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Meet again my…

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Ⅰ シグナル・アロー (3)



 僕が来日するに当たって住居に選んだのは外国人向けのアパートメントだ。買出しやレイアウトが面倒で家具付きにしたけど、こうしてすぐに人を招くことになった今となっては思わぬ形で功を奏していた。

 部屋を眺め回す彼女をソファーに座らせる。彼女はそわそわしていて、落ち着きがない。まるで借りてきた猫だ。いや、警戒心は猫より薄そうに見えるな。

「足、見せてくれないか。土蜘蛛に噛まれてないか診るから」
「あ、うん」

 彼女はソファーに座ってジーンズをまくりあげる。足の甲から、脛、膝、裏返してふくらはぎを検分する。――これなら大丈夫そうだ。

「噛まれては、いないな」

 僕が手を離してすぐ、彼女はいそいそとジーンズを戻した。一応は女子としての意識があるらしいしぐさにほっとした。

「ねえナル。毒蜘蛛って言ってたけど、噛まれたらあたし、どうなってたの?」
「最悪、脚が麻痺して動かなくなっただろう。知り合いの神父がそうだった。右足を噛まれて歩くのに不自由しているそうだ」
「げっ」

 彼女は顔をしかめて、この歳で杖のお世話になりたくないよお、と小さく零した。
 僕は彼女の正面のソファーに座った。

「話してもらえるか。君が僕を知っていた理由と、君自身の事情を」

 いい加減にはっきりさせたいし、彼女だって同じ気持ちのはずだ。

 彼女の話は奇想天外だった。
 いや、彼女が白猫を追いかけて路地裏に入り込んだら突然交差点に出たということ自体はさほど驚くに値しなかった。原因が特定されていないだけで、そんな現象だけなら世界中のどこでも起こりうる。神隠しだのテレポーテーションだの呼ばれているものだ。

 驚くべきは、彼女が語る「ナル」と彼女は恋人同士である点だ。

 この時、僕の中には二つの仮説が生まれていた。

「タイムパラドックスの矛盾を説明するため、時間旅行者による歴史改変で時間軸が分岐して、元の世界と平行した世界が生まれるとするパラレルワールドの概念がある。その説を採るなら、君に出会っていない時間軸というのもあながち否定できない」

 一つは彼女が平行世界の人間であるという説。これもありえない話じゃない。もう一つ――こちらのほうが平行世界よりもまだ実現しやすいのだが、もし正解だとしたら、彼女を僕の前に配置した人物を殺してやりたいくらいに悪質なものだ。

「そちらの世界の僕はどういう人物だ?」

 二つ目の仮説に至る確信が出ないことを祈りながら尋ねる。彼女は指を口に当てて、んー、と考え込んだ。

「イギリス心霊調査協会の調査員で博士号持ち。家族構成は養父母のマーティンさんとルエラさんに、双子の兄のジーン。すっごく強いPKだけど、使うとオーバーワークでぶっ倒れちゃうんだよね」

 彼女の言は正解であると同時に、「ナル」が僕の想定していた人物と同一だという可能性を一気に高めた。

「僕との違いは?」
「服装とあたしへの二人称かな。あたしのナルは『お前』って言うし、いっつも黒い服ばっか着てる。黒じゃないのなんて、寝る時くらいかな」

 黒。彼のパーソナルカラーだ。仮説が補強されてしまった。

「なぜ就寝時の格好まで知っているか訊いていいか」
「何でって、その…まあ…時々泊まりにいくから。ホントに時々。だ、だってそういう関係なんだもん! しょーがないじゃんっ」

 「ナル」とそういう関係ならさもありなん。これは二つ目の仮説が正解である目算が高くなった。

「……冗談にしては笑えない」
「冗談でこんな恥ずかしいこと言えるかあっ!」
「口でなら何とでも言えるな」

 僕が冗談だと言ったのは君の発言じゃなく、君が他でもない僕の前にいるという状況そのものなんだけどな。

「いーよ。なら証拠になるようなこと言ってあげてもいいけど? まずー、ナルの朝の日課は太極拳」
「それがどうした」

 僕の日課でもある。純粋に肉体を鍛える目的でやっているという違いはあるが。

「OK、じゃ速攻でとっておきを。一応あたしたち恋人同士だし、まあ夜のお付き合いってのもあってね、その時ナルは耳たぶの裏にキスすると結構……」
「分かった。それ以上言わなくていい。むしろ言うな」

 そんな当人同士の事情を赤裸々に語らないでくれ。親の情事を知ってしまった子の気持ちが今よーく理解できた。

「名前は?」
「へ。あ、あたしの?」
「この場には君しかいない」

 彼女はふくれっ面から回復してから、こてんと首を傾げて言った。

「麻衣。谷山麻衣」

 その名乗りで仮説は完成した。――ああ、こんな極上の悪夢があっていいものなのか。

「? どうかした?」
「いや。どこかで聞いたような気がしただけだ。思い出せたら言う。僕は」
「渋谷一也でしょ。本名はオリヴァー・デイヴィス。呼び方はナルでいいのかな?」
「……、それでいい。どうせ周りもそう呼んでいる」

