Shangri-La...
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第一部 学園都市篇
序章 シャングリ・ラの少年
七月十六日:『青天の霹靂』
前書き
初めまして、ドラケンと申します!
『とある科学の超電磁砲’S』に嵌まってしまい、勢いで筆を執ってしまいました。まだまだ未熟者ですので設定を取り込めていなかったり矛盾している箇所等有ると思いますが、完結できるよう精一杯頑張ります!
『いくぞ――――歯ァ、喰い縛れ』
――――覚えているのはその声と、顎から頭の天辺に向かって突き抜けた衝撃だけ。
『――――――!?!』
潰れた喉から、無音の悲鳴が迸った。セピア色の景色が、信じられない速度で下方に流れる。否、自分の身体が上方に浮いたのだ。
一回転し、俯せにコンクリートの路面に叩き付けられる。その路面に蜘蛛の巣状のひび割れは、『奴』の脚が踏み抜いた痕だ。
『……お仲間は、お前を見棄てていったぞ。まぁ、力で押さえ付けてただけなら仕方ないよな、お山の大将?』
『――――…………』
完全に震盪を起こした頭蓋では声を認識できても意味が判らない。しかし、これで終わりなのだと言うことだけは理解できた。
――クソ……クソッ! 巫山戯やがって…………! 何で、何でこんな奴が……。
弱い己に、存在意義など無い。そんな事は――――誰よりも、自分が解っていた。
『だが、最後のパンチは良かったぞ。このオレにまともなダメージを与えるとは――――』
だから、せめてもの抵抗に睨み付ける。自身を撃ち破ったその男を、目蓋に焼き付ける。
『中々、根性あるじゃねえか。再挑戦なら、いつでも来い。待ってるぜ――――』
黒い、針金のような短髪。巻かれた鉢巻き。白い学ランを肩に羽織った、旭日旗のTシャツを。
――何でこんなに、■■■■■■だよ……
振り返りながらニカッと笑い掛けたその少年の姿を最後に、意識は消え去る。
夢が、覚める――――――
………………
…………
……
「あー……百分の一」
開かれた、濃厚な蜂蜜色の瞳の少年の寝起きの第一声は、正に苦虫を噛み潰した音。寝汗に張り付く亜麻色の前髪を掻き上げながら、彼は薄いブランケットを跳ね退けて起き上がった。
エアコンで適温に設定してあるとはいえ、寝室に忍び込んでくる初夏の熱気は四時半の段階でそれなりにキツい。
「時間は……全然余裕だな」
欠伸混じりに呟き、キッチンの冷蔵庫で冷やしているペットボトルのコーヒーを手早くコップに移し替えて啜りながら、頭の芯に残る眠気を払う。
今日は朝食を摂る時間がありそうだ、と。『とある筋』から入手した煙草に火を点し、紫煙を燻らせた。
「っと……母さんか。もしもし?」
と、そこで携帯が鳴る。初期設定のままのアラーム音、画面には『マ~マ(ハート)』と、無理矢理登録させられた表示。
灰皿の縁に煙草を預け、テーブルの上のポットからカップ麺に湯を注ぐ。近くのスーパーでまとめ買いした、百円しない安いラーメン。朝なのであっさりめの醤油味だ。
ダイニングまで移動すると、その蓋の上に箸を置いて通話の構えに入る。
『あ、おはよう、コウ君。朝ごはん中ごめんね?』
「母さん、『コウ君』は止めてくれって……どうかした?」
機械の向こうから聞こえてきた声は、歳の割には若々しい。実におっとりした雰囲気の声。
それに冷蔵庫から、昨晩冷凍庫から移しておいたラップ巻きの手製お握りを二つ取り出して、冷蔵庫の上のレンジで温めつつ応答する。
『いつもの事よ。今日はハンカチと絆創膏と傘を忘れちゃダメよ?』
「オーケー、ハンカチと絆創膏と傘ね……雨の予報はないけど?」
携帯を頬と肩で押さえつつ、リモコンで起動したテレビを見やる黒い瞳。そこには、晴れの文字が踊っている。因みに、『%』等と言う無粋な数値はない。
『あら、ママの言う事聞けないの? いい、コウ君。確かに学園都市の天気予報は的中率100%よ。でも、それも永遠には続かないわ。何かの『事故』で『樹形図の設計者』が壊れる事も無いとは言えないんだし。第一、傘を雨にしか使っちゃいけない決まりはないでしょ?』
「それもそうか……まぁ、母さんが言うなら信じるよ」
言われてみれば、その通りだと。
今の状態がいつまでも続く訳はないのだ。
何より、他ならぬ母がそう言うのだから疑いようはない。
『それと、女の子には優しくしなさい。子供を作れない身体にされても知らないわよ?』
「分かってるよ、第一『女性に優しく』は俺の誓約だろ……今日もいつも通り、紳士気取りでいくよ」
と、いきなり怒られてしまう。口調は相変わらずおっとりしたものだが。
――ってか、俺が作れない身体になるんだ?
