低下していますが、搭乗員の生還率向上を期待します。
戦死者の減少に尽力し、熟練搭乗員を基幹とする航空隊全体の戦力を維持する方針です。
一式軽戦『隼』は飛行戦隊2個へ配備され、機種交換の実施後に南方作戦へ参加予定。
零式艦戦『烈風』も『赤城』『加賀』『蒼龍』『飛龍』『雲龍』、及び陸上航空隊に配備。
大半は1941年12月8日現在、第1及び第2航空戦隊の主力空母と共に北太平洋を航行中です。
ページ上へ戻る