 パーソナルデータは彼女がさっき述べた通りだ。今さら僕の名前を呼んでもらおうなんて思わない。

「僕は君をどう呼べばいい。何か希望があるなら聞く」
「お好きにどーぞ」
「じゃあ――麻衣」

 まさか僕が呼んでいたように呼ぶわけにもいかず、苦肉の策で呼び捨てにしてみた。麻衣は面食らっていた。まずい呼び方だったか?

「麻衣?」
「へ!? あ、いや、何でもないっ。ちょっとびっくりしただけ」
「そうか。間の抜けた顔をしたから何事かと思った」
「なにおーっ!?」

 憤慨する麻衣を躱しながら、この悪意の仕掛人をどう料理してやるかについて僕は考えを巡らせた






 麻衣には僕の部屋に泊まってもらった。行く宛てがない彼女を放り出すなんて真似はできない。麻衣が僕の予想通りの人物ならばなおのこと。

 僕は麻衣が眠ってからマンションを出て、建物の裏手に回り込んだ。生垣のある歩道で待つ。昼のあれが来るかもしれないのに単身こういう行動に出られたのにはれっきとした理由がある。

「――どういうつもりですか」

 闇の中がみよん、と伸びて、表面張力が切れたところで白猫が出てきた。麻衣がこちらに来たきっかけも白猫だった。

 白猫がこれまたみよーんと伸びてそれが段々とヒトの形を作った。
 白い女だ。服装はパステルカラーで髪も銀に近いプラチナブロンドだから白いというのは語弊があるかもしれない。強いて言うなら雪花石膏の肌が白のイメージを与える程度。それでも彼女はまぎれもなく白だ。

 白い魔女。この事態の仕掛け人。

「麻衣はあの谷山麻衣なんですね。それもまだ若い頃の」
「ええ。貴方という存在を育て上げた最大の存在である谷山麻衣。私がこの世界に連れて来たわ」

 あたまが沸騰しそうだ。

「何故連れてきたんですか! よりによって、まだ何も知らないあの人を!」

 白い魔女は淡々としたものだった。

「まだ『谷山麻衣』である彼女でなければ、異分子を排除しようとする働きに引っかからずに貴方の世界に召喚することはできなかった。この世界には谷山麻衣が必要。貴方の名前を呼んでもらうために」
「なま、え」
「『ナル』ではない、貴方の本当の名前。名付けた親にしか呼べない貴方という個を表す名前」

 この女は魔女だ。知っていても当然だ。

 ――僕には実の両親しか呼ばなかった秘密の名がある。周囲には英名で通したが、親子だけになると父も母も必ずその名で僕を呼んだ。両親が死んだ今となっては誰もその名で僕を呼ばない。

「産み直しの儀式。真実の名を呼ぶことで貴方に再び『貴方』としての命を吹き込む」

 絶句した。
 そんなこと誰も頼んでない。僕の望みはそんなことじゃない。本当の僕は十年前に殺されてもう息を吹き返すことはない。だから僕は「ナル」として生きてきたんだ。死んだ僕がかぶれる皮は「ナル」しかなかったから。それを今さらになって。

「そんな度外れてふざけた親切を施そうってのか! あの女を殺しにいく直前になって! あんな人までここに引っ張り出してきて!」

 白い魔女は吐き気がするほど無表情だ。

「それが私の『正義』。欠ける者なき理想の庭を造る。貴方を死なせない。セカイを変える。それが私の『理想』」

 僕の師に当たる女性が言っていた。こいつは、目の前の白い魔女は、この世で最も業深い名を冠している。本当だった。

「――もういい。あなたと話していると吐き気がする。さっさと消えてください」

 白い魔女は身を翻した。白猫に変じて闇の中に消えて行った。

 僕は、手近な壁を殴りつけた。

「今さら……」

 そう。何もかも今さらだ。僕は『僕』に戻りたいなんて思ってない。ただあの女を殺す。そのためだけに生きてきたんだ。

 心がゆらぐ。ゆらゆら、定まらない。

 僕は麻衣にどう接すればいいんだろう?

 
 

 
後書き

「もうこれGHじゃねえ」
 というツッコミが聞こえそうな回でした。木崎です。ありがとうございます。
 この「魔女」の概念は某なくころにミステリーを参考にしています。あちこちから引っ張ってきてすみません。
 何言ってるか分からんな文章ばかりですが、彼の正体上、どうしても……すみません。
 それでもおつきあいくださる方、ありがとうございます。
 
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