少し下半身がソワソワしたところで、レンジが鳴る。設定した時間は二分三十秒、ラーメンも食べ頃だ。
「……じゃあ、そろそろ」
『はいはい、今日は一日気を付けなさいね。多分、色々大変だろうから。あ、それとたまにはユヅちゃんに電話してあげなさいね。最近、寂しがってるから』
「義兄離れしろって伝えてくれよ……全く」
器用に熱々のお握り二つを片手でジャグリングしながらテーブルまで移動し、お握りを置いた代わりに箸を取ってカップ麺の蓋を剥ぎ取る。
麺を軽く解せば、香ばしい醤油の香りが鼻孔を満たした。
『あ、最後に――――』
「うん、何?」
後はもう、食べるのみ。そんな状態で携帯から漏れた声に耳を傾ける。
それはまるで、小鳥の囀ずりの如く優しい声色で。
『何時から禁煙が解除されたのかしら、対馬嚆矢君十七歳?』
「百分の一、か…………ごめんなさい」
『百分の一の確率の不幸』に改めて姿勢を正して、説教に甘んじる。それが終わった頃には、ラーメンは完全に伸びた後だった。
………………
…………
……
五時が近付き、自室を後にする。勿論、戸締まりは念入りに。鍵を閉めた後、ノブを回して確認。
因みに、ガスは最近、元栓自体を余り開いていない。本気で契約を切ろうかと思案中だったりするのは内緒だ。
鍵をキーケースに仕舞い、胸元に母から貰った幸運のお守り……肉球部分に蒼い石の付いたアンティークの、本物を用いた『兎の足』を下げたカッターシャツ姿の嚆矢は――――自室に置いていた学生鞄とハーフタイプのヘルメット、傘と学ランを入れた学校指定のバッグを手に革靴を鳴らしながら、アパートの階段を降りる。
――――青く、朝の空が霞んでいく。夜の闇を塗り潰すように、果てしない群青色が。
歩みを止めて、つい魅入ったその光景。何の事はない、いつも通りの朝の風景だ。
人口230万人を抱える、この大都市の朝の空隙。無人の道路よりビル群の隙間から覗く、群青の空を見上げて――――
「っと……いけねェ、配達が遅れたらドヤされちまう」
強いビル風を浴びて正体を取り戻した嚆矢は、気を取り直したように階段を駆け降りた。
大型の荷台付きスクーターの後席に荷物を置き、キーケースから別の鍵――――超格安の事故物件、中古スクーターのエンジンに火を入れる。
――まぁ、俺の『能力』なら問題ない。余程、性質の悪い霊に呪われてでもいなければ、だけどな。
因みに、借りた部屋も『出る』という噂の格安物件。3LDKで敷金礼金無しの三万円とか良い買い物だった、百分の九十九の確率の幸運だな。勿論、幽霊とか魔法は信じてないけど浪漫は捨てないようにしてる。在ったら良いよな、死後の世界。
ヘルメットを被り、スクーターに跨がる。これより向かうは、バイト先の新聞配達――――電子版が普及する学園都市ではこんな時間からで間に合う、配達先の少ない仕事先である。
駐輪場から出れば、すぐ脇に自販機。丁度良いと、財布機能付きの携帯を翳す。押した釦は百円の缶珈琲、軽快な取り出し口に落ちる缶の音とスロットの電子音。
早速珈琲を啜りながら、嚆矢は目もくれずに同じ釦の前に指を構えた。
「はい、百分の九十九っと」
そして――――押すと同時に、音が長い音が響く。当たったのだ。
再び響いた取り出し口の缶の音。その珈琲を取り出して、鞄に仕舞う。
「今朝も相変わらず絶好調ね、嚆矢くんの超能力は」
「このくらいしか役に立たない、しょうもない屑能力ですよ。おはようございます、管理人さん」
そんな背中に掛かった、女性の声。このアパート『メゾン・ノスタルジ』の管理人。まだ二十代後半くらいの青みがかった長髪に眼鏡、落ち着いた藤色の着物姿の、竹箒の似合う女性が微笑んでいた。
