ネギまとガンツと俺
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第29話「麻帆良祭~別れの言葉~」
「本日は麻帆良武道会へのご来場まことにありがとうございました! お帰りの際は落し物忘れ物の内容にご注意ください」
朝倉和美の最後のアナウンスが流れ、これをもって武道会の全てが終了した。
余りにも桁外れな規模で行われた武道会は、やはり影響が大きかったようでマスコミ陣が優勝者や準優勝のネギへと殺到する。
だが、単なる一般人の運動能力しかない彼等に追いつけるはずもなく、今度は本選出場者全員へとその矛先が向けようとしていた。
「これは私達も姿を消したほうが良さそうだ」
刹那の呟きに楓も頷く。
「んー、そうでござるなー」
報道陣の目が向けられる前の行動だったので、大した労力は要らず、楓たちは簡単にそこを抜け出すことが出来た。
「さて……暇になったでござるな」
思案顔になり、困ったように吐き出された言葉に刹那が首を傾げた。
「予定を入れていないのか?」
だが、刹那自ら尋ねておいてすぐにそれもおかしいことに気付く。
昨夜に開かれた『麻帆良祭の初日の成功』の打ち上げで散歩部の鳴滝姉妹の2人に本選終了の午後から学園祭を一緒に回ろうと誘われていたのを刹那はしっかりと見ていた。
「鳴滝さん達の誘いは断ったのか?」
言い直された刹那の言葉に、楓がバツの悪そうな顔を見せる。
「うむ、予定を入れようとしていたのだが入れられなかったというか、相手そのものが見つからなかったというか……」
「?」
どこか要領の得ない言葉で、楓らしくない。
「いや、その…」
さらに言葉を詰まらせ、顔を赤くさせ、挙句には「……」と黙り込んでしまった。
『相手が見つからなかった』という発言や顔を赤くさせる反応を見せるあたり、そういったことに興味津々なお年頃の女子中学生なら気付いても良さそうなものだが、あいにくと刹那はそういった一般的な女子中学生とは対極的な育ち方をしてきたため、ただクエスチョンマークを浮かべるばかり。
ただ、言い難いらしいということは察したらしく、何も言わずに待ち続ける。
「……」
「……」
5秒、10秒と沈黙が訪れる。
ここまで待たされたら諦めて別の話をしそうなものだが、これが刹那の優しいところなのだろう。
――話題を変えたいのならば変えても構わない。話し始めるのに時間がかかるのならいくらでも待とう。
そんな声が聞こえてきそうなほどにじっと、ただ優しい顔で待ち続けている。
そんな刹那の様子につい決心がついたのか、おずおずと楓が口を開いた。
「いや、昨日の打ち上げで、その……誘おうと思って」
たどたどしく、まるで赤ん坊のようにゆっくりと。
「最後まで待ってたのだが……結局姿を現さなかったので、その」
――姿を現さなかった?
その言葉に、刹那の脳裏にすぐにある人物の姿が思い浮かんだ。
3―Aにはお祭り好きな人間が多い。馬鹿騒ぎが出来そうな場には呼ばれなくとも気付けば参加しているような、そんな集団。
だからこそ欠席しているような人間は片手で数えられるほどに少なく、すぐに分かる。その上、楓が顔を赤くするようなこととなれば、いくら朴念仁の刹那でも思い当たるというもの。
――なるほど。
理解し、微笑む。
「……タケル先生か?」
「!?」
びくりと背筋を震わせ、薄く赤みがかっていた顔が恥ずかしさからか茹蛸のように真っ赤に染まる。
「い、いいいいやその」
動揺からだろう。
ドもる楓など滅多に見れるものでもない。
「そういえば、私も武道会の予選から見ていないな」
確かにタケルは武道会本選を楽しみにしているとも思えるような発言を残していたのだが、激励に来るでもなし、観客席の中にすらその気配を認めた人間はいなかった。
とはいっても、実際には超鈴音と揉めていたのであり、本選を見に行かなかったのではなく、ッ見に行くことが出来なかったのだ。
だが、当然そんなことを彼女達が知る由もない。
――そういえば、タケル先生もこの時間は見回りのはずだったような?
