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Myu 日常編

作者:時計塔
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さらば我が家、ようこそ、ゴリラ女

「うっわ……これは、大変だ」

 城島冥星は妹である城島海星と共に屋敷の外で立ち尽くす。
 時刻は深夜の二時を過ぎている。丑三つ時もこの惨劇を見てしまえば魑魅魍魎といえども恐れをなして逃げ出してしまうだろう。

「にーちゃん」
「こら、だめ、みちゃだめ」
「燃えてる」
「うん」
「家が燃えている」
「そう」

 そういいながらも冥星は天高く舞い上がる火の粉を振り払うことなく、一点を見下ろした。逃げ出した丘からは業火に焼き尽くされる我が家の光景が鮮明に映し出されている。
 これが、最後。そしてこれが始まり。冥星の中で一つの覚悟が芽生えた。それと同時に、今、生きていくために必要なあらゆるデータが不足していることに眠気を覚えてしまう。

「にーちゃん、寝ちゃだめ!」
「でも、これはしんどいよ」

 妹の目を隠しながら寝転がる兄を叱咤し、妹海星は屋敷の人々を助けるために動き出す。しかし兄の手から逃れることはできずに再びその体は地べたへと着陸した。

「にーちゃん! お母さんが! お父さんが!」
「もうだめ、無理、間に合わない」
「ばーやが! じーやが! エリザベスが!」
「無理、あきらめて」

 泣きわめく妹を宥めながら、冥星は眠気をかみ殺し、思考を開始する。自分の悪いところは現状からすぐに逃げ出そうとすること。そしていいところは、冷静に物事を判断できる審美眼があることだ。
 面接だってこれでやり通す。絶対に受かる自信がある。そしてそのあとにすぐ退社するところまで見えてしまったら、どうしようもなくやるせない。
 とはいえ、若干一一歳の自分にこれからできることといえば、ひとまず大人の手を借りることだ。この過酷な現代社会を子供二人で生きていくなど不可能に近い。限りなくゼロだ。限りなくゼロといったのは、生存する確率もあるのだ。少なくとも人間をやめてしまえば、生きることはできる。
 だがそれは――。

「やっぱり、いやだよねぇ……」

 目の前で人間をやめてしまった愚かなりし姉の姿を見てしまえば、ああはなるまいと決死の覚悟で妹の手を握る己がいた。
 なに、生きているだけで幸せさ。そんな絵空事を思わなければやっていけない。それを口にすることがないのは、決してそんなことはないと思っている証拠だ。
 ひとまずは、泣きじゃくる妹がすべての涙を流し終える前に慰めることが先決か。それとも救援を要請することが先決か。いや、眠ることが先決か……。

「城島家の子供か?」

 またまた現実が逃げ出そうとした自分に降りかかった災難。
 だが、それは祝福の鐘を鳴らす救世主との出会いであった。
 絶望の中に見出した、救いの光。その女は軍服に身を包み血と硝煙の匂いがした。
 本能の赴くままに、冥星は妹を庇い前に出た。そうしなくてはならない理由があったからだ。

「なるほど、子供とはいえ城島家の血を引いている、か」
「ちょっと、お姉さんどうして僕たちの家に火をつけたのか教えてよ」

 証拠など何もない。ただ本能的に冥星は目の前の強敵に対して牙を向けた。大人と子供、力の差は歴然。例え女であってもその体格差は倍以上だ。しかもこの女、かなりデカい。
 直感的に冥星は自らの天敵と出会ったことを悟る。こやつは決して救世主などではない。悪魔の類だ。どうやら己は完全に星から見放されているようだ。ああ、こんなことならあの時昼寝をしておくべきだったか。しかし妹にせがまれ、屋敷を抜け出したからこそ、自分の命は救われたのだ。この抗いがたい倦怠感に襲われつつ、冥星は自らの運命を嘆く。

「……こい、これから私がお前たちの親だ。お母さんと呼べ」
「……は?」

 女は顔色一つ変えないまま、冥星の前に歩み寄った。不思議と恐怖はなかった。あるのはただ、理不尽なまでに翻弄される我が人生の嘆きのみ。
「オカー、サン?」
「そうだ、海星。さぁ、その汚らしい鼻水を、兄の服で拭うのだ」
「うん、ごしごし」
「ごしごしって、ちょっと海星、うわぁすっごい……」

 さっそくまともな衣服をなくしてしまった冥星を横目に、巨大な女は海星の手をしっかりと握る。女の手は、指先が長く、ほっそりとしていたが、凄惨たる傷跡の数々が歴戦の戦士を想像させる。

「さぁ冥星、お前はどうする? ここで朽ち果てるか、それとも私をお母さんと呼ぶか、選ぶがいい」
「マイ、マム。残念ながら、僕たちは母親という物を知らなくてね。どういった存在なんだい?」
「お母さんと呼べ。そうだな、一言でいうなら、愛の化身だ。お前たちに愛を教えるのが、私の成すべきことだ」
「マイ、マザー。愛とはまた、抽象的だね」
「そうか? ならば初めにお前に教えてやろう、これが私の愛だ――お母さんと呼べと言っているだろうが!!!」

 ああ、愛とは何たる甘美な響きであろうか。その言葉とは裏腹に自らに降りかかる悲劇的な展開を冥星は把握できずにいた。
 家が燃えた。燃やした奴の仲間に拾われ、お母さんと呼べと強制され、愛を教えてやると拳骨を脳天に直撃。
 神様、これは試練でしょうか? 今までダラダラと過ごしてきたツケなのでしょうか? ですが、私はまだ一一歳の洟垂れ小僧であり、普通なら、仲間とカードゲームをしたり、万引きをしたり、非行に走り、少年院にぶち込まれてもいい年頃なのです。
 神様、これはあんまりではないですか? 豚箱にぶち込まれてもいいのです、悪の秘密結社に拉致られて身代金を渡せと脅されてもいい。金ならいくらでもあります。あ、全部燃えてしまったか。
 ですが、神様、私は二度と、あの拳骨を食らいたくありません。愛なんて、くそくらえ!

 
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