「あ、家賃は昨日の夕方に振り込みました。今日の扱いになるみたいですけど」
「嚆矢くんだから心配してないわ、滞納無しの優良店子さんだもの」
「買い被りすぎですよ、撫子さん」
そう言って、淑やかに笑う。いかにも大和撫子といった風情だ。何せ、名前が『大和撫子』なのだから。
「じゃあ、行きます」
「ええ。気を付けて行ってらっしゃい」
背中を見送られながら、車輪をアスファルトに転がす。まず最初の角を、右に曲がる。
「今日は――――げっ、一時限目から体育かよ……やっぱ決まってる事は変えらんないもんなぁ、百分の一だぜ……」
道々そんな事をボヤきながら、暑くなり始めた路上の空気の中を走り抜ける。
夏期休業まで残り数日のその日の天候は快晴、暑くなりそうな一日だった。
………………
…………
……
朝刊を配り終えて退社し、後は学園に登校するのみ。スクーターは近くの駐輪場に預け、第七学区の学園……『常盤台学園』等と共に、『学舎の園』を形成する学園の一つ――――『二天巌流学園』を目指す。
――うん、凄い名前だってのは認める。だが、生憎あの日本史上最も有名な大剣豪二人とは縁も所縁もない学園だ。創立者が好きなだけだったって話。
唯一、縁故が有るのならば……この学園の校是は『質実剛健』に『則天去私』、『無念無想』に『文武両道』――――『能力上等』。『超能力を武術技能に応用する研究』では第一線級の学園だ。
カッターシャツの上から学ランを着込み、詰襟まで留めて準備完了。後は鞄を肩に担ぎ、学園まで続く石造りの『心臓破りの一千段』を歩き始める。エスカレーターやエレベーターの類いの稼働施設なんぞは、勿論無い。
因みにこの学園は本当に細やかな丘陵の頂点にある。この階段を作りたかったが為に。そしてこの階段を登りたくがない為に転校していく新入生は、毎年実に三割にも上るとされる。
そんなものを毎日登るのだ、基礎体力などは遥かに他校の生徒を凌駕するとのデータもあるので一概に無意味とは言えないが。
――事実、学園都市で開催される武術系の大会ではウチが総ナメである。ただし……強さとは努力により得るものであり、あくまでも『能力はオマケ』な一芸特化型の学園なので、『大覇星祭』みたいな総合的競技になると振るわないのが玉に傷。
中でも『能力ありき』な『長点上機学園』とは犬猿の仲。というか、大覇星祭では圧倒的に負け越している。なので競い会う祭は必ず互いに狙い会うほどだ……まぁ、向こうとは専門が違うので、滅多にバッティングしないが。
いつもの事ながらクソ長い階段に辟易しつつ、空いた右手で缶珈琲のプルタブを空けて啜る。
キリマンジャロとかエメラルドなマウンテンとか、そんな感じの香気と味わい、後味が口腔を満たす。
「いよぅ、コウ! 朝から景気のワリィ面してやがんだぜ?」
「ん――――よぅ、ジュゼ。相変わらず背ぇ伸ばせ」
一息吐いたその瞬間、肩を叩かれる。隣には、肩に担いだ竹刀の先に剣道の防具を吊り下げたオールバックの黒髪を後ろで纏めた矮駆の目付きの悪い少年の姿。見た目通りに剣道部主将……『錏刃 主税』と言う。
「ぶふぅ、今日も暑いんだな……コウ、おはようなんだな」
「よぅ、マグラ。お前は――――少しは痩せろ」
反対の側には、糸目のデブ……もとい、『脂肪と筋肉の黄金比率』な丁髷の巨漢の少年……相撲部主将『土倉 間蔵』が扇子を扇ぎながら歩いていた。滝汗状態で。
「あぁん、喧嘩売ってんのかぜ? 俺の貫殺されたいのかぜ?」
「ぶふぅ、打殺られたいんだな?」
「お前らのは人を殺せるレベルだろ、やめろ……ってかやめてください」
頭に来た様子の二人の機先を制して頭を下げる。先程も言ったとおり、この学園は『超能力を武術に応用する研究』の最先端。故に主将となれば、一角の能力者だ。