「ん……見回り?」
すっかり忘れていたその言葉を、刹那は今更ながらに思い出してその顔を青くさせた。
慌てて時計に目を配り、予想通りの時間になっていることに「あ」と呟いた。
時計の針が13時を過ぎていたのだ。
もっと楓の話を聞いていたいのは山々なのだが、これから告白阻止の見回りが刹那を待っている。
――とりあえず謝って仕事に移ろう
そう考えた時だった。
――ん……いや。
それはカタブツと評される彼女にしては機転が利いた考え。
「楓、スマナイが今から仕事があるんだが、手伝ってくれないか?」
「……仕事?」
尋ねる楓に、刹那は大きく頷いて見せた。
麻帆良祭2日目の午後の部。まだまだ日差しがきつい真っ昼間。
俺は教師として、危険域での告白阻止にいそしんでいた。
さすがに初日よりもこの機を狙っていた人間が多いらしく、昨日よりも見回りの人数が強化されているにもかかわらず忙しさは変わらない。
告白TIMEの夕方が少し不安だな。
自然と思い浮かぶ恐ろしいほどの忙しさに、背中から冷や汗が出ていた。
ピピ
「また」
告白しようとしているその人をぶんなげ、いきなりのことに驚いている告白されようとしていたその人もついでにぶん投げる。
コントロール……よし。
狙い通りの位置にいっていることを確認し、再度鳴り響く告白生徒探知機の指示に従い、行動に移る。
慣れてしまえばほとんど機械作業なので、考え事をする余裕もできる。
新たな人間をぶん投げ、確認のためにその行方に目を配りつつも、先ほどからそういった男女間の一大イベントを目の当たりにしているせいかもしれない。気付けば俺は彼女へと思いを馳せてしまう。
楓は今頃、誰かと学園祭を回ってる頃だろうか。少しくらいは彼女と一緒に学園祭を回ってみたかった気もしないような気もする。
自分が『らしくない』というのも分かっているが、こればっかりはどうしようもない。
なぜか頬が熱い。鏡を見れば自分の頬が赤くなっているだろうことが簡単に予想できてしまう。
だが、今の俺はそんなことに心を寄せるだけ無駄で意味がない。
初めての感覚に身を焦がしつつ戸惑いを覚えていた俺も、自嘲気味に肩を落とす。
もう会うこともない人間を考えても仕方ない、か。
女子中等部の教師として勤めているのは明日で最後。既にそういう手筈になっているはずだし、また、そうなるように学園長にもお願いを、済ませていた。
今日と明日と、超鈴音の一派以外ではネギも含めて3-Aの人間と関わりあうつもりは一切ない。
それにはもちろん、楓という例外もない。勝手に彼女達の前からいなくなるのは少し申し訳ない気もする、が、それだけのこと。彼女達にとって不都合が起こるわけでもないだろうから精々一日程度騒いで終わりだろう。
そんなことをつらつらと考えながらも滞りなく告白阻止に成功していたのが逆によくなかった。いわゆる気を抜きすぎていた、という状態だった。
「しまった」
いつの間にか、3-Aの生徒の一人、桜咲さんが担当している区域付近まで来ていた。早く去ろうと向きを変えて――
「――あ、タケル先生!」
「!! タ……ケル殿!?」
見つかった。しかも、なぜか楓まで一緒にいる。
異様にどもった彼女が少し気になったが、そんな些細なことは一瞬で俺の頭の片隅に追いやられることになった。
「ゲ」
「「げ?」」
つい呟いてしまった言葉に、二人して仲良く首を傾げる彼女達は愛らしい。普段ならドツボにはまっているだろうが、今日はそういう気分にはならない。
むしろ、この雑踏の中で自分にも聞こえない程度の声量だった呟きに反応できる彼女達の異常さに突っ込みを入れたくなる。
適当な言い訳をしてさっさと去ろうと思う反面、足が動かない。もちろん、原因が桜咲さんの横にいる彼女にあることは自分でも理解している。
せめて告白生徒探知機が反応してくれれば、仕事を口実に去ることが出来たのかもしれないが、こんな時に限ってウンともスンとも反応しない。
チラと楓に目を配る。
僅かに顔が赤く、どこか表情がぎこちない。
そんな珍しい表情がまた――
――可愛い。
思ってしまった瞬間に慌ててその考えを振り払う。
くそ、厄介な。
彼女といたいと思う気持ちと、いてはいけないと思う気持ち。
そんな悶々とした思考から逃れるには、圧倒的にそっち方面 の経験値が足りていない彼だった。
――まさか、ここまで上手くいくとは。
タケルが悶々と自問しているとは知らず、刹那は自分の企てがバッチリはまったことに驚きとガッツポーズ。
――ん?
