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赤城と烈風

作者:fw187
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冬の戦争
  フォッケ・ウルフfw187

 
前書き
改定前 

 
 1937年に試作機が完成した双発単座戦闘機、フォッケ・ウルフ社のfw187《ファルケ》(鷹)。
 複座の双発戦闘機メッサーシュミットMe110に、試作競争で敗れた経緯は不明ですが。

 Me110より馬力の劣る発動機を搭載するfw187は、50km/hも上回る高速を採用試験で発揮。
 ドイツ空軍将校の中にはMe110の採用を不服とし、fw187を強く推す声も根強く存在しました。

 ソ連空軍相手の空戦で性能を実証、実戦証明済(コンバットブローブン)の実績を得て逆転採用を狙ったのでしょうか。
 一部将校が結託して≪冬の戦争≫への参戦に協力した、とも噂されていますが真相は不明です。


 クルト・タンク技師の在籍するフォッケ・ウルフ社も彼等に劣らず、逆転採用は望む所です。
 先行生産型fw187A-0の3機は2座化されていましたが、原型の単座に改造されました。

 試作1号機に装備の発動機、ユモ210DA液冷12気筒680馬力2基は更に高出力の発動機へ換装。
 ユモ210GA液冷12気筒730馬力2基を搭載、7.9ミリ機銃2挺のみ装備の機体で性能試験を実施。

 初号試作機fw187V1の最高速度は、高度4000mで時速525km/hを記録しました。
 武装を強化し重量の増加したfw187A-0もまた、高度1000mで時速529km/hと僅かながら上昇。

 第6号試作機fw187V6は1820馬力に増強、時速635km/hを発揮しています。


 先行生産型fw187A-0はラインメタル製の20ミリ機銃2挺、7.92ミリ機銃4挺を装備。
 長距離飛行は行わず敵爆撃機の迎撃に徹し、邀撃機(インターセプター)として使用する計画です。

 飛行時間が短く狭い操縦席は問題無しとされ、機銃6挺は弾道直進性が良く高い命中率が期待されます。
 水雷艇を駆逐する駆逐艦(デストロイヤー)に因み、爆撃機を駆逐する駆逐機(スカイスイーパー)と呼称。

 当時ソ連と同盟関係にあるドイツの空軍から、操縦員を出す訳には行きません。
 スウェーデン空軍から志願者を募る予定でしたが、フィンランドには早急な支援が必要と判断されました。


 当時唯一と言って良い双発単座戦闘機が真価と本領を発揮するには、充分な慣熟訓練が必要でした。
 熟練(ベテラン)搭乗員(パイロット)がfw187の機体特性を把握し、高速一撃離脱戦法(ヒットアンドアウェイ)に徹する。

 双発単座戦闘機の特徴を充分に活用、対爆撃機用戦闘駆逐機(カンプツェアシュテーラー)の真価を発揮する事。
 上記2点は採用試験が評価しなかった双発単座戦闘機の利点、真の実力を証明する必須条件でした。

 フォッケ・ウルフ社のテスト・パイロットを、義勇兵として派遣する事も検討されましたが。
 水面下で解決策を図る彼等の前に、情報を聴き付けた或る人々が志願します。



 史実では切札のフォッカーD21を装備した第24戦闘機隊、フィンランド空軍最強の戦闘集団へ配属された5人。
 ウルリッヒ、ラスムッセン、フリジス、それに2人のクリステンセン。

 彼等はデンマーク王立空軍所属の優秀な空の戦士ですが、自国の戦闘機を持ち出す事が出来ませんでした。
 フィンランド空軍のフォッカーD21は36機のみ、貴重な主力戦闘機を使えるとは限りません。

 性能の劣る複座戦闘機を割り当てられ、実力を発揮出来ずに戦死する危険も多分にありましたが。
 デンマーク空軍と親交を持つドイツ空軍の将校が奔走、デンマークの戦士達にfw187を預ける事となりました。


 北欧スカンジナヴィア半島には東岸スウェーデン、西岸ノルウェーの2国が存在します。
 バルト海の出口を扼するデンマーク王国は、ノルウェーと長い歴史を共有する兄弟国でした。

 ソ連に占領されたバルト三国に続く北方フィンランドの危機は、対岸の火事では済まされません。
 フィンランド北部と国境を接する兄弟国、ノルウェーもソ連に占領されるのではないかと危惧されました。

 5人はクルト・タンク技師を始めフォッケ・ウルフ社の技術者達と議論を重ね、駆逐機(スカイスイーパー)の設計思想に納得。
 見慣れぬ双発単座戦闘機を乗りこなすべく、実戦さながらの訓練を積み重ねました。


 熟練パイロット達の腕と技術に拠り、双発単座戦闘機の性能を引き出す条件が整います。
 フィンランド空軍戦闘機隊は、強大なソ連空軍相手に1対10の劣勢を強いられ苦闘を続けています。

 手遅れとなる前に助太刀を間に合わせるべく、関係者全員が尽力し準備が迅速に整えられましたが。
 伯爵の依頼したハンシン・ユッカ号は、前例が無い為か改造の進捗が遅れています。

 フィンランド上空の戦闘には一刻の猶予も無いと思われ、カルル・グスタフ・フォン・ローゼン伯爵は決断。
 護衛戦闘機として調達したfw187の慣熟訓練を積み、機体特性を体得したデンマークの戦士達に語り掛けました。



「フィンランド救援は愁眉の急であり、遅延は許されない。
 私はハンシン・ユッカ号の改造が完成し次第、単機爆撃を行う。

 フォッケ・ウルフfw187≪ファルケ≫3機は、ハンシン・ユッカ号の改造を待たず直ちに出発。
 デンマークの勇敢なる戦士諸君は私を待たず、フィンランド到着後は独自に行動して欲しい。

 我が父の援けたフィンランド空軍と共に出撃し、ソ連空軍相手に実力を発揮してくれん事を願う。
 以上」


 スウェーデンの伯爵とデンマークの戦士達は、互いに幸運を祈り心の篭った敬礼を交換。
 北欧の勇者達はfw187≪ファルケ≫と共に、戦火に覆われるフィンランドへと旅立ちました。

 前述の通り、フィンランド全土が無差別爆撃の脅威に曝されています。
 頼みのフォッカーD21も喪失機が相次ぎ、爆撃を阻止する事は不可能でした。

 大規模爆撃による家屋や各種施設の損壊、生活必需品や軍需物資の焼失も不可避と想定されます。
 補給の欠乏に拠り前線の戦力も枯渇、フィンランド防衛軍の全面的な崩壊が確実視されていました。

 ポーランド及びバルト3国と同様、独立国家フィンランドの消滅は時間の問題と思われます。
 デンマークの戦士5人と世界初の双発単座戦闘機3機は、崩壊の危機に直面するフィンランドへ到着。

 時に1940年1月18日、フォッケ・ウルフfw187が真価を発揮する機会(チャンス)を得る事となりました。 
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