Meet again my…
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Ⅱ ライトグリーン・メモリアル (3)
部屋に帰りついてからは麻衣と一言も口を利いていない。
いたって自然ななりゆき。これから人殺しに赴こうという人間に対して平常心で接せる奴がいたらそいつは中身がどこか破綻してる。麻衣みたいにまっとうな感性の持ち主ならなおのこと。僕の顔も直視できまい。
麻衣は仮宿である寝室に閉じこもって出てこない。昼も食べなかった。あんな話を聞かされたあとじゃ食欲もわかないか。
気遣って外に出るべきか。いや待て、いちおう狙われてるのは僕なんだ。軽率な行動は推奨されない。麻衣の精神衛生には悪いがこのままリビングにいさせてもらおう。
ノートパソコンを立ち上げてメールをチェックする。ひいきの調査会社から1通。
自然と口の端が上がった。
吉報となりうるかもしれない内容。
日高の拠点候補の情報が送られてきていた。
都内だということまでは調査会社の社長が絞り込んだ。だからこそこっちも拠点を東京に置けた。東京だって広いが、彼にかかれば朝飯前だ。
10年、その時を待ち焦がれていた。もうすぐ。もうすぐなんだ。ゆがんだ愉悦がこみ上げる。もうすぐあの女を■せる。
――今の僕を麻衣が見たらどう思うだろう?
そう考えた瞬間、醒めた。
――戯け。今は彼女がどう思うかなんて些末事だろうが。
ん? またメール。誰から……
優子さん?
優子さんにはアドレス教えといたか? あ、僕が教えてなかったとしても周りから聞けばすむことか。
From********.ne.jp
件名
君に渡す物があります。あたしの働いてるお店まで来てください。
簡潔な内容。文末に署名。地図添付。これだけ。あの気風のいい女性のイメージにそぐわないな。でも、渡すものってことは、完成したのか。また私書箱に送るんだと思ったのにわざわざ優子さん経由で回収させるなんて、あの人も回りくどい真似する。
キーボードを打つ。悪いけど行けません。日高への攻勢の準備が整うまでは籠城して、ぎりぎりで取りに伺いに……
「いいえ、貴方は行くの」
弓を掴んで跳びずさった。
白い魔女が立っていた。
どこから入ったなんて問いかけは無粋にして徒労。魔女は人間がいればどこにでもいる存在だ。
「断る。なぜ自ら危険に飛び込む必要がある?」
昨日みたいな事態で本懐を遂げても僕の心は晴れない。奴を整った舞台で叩き潰してこそ意味があるんだ。
「貴方に危険は訪れない。安部日高は貴方を観測しない。私の魔法はそれを可能にする」
銘は正義と理想。性質は自己本位。この世を欠ける者なき平和の庭に変えることを目的とし、必要な犠牲さえ帳消しにする魔女。この魔女の魔法が発動されている限り犠牲者は絶対に出ない。
「まだ始まらない。私が始めさせない。貴方は彼女に会うの」
最強の力を持つ最悪の思想家。僕の力量じゃ太刀打ちできない。
ぜんぶ師の受け売りだけどな。
「行けばいいんだろう、行けば」
矢を番えず弦を引いていた弓を下ろす。白い魔女は満足げに笑んで、たちまち失せた。
いいさ。人外の偽善的エンターテイメントのプロデュースだろうが、それで都合よく事態が転がるなら。
今から行くと優子さんに返信。地図を携帯に送信してノートパソコンの電源を落とす。あとは財布……っと、弓も忘れず持ってかないとな。
出かける前に寝室をノック。
「麻衣。出かけてくる」
何かあったら携帯に――と言いかけてやめた。
「好きに過ごしていていい。行ってくる」
これで少しは麻衣も気が楽になるだろう。
殺人者予備軍と同じ空間にいる時間が少しでも減るんだから。
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