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妾の子

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第一章


第一章

                   妾の子
 脇田セツに不幸が襲い掛かったのは突然のことだった。それは彼女にとってはまさに青天の霹靂であった。それで済まなかったかも知れない。
「主人がですか」
「そうです」
 夫である源太郎の職場である内務省の同僚達が家にやって来て彼女に伝えたのだった。源太郎は内務省の官僚であり極めて優秀な者で知られていた。果ては大臣かまでと謳われた男であり人格も円満でセツにとっては申し分のないよき夫であったのだ。
「女性の御宅で」
「そこが火事になりまして。それで」
「亡くなってしまったと」
 夫が死んだことだけがショックなのではなかった。彼が女性の家で亡くなったこともまた衝撃であったのだ。つまりこれは。彼に愛人がいたということだからだ。
「そうです。御言葉ですが」
「御主人からは何も」
「いえ」
 彼等の言葉に対してすぐに首を横に振った。そのうえで述べた。
「全くの初耳です。それは」
「御聞きになっていませんか」
「主人は清廉潔白でした」
 このことには絶対の自信があった。源太郎はとかく人格円満であるだけでなく士族出身に相応しい潔さと清潔さを持っていたのだ。賄賂の類を受け取ることなぞ考えられることではなくただ己の仕事に没頭していた。息子が一人いるが彼が東北の大学に進学しそこに入ってからというもの夫婦二人で静かに暮らしやがては隠居してしまおうかとも考えていた程だ。それ程まで静かで清潔だったのだ。
「その様な主人がどうして」
「御言葉ですが奥様」
 ここで夫の同僚の一人が彼女に告げる。
「確かに御主人は清廉潔白でした」
「はい」
 彼の言葉に頷く。
「その通りでございます」
「賄賂も取らず深酒もせず」
「博打もせず遊郭にも入りませんでした」
「その通りです。その様な主人がどうして」
「それがです」
「我々もはじめて知ったのです」
 あらためて彼女にこう述べてきたのであった。居間でセツは彼等から夫の知らない顔を見ることになってしまっていたのであった。
「彼が。妾を囲っているなどと」
「どうやら。少しの付き合いで料亭に入った時のことです」 
 この当時は料亭に入って仕事の打ち合わせや細かい調整をしていくこともまたよくあることであった。二十一世紀のはじめになってから急激に廃れていくのであるが。
「御主人はそこで知り合った若い女中と知り合い」
「やがて深い仲になり」
「それで身請けをしたというのですか?」
 この流れについてはセツもわかっていた。この時代の資産家や金持ち、地位のある人物ではよくあった話だからだ。首相であり陸軍の領袖の一人でもあった桂太郎もまた芸者を愛人にしていたし伊藤博文に至ってはとかく女が絶えない人物であった。妾を持つのは普通の時代であり彼女もそれは知っていた。だが自分の夫がそうだったとは流石に夢にも思わなかったのである。
「その女中を」
「どうやらその様で」
「もう十五年近く前に」
「十五年・・・・・・」
 その年数を聞いてあらためて絶句するセツであった。
「それだけ前から」
「そうです、本当に私達は知りませんでした」
「ですが本当のことです」
 ここでまた彼等はセツに対して言うのであった。自分達が知らなかったということを。つまり意地悪い見方をすれば自分達は無罪であると彼等は言っているのだ。夫が妾を持っていることに。
「それでですね」
「御主人とその方の間には」
「まさか」
 今の言葉からさらに不吉なものを感じていた。
「あの人はまさかその女の人との間に」
「はい、そうです」
「その通りです」
 セツが最も聞きたくない返答であった。だがそれが出されたのであった。内心でこれまでにない驚きを隠すので必死であった。
「女の子です」
「もう十歳です」 
 年齢もまた告げられたのであった。
「十歳ですか」
「ええ、そうなります」
「私達も驚きました。まさかその様な娘さんまでおられるとは」
「今も信じられませんが」
 セツはその娘の歳を言われてもまだ信じられないといった顔であった。不可思議な話を聞いて戸惑っているような、そんな顔でいるのであった。
「あの人に。そんな」8
「ですが真実ですので」
「それでです」
 夫の同僚達はここで話を変えてきた。
「その娘ですが」
「母親も亡くなりまして」
「火事でですね」
「ええ、そうです」
「不憫なことに」
 セツも話を聞いて不憫だとは思った。しかしそれは自分が関わりないならばであった。今はどうも複雑な気持ちであった。何故なら彼女も知らないところで夫がもうけた娘だったからだ。
「保護する人がいませんので」
「どうするべきか」
「どうするべきかといいますと」
「娘さんの名前はカヨといいます」
「カヨですか」
「はい、そういうのです」
 名前もまたわかったのだった。カヨというその名前もまたわかったのだった。
「そのカヨちゃんは」
「最早身寄りもなく」
「このままでは」  
 彼等は話を続ける。まるで答えをセツに求めているかのようだった。セツも彼等が何を言いたいのかおおよそ察しがついていた。しかし答えることはできなかったのだ。
「私に言われましても」
「ですが奥様」
「その娘は。もう身寄りが」
「その女中さんでしたね」
 夫の愛人だったというその女について言及した。
「その方がおられるのではないのですか。誰か親族が」
 そちらに引き取ってもらいたいというのだ。しかしであった。夫の同僚達はそれについては完全に否定してしまったのだ。
「それがですね」
「その人にも身寄りがなくて」
「天涯孤独なのです」 
 このことを言うのであった。
「探してみたのですが」
「これが」
「誰も。いないのですか」
「そうです」
 そうなのだった。これまたセツにとっては思わぬ言葉であった。
「誰も。身寄りはいなくて」
「それでですね。奥様さえ宜しければ」
「また随分なことを仰りますね」
 表情は変えないが声は不機嫌なものであった。
「私に。妾の子を引き取れとは」
「少しだけでいいのです」
「そう、一時だけでも」
 彼等はここで必死な様子を見せてきた。
「預かって頂ければ」
「その間に私達が何とかしますので」
「一時ですか」
 この言葉に心を動かされなかったというのは嘘だった。
 
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