事実、隣の二人はこの学園に三人しかいない『大能力者』の内の二人。その強さは、軍隊での戦術的価値が見いだされるレベルだ。リアルに『持ち技』やられたら、問答無用で死ぬ。
加えて、『二天巌流学園』のブランドがある。常に実戦的な能力者を輩出するこの学園は、日本政府の国防省やらに矢鱈と顔が利くのだ。
何を隠そう、この二人も幹部候補として打診を受けていると専らの噂である。
「はん、よく言うぜ……俺らより強い癖してよぉ」
「そこまで来ると『慇懃無礼』の域なんだな、『合気道部主将』?」
「オメーらと違って、俺はもう次にバトンを託したんだよ」
剣道部主将と相撲部主将の言葉に、合気道部主将『対馬 嚆矢』は嘯いた。
「で、だ。コウ、そろそろ夏期休業だけどよ……今年は俺ら、一緒には行けねぇんだぜ。進路決まってるお前と違って、俺らは頭悪いからなぜ?」
「ぶふぅ、やっぱり進学するには学力も必要なんだな。補習に専念するんだな」
「そうか……残念だな。高校最後の夏休みだし、またお前らと暴れたかったんだけど」
階段を登りきった刹那、申し訳なさそうに二人が宣う。それに嚆矢は、飲み干した缶珈琲の空き缶を校門脇の屑籠に捨てて。
「ま、今回の夏休みは俺一人で行くさ」
ぴらぴらと『復帰申込』の用紙をはためかせながら、二人に笑いかけたのだった。
………………
…………
……
放課後を迎え、鞄を肩に担ぎクラスを後にする。たった一人で歩くリノリウムの廊下は、実に静かだ。
――誤解の無いように言っておけば、ここは三年のフロア。推薦貰った生徒以外は夏期休業等有って無いようなもの、大学受験に向けた補習の真っ只中という訳である。
断じてボッチじゃない。違うからな。居るし、友達くらい。あの二人を含めて……約三人も! 異性の友達だって、一人居るんだからな!
と、誰にだか解らない申し開きを脳内で叫びつつ。クーラーの効いた快適な校舎から外に出る。
「……クッソ暑」
昇降口を一歩外に出た瞬間、そんな悪態も口を衝こうという直射日光と気温、フライパンもかくやという具合に熱された石段から立ち上る陽炎。ミンミンジージーツクツクボーシと喧しい蝉時雨。
しかもこの学園、年中学ランだ。それと言うのも、『自己の体調管理も出来ないような弱卒は不要』との初代校長の持論の為らしい。
――そんな学校だから、共学なのに女子生徒の応募がねぇんだよ……全く、黒一色の三年間だったぜ……。
早速、吹き出し始めた汗を持たされたハンカチで拭う。校門を抜けた辺りで、我慢できずに学ランを脱いで鞄と同じ手で肩に担いだ。
校内でやれば譴責ものだが、郊外ならば逆に学園名の為に注意される事は稀である。
「さて、と……用紙は今朝先生に渡しておいたし、今頃は申請出てる筈だよな」
空いた手でカッターシャツの首を寛げ、パタパタと自分に風を送りつつ宣う。駐輪場迄は少し間がある、考えを纏める事にする。
――そうだ、彼処に行くのは久しぶりだし……土産とか買っといた方がいいな。また世話になる訳だし。
何が良いかな……やっぱり、無難に菓子か? けど、学園都市は娯楽品や嗜好品は関税でクソ高いからなぁ……。
そうこうしている内に、駐輪場に辿り着く。ロックを解除しようと、端末にカードを入れれば――――
『お会計は、七百円になります』
「七百円、ね……おや?」
翳したマネーカードだが、どうやら今朝の珈琲で限度額を迎えていたらしい。仕方なく、財布を開く。そこには……六百円と五千円札。
「……こんな時に百分の一かよ」
溜め息を一つ落とす。何しろこの近辺、コンビニや商店は一切無い。これも初代校長の(以下略。