と、すぐにタケルの違和感に気付いた。
いつもの彼女なら気付くことはなかっただろう。
楓の思いを知った直後だからこそ、そんな楓を見たからこそ生まれる既視感。そして、その点に注意を傾けていたからこそ気付くことの出来る彼の異変。
普段よりも微妙に薄みがかって赤い顔。まるで何かに緊張しているかのような錆び付いた動き。そしてチラリと刹那の隣、つまりは楓へと目を配るその仕草。
――これは……まさか?
隣で固まっている楓と目の前でぎこちない二人を交互に見比べ、必然的に一つの結論が彼女に浮かぶ……というか、空気を全く読めない人間でもない限り、誰にでもわかるだろう。
「先生も見回りですか?」
「ん? ……ああ。そういう桜咲さんも見回りのようだが?」
チラリと楓に目を配る。それだけでタケルの言いたいことが分かったらしく、今度は楓が。
「せ、拙者は刹那の手伝いでござる」
お互いがお互いを意識してしまい、それに気付かず深みにはまる。どんどんぎこちなくなってしまい、友人を介してやっと生まれる会話。そんな誰もが通る青臭い春。
――あとは楓次第。
刹那はタケルには見えないように意識しつつ背後から楓を肘でつつき、言葉を促した。楓もまた刹那が整えたこの状況を理解しているようで、心を落ち着かせるためか、軽く頷いてから深呼吸を繰り返し始めた。
「……?」
その意味のわからない動きに、当然タケルとしては首を傾げるしかないわけだが、すぐにピピという音が彼の手から聞こえてきた。
「! ……俺のエリアか」
呟きもそこそこに慌てて踵を返すタケル。その表情は名残惜しそうな反面、どこかほっとしているようにも見えるのは楓の気のせいではないだろう。
目標ポイントを確認。走り出そうと一歩を踏み出して――
彼の耳に、彼女の声が届いた。
「一緒に……がが、学園祭をまわらないでござるか!」
「――まわらないでござるか!」
言ってしまった。
とてもではないが彼の顔を直視出来そうにない。
心臓がイタイほどに揺れている。煩い心の音が耳に溢れかえり、雑踏の賑わいすらも遠くに聞こえる。
チラリと、この状況を作ってくれた友人へと顔を向けると、いつになくにこやかな笑顔で頷いてくれる。
それが、自分の心を後押ししてくれる。
俯き加減だった顔をあげて、動かない彼の後姿を見つめる。
ピタリとその足を止めたタケル殿はそのまま少しだけ佇んでいたが、「あ」と呟いたかと思うとそのままこちらを振り向くことなく走り去ってしまった。
「……あ」
拙者の声は多分、かつてなくかすれていたと思う。
「タケル先生!?」
刹那の驚きの声を耳にしたまま、それでも彼はそのまま人ごみの中へとその姿を消した。
「……」
「…………」
少し、気まずい。
見事な空振りをしてしまった。自分が情けないどころか、わざわざお膳立てしてくれた刹那にも申し訳ない気分になってしまう。
余りにもあっけなく終わってしまった
「楓?」
恐る恐るといった様子で心配してくれる刹那に、せめて心配をさせてはいけないという思いが自分の中に沸いて立つ。
「いや~、ふられてしまったでござるなぁ」
――はっはっは。
泣くでもなく、立ち尽くすでもなく、笑う。これが今の自分に出来る精一杯のやせ我慢。
――わかってる。
明らかな強がりで、傷ついている自身をそうまでして必死になって奮い立たせなければ、この初めて味わう身を切るような切なさに押しつぶされてしまいそうだった。
けれどもすぐにそんな虚勢いっぱいの笑い声も出なくなって、だけども心配をかけてはいけないという気持ちが途切れることは無く、そんな拙者から笑顔が絶えることはない。
「わざわざこんな状況まで作ってもらったのに……スマナイでござるな」
「い、いや。そんなことはいいが」
明るく振舞おうとする楓の言葉に、私の声も上擦っていた。
――なんて、声をかけたら?
