嘆き
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第三章
第三章
「よいか、十兵衛」
家光直々に彼に声をかけてきていた。場所は江戸城の将軍の間である。
「くれぐれも頼むぞ」
「はい」
彼は頭を垂れることなく家光の頼みに応えていた。
「わかり申した」
「うむ、ならばよい」
「お待ち下さい、上様」
しかしここで将軍である彼の側に控える一人の男が言葉を入れてきた。逞しい顔をしており眉が太い銀髪の初老の男であった。彼はきっち十兵衛の顔を見据えつつ家光に申し出てきたのだ。
「そうはなりませぬ」
「ならぬとな」
「そうです」
男は厳かに言うのであった。
「宜しいですか、こ奴は礼儀をわきまえておりませぬ」
十兵衛に顔を向けて忌々しげに述べていた。見れば引き締まり太い眉が見事に吊り上がり口は大きく舞い一文字で黒い目が強い光を放っているところはどれも全くそっくりであった。ただ十兵衛は右目に眼帯をしているが。どうやら隻眼であるらしいのだ。
「それを許してはなりませぬぞ」
「ははは、父上」
しかしここで十兵衛は破顔して笑うのであった。
「御心配には及びませぬ」
「上様に無礼を働いてか」
「拙者、無礼者ではありませぬ故」
堂々とした言葉であった。実に。
「故に何の心配も御無用ですぞ」
「では今の返事は何か」
父は顔を険しくさせて息子に対して問い詰めた。
「頭を垂れぬなどとは不届千万ぞ」
「頭を垂れるわけにはいきませぬ故」
「何っ!?」
今の我が子の言葉にさらに顔を歪ませる父であった。
「それは一体どういうことじゃ」
「拙者、今より魔を断ち切りに行って参ります」
己が言われた任務のことであった。彼はそれをはっきりと認識していたのである。そのうえでの実に明朗な言葉であった。寸分の曇りもない。
「だからこそです」
「だからこそ頭を垂れぬと」
「左様でござる。魔を断ち切るにはまず心が重要」
十兵衛は言う。
「心を折っては何にもなりませぬ故」
「心を折るとな」
「はい。頭を垂れる時は見事魔を断ち切った時」
今度の言葉は見事な断言であった。
「その時にでござる」
「その時とな」
「はい」
またしてもはっきりと答えてみせるのだった。
「いざ。それでは」
「ううむ。また訳のわからぬことを」
「まあ待て但馬よ」
しかしここで家光が笑いながら彼に対して顔を向けて言ってきた。実に気軽に彼の朝廷での官職を呼んでさえいる。気楽な感じであった。
「その様に怒ることでもあるまい」
「ですが上様」
「私はよいのじゃ」
相変わらず笑いながらの言葉であった。
「十兵衛はこうでなくてはな。かえって心配になるものじゃ」
「左様ですか」
「そうじゃ。してじゃ」
家光は今度は十兵衛に顔を向けてきた。やはり気さくな顔もちである。
「一人で充分か」
「拙者一人おればそれでことはなったもの」
胸を張って言い切ってみせていた。
「御安心下さいませ」
「ほほう、自信があるか」
「自信がなければ受けはしませぬ」
ここでも言い切る。彼はあくまで強気であった。
「そういうことでござる」
「わかった。ではそなた一人に任せる」
「はい」
話は完全に決まってしまった。これで。
「無事務めを果たして参れ。よいな」
「わかり申した。さすれば父上」
「何じゃ」
如何にもといった不機嫌な顔を我が子に向けて応えていた。将軍が許しても彼は許さない、それがはっきりとわかる表情であった。
「今より行って参ります」
「すぐに発つか」
「魔はすぐに消すべきもの」
真剣な面持ちでの言葉であった。
「さすれば是非」
「わかった。では行って参れ」
「はっ」
「しかしじゃ」
ここで但馬はこれまでの不機嫌な顔を変えていた。真顔になりその顔で以って我が子に述べてきていた。子もまた真顔でそれを受けていた。
「わかっておろうな」
「無論」
静かに言葉が交差する。
「最初から承知しております故」
「ならばよい」
但馬は我が子のその言葉を聞いて安心したように頷いた。しかし目を閉じただけでその表情から読み取れるものはなかった。
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