――最近の噂じゃあ、路地裏なんかにマネーカードが落ちてるって話だけど……流石に探し出すほど暇人でもなきゃ、猫ババするほど落ちぶれてもいない。
「仕方ねぇなぁ……確か、もう少し先に……」
『銀行があったよな』と、嚆矢はビニール傘片手に歩き始めたのだった……。
………………
…………
……
結論から言えば、不幸とは重なるものであるという事を忘れていた。彼らは嫌われ者であるが故に、常に徒党を組む。『禍福は糾える縄の如し』等、嘘っぱちなのである。
それを改めて認識しつつ、嚆矢は溜め息を吐いた。
「クッソ百分の一だわ」
目の前の、平日の昼日中にも関わらずシャッターが閉まった『いそべ銀行』に。こうなれば、来る途中の店で菓子折を買った方がよかったなと後悔した。
「仕方ないな……戻るか」
と、踵を返せば、クレープ片手に駆けてきた児童にぶつかりそうになった。危うく躱して見詰めた、その視線の先。
100メートルほど先にある公園のクレープ屋台、そこでクレープを食べているセミロングにヘアピンの娘とリボンのツインテール娘。ベージュのベストにグレーのミニスカートの女子中学生二人。
――お、常磐台の娘か……しかし流石、常磐台はお嬢様学校だな。よくもまぁ、あんなクソ高いクレープを買い食いできるよな?
強能力者未満は入学試験すら受けられないってんだからスゲぇよなぁ。きっと実験協力とかでガッポリ稼いでるんだろうぜ……。
等と、世の無常を嘆いたところで仕方ない。何だか凄い花瓶みたいな髪飾りをした娘と黒髪ロングの、昔懐かしいセーラー服に紺のロングスカートの柵川中の女生徒が常磐台の二人と合流した。その彼女達がこっちを見た気がしたので、早く戻ろうと視線を少女達から外した――――
「ッ――――うォッ!??」
刹那、背後の銀行のシャッターが内側からの爆発で吹き飛んだ。
「チッ、さっさとずらかるぞ! 警備員が来ねぇ内に!」
思わず振り向けば、シャッターに穿たれた大穴から黒い雲丹頭と金髪のガリ、ドレッドのデブの……三人組の革ジャン覆面男。紛うことなき銀行強盗である。
『クソ食らえジーザス』と、胸の中で悪態を吐く。何かの呪いか、と。
「邪魔だ、退きやがれェェェ!」
「……えっ、俺?」
先に述べた通り、不幸とは重なるものである。逃亡する方向はまさかのこっち。と言うか、すぐ脇の車だろう。
進行の邪魔となる嚆矢に、デブが随分と古い拳銃――ポリマーフレームの大容量拳銃『グロック17』を突き付けた。
――エアガンだよな? イヤイヤ、幾ら何でも実銃とか人には向けないよな?
と、希望的観測。しかし、何れにしても――――ちらりと見た背後には、さっき駆けていった子供が此方を見て硬直しているのが見てとれた。
「……口伝」
だから、退く訳にはいかない。今日は厄日だと、心底嫌になった。
口遊んだその台詞、握り締めたのは、首元のお守り。
「テメェ……脅しだと思ってんのかよォ!」
「いやいや、まさかぁ。それにしても、こんな事して捕まらない訳がないんですから、大人しく投降した方がいいですって」
と、嚆矢は精一杯のフレンドリーを演じる。せめて、後方の子供が逃げるだけの時間は稼ごうと。
首元のお守りの、ダークブルーの『下向きに傾いたF』のような紋様に意識を沿わせながら。
「自首すれば刑も軽くなるって言いますし、誰も傷つけてなきゃ更に減刑――」
「――舐めんなぁァッ!」
それに、無論焦れた銀行強盗達。走りながら、定まらぬ狙いで――――銃爪を引いた。
ダブルアクションのその銃は、コッキングせずとも発射可能。スライドが後退すると共に撃針が引かれ、前進。籠められた銃弾を叩き、百分の一の確率で、嚆矢の頭目掛けて鉛の弾頭を吐き出した――――!
