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作家

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第一章


第一章

                     作家
 戦争が終わったすぐ後の時代だった。
 それまであった価値観が崩壊してそれまで日陰者だった価値観が出て来ていた。ところがこの新しい価値観とやらがいいかというと決してそうではないのだ。
「何だかねえ」
 東京の片隅で。ある作家がこぼしていた。
「気に入らないねえ」
「気に入らないですか」
「うん」
 丁度原稿を取りに来ていた馴染みの編集者にそうこぼしていたのであった。小さな執筆用の木製の机を横に置いて座布団の上に座っている。よれよれの紺色の着物とこれまた古い細い帯といった格好だ。顔は細面で少しエラがあるが美男子と言ってよく鼻が高いのが目立つ。髪は収まりの悪い感じでボサボサであった。彼は座布団の上で腕を組んで渋い顔をして編集者に語っているのであった。
「ほら、戦争は終わったね」
「はい」
 編集者はその言葉に頷く。これは言うまでもない。
「それについてまず皆色々言っているね」
「何だかんだで終わりましたからね」
「負けてね」
 作家はあえてこう言ってみせた。
「終わったね」
「残念ですが」
「そう、残念だよ」
 彼は編集者のその残念という言葉をあえて強調するのだった。
「戦争をするからには勝ちたいね。それが普通の気持ちだよね」
「普通の気持ちですか」
「日本人だったらだよ。日本を親としたら」
 そうして日本という己の祖国を親と定義付けてきた。
「僕達は子供だ。確かに危ない戦争だった」
「アメリカは大きいと皆わかっていましたね」
「そうだよ。負けるんじゃないかっていうのは薄々わかっていたんだ」
 当時の日本人も決して愚かではない。その程度のことは誰でもわかっていたことだ。しかしそれでも避けられない戦争だったのだ。そういう時もあるのだ。
「わかっていてもやらなくちゃいけない時があるんだ。そして」
「そして?」
「親が行くのに子供が行かないなんてあるかい?」
 作家は次にこう述べた。
「ないよね。親の窮地には子供が駆け付けるものだよ」
「そうですね。逆もそうですし」
「それでどうしてあの戦争はするべきじゃなかったとかそんなことを言えるんだろうね。私はそもそも反対していたって言う奴もいるよね」
「それは確かに」
 編集者も作家のその言葉に不機嫌な顔になった応えた。
「あの雑誌にしろそうですし」
「あの雑誌は最近異常に変わったよ」
 作家は憮然とした顔になって述べた。
「あの新聞もね。新年の記事見たよね」
「革命家ですか」
「冗談じゃない」
 忌々しげに言い捨てた。
「あんな男の何処が革命家なんだか。とんでもない奴だよ」
「満州のあれですね」
「そうだよ。何かあったかはもう僕の耳にも入っているよ」
 既に満州から命からがら逃げて来た人達がいたのだ。作家は彼等の噂も知っていたのだ。当時のマスコミや知識人はあえてそれを無視していたのである。それは何故か。『平和勢力』である彼等が悪事をしていたとなればそれに同調する当時のマスコミや知識人の一部に都合が悪いからだ。戦後の日本はマスコミや知識人が人類史上最悪と言っていい程腐敗していたがそれはこの時からだったのだ。
「それでどうしてあんな記事が書けるのか。僕は神経を疑うよ」
「それまではやたらと戦争を支持していたのに」
「僕はこのことは忘れないよ」
 その憮然とした顔で語る。
「戦争を支持していた奴等が今反対していたと主張するのをね。何があっても忘れないよ」
「そうですか」
「戦争を支持していて何が悪いんだ」
 そこをまた言う。
「親について行くのは道理だ。負けるとわかっていても親を見捨てる方がおかしい。そうじゃないのかい?」
「そうした考えは今は」
「ないね」
 また忌々しげに一言で言い捨てた。
「これからもっとなくなるよ」
「もっとですか」
「それに最近何か共産主義とかどうとか五月蝿いね」
 そちらに話を戻す。
「何かキリストの福音みたいに言っているけれど」
「そうですね。さっき話したあの雑誌といいあの新聞といい」
「共産主義はね、そんなものじゃないよ」
 彼は共産主義について何かを知っているようであった。
「平和になるとか幸福になれるとか。そんなのは全くの嘘っぱちさ」
「そういえば先生は」
「うん」
 ここまで言ったうえで編集者の言葉に頷くのであった。
「そうさ。昔はそれに賛同していたよ」
「それでどうして今」
「賛同していたからわかるんだ」
 言葉が逆算的なものになった。
「余計にね。あの時僕は若かった」
「ですか」
「今でも愚かだけれど。それでもあの時にわかったんだ」
 また言うのだった。
「あの思想はね、人を殺す」
「殺しますか」
「君ね、世の中ってのは奇麗なものじゃないんだ」
 作家は今度は達観したようなことを口にした。
「完全に奇麗になるものでもないんだ。醜いものだって一杯あるよ」
「それはそうですね」
 哲学的な言葉だった。この編集者はそっちにも造詣があるのだろう。作家の今の言葉にはしきりに頷いていた。
 
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