あさきゆめみし―青の祓魔師―
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月が隠れている内に… その一 今も、昔も…無力な自分
前書き
奥村雪男 裏夢
「やっぱり、まだまだ日本は暑いわね」
そう空港の中から現れた女性は黒ずくめのサングラスを外し、乾いた空を見上げる。
九月上旬のそれは白い雲の峰がまだ残るが、立秋を過ぎている所為なのか、風が些か涼しい気がした。
正十字学園を卒業して約十年、バチカンに何年か派遣された後、各国を点々と回り、魔障にかかってしまった人々を診てきた。
あれから十年経ったとは言えまだまだ自分は若輩者、助けられた命もあれば否もある。
『少し休んだ方が良い』
既に手遅れだった患者を送り、塞ぎ込んでいた自分を見るに見かねた上司が日本に帰国することを勧めてくれたのだ。
空港を出てロータリーでタクシーを捕まえると、まっすぐに正十字学園に向かう。
近況報告は勿論だが久しぶりの祖国だ、母校が今どうなっているのか気になった。
本来ならば家族の安否が優先されるのだろうが、生憎彼女、漆谷恵里にはそう呼べる存在はとっくに他界してしまっている。
あれは二十一年前の冬の日だった。
なかなか熱が下がらないわが子を心配して、藁にも縋る思いである教会の門を叩いた。
そこにはちょうど同い年くらいの兄弟がいて…何回か遊んだことを覚えている。
最初は半信半疑だったが、通い出して少しずつ以前の元気な娘に戻っていくのを見た両親は涙ながら神父様に何度も頭を垂れていた。
……しかし、それも最後になるであろうある日、それは起こってしまった。
(………………会えるかな?)
窓の外を眺める恵里UIの目には追憶とはまた違った鮮やかな色が宿っていた。
あの頃、私は無力すぎた。
目の前には燃え盛る炎。
季節は真冬だと言うのにその規模の大きさ故か、背にはうっすらと汗が滲んだ。
………………誰かが通報したのだろう、遙か遠くの方からサイレンの音が聞こえてくる。
(……そんなことをしたってムダなのに)
悪魔の炎は人間の手に負えるものではない。
遠退く意識の中、誰かが自分の名を力強く叫んだ気がした…。
「お客さん、正十字学園に着きましたよ。起きて下さい」
「……っ」
………………どうやら眠ってしまったらしい。
空港から約四時間、恐らく高速に入って数分経った所で睡魔に襲われたのだろう。
それもそのはず、正十字学園を卒業してから安眠とは縁の遠い生活をしてきたのだ。
これまで気を張っていたつもりだったが、微かなまどろみがまだ瞼に残っている。
清算を済ませ、タクシーから降りた彼女の目の前には以前と変わらぬ正十字学園が佇んでいる。
いや、…敢えて言うならばあの頃よりも小さく見えることぐらいろう。
勿論、規模は半端ないままだが、在校生から見るのとOBとして見るのではやはり感覚的にも精神的にも明らかに違う。
一度深呼吸をし、理事長室へと歩みを向けた。
何故、あの夢を今頃見たのだろう?
勿論被害者でもあり、加害者でもある自分があのことを忘れるはずがない。
だが、それでも夢に出てくるのはとても久しぶりだった。
卒業してからは忙しさにかまけてレム睡眠だけを貪っていたため、それらしいものを覚えていない。
これも祖国に帰ってきたということなのだろうか。
あの日、悪魔に意識を乗っ取られそうになった時助けてくれたのが今は亡き、藤本神父だった。
孤児になってしまった恵里は親戚に引き取られたが、アレから見えざるものが見える体質になってしまい、彼の紹介で正十字学園に入学した。
そこで、まさか成長した二人に再会できるなんて…と、呪われし体になってしまったことにあの時ほど感謝したことはなかっだろう。
充分に「恋する乙女」なのだと自覚したのは悔しくもライバルの存在を知ってからだった。
「……っ」
理事長に軽く挨拶を済ませ、自分も授業を受けていた一一〇六号教室をドアの小窓からこっそり覗き見ると、今まさにその最中のようで、必死の形相でノートと黒板を行ったり来たりを繰り返す生徒もいれば、誰かさん同様に居眠りを決め込んでいる者もいる。
(変わらないなあ……この場所は)
思わず顔が緩んでしまう。
あの日よりもすっかり大人の男性になってしまった奥村雪男はその彼の頭の上に何かの紙を乗せると、予鈴と共にこちらに向かってくる。
「あっ」
卒業生代表で答辞を読んでいた姿が脳裏を過ぎった刹那の出来事だったため、反応に遅れた瞳にギィィィィと如何にも古めかしい音を立ててドアの隙間から現れた彼の瞳とぶつかった。
「っ?!君はっ」
青い日々よりも少しトーンが落ち着いた声に明後日の感情を抱く彼女が次に目にしたのは、ごつごつとした左の薬指に嵌められた銀の指輪だった・・・。
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