………………
…………
……
『彼女達』がその異変に気付いた瞬間、シャッターが弾けた。
「ふぇぇ……ば、爆発しましたよ?」
「て言うか今、人が巻き混まれなかった?」
アワアワとふためく、柵川中の花飾りの少女と黒髪ロング。それとは対照的に、常磐台の二人は落ち着いたものだった。
「さて、と……それでは、私の出番ですわね。お姉さま、く・れ・ぐ・れ・も、先程のような事がないように」
「分かってるわよ……でも、避難誘導だけはさせてもらうけど」
右の二の腕に腕章を取り付けながらリボンツインテールの少女に念を押され、ヘアピンセミロングの少女は肩を竦めながら口を開く。辺りは逃げ惑う女生徒や児童でごった返していた。
「それは是非、こちらからお頼みしたいですわ。では、ごきげんよう」
と、ツインテールの姿が文字通りに掻き消えた。
「じゃ、こっちも始めましょうか……二人とも手伝って!」
「はっ、はい!」
「がってん!」
それを慣れた風に見送り、セミロングは柵川中の二人に指示を飛ばしたのだった。
………………
…………
……
キィン、と鋭い金属音。それは、路上に薬莢が落ちた音。そして――――胸元を押さえるように身体を折った嚆矢。
「な――――何だ、コイツ……! 銃弾を跳ね返しやがった……まさか、能力者?!」
巨漢は弾かれた拳銃弾が掠った衝撃で血を流す腕を押さえ、怯えるように後ずさる。他の二人も、既に走るのを止めていた。
「あァ――――」
と、血の滲んだ右手を押さえた嚆矢が誰憚らずに悪態を吐く。上げた顔は三白眼と牙を剥いた、さながら肉食動物の如き凶暴な面相。
「――――ックソが! 素手でこンな曲芸させやがって……痛ェじゃねェかよォ、クソッ! テメェら死ぬ覚悟はできてンだろうなァ、ド三品どもがァァッ!!」
今までのフラストレーションを一気に爆発させたかのように、加勢に吼える。
そして、懐から取り出した一対の革手袋。手の甲部分に『白い三ツ又のライン』が刻まれたソレを両手に嵌めた。
「ヒッ……! く、来るなぁぁぁっ!」
完全に恐慌を来した巨漢は、腕を押さえたまま拳銃を連射する。三発の銃弾が、嚆矢に向けて飛来し――――
「……大鹿」
囁くように手袋に某かの息吹を掛けた彼。瞬間、身体を覆った不快感により、目の前の三人に対して更なる怒りが芽生えた。
その怒りが示すまま――――両手を三閃。二発を叩き落とし、最後の一発を『革靴』で跳ね返して巨漢の持つ拳銃を弾き飛ばした。
――此より、我が拳足は山谷を駆ける大鹿の蹄。その強靭さは、あらゆる害意を跳ね除ける!
「な、何なんだテメェは――!」
後退りながらの誰何に続いて、拳銃が――――跳ね返された弾丸に撥ね飛ばされた拳銃が落ちた音が、響いた。
それに冷ややかな目を向けつつ、嚆矢が触れたのは首元の幸運のお守りに刻まれた色とりどりの二十四の紋様の内、『白いMに似た紋様』。
「――駿馬!」
そして、巨漢の至近まで二歩で迫る。そのスピードに目を向き、辛うじて反撃してきた――――その腕を拉ぎ、足を払う。それだけで、嚆矢の二倍の重量が軽々と宙を舞う。
――此より、我が脚は原野を駆ける駿馬の脚。その俊敏さは、一陣の風の如く!
空中で、天地を逆転させたドレッドの巨漢。驚愕に染まったその瞳を、冷酷に見下ろして――――『上向きの赤い矢印』に意識を沿わせた。
「――戦神!」
――此より、我は戦神の具現。その強壮さは、万物を覇す光!