これが普通の女子学生ならもっと話は簡単だと思う。その辛さを誰か親しい人物に聞いてもらう。慰めてもらう。
そんな寂しくも、温かい日常風景があるはずだから。
だが、目の前の少女は自分と同様、幼少のころより修行に励み、良くも悪くもその道にばかり心を傾けてきた人間だ。だからこそ尚のこと、刹那自身もまるで自分のことのように辛い。
励ませばいいのか、よく伝えたと褒めればいいのか。それとももっと他の言葉をかけるべきなのか。こんな時に何を言えばいいのか分からない。
あいにく楓にも自分にも、耐性どころかそのような経験すらない。
どうすればいいのかもわからず、自然とタケル先生がいなくなってしまった空間を見つめてしまう。
――にしても、おかしい。さっき見た限りではタケル先生も確実に楓に気のある素振りを見せていたはずだが。
「さて、仕事の続きを始めるでござるよ?」
「楓」
あくまでも平常どおりに過ごすつもりらしい。それが逆に私を気遣っているのだとわかり、辛い。
と。
「スマン、待たせた」
私達の目前。
「「……は?」」
彼が舞い降りた。
太陽はとっくに沈んでいた。それでも、眼下に広がる学園祭の光はまだまだ一向に衰える気配を見せない。
今の自分は高台にいるせいか、吹きすさぶ強めの風に髪をもてあそばれてしまう。これでは折角整えてきたのに意味が無い。
『先に告白しかけていた生徒を処理しないと間に合いそうになかった』
それが拙者の言葉に返事を出来なかった理由らしい。
だったら、一言でも「先に仕事を処理する」などと言って断りを入れてくれたらいいのではないか。
「……全く」
呆れたようにため息を吐いたのが自分でも分かる。もっとも、そういったところも彼らしいといえば彼らしいのかもしれない。
『しっかり頑張ってこい』
これは刹那の言葉。
彼女にしては珍しく、なにやら含みを持ったような―まるで告白して来いとでも言わんばかりのような笑みを浮かべていた。
だが、応援をしてくれた彼女からしてみれば残念なことかもしれないが、拙者は別に告白をしたいわけではない。ただ、彼と一緒に麻帆良祭を回ってみたかったのだ。
自身の中でタケル殿に対する気持ちはよくわかっていない。この感情はいわゆる『恋』と考えればよいものなのか、もっと別の『尊敬』のような感覚として捉えればよいのか。
元々あまり深く考えずに彼を誘ったわけだが、今回のデート―といっていいのかも少しわからない―はつまるところ自分の気持ちを知るためのいい機会になるかもしれない。
そうすればそもそもこの良くわからない感覚にも、答えが出る気がしていた。まぁ、ただ一緒に回ることを誘うだけであれほどに緊張するとは思っていなかったのも確かではござるが。
時計を見てまだ少しだけ時間があることに、待ち遠しいような、それでいてまだ時間が欲しいような、そんな矛盾した想いが胸を通り過ぎていく。
タケル殿の仕事が終わるまであと少しは時間がある。それからここにきたとして、30分はかかるだろう。
――それにしても。
『仕事終わりでいいなら、広場の高台で待っていてくれ』
指定された待ち合わせ場所で、楓は首をめぐらせる。
「……」
――き、緊張して。
自分の胸を押さえるようにしてベンチに腰掛ける。
彼と別れて約半日、それまでの間に色々とイベントが巻き起こっていた。
見回り終了後すぐに、アスナがタカミチ殿に告白する場面に遭遇した。残念ながらその恋は実らなかったが、告白どころか一緒に回る約束を取り付けることですら一杯一杯だった自分からしてみれば驚嘆に値する勇気だった。
拙者自身の中で、大いに励まされたことは言うまでもない。
さらにこの後、23時過ぎからは急遽学校をやめることになったらしい超鈴音とのお別れ会が催されることになっている。
なにやら彼女もきな臭い様相を見せているようだったが?