「ギッ――――?!」
そして革手袋と同じ紋様の刻まれた革靴の底で顎を踏みつけ、俊足を可能とする脚力を持って頭から路面に叩きつけた。百分の一の確率で、完全に理合を極めた一撃で昏倒させて。
「義理なンざねェが、冥土の土産に教えてやるぜド三品……」
悲鳴すらも踏み潰された巨漢は白目を剥いて泡を吹き、轢かれた蛙のように無様な姿で路上に昏倒した。
仁王立ちし、残心も示さず。ゴミを潰したほどの感慨もなく、男の懐から転がりでた新品の煙草を蹴り上げて手中に納める。
包装を破り、その内より一本を銜える。しかし、ライターが無い。
「異能力者の確率使い――――『制空権域』対馬 嚆矢だ……って、聞こえてやしねェか」
煙草を銜えたまま、足下から目を離す。蜂蜜色の妖しい瞳が、残る二人を捉える。
それは、一瞬の事。残る二人は、呆気に取られた顔で顔を見合わせて。
「ヘ、ヘヘ……何かと思えば異能力者だと? ビビって損したぜ……おい、燎多!」
「おう、任せとけ……テメェはさっさと金を運び込め!」
と、急に落ち着きを取り戻す。そして、リーダー格らしき雲丹頭が嚆矢の前に出た。
「へっ、バカな奴だ……エンカウンターだかなんだか知らねぇが、わざわざ自分から異能力をバラすなんてな」
「…………」
そして――――その右手に、紅蓮の焔を纏う。
その規模たるや、最早火球というよりは炎塊だ。
「この、強能力者の発火能力丘原 燎多に、勝てる気かよぉ?」
勝ち誇るように、その焔を翳す雲丹頭。成る程、先程シャッターを吹き飛ばしたのも彼なのだろう。そこには、己の能力に対する優越があった。
嚆矢は、そんな雲丹頭を見詰め――――
「――――気ィ効くじゃねェか、ド三品。丁度火ィ探してたンだ、ありがとうよ」
「は――――?」
その右手首を握り締め、銜えたままの煙草を焔に近付けて着火する。
そして嚆矢は焼け付く香気を味わいながら、煙を強盗の顔に吹き掛けた。
「――――氷」
更に、空いた右手で触れたお守りの紋様は『黒い縦一本線』。またも生まれた不快感を、そっくり目前の相手への怒りに摩り替えて。
――此より、我が属性は氷。その冷厳さは焔を掻き消す、原初の息吹!
「な――――俺の、焔を……!?」
自慢の焔を消され、あからさまに動転する発火能力者。怪物でも見るような目で此方を見るや否や――――
「ちっ……ちくしょぉぉっ!」
左手に灯した焔を、パンチと一緒に繰り出し――――嚆矢は、握り締めている発火能力者の右手に理合を見出だす!
「――――お待ちなさい!」
「「――――ッ!?」」
そこに響いた少女の声。ピンク掛かったツインテールの、常磐台の制服の娘。
少女は、嚆矢と発火能力者に向けて……肩に取り付けられた、『盾』の模様が描かれた緑の腕章を示す。
「風紀委員ですの――――器物破損、及び強盗の現行犯で逮捕しますわ」
「じ、風紀委員……クソッ!」
それは、学園都市の自衛組織『警備員』の下部組織……学生で構成された、『風紀委員』の徽章。
それを見た発火能力者は、二対一では勝ち目がないと判断したらしく、慌てて嚆矢の腕を振り払うと一目散に逃げ出した。
「待ちなさいな!」
と、少女が逃亡した方に叫んだ――その時、逆方向からの声。
「テメェ、離せよっ!」
「ダメぇっ……きゃあ?!」
「――野郎!」
それに振り向けば、目に映ったのは痩躯の強盗犯に人質にされそうになった子供を取り返そうと引っ張り合い、辛うじて庇い込むも、男に顔を蹴られて倒れ込む柵川中のロングの娘の姿だった。
「佐天さん!」
「ぐぁっ……う、動けねぇ……何だこれ、針?!」
その様子を見た、柵川中の花飾りの少女が叫ぶ。と同時に、背後でくぐもった声が響いた。
十中八九、発火能力者が取り押さえられた声だろう。
「――――女に手ェ上げるだけでも男の風上にも置けねェってのによォ……足蹴にするたァ、よっぽど要らねぇらしいなァ!」
舌打ち、落ちていた拳銃を拾う。車に乗り込もうとしている痩躯の強盗、その足を狙い――――
「――――黒子っ!」
刹那、走った声。それはさながら、雷鳴の如くその場に存在する者全ての目線を集めた。無論、嚆矢の目線も。
その所為で、最後の射撃機会を逸した。だが――
「こっから先は、あたし個人の喧嘩だから……手、出させてもらうわよ」
「えっ、ちょ……お姉様?」