いや。
今はそんな難しいことを考えるのはよそう。
「もう、そろそろでござるか?」
気付けば時刻は午後8時、待ち人がいつその姿を現してもおかしくない。
既に周囲は暗く、喧騒慌しかった学内も今や2日目終了へ向けてロマンティックなムードが流れ始めていた。
ここ、広場の高台は麻帆良の中でも最も大きな高さを誇っており、それは既に観光地としてもある種有名なスポットと化している。
まるで星々を手につかめんばかりの位置から空を一望でき、下に目を向ければ民家の家々に灯された光が一面に広がっている。
「……きれいでござるな」
そもそもの場所が高いせいで風が強く吹く。それによって揺れる髪を片手で押さえながらぼんやりと天地の星々を見つめる。
――こんな場所で待ち合わせるのは、まるで俗に言うカップルみたいではないか?
ふと思い浮かんだ考えに、気持ち良く涼んでいた彼女の顔が一気に赤くなる。
「いかんでござるな」
なぜかいけない気がして自分を戒めるように言葉を呟く。顔をそらし、再度時計に目を配ったところで――
「……スマン、待ったか?」
――現れた。
彼なりに急いで来てくれたのだろうか。
いつも通りの何を考えているのかわからない無表情だが、息を切らしているその珍しい姿に嬉しくなってしまう。
彼の問いには首を横に振って答える。
色々と考えていた。タケル殿が来たら、まずは昼間に、いきなり姿を消してしまった件について文句を。それから最近姿をみせないことの疑問や、どうして教師となったかetc
けど、それらはいつの間にか頭から消えて、まるでそれこそ用意していた言葉を吐くようにスムーズに。
「そんなことよりも学園祭がそろそろ終わり始めるころ。早く行かないとほとんど見てまわれなくなってしまうでござるよ?」
――ほら?
さっきまでアレコレと考えていたことが馬鹿らしくなるほどに自然と。
かつて山の中で彼の手をとったように。
今日という日もまた同じように、だが確かに別の色が自分の胸を覗いていることを自覚しつつ。
促すように手を差し出していた。
自分の、ほんのり火照った顔と汗ばんだ手。異常なほど緊張してしまっているが、それでもどこか楽しい。
そして、それを自覚した瞬間。
――……あっ。
拙者の中にそっと、優しく。だがはっきりと、それでいて重く。
彼と手をつないで一緒に歩きたい。
――なぜ?
わからない。
彼の隣で食事をしたい。
――いつから?
わからない。
彼の側にいたい。
――きっかけは?
わからない。
わからないことしかない。それでも確かに。
……これが、人を好きになるということでござるか。
恋が胸に芽生えていた。
一層赤くなった自分の顔を自覚して、だがタケル殿がなかなか手をとろうとしないことに気付いた。
「タケル殿?」
覗きこむように問いかける。
これからこの人とのデートが待っている。
どこか誇らしく、嬉しく、温かく恥ずかしい。
そして、タケルの腕が動く。
そっと、ゆっくり。
――だが。
「え」
呆然と、誰の声だろうか?
繋がりかけた手はすれ違い、微かな体温のみを残して空をきった。
――そして。
一歩。さらに、一歩。
なぜか、彼は後ろに退がった。
「……え?」
そして、遠のいた彼は首を振る。
「さよなら、と。それだけを言いたかった」
「――え?」
訳がわからなくなって距離を詰めた。
そうでもしなければ彼が見えなくなってしまいそうだったから。
――それなのに。
「明日で、学園を去る」
彼は言う。
「キミといる時間が一番温かかった」
彼の言っていることが分からなくて腕を伸ばした。
そうでもしなければ消えしまいそうだったから。
――それなのに。
「もう、会うこともない」
彼は、言う。
「俺は確かに……キミに恋をしていた」
「え?」
理解できないはずの言葉が、なぜか胸にストンと落ちた。
逃すまいと間を詰めていたのに、その言葉のせいでなぜか金縛りにあったかのように体が動かなくなった。
そして、最後の一言を。
「だから、さようなら」
そして、彼はその姿を闇の中に溶け込ませた。
「…………え?」
呆然と。
ただ、呆然と。
拙者の前から、彼は消えた、
天地の星々は煌くことを忘れずに、世界を照らしている。
最後の鐘が鳴っていた。
時刻は既に夜の9時。2日目の学園祭は終わりを告げて、明日へと向かう。
全てが明日へと動き出す世界の中でただ一人。
広場の高台に少女は立ち尽くしていた。
「……え?」
楓は、一人。
立ち尽くしていた。
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