丁度、嚆矢と強盗犯の乗った車の中点に現れたセミロングの常磐台娘。自殺行為も甚だしい。
後方のツインテールからも、戸惑った雰囲気が振り返らずともありありと感じられた。
「あれ……?」
その姿に、既視感を覚える。あんな娘を、去年辺り見たような、と。
その回答は思わぬところから。
「思い出した……風紀委員には捕まったが最後、見も心もズタズタにする空間移動能力者と……その空間移動能力者を虜にする最強の電撃使いがいるって噂……!」
振り返れば、路面に革ジャンごと縫い付けられた発火能力者と、その隣で悠然と――――心配の欠片すらなく、急発進した車の前に立ちはだかったセミロングを見遣るツインテール。
「……ええ、そうですわ。あのお方こそが、学園都市二百三十万人の頂点に君臨する、超能力者の一人――」
車が、迫る。アクセル全開で。その圧迫の前で――――セミロングの少女は、右腕を差し出した。
そんな細腕で、一体何ができると言うのか。恐らく、車を操る強盗犯もそう思っただろう。
だからこそ、ノーブレーキ。彼女が右手で空中に弾き上げたコインに気付く事もなく、ただただアクセルを踏み込み――――落ちてきたコインに合わせた再びの親指により、前方に向けて放たれた電磁投射砲の一撃を真正面から受けて吹き飛んだ。
「――――第三位『超電磁砲』……御坂 美琴お姉様ですわ」
路面すら砕いた一撃により、盛大に吹き飛んだ車がようやく停車する。いや、正確には廃車となっただけだが。
ドライバーは、失神しているが奇跡的にも生きている。エアバッグさまさまである。
「……マジかよ」
傘で残骸や粉塵を防ぎながら、嚆矢は呟く。開いた口が塞がらない、とはこの事だ。出鱈目にも程がある。
――流石、『一人で一国の軍隊を敵に回せる』強度の能力者……超能力者だな……有り得ん。
寒気がする強さだ。しかも、真に恐ろしいのは……そんな奴が、あと六人居るという事だろう。
「さて――で、まだやる?」
「え?」
と、振り返ったセミロングが、迸る電位と共に口を開く。それに、彼は今の状態を省みた。
即ち、『一人で一国の軍隊を敵に回せる』超能力者に拳銃を向けている具合になっている己を。
「――――待て、違う。俺はこいつらとは関係ない。いや、無いっつうか……」
「何よ、間怠っこしいわね……ハッキリしてくれる? 投降するか――――消し炭になるか」
不機嫌さにか、電圧が増した気がする。不味い状態である。それを本能的に理解し、嚆矢は左手でお守りを握り締めて『口伝』を起動した。
「待て、俺だ御坂! ほら、対馬だ! 去年の秋に会ったろ?!」
「対馬……去年の秋?」
こうなれば手段を選んで入られないと、両手を前に出して弁解する。
それに、セミロング……御坂美琴は、記憶を呼び起こすように思案し――――あっ、と表情を和らげた。
「あぁ、対馬さん! 去年の大覇星祭の時の?」
「そうそう、その対馬さんだよ!」
互いに、人差し指を向け合う。懐かしい相手に会った、と。
結論から言えば、それが悪かった。如何にフレンドリーに会話できていようとも。
「うっわ、なつかし~! こんなところで何をしてるんですか? 銀行強盗?」
「御坂さんや、世の中には言っていい冗談と悪い冗談があるぞ。何せ俺は腐っても鯛の対馬さん――――」
「――――お姉様、危ない!」
悲鳴の如き叫びと共に、ツインテールが、瞬時に目の前に現れた。そして――――具合により、美琴に向けてしまった拳銃を蹴り上げる!
「フぎっ――――!?!!」
「あっ……目測を謝りましたわ。ごめん遊ばせ」
のに、思わず嚆矢が反撃の為に半歩詰めた為に失敗して、思いっきり彼の股間を蹴り上げた。
因みに、彼女の攻撃は空間移動により、嚆矢より先に命中していた。
――――こ、これの事か、母さん……クソ、だから空間移動能力者は……嫌いなンだ……。
「ちょ、対馬さん?! 黒子、あんた何やって……!」
「ご心配なく、お姉様。お姉様に近付く不貞の輩は、この白井 黒子が責任を持って始末しましたわ」
結局、慌てふためく美琴と勝ち誇る白井黒子の声を聞きながら、嚆矢は前のめりに。
蹴り上げられた股間を押さえた、情けない格好で昏倒